第六十八話 シールド・オブ・メサイア
「武装召喚」
クオンがつぶやくように口にしたその一言とともに全身から迸ったのは、莫大な光だ。この世のものとは思えないほどに神秘的で鮮烈な閃光。一瞬にして室内を純白に塗り潰し、目を開けていたものたちの視覚を狂わせた。これでは騎士団長が号令を発したところで、行動に移りようがなかっただろう。どれだけ研ぎ澄まされた殺気が閃こうと、目標の位置が把握できなければ攻撃することもままならない。
膨大な光は瞬く間にクオンの右手に収束し、傭兵集団《白き盾》の象徴にして、その名前の由来たる純白の盾が顕現する。数多あるというイルス・ヴァレとは異なる時空、異なる次元よりの召喚である。
純白の盾。
それは見事なまでの真円を描いていた。半径三十センチほど。決して大きな盾ではなく、敵の攻撃を受け止めるには多少心許ないように見えた。しかし、召喚武装なのだ。見た目ではその性能を推し量ることはできない。もっとも、使い慣れたクオンにしてみれば、その頼りない形状にこそ安心を覚えた。
召喚の成功によって、敗北は無くなった。
盾の表面には、複雑な紋様が刻まれている。無数の言葉によって構築された魔方陣のような紋様。それがなにを意味するのかクオンですらわからなかったが、少なくともこの世界のものではないようだった。ましてや、武装召喚術を行使するために必要な古代言語ですらないらしい。この盾の在るべき世界の言葉なのかも知れない。
ともかくも、その至ってシンプルな盾を手にした瞬間、クオンの感覚は冴え渡った。意識が急激に肥大し、視野が急速に広がった。意識は肥大するだけではない。膨大化しながらも尖鋭化していくという矛盾を孕みながら、体の隅々にまで力を漲らせていく。
研ぎ澄まされた感覚が脳裏に投影するのはこの空間の現状であり、凶器を携えた騎士団員たちが閃光に戸惑う様であり、平然とした態度を崩さない彼の仲間たちの姿だ。声を裏返らせて号令を発したグラハムの表情は、しかし騎士団長としての威厳を微塵も失ってはいなかった。居並ぶ騎士団の幹部連中は、騎士団員たちと同様、召喚の光に視界を奪われているらしいが、かといって油断のできる相手でもない。
そして、複数の息吹がクオンの耳朶に届いた。給仕に扮した騎士団員たちが、一斉に動き出したのだ。肉体の躍動。得物の切っ先から迸るのは鋭い殺気。正常に視覚が働かずとも、動かない獲物ならば狙うのも容易いということだろう。
殺意は、クオンの背後からも迫ってきている。
「盾よ」
クオンは、密やかに命令するのとともに後方を振り返った。給仕の格好をした女の双眸が、驚愕に見開かれている。彼女は、手にした短剣をクオンの脇腹に突き立てることには成功していた。しかし、短剣の切っ先がクオンの身に纏う衣装を突き破り、あまつさえ皮膚を貫き内蔵を傷つけるようなことはなかった。だからこそ給仕の女は愕然としているのだが。
もっとも、驚愕したのは彼女ひとりではない。クオン以外の目標に襲い掛かった連中も、必殺の一撃を無力化されて驚きの声を上げていた。無力化。そう無力化である。研ぎ澄まされた短剣の一突きも、鋭利極まりない剣の一閃も、《白き盾》の一員に傷ひとつ負わせることもできなかった。刀身が皮膚に触れているにも関わらずだ。
クオンは、なにが起きているのかわからないといった様子の刺客に憐憫の情を覚えないでもなかった。相手にしてみれば、冗談ではないといったところかもしれない。剣は、目標に届いている。致命的な一撃になるはずだったのだ。それが掠り傷さえ負わせることもできないという結果になれば、少なからず混乱してもおかしくはないだろう。
「なぜだ……!?」
女の疑問ももっともだ。クオンは彼女の問いに答えてあげたくなったが、敵に己の能力を丁寧に解説してやるほど愚かな行為はないと思い直した。もっとも、この盾の力を説明したところで彼の有利は覆らないし、そのような心配をする必要もない。盾が顕現し、力が発動した以上、恐れるものなど何一つなかった。
