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第六話 遠い世界で

「で、ここは一体どこで、どっちに向かえばひとがいるんだ?」

 セツナが、後方にいるであろうアズマリアに大声で尋ねたのは、一頻り叫んだあとだった。

 涙は流し尽くしたはずだ。涙の貯蔵庫は枯れ果てたはずだ。それくらいに泣いて、泣き尽くした。叫び、喚いた。そうすることで元の世界との決別を果たしたつもりになれた。彼はもう、故郷を想って泣くような真似はしないと決めた。いつまでも、過去を引き摺っている場合ではない。

 目の前には、異世界という現実が広がっているのだ。泣き叫んで駄々をこねたところで、なにも変わりはしない。帰れないのなら、進むしかない。彼女の言う通りだ。

 前へ。

 一歩でも前に進むしかないのだ。

 セツナは、アズマリアの返答を待つ間に、ゆっくりと空気を吸い込んでいた。快晴の空の下、流れる空気は軽い。鬱蒼とした森の中では考えられなかったほどの開放感がある。心も軽く感じるのは、涙という重荷を流しきったからかもしれない。

「……?」

 セツナは、ふと、アズマリアからの返答が遅いことに気づき、彼女がいるはずの背後を振り返った。そして、愕然とする。

「いねえっ!?」

 眼前には、ついさっきまでいたはずの美女の姿はなく、爆発による破壊の爪痕が広がっているだけだった。巨大なクレーター状の爆発跡のどこにも、真紅の女は見当たらない。目立つ女だ。遠く離れていてもそれとわかるはずだ。しかし、見つからなかった。

 セツナは、呆気に取られたが、すぐさま思い返した。見捨てられた、ということではない。彼女には彼女なりの考えがあるに違いない。それがセツナの助けになるとは限らないし、本当に見捨てたのかもしれないのだが。

「本当、勝手な女だな」

 召喚しておいて放置するなど、なんのための召喚なのかわかったものではない。

 ぼやいても仕方がないことはわかってはいたが、この仕打ちには愚痴らざるを得ないだろう。自己弁護とともに、彼はため息を浮かべた。

 なにも知らぬ異世界のどことも知れぬ森の中に召喚されたのは、まだいいとしよう。それもよくないが、最悪なのだが、よしと考える。アズマリアの言葉通り、召喚に応じたのはみずからの意志に違いないことも認める。己が手で扉を開いたのだ。それには納得するしかない。

 問題は、この世界に関する情報を毛ほども与えず、あまつさえ皇魔おうま蠢く森の中に放り出す、などというアズマリアの所業である。いくらなんでもこれはないだろう。少なくとも、この森の周辺に関する情報なり、森を抜けるまで同行してくれるなりしてもいいはずだ。

 いや、召喚師ならば、召喚物に命令するのが普通ではないのか。

 だが、彼女はセツナは自由だといった。道を選ぶ権利があり、それを止めることはアズマリアにもできない、と。

(それってつまりどういうことだ?)

 頭を抱える。

 なにもかも、セツナが決めろということにほかならない。どこへ行くか、なにをするか、どう生き、どう死ぬのか。それを決めろというのだろう。考えているだけで頭が痛くなってくる。そんなこと、これまでの人生で考えたこともなかった。ただ、母の幸せだけを願って生きてきた。

 それなのに、自分の生き方を考えろという。

 しかもここは異世界だ。知り合いもいなければ、どういう状況なのかもわからない。化け物が住み着いていることだけは知っているが、そんなことだけを知っていても仕方がない。

 セツナはため息をついた。考えていても、埒があかない。このままでは、堂々巡りを繰り返すだけなのが目に見えている。

 とにかくその場から動き出すことにした。なにも告げずにいなくなったものを待ち続けることほど愚かなことはない。怒鳴り散らしても構わないだろうが、それもまた時間と体力を無為に消費するだけだ。時間はともかく、体力は有限なのだ。

 諦観というよりは圧倒的な敗北感とともに、セツナは、周囲を見回した。皇魔との戦いによって爆砕された森の中――巨大なクレーターの中には、彼ひとりしかいない。鳥獣の姿は愚か、皇魔の気配すら感じられない。

 当然だろう。静寂が戻ったとはいえ、地形を変えるほどの爆発があったのだ。多くの動物が巻き込まれたのを、セツナだって知っている。そんな破壊の中心部に好き好んで近づくようなものはいない。

