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第六百九十二話 ウェイル川の戦い(四)

「これが軍師の戦い方ってやつ?」

 マリク=マジクが、水浸しになった戦場をぼんやりとした様子で眺めていた。

 死屍累々。皇魔と人間の死体がそこかしこに散乱している。水に浮いているものもあれば、沈んでいるものもある。流されていくほどの水の勢いは、戦場周辺にはなかった。ウェイル山麓は凄まじいことになっているようだが、堤防の補修が完了すれば元に戻るだろう。

 もちろん、勝者であるガンディア軍将兵の死体は少ない。とはいえ、魔王軍の大反撃は、ガンディア軍にそれなりの出血を強いた。元より無傷で勝てるとは思ってもいなかったのだが、

「そうだ」

「たくさん死んだね」

「ああ」

 五百人はくだらない死者が出ている。

 策によって敵の二割を削ることこそできたものの、元来の戦力差はいかんともしがたいものがある。兵数や士気ではまさっていても、一体一体の能力差を覆すほどのものではないのだ。ギャブレイトのような大型の皇魔が出てくれば、死者が出ないはずがなかった。死んで当然なのだ。

「君に頼れば、死傷者はいなかったと思うか?」

「まさか。ぼくひとりで一万の皇魔を殲滅することは不可能だよ」

「だろうな」

「それは、カオスブリンガーに頼ったって同じことだよ」

「わかっている」

「だったら、しっかりいってあげないと駄目だよ」

 マリクらしくない言葉のように思えて、ナーレスは考えこんだ。そして、思い当たる。

「……しっかり影響を受けているじゃないか」

 ナーレスが告げると、マリクは難しい顔をして黙りこんだ。

 武装召喚術における逆流現象がどういったものなのか、頭では理解していても実感としてはわからない。しかし、逆流現象を経験したものは、逆流と関連のある人物に対して特別な感情を抱いてしまうものなのかもしれない。ミリュウ=リバイエンの例は極端だが、傍若無人という印象しかないマリク=マジクが他人のことを案じるなど、最たるものだろう。

 日が傾いている。

 水没しかけている戦場から戦死者の引き上げを行う兵たちの掛け声が激しくなっていた。夜になれば、引き上げ作業を行うことができなくなる。この場に留まり続けることができない以上、死体の回収作業は完了させておきたいところだ。

 ナーレスは、血と死のにおいに満ちた戦場に背を向けると、本陣に向かった。


 魔王軍との戦いは、ガンディア軍の大勝で終わった。

 勝敗を分けたのは、ナーレスの策による洪水であり、早々に敵指揮官を討ち取ることができたことも大きい。

 ナーレスが洪水を起こしたのは、ガンディア軍本隊がウェイル山中腹から魔王軍の左翼に到達してからである。大軍でありながら敵の目を眩ませることができたのは、陽動部隊が派手に暴れ、川の向こうに兵を潜めていると思い込ませることができたからだ。

 陽動部隊の目的は、魔王軍の一部を川の下流に引き込み、留まらせることだった。

 敵はまんまとナーレスの策にはまったわけだ。

 魔王軍は、なにが起こったのかわからなかっただろう。ベスベル、レスベルの砲撃による爆音と震動が、洪水の接近を誤認させたのも大きい。下流付近に展開していた魔王軍の部隊は、全滅した。

 一万のうちの二割、つまり二千体もの皇魔をナーレスの策によって倒すことができたのだ。これによって、ナーレスは戦術家としての自分に自信を持つとともに、後継者たちにいい見本を残すことができたと思った。無理をした甲斐があったというものだ。そのために五百人以上の死者が出たが、策を弄さず正面からぶつかり合えば、より多くの損害を出したのは明白だ。

 ナーレスは策によって、ガンディア軍の犠牲をより少ないものにしたのだ。勝利を得ても、犠牲が大きければ意味がない。いつも考えることだが、理想の実現は難しいものだ。欲を言えば無傷の勝利こそ望ましい。そして、さらにいえば、戦争をせずに勝利することこそが最良なのだ。

「戦死者の引き上げは進んでいるようだな」

 本陣に戻るなり、レオンガンドの出迎えを受けた。鎧兜を脱ぎ、くつろいだ様子のガンディア王は、夕日の中でも美しかった。

「ええ。順調です。日が沈むまでにはなんとかなりそうです」

「それは良かった。さすがにこんなところに死者を捨て置くのはな……。しかし、あれほどの水量……一歩間違えれば我が方が壊滅していたのではないか?」

「間違えれば、そうなったでしょうね」

「間違えることなどありえない、とでもいいたげだな」

 レオンガンドが微笑を浮かべながら、ナーレスを先導した。本陣の中はガンディア軍の将校が歩き回っていたが、レオンガンドとナーレスの姿を見るなり、にわかに足を止め、姿勢を正した。敬礼を交わし、奥へと進む。