彼は、自分の脇腹に突き立てられたままの短剣を左手で軽く退けると、悠然と騎士団長に向き直りつつ周囲の状況を確認した。
ウォルドたちもさすがにくつろいでいる場合ではないと悟ったのか、皆一様に立ち上がり、かといって威嚇するでもなく敵の攻撃を受け止めたり、交わしたりしていた。戦場に同行することの少ない(そもそも戦闘が本分ではない)スウィール=ラナガウディの顔は、この上ないほどに青ざめていたが。
ウォルド=マスティアは、給仕たちに突きつけられた剣をどうしたらいいものかと持て余していた。先に手を出されたとは言え、おもむろに反撃することも躊躇われるというこちらの立場を彼も理解しているのだ。ここはベレル王国にて権勢を誇る騎士団長の私邸である。正当防衛であろうとも、騎士団長側の見解こそが正義であり、クオンたちがどれだけ正論を並べ立てても国家権力の前では無力だ。
盾を掲げるクオンたちに対する彼らのように。
そして、彼らがクオンたちにとって脅威ではなくなった以上、無闇に手を出すべきではなかった。彼らを傷つける意味もない。既に無力化しているのだ。彼らがどのような手段を取ろうとも、盾を掲げたクオンに危害を加えることはできない。
マナ=エリクシアとイリスのふたりも、殺到してきた給仕たちに手を出していないところを見ると、こちらの意を汲んでくれているようだった。一方、奇襲の一撃を完全に受け止められた給仕たちは、一瞬なにが起きたのかわからなかったに違いない。クオンが召喚した盾の力に防がれたとは思いもよらないだろう。
「なにをしている! やれ、やるんだ!」
グラハムの威厳に満ちた怒声は、むしろ彼の軽さを際立たせるもののようにクオンには感じられたが、給仕に扮した騎士団員たちを思考停止から立ち直らせるには十分すぎるほどの迫力を持っていた。
給仕たちが一斉に動いた。
「はあっ!」
「でやっ!」
「どりゃあっ!」
轟く気合。
閃く剣光。
いくつもの斬撃、数多の刺突がクオンたちに襲いかかってきたが、彼らの肉体が傷つけられるようなことはなかった。またしても、盾の力が敵の攻撃を阻んだのだ。全身を覆うように展開する見えざる壁が数多の刀剣による連続攻撃を受け止め、けたたましい激突音を室内に散乱させた。
クオンは目を細めた。破れるはずもない障壁に向かって武器を叩きつけるしかない給仕姿の騎士団員には、同情せざるを得なかった。
盾は、無敵。
そして、盾の力が及ぶ範囲にいる限り、クオンも彼の仲間たちも傷つけられることはない。むしろ、盾が作り出す防壁に叩きつけられた刃物こそ損傷し、その切れ味を失っていくだろう。
それが白き盾の能力であり、傭兵集団《白き盾》の強さの根源だった。クオンが白き盾を召喚したとき、《白き盾》は不敗の存在、無敵の集団となるのだ。かつて、ログナーの軍勢がバルサー要塞を陥落させることができたのは、この白き盾の力が、ログナー全軍に作用し、ガンディア軍の攻撃を無力化したからに他ならない。
(そう。これがシールド・オブ・メサイアの力)
クオンは、騎士団長に命じられるままに、がむしゃらに武器を叩きつけてくる騎士団員たちを一瞥すると、グラハム・ザン=ノーディスを探した。つい先ほどまで対面の席に腰を落ち着けていたはずの騎士団長は、幹部連中とともに室外に退去でもしたのか、影さえも見当たらなかった。しかし、クオンの拡張された聴覚が、無数の靴音がこの部屋に向かってくるのを捉えていた。グラハムがこうなることを見越して、私邸の内外に伏せていた人数に違いない。
その数は優に百を超えており、たかが傭兵集団の幹部たちを暗殺するには大仰な戦力だと思われたが、同時にクオンたちをある程度は評価していることの表れでもあったのかもしれない。
彼は苦笑した。
(それでも足りない)