 セツナは、クレーターの円周部を囲むように広がる森を見渡して、またしても嘆息を浮かべた。

「どこへ行けばいいんだ?」

 森、森、森、森――どこを見ても、同じような景色だった。この森がどれほどの規模のものかもわからないし、どこをどう進めば森から抜けられるのかなど、皆目見当もつかなかった。それもそのはず、ここは見知らぬ世界の見知らぬ森の中なのだ。わからないのが当然だった。

 それでも彼は、クレーターの外へ向かった。爆心地の外に広がる森がどこまで続いているのかわからないが、抜けださなければ話にならない。それには森の奥へは進まないことだが。

「さて、正解はどっちだ」

 セツナは、あてもなく前進した。


 爆心地を離れ、本当の意味での森の中に足を踏み入れる。

 森の闇は、陰鬱な沈黙に支配されていた。難を逃れた動物も虫も、沈黙を強いられているような奇妙さがある。重々しい静寂は、セツナの全身に張り付くような粘り気を帯びている。この森のなにがそうさせるのかはわからない、なんらかの力が働いているのか、森とは元来こういうものなのか、セツナには判別できなかったが。

 鬱蒼とした木々に覆われた領域。道らしい道はない。辛うじて獣道らしきものが見受けられる程度だったが、それだけでも幸運だったのだろう。獣道は外界に通じているかもしれない。確証はないが、ほかに頼りとなるものもなかった。

 先ほど襲ってきた皇魔の気配はない。先の戦いの影響なのかもしれない。黒き矛が生み出した破壊の嵐が、化け物たちを遠ざけてくれたのだろうか。襲いかかっても返り討ちにあうだけだと認識してくれたのならありがたいことだ。森を抜けるまでは無駄に体力を消耗したくはない。

 森の外までどれくらいの距離があるのかは不明だったし、なにが起こるのかもわからなかった。体力は温存しておくに限る。

 矛は、いつの間にか消えていた。アズマリアがどこかへ持ち去ったということはない。セツナが叫んでいる間、ずっと握り締めていた。だが、彼が泣き止んだあと、気がついたときには消えていたのだ。

 影も形もなくなっていた。

 もしかしたら、元の世界に帰ったのかもしれない。

 アズマリア曰く、黒き矛は、異世界から召喚した武器だという。セツナのためだけの武器。召喚武装。

 異世界から召喚したものが役目を果たした後、あるべき世界に帰還するのは当然のことのように思えた。ゲーム的な思考かもしれない。召喚物が敵を攻撃して去っていく絵が脳裏に浮かんだ。黒き矛はセツナの召喚に応じて現れ、役目を果たして帰還したのだ。

「ん……?」

 セツナは、ふと足を止めた。森の中。無数の枝葉は、複雑に折り重なって緑の屋根を構築している。わずかな木漏れ日は、森の闇に光の雨の如く降り注いでいた。

(俺は……?)

 矛が、もしみずからの意志で元の世界に帰還を果たしたとして、セツナは、どうなのか。

 アズマリア曰く、彼女の《門》は一方通行であり、数多ある異世界からセツナのいた世界を特定することは難しく、帰還は不可能に近いという。

 しかし、セツナが召喚した矛は、難なく帰還してしまった。なんの障害もなく、なんの制限もなく、容易く元の世界に戻ってしまったらしい。

 ならば、セツナは?

(帰れるのか……?)

 可能性は、なきにしもあらずといったところか。

 矛は、恐らく本来あるべき世界に帰ったのだ。なんらかの方法で、みずからの世界に辿り着いたのだ。セツナも、どうにかすれば元の世界に帰れるのかもしれない。

(どうやって……?)

 矛が、どうやって元の世界の場所を特定し、世界間移動さえも成し遂げたのか。そもそも、矛そのものの意志で帰還したのかどうかなどわからない。

 もしかすると――。

(世界が呼び戻したのか?)

 矛が属する世界が、召喚の役目を果たした矛を呼び戻したという可能性も考えられなくはない。世界に意志があり、己の世界に属するものを元に戻す力が働いているのなら、という過程の上に成り立つ推測なのだが、

 そういう考え方ならば、黒き矛と違って、セツナが帰れないのも当然だといえた。召喚された役目を果たしていないのなら、帰還できるはずもない。世界が呼び戻す道理もない。

「俺の役目って……なんだよ」

 セツナは、呆然とつぶやいた。

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