 夕食の準備中なのだろう。本陣に漂う芳しいにおいが、戦場の凄惨さを忘れさせるようだった。

「そういえば、堤防の修復作業も終わったそうだな」

「はい。カインに無理をさせました」

 ナーレスは、素直にうなずいた。脳裏には、疲労困憊といった様子のカイン=ヴィーヴルの姿が浮かんだ。カインには、ウェイドリッド砦が水没しないための工作もしてもらっている。そのため、この戦いでは出番がなかったが、戦線に加わらずともそれ以上の功績を上げているといっても過言ではない。

「手駒は好きに使えばいい」

「そう思い、使いましたが、ウルには怒られました」

「ほう」

「ウルはカインに入れ込んでいるようで」

「ふむ……」

 レオンガンドが渋い顔をしたのは、魔王のことを考えたからかもしれない。

 ウルがカインに心を寄せるとは思いも寄らぬことだった。ウルは以前、キース=レルガと恋仲にあったはずだ。キースは、双子の兄弟であるヒース=レルガとともに死んでいるため、彼女が別の人間に心を許したところでなんら問題はない。しかし、相手がカインというのは問題をはらみかねないものだ。

 カインは、ガンディアが抱える毒の一種だ。

 外法機関の生き残りたちと同じ、猛毒だ。

 カインが生きていることが知られれば、カインを利用していることが国民に知れ渡れば、レオンガンドの人望は地に落ちるかもしれない。少なくとも、ガンディア本土での人気はなくなるだろう。カインは、カランを焼き尽くした大量殺人者なのだ。

 そんな罪人でも使い道があると考えた。ウルの能力で支配することができれば、安全に運用することができる。カイン=ヴィーヴルの誕生である。カイン=ヴィーヴルは、ナーレスたちの想像以上の働きを見せた。ログナー戦争、ザルワーン戦争、そしてクルセルク戦争に至るまで、彼はガンディアの急先鋒に立って戦い抜いてきた。

 彼がガンディア躍進の功労者なのは間違いない事実だ。

 同時に、存在してはならない人物でもある。

 いずれは殺すべきだと考えている。

 しかし、ウルが彼に執心しているとなれば、話は別だ。彼を殺したとき、ウルがガンディアに牙を剥く可能性もある。そうなれば、強力な手駒を二つ三つ失うことになるかもしれない。ウルを手にかければ、アーリアが動くだろう。彼女も、レオンガンドに心服しているわけではない。

 毒は、いつかは排除するべきだ。

 だが、それはいまではない。

 ウルもアーリアも、いまは必要だ。ガンディアが大陸小国家群を早急に統一するには、彼女たちの異能が役に立つ。

(役に立つ物はなんでも使えばいい。そのためにわたしが呪われようと関係のないことだ)

 ナーレスは胸中でつぶやくと、足を止めた。目に留まる物があったのだ。

(あれは……)

 本陣の片隅に目がいったのは、ミリュウ=リバイエンの赤い髪が夕日を浴びて燃えているように見えたからなのかもしれない。髪を赤く染めている特殊な染料はザルワーン産であり、彼女はいつも取り寄せているらしい。

「堤防を破壊したからってあんな洪水が起きるものなの?」

「なんでも古代の堤防らしいよ」

「古代の?」

 ミリュウは、ドルカ隊の面々と屯していた。ログナー方面軍第四軍団長ドルカ=フォームと副長のニナ=セントールのふたりである。めずらしく感じるのは、ミリュウが《獅子の尾》以外の人間と話している姿を見ることが少ないからだろう。

 つい、主君のことを忘れて、話に割り込んだ。

「そう。約五百年前、大陸統一前後に起きた天変地異が原因だそうだ」

「あ、軍師さん、それに陛下も」

「ああっ!?」

「そう驚くこともあるまい。楽にしてくれたまえ」

「は、はい」

「軍団長……」

 ニナが顔を俯けたのは、ドルカの反応が恥ずかしかったからに違いない。しかし、ドルカの反応も無理はないだろう。気を緩めていたところに軍師と国王が現れたのだ。彼でなくとも緊張するだろうし、取り乱してもおかしくはなかった。

「聖皇による大陸統一の前後、大陸の各地では様々な天変地異が起きたというのは有名な話だが、そのひとつが、ウェイル山の出現なのだ」

「出現?」

「天変地異によって地形が変化し、ウェイル山となったらしい。ウェイル山からは止めどなく水が溢れ、リネンダール南部からウェイドレッド一帯を水没させかけた。人々は聖皇に救いを求め、聖皇はそれに応えた」