クオンは、純白の盾を見下ろした。盾が発散する淡くも神々しい光は、それがこの世のものではないということを如実に表しているようでもあった。穢れなき光。魂を守護し、昂揚させる大いなる輝き。勝利を約束するもの。
給仕姿の騎士団員たちが、一斉に攻撃の手を止めた。まったく通用しないことを悟ったのだろう。その表情には疲れが見えた。武器を振り回すだけで体力が奪われたに違いない。そして諦観が覗く。それは絶望にも似ていた。どれだけ武器を叩きつけても、見えない壁に阻まれ、傷ひとつ付けられないのだ。その上、クオンたちが反撃に出る様子もない。この状況で相手がなにを考えているのかわからないのは、不気味に他ならない。
不意に、スウィールが囁くように問いかけてきた。
「どうなされるおつもりですかな?」
「そうだね。とにかくこの状況を終息させたいかな。ベレルと事を構えるのは本意じゃない」
「もう手遅れじゃないですか?」
ウォルドの心底呆れたような声にクオンは首を振った。
「いや……」
「クオン様のお考えもわからなくはないですが、ベレルが総力を以て我々を潰しにかかってきた以上、交渉の余地はないのではないのですか?」
「これが王の意志ならば、ね」
クオンはマナの端整な横顔を見遣りながら、ベレル国王イストリア・レイ=ベレルの意志の薄弱そうな顔を思い浮かべていた。かつては英気溌剌としていたというのだが、年を取るとともに病気がちになり、床に伏せることが多くなってからというもの、すっかり弱気になってしまったというのがもっぱらの評判であり、事実、クオンがイストリア王と会見したときも、王の視線が一点に定まることはなかった。
かの王の眼は、猜疑心に満ち、身内は愚か己さえも信用に値しないとでも言いたげなものであり、対峙するだけで息が詰まりそうだったのをクオンは記憶していた。そして、その瞳の奥底に揺らめく魂の儚さも覚えている。
「王の意志ではないと?」
「イストリア王がぼくらを王都に招いたのは、何故だと思う?」
「単純に戦力が欲しいからじゃないですか? 噂じゃあ、ジベルがザルワーンと同盟を結ぼうとしているって話ですし」
ジベルはベレルの東にある国であり、ザルワーンの隣国でもあった。もし両国が同盟関係となれば、西をログナー、北をザルワーン、東をジベルに押さえられることになり、ベレルからしてみれば溜まったものではなかった。
ザルワーンとログナーの二国を相手にするのでさえ大変なのに、そこにジベルが参加してくるなど考えたくもないだろう。存亡の危機といっても過言ではない。
しかし、そうなるとたかが一傭兵団を引き入れたところで如何ともしがたいのではないだろうか。《白き盾》が如何に無敵とはいえ、局地的勝利だけでは大勢を覆すことはできない。無論、王都ルーンベレルだけを守護するというのならばできなくもないが、それもいつまで持つものか。
それに、ジベルとザルワーンの同盟の話は噂の域を出ないのだ。イストリア王の様子を見れば、その噂を疑いながらも同盟成立による圧倒的兵力の流入という恐怖に駆られ、正常な判断ができなくなったとしても、必ずしも不思議ではないが。
クオンは、無数の足音と殺気が室外に殺到しているのを感覚で把握しながら、室内を一瞥した。給仕たちは、武器を構えながらも仕掛けてくる気配はなく、仲間との合流を待ち侘びているようだった。どれだけ数が増えようとも、盾を砕けない以上、状況に変化は訪れないのだが、それはわからないのだろう。
彼は、いつの間にか周囲に集まっていた仲間たちを見た。スウィール、ウォルド、マナ、イリス。当然、だれひとり負傷していない。
「もちろん、それもあるんだろうけれどね。でも、それだけじゃない気がするんだ」
クオンは、顔色の悪い王の面差しを思い浮かべていた。疲れ果て、疑心暗鬼に陥っていた老王の生気のない瞳の奥底で、彼の小さな魂が救いを求めるかのように揺らめいていた。安息を求めていた。魂の安らぎ。だれかを疑う必要なく、なにかに脅える必要もない、そんな日々を求めている。
