第七百七話 光芒(一)
だが、敵は数多。
包囲されれば、一方的に押し潰されるだろう未来が見えている。岩壁が破壊された直後、別の場所に壁が作られた。敵の包囲を防ぐための手立ては、魔法の射線を塞ぎもする。しかし、岩の壁はすぐさま破壊されてしまうものだ。障壁として機能するのは一瞬に過ぎない。頼ることはできない。
ファリアは雷撃の矢を連射しながら、後ろに下がった。放物線を描く矢は、仲間の頭上を越えて敵陣に降り注ぐ。雨となって降り注ぐ雷は、その一撃一撃の威力こそ低いものの、打たれたものは感電したかのように動けなくなった。数秒のことだ。だが、その隙は敵にとっては煩わしいものであり、味方にとっては好機ともなった。雷の雨の中を金色の長衣が舞った。無数の刃と化したローブゴールドが、動けない皇魔を切り刻み、血煙が戦場を満たす。
皇魔が、退いた。
シヴィル=ソードウィンとの近接戦闘を嫌ったのだ。空いた間合いを埋めるのは、魔法攻撃の嵐だ。火炎や雷撃、光弾がシヴィルに殺到する。しかし、皇魔の攻撃が四大天侍を捉えることはなかった。彼の足元の地面が隆起し、巨大な柱のように聳え立った。遥か頭上に至ったシヴィルは、柱の上から跳躍し、軽々と敵陣を突破する。金色の衣が翼のように翻り、彼に飛行能力を与える。唖然とする皇魔たちだったが、すぐさまシヴィルに攻撃を仕掛けた。しかし、それらの魔法攻撃が彼に届くより早く、シヴィルはメリオルに到達している。
メリオルは、たった一体で本陣の奥に控えていた。全戦力をこちらに差し向けていたのだ。それで済むと判断したのは、悪手だ。こちらを甘く見たのだ。
「オウラ!」
ファリアは、雷の雨を止めると、岩拳のオウラを一瞥した。彼もこちらを見ている。傷だらけの顔がこちらの考えを理解して、はにかんだ。岩塊そのもののような手甲を足元の地面に叩きつける。彼と召喚武装の力が波動となって地中を駆け抜け、ファリアの立っている場所そのものを大きく隆起させる。シヴィルにしたことと同じだ。ファリアは、岩柱から落とされないように踏ん張りながら、シヴィルとメリオルに視線を戻した。シヴィルは既に地上に降り立ち、メリオルを攻撃の間合いに捉えていた。メリオルは、笑っている。メリオルとの間合いを詰めるシヴィルとの距離を詰めようとする皇魔の数は、ざっと二百。包囲されているといってもいい。いや、シヴィルが包囲の中に飛び込んだといったほうが正しい。この状況を打破するにはメリオルを撃破するしかないし、強襲部隊の目的は魔王軍指揮官の打倒だ。
(倒す以外に道はない)
ファリアは、オーロラストームを水平に倒して構えると、左手を添えた。すべての力を注ぎ込むという意思表示を、オーロラストームにしているのだ。召喚武装は意志を持つ。意思を持った生き物なのだ。彼らの力を引き出すには、それなりの準備が必要だ。儀式ともいう。
射線は、通っている。千数百の皇魔の群れをその遥か頭上から見下ろす高度にファリアはいた。柱を破壊しようとする皇魔は、彼女の仲間たちが倒してくれている。が、それも時間の問題だろう。そして、時間をかけることができないのは、最初からわかっていたことだ。
シヴィルがメリオルに連続攻撃を畳み掛けるが、メリオルは優雅にかわしてみせる。ローブゴールドの剣による斬撃も、槍にりよる突きも、鎚による叩きつけも、すべて回避された。シヴィルは長衣で巨大な斧を形成して薙ぎ払ったが、メリオルはそれさえも跳躍してかわした。メリオルは攻勢に転じない。それは付け入る隙がないからではなさそうだった。シヴィルの息切れを狙っている。シヴィルが息切れし、追い縋る皇魔たちの攻撃によってずたずたにされるのを待ち望んでいる。ファリアはそう見た。
