第六百八十五話 天翔ける翼(一)
二月二日。
反クルセルク連合軍はウェイドリッド砦の放棄を決断するとともに、軍勢をウェイドリッドの東西に展開、ゼノキス要塞を目指して進軍を開始した。
時を同じくして、リネンダールの巨鬼からの攻撃が激化する。遥か北方から飛来する光弾がウェイドリッド砦の城壁を貫き、北塔を破壊した。巨鬼の砲撃は、それだけには留まらない。ウェイドリッド砦周辺の地形が激変してしまうほどの攻撃には、進軍中の将兵一同、閉口せざるを得なかった。あのままウェイドリッドに留まっていれば、砦もろとも蒸発していたかもしれない――絶望的な恐怖が、連合軍の士気を著しく低下させたが、行軍速度が落ちることはなかった。この恐怖から逃れるには、戦争を終わらせる以外にはない。
セイドロックとゴードヴァンが奪還され、退路が絶たれたのだ。
前に進むしかないという共通認識が、連合軍の将校と兵士を突き動かしていた。
連合軍は、軍団を三つに分けていた。
ひとつは、ガンディアの正規軍と傭兵団、武装召喚師からなるガンディア軍であり、ウェイドリッドの東からゼノキス要塞を目指している。兵力はおよそ一万二千。
ひとつには、ジベル、ルシオンの正規軍と武装召喚師からなるジベル軍であり、ウェイドリッドの西からゼノキス要塞に向かっていた。兵力は一万二千五百程度。
ひとつは、アバード、イシカ、メレド、ベレルの正規軍と武装召喚師からなるアバード軍であり、こちらもウェイドリッドの西に展開し、北進を開始している。兵力は約一万二千であり、三軍団それぞれ同程度の戦力を持っている、ということになる。
軍を三つに分けたのは、ゼノキス要塞から出撃した敵軍勢の数に合わせたからにほかならない。一軍団に一軍団をぶつけるという、あまりに馬鹿正直な作戦は、連合軍首脳陣の反発を受けたものの、ほかに有効そうな策も戦術も思いつかないということもあって、採用の運びになった。
もちろん、ナーレスには彼なりの考えがあったのだ。
『地の利は、敵にある。ここはクルセルクで、相手の主力は皇魔。地形を利用した戦術など見透かされると考えるべきでしょう。