だからこそ、《白き盾》などというしがない傭兵団にすら縋りついてきたのだろう。いや、むしろ《白き盾》に縋りつくだけの価値を見出したからこそ、直接ルーンベレルに招いたのかもしれない。だとすれば、ここひと月ほどの活躍が認められたのだろうが。
確かに、ベレルと契約してからというもの、クオンたちの活動は目を見張るものがあったはずだ。自画自賛するわけではなく、冷静に見て、そう判断する。ベレル国内の皇魔の巣という巣を滅却し、国内に蔓延る皇魔を限りなく駆逐したのだ。完全無欠とはいかないが、それでも、人里が皇魔の群れに襲われるような事例が起こることはなくなったはずである。
後顧の憂いを断ったといってもいいのかもしれない。
それにより、ベレルは皇魔という人外異形の化け物の脅威を考慮する必要はなくなり、戦力を対皇魔のために割くことも不要となったのだ。これは、小国において重大な変化に違いない。
そして、クオンたち《白き盾》も戦線に加わることになるはずだった。
国土防衛にせよ、敵国への侵攻にせよ、《白き盾》の参戦は、この国に数多の勝利を約束するに違いなかったのだ。
クオンが純白の盾を掲げる限り、敗北はありえないのだから。
(どうしてこんなことに?)
クオンが首を傾げるのも当然だった。
クオンたちがベレル王国騎士団と対立する理由などなかったのだ。片や有名とはいえしがない傭兵集団であり、方やベレルの主力にして最高戦力たる騎士団である。協調こそすれ、敵対することなどあってはならないのだ。傭兵が雇い主に背くなどみずから職を手離すようなものだ。そしてその事実が流布されれば、《白き盾》の今後の活動に支障をきたしかねない。
どれだけ実力をもっていようとも、自国の軍と衝突し、問題を起こすような連中など雇いたくもないだろう。
だからこそ、クオンは雇い主側である騎士団との間に摩擦が起きるような行動は取らなかったし、これからも取るつもりはない。しかし、現状はどうだろう。
摩擦が生じ、衝突が起きた。
望まざる事態。打開する方法も見当たらない。
そもそも、クオンたち《白き盾》が、ベレル王国騎士団長グラハム・ザン=ノーディスと会食することになったのは、グラハム側からの申し出によるものであった。
《白き盾》は、ベレルの首都ルーンベレルに拠点を移したばかりで色々と忙しい時期ではあったが、騎士団長直々の申し出を断るわけにもいかず、クオンが選んだメンバーとともに招きに応じることになったのだ。
グラハム・ザン=ノーディスが騎士団長という地位にあるだけでなく、ベレルの国政に口出しできるほどの権威を持っているという情報は、この国に来てすぐに得た情報だった。
それもそのはず。現在の王妃ミスレ・レア=ベレルは、ノーディス家の出身であり、グラハムの叔母に当たる人物なのだ。グラハム・ザン=ノーディスは、彼女の後援を受けて現在の地位と権威を得たという。といって、悪い噂があるわけでもない。彼個人は、ベレル王家に忠誠を誓う騎士の中の騎士として、国中から信望を集めている。
ベレルを代表する人物といってもいい。
そんな彼の誘いを無碍に断ることは、ベレル国内での《白き盾》の立場を危うくするということと同意であり、この国で無用な摩擦や問題を起こしたくはないというクオンたちの考え方からすれば、会食の招きに応じるのは当然の道理であった。また、ベレル国内で活動する上で騎士団との繋がりを強くするということは、必ずしも無駄にはならない。
しかしながらクオンたちは、騎士団長を始めとする騎士団幹部との会食のためにそれなりの衣装を用意するところから始めなければならなかった。前線で戦うことを生業とする傭兵らしく、パーティーなどとは無縁の生活を送ってきたのだ。もちろん、いままでにそういった誘いがなかったわけではなく、クオンは幾度か祝勝パーティーや舞踏会に顔を出したこともあった。しかし、そういったパーティーに参加するのは大抵クオンだけであり、ほかのメンバーが招待されたことはほとんどなかった。あっても副団長のスウィールかマナくらいのものである。