「ほう……聖皇の堤防なのか?」

「文献によれば、そうなります。もっとも、聖皇の統治が瞬く間に瓦解したことで、聖皇による救済は歴史の闇に消え、ウェイル山の名前の由来も忘れ去られた、というわけです」

「由来って?」

「なるほど……湖の山ってことね」

「さすがは武装召喚師殿。古代言語に精通しておられますな」

「これくらいは初歩の初歩でございますわ」

「ウェイルが湖ってこと?」

「ウェイルはウェール。マルウェールやニウェールと同じなのよ」

 ミリュウがドルカに説明した。ウェールとは湖。マルウェールは月の湖、ニウェールはニの湖。ニは太古、ニウェール辺りで崇められていた神のことだ。無論、その神とは皇神ではない。

「そうなのかー」

 ドルカが適当な相槌を打つと、ミリュウは頭を振ってため息を浮かべた。確かにドルカは理解していないというような顔をしていたが、それが相手を欺くための偽装であることはナーレスにはわかっていた。ドルカ=フォームとは、そういう男なのだ。自分の能力も本心も本性も隠している。気を許した相手にしか本当のことはいわないのだ。

「しかし、聖皇の遺産を破壊するとは、だいそれたことをするものだ」

「勝つことがすべてですから」

「……その通り!」

 奇怪な叫び声が聞こえたかと思うと、猛烈な風圧が本陣の静寂を破壊した。本陣に緊張感が走る。ドルカとニナがナーレスを庇った。レオンガンドにはアーリアがついている。本陣内にいた将兵が即座に動き出すが、それよりも速く暴風が本陣を襲った。陣幕が薙ぎ倒され、机や椅子が吹き飛んでいく。悲鳴が聞こえた。

「勝てばよイ……陛下が勝てば、それでッ!」

 本陣上空から皇魔が滑空してくるのが見えた。桃色の甲冑を身に着けたベスベル。大気を鎧のように纏っているのがなんとなくわかる。そのまま、突進してくる。暴風が、ドルカやニナを吹き飛ばし、ナーレスも弾き飛ばされた。衝撃の中、アーリアの張り巡らせた鉄糸の結界が、風の刃によって切り刻まれるのを目撃する。ベスベルがレオンガンドに迫った。

「陛下ぁっ!」

 だれかの絶叫が響く中、ベスベルが哄笑する。ベスベルの腕が、レオンガンドに触れようとした。そのとき、

「駄目よ」

 ミリュウの凍るような声が聞こえ、ベスベルの動きが緩慢になった。やがて、空中で静止する。

「ぐッ……なにッ……!?」

 見ると、ミリュウが太刀を掲げていた。その刀身に刃毀れがある。それがなにを意味するのか、ナーレスにはわかった。彼女は《獅子の尾》の一員なのだ。その召喚武装の能力について軍師たるものが把握していないはずがない。

「気づいてなかった? あなたの鎧に差し込んでいたの。部隊長みたいだったし、念には念を入れたのよね」

 ミリュウが、人差し指で刀身の刃毀れを撫でた。ベスベルが動けないのは、前進しようとする力と、刀身に引き寄せられる力が拮抗しているからだろう。だが、それもじきに終わる。

「良かったわ。差し込んでいた刃片はへんが水に流されなくて。おかげであなたを捕らえることができた」

 ミリュウは、凶悪な笑みを浮かべると、刀で虚空を薙いだ。刀身が一瞬にして砕け散り、空中にばら撒かれる。

「貴様……!」

 ベスベルが、ミリュウに向き直った。レオンガンドよりもまずミリュウを排除するべきだと考えたのだ。引き寄せられるのなら、接近は容易い。

 判断は、間違いではない。

「おおおおおおおおおおおお!」

「叫んだって駄目よ。磁力の方陣を破ることはできない。愛の力は絶対だもの」

 ミリュウは、柄を握る手をベスベルに向かって掲げた。ベスベルの周辺に漂っていた無数の刃片が、一点に集中する。ベスベルの甲冑を破壊し、外骨格を突き破り、内臓さえもずたずたに引き裂きながら、体の中心に至り――ベスベルが断末魔を上げて、絶命した。

「そろそろ名前つけないと不便よねー」

 ミリュウは、ベスベルの亡骸から取り出した剣の破片を元の形に戻しながら、他人事のようにつぶやいた。

 ミリュウに対する賞賛と喝采の拍手が沸き起こる中、ナーレスは、レオンガンドの姿を探した。レオンガンドはアーリアの後方に移動させられていた。ミリュウが機転を利かせていなかったとしても、最悪、アーリアが身代わりとなったということだ。

 ナーレスは、密かに安堵した。

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