(それも悪手)
ファリアは、オーロラストームの翼を構成する羽ともいえる結晶体が燐光を帯びるのを確認するとともに、自分の精神がすり減っていくような感覚に苛まれた。いままで感じたこともないような力の消耗。それは、オーロラストームの本来の使い方ではないからなのかもしれない。雷光の矢でも、運命の矢でもない、別の能力。ザルワーン戦争以来、使い方を模索し続けてきた。
シヴィルの長衣が爆発的に膨張し、無数の武器が形成される。剣、槍、斧、鎚、様々な武器がメリオルに襲いかかる。メリオルは、槍の切っ先を杖で受け流すと、その動作中に能力を発動させた。杖の水晶が瞬き、シヴィルの頭上に光の塊が出現する。光塊は、シヴィルの背後に落ちて、爆発した。
閃光と轟音に揺れる世界で、ファリアの五感はシヴィルの無事を認識している。メリオルの居場所もだ。
ファリアは、オーロラストームの矢を発射した。中射程高威力の雷撃が、メリオルに向かって飛んでいく。爆煙の中、メリオルはこちらを認識したのかどうか。
「あの男を囮にしたつもりのようだが、殺意が純粋すぎたな」
声は、間近で聞こえた。
「ばればれだ」
「そうね。そうでしょうね」
ファリアが応じると、目の前のメリオルの表情が歪んだ。リュウフブスは魔法を使う。空中を移動することなど容易いのだ。人間とは違う。生物としての圧倒的な力の差を認めざるを得ない。だが、勝ち目がないわけではなかった。
「あなたの興味を引くためだもの。当然よね」
ファリアは、雷撃を放った。メリオルが右に流れて雷撃をかわす。さらに連射するが、メリオルが華麗にかわしていくだけだ。彼は嘲笑した。
「極至近距離なら当たると思ったか!」
「まさか」
ファリアは一笑に付すと、メリオルがなにかを感じて杖を振るうより早く、オーロラストームに命じた。予めメリオルの回避移動先に散らばっていた無数の結晶体が、一瞬の遅れもなく、同時に電光を発する。視界が眩い光に包まれるとともに、猛々しい叫び声が聞こえた。電流の渦が、メリオルの肉体を焼き尽くさんとしているのだ。
ファリアは、絶叫が抑えこまれていくのを認識した。雷光の渦の中で、メリオルの肉体が再生を始めている。治癒魔法だろう。リュウフブスが吼えるようにいってくる。
「この程度で……!」
「もちろん、それで終わりじゃないわ」
ファリアは、オーロラストーム本体を通して、メリオルを包囲する結晶体に命じた。結晶体が再生中のメリオルの体に突き刺さり、電熱を体内に直接流し込んでいく。血肉が焦げるにおいが漂い、煙が立ち込めた。絶叫が轟き、それが断末魔に変わるまで時間はかからなかった。焼き尽くされたメリオルの体が滞空する力を失い、落下を始める。それとともに岩柱が激しく揺れた。見下ろすと、皇魔の攻撃が岩柱に直撃したところだった。崩落する。飛び離れようにも、高度が高度だった。受け身をとったところで、軽傷では済まないだろう。浮遊感の中で覚悟を決めたファリアだったが、視界に飛び込んできた金色に安堵を覚えた。シヴィルとローブゴールドだ。
「無事ですか」
「はい」
膨張した衣に包まれながら、ファリアは返答した。シヴィルは、敵陣のまっただ中から駆けつけてくれたようなのだが、傷一つ負っていなかった。さすがは四大天侍といったところだ。彼は、ゆっくりと地上に降下しながら、柔和な表情を崩さなかった。
「大金星ですよ、小ファリア」
「ですが……」
ファリアが気になったのは、皇魔たちの様子に変化がないことだった。メリオルは指揮官だったはずだ。その指揮官が倒されて無反応というのは、あまりに不自然だった。
「まさか」