故に、衣装を用意しなければならず、そのためだけにルーンベレルを駆け回らなければならなかった。
「痛い出費ですな」
スウィール=ラナガウディのふとした一言が、クオンの耳に痛かった。しかも、これからこの《白き盾》という組織を大きくしていくのならば、こういった付き合いによる出費も増えていくことにならざるを得ない。そしてそれは、《白き盾》の活動方針に重大な影響を与えかねないかもしれないのだ。
資金力不足が原因で本来の目的を見失うなど、あってはならないのだ。
(それだけはできない。決して)
そう強く決意してはいるものの、いまも似たようなものではないかと自嘲しないこともない。目的を見失いかけているといっても過言ではないのか。傭兵という立場に囚われて、なにもできていないのではないのか。
頭を振ろうにも、否定する要素も見当たらない。
目的に向かって前進しているのか、クオン本人にすらわからなかった。
騎士団長との会食は、現状から半歩でも前に進むことになるのだろうか。
会食は、グラハム・ザン=ノーディスの私邸で行われた。その豪奢な屋敷は首都ルーンベレルを見渡すことのできる丘の上にあり、いかにも権力者が住んでいますといわんがばかりの立地条件だった。
権力を握ったものは、高所を好むという。
《白き盾》から参加したのは、団長クオン=カミヤを始め、副長スウィール=ラナガウディ、マナ=エリクシア、ウォルド=マスティア、イリスの五名である。皆、借り物の衣装に袖を通していた。
クオンはどこぞの貴公子のようだと皆に絶賛されたものの、本人にはまったく実感できない評価だった。そもそも堅苦しい格好は嫌いなのだ。普段着でいるほうが、気楽でいい。無論、時と場合を弁えるのは当然の話だ。
スウィールは、前途眩しい若者たちの引き立て役にでもなろうか、などといって一見すると地味な衣装を身に付けていた。彼らしいといえば彼らしい判断であり、クオンたちに口を挟む余地はなかった。
筋骨隆々のウォルドには少々窮屈な思いをしてもらわなければならなかったが、それも致し方のないことだ。彼に合うサイズの衣装が見つからなかったのだ。だったら自分は拠点で留守番するといってきたのだが、ウォルドもまた、向こう側から名指しで招待されている以上、連れて行かないわけにはいかなかった。
マナのドレス姿にはただならぬ気品があり、彼女が一般家庭で育ったわけではないということを如実に現していた。もっとも、それは普段の立ち居振る舞いを見ていればわかることだ。彼女が上流階級の出であることは、周知の事実だった。家名からしてそうである。武装召喚師を志すものならば知らぬものはないというほど高名な一族の出身なのだ。
そしてイリスは、マナがルーンベレル中を駆けずり回り、その上で厳選に厳選を重ねたという衣装を身に纏っていた。当初、イリス自身は、《白き盾》特製の服装で十分だといっていたが、マナの説得と懇願によって着替えることを承諾したのだった。
マナがイリスに似合うといって太鼓判を押した服装とは、黒を基調としたドレスであり、その大胆かつ繊細なデザインは、背徳的、退廃的な雰囲気を漂わせていた。ゴシック・アンド・ロリータ風の衣装とでもいうべきか。イリスが着るのを嫌がっていた理由の多くは、その見た目にあったのかもしれない。気恥ずかしそうに頬を紅潮させるしかないといった彼女の様子が、それを物語っていた。
相手側は、主催者のグラハム・ザン=ノーディス以下王国騎士団関係者ばかりだった。副団長アッシュ=ウィンベールを始め、各部隊の隊長たちである。ミラン=クラス、ワイズ=マッドレイ、シックス=ライム。誰も彼も、屈強な戦士というよりは純粋培養の貴公子といった風情を漂わせているのは気のせいではないだろう。ベレル王国騎士団で隊長以上になるには、貴族でなければならないという。
故に騎士団長を含め、クオンたちと対面したものは全員貴族の出身であり、身に付けている衣装も見るからに高級品だった。クオンたちが身に纏う借り物の衣装と比べるべくもない。その上、普段から着慣れているのか、上流階級特有の教育の賜物なのか、だれもが衣装を着こなせていた。豪華な衣装に負けておらず、その上立ち居振る舞いも優雅だった。
形式に則った挨拶を終えた一同は、多少の緊張感に包まれながらも会食を始めたのだった。
最初は、当たり障りのない話だった。退屈極まりない社交辞令的なやり取り。《白き盾》のベレル国内における活躍に対するありふれた称賛であり、クオンたちにとっては聞き慣れた賛辞の羅列に他ならなかった。
次に話題となったのは、《白き盾》の今までの活動についてだった。傭兵団としての戦いの記録。クオンは、半年前のバルサー要塞での戦いに関する言及についてこそ返答を濁したものの、《白き盾》設立以降の質問については出来る限りの範囲で答えたつもりだった。
そして話題が《白き盾》の未来へと移ったのは、(グラハムたちの目的がそれであったにせよ)ある意味当然の結果だったのかもしれない。クオンにしても予想だにしなかったわけではない。話題としてはありふれたものだ。だが、騎士団長グラハムの求めるものが、《白き盾》から自由を奪い去り、大いなる目的への道を閉ざすものだとわかったとき、クオンは、拒絶した。
拒絶せざるを得なかったのだ。
グラハムの望みは、《白き盾》がベレルの軍門に下ることであり、騎士団の支配の下、制御・運用されることだったのだ。
《白き盾》は、傭兵集団である。国家という枠組みに囚われず、自由を謳い、自在に飛翔する組織である。なにものにも支配されざる独立機構。だれにも支配されず、だれにも操られず、だれの思惑も関係なく、あるがままに大陸を駆け巡る一個の集団――それこそが《白き盾》であり、クオンの夢の形だった。
国家とは契約こそすれ、権力に支配されるつもりはなかった。それでは、彼の望みも適わない。大陸を駆け回ることもできなければ、すべての弱者を救うこともままならない。
だからこそ、彼は拒絶した。にべもなく跳ね除けた。騎士団長が顔色を変えようとも構いはしなかった。これだけは譲れない。
《白き盾》は、なにものにも支配されてはならないのだ。
上天に輝く白き太陽の如くすべてを遍く照らすには、だれかのものであってはならない。
故にクオンは、グラハムの要請を一蹴した。結果、騎士団との関係が悪化しようとも仕方がなかった。騎士団や雇い主との関係性を考えるあまり、《白き盾》の理念を失うなど本末転倒以外のなにものでもない。
が、その交渉決裂がこのような事態を招くとは思ってもいなかった。
グラハムが、それほどまでに短慮な人物だとは考えてもいなかったのだ。
「……様! クオン様!」
図らずも遊離した彼の意識が過去への飛翔から帰還を果たすことができたのは、偏にマナ=エリクシアのいつもと異なる大声のおかげだったのかもしれない。常に穏やかな微笑みを湛える彼女が叫んだからこそ、即座に非常事態なのだと認識し、幻想の海から躊躇なく帰ってくることができたのだ。
現実への帰還とともに把握したのは、視界の端を焼く紅蓮の色彩であり、なにかが爆ぜる音であり、色々なものが焼ける臭いであり、周囲を取り巻く騎士団員たちの愕然とした表情だった。まるで、青天の霹靂にでもあったかのような表情を浮かべるものもいれば、蒼白な顔に悲壮な決意を漲らせるものもいた。
マナやイリスたちは騎士団員たちほど絶望してはいないが、盾の力に守られているという絶対的な事実からくる余裕を失いつつあった。
グラハムたちが、屋敷に火を放ったのだ。