「そのまさかだ。君がその面白い召喚武装で殺したのは、我が部下のジブラルだ。彼は幻術が得意でね。わたしの代わりとを務めてもらうこともあったのだよ」
メリオルの声が、高らかに響いた。声の発生源は、眼下。見下ろすと、リュウフブスの指揮官は、武装召喚師たちの前で水晶の杖を掲げていた。水晶が輝き、ファリアたちの目の前に光球が生まれる。まるで星のように眩い光は、無慈悲に降り注ぎ、破壊をもたらす。
ファリアはシヴィルの長衣に包まれることで事なきを得たが、地上の仲間がどうなったのかはわからなかった。
熱気が立ち込める地上に降り立ったとき、生存を確認できたのはふたりだけだった。ファリア、シヴィルと合わせて四人しか生き残っていない、ということだ。
「わたしは慢心しない。人間が相手だからといって油断はしない。我々が上位種であり、君らが劣等種だという事実を踏まえた上で、手を抜かないというのだ。戦力の上でも、実力の上でも、我々のほうが上だろう。だが、それでも油断をすれば出し抜かれるものだ。そういう事例に事欠かない戦いばかりだった。わたしは学習したのだ」
メリオルの自身と自負に満ちた言葉は、隙の無さを示しているのかもしれない。実際、彼に隙は見えなかった。見え透いた隙は、こちらの攻撃を誘うための振りでしかない。そして、その隙に誘われたのがファリアだ。オーロラストームの真価を発揮するために、ファリアは精神力の消耗を強いられた。
「魔天衆も覇獄衆も、慢心さえしなければ、油断さえしなければ、君ら人間などに負けるはずがなかった。鬼神の加護がなくとも、君ら如きに負けるいわれはないのだ」
メリオルの後ろには召喚武装を携えた皇魔が二体控えていた。その周囲には千体以上の皇魔が存在しており、万全の体制が敷かれている。
(こちらは四人……)
たった四人。しかも、ふたりは負傷しており、全力で戦うことはできまい。シヴィルは余力を残しているし、ファリアも五体満足ではある。しかし、敵との戦力差は絶望的だと認識せざるをえないだろう。
「状況はよくありませんね。しかし、四大天侍は諦めが悪いのです。いや、諦めの悪い人間でなければ、四大天侍など務まらないといったほうが正しい。そういう意味でも、あなたは適任だと思っていたのですがね」
「……はあ」
「話は後にしましょう。いまは、メリオルの撃破が最優先です」
「は、はい!」
シヴィルの言葉に力が湧く。目的はただ一つだ。敵指揮官の撃破。最初から変わっていない。それさえ達成することができれば、この戦力差もどうにかなるかもしれない。
メリオルが嘲笑った。彼が杖を翳す。水晶の中の光が膨大化した。
「まだ、わたしを殺せるとでも思っているのか。度し難いな」
頭上に、巨大な光の塊が出現する。まるで夜空に瞬く星のような光は、音もなく、熱もなく、気配もなく、ただ現実として降ってくる。
《確かに……実に度し難い》
脳裏に響いた声は、メリオルのものではなかった。もっと鮮烈で、強烈な力を持った声。心が揺さぶられた。心だけではない。その場に立っていられないほどに足が震え、ファリアはその場に座り込んだ。金色の衣が視界を覆う。シヴィルが、ローブゴールドを大きく展開したようだった。
《おのが力量を弁えず、それでもなお勝利を諦めない。無謀で、無様で、無明》
星の爆発も衝撃もなかった。ローブゴールドに護られたからではない。もっと別のなにかが、戦場を掻き乱した。
「これはなんだ」
取り乱したメリオルの声が、事の重大さを示しているかのようだった。
ローブゴールドによって構築された防壁の隙間から顔を出して、ファリアは愕然とした。
夜空を、光芒が切り裂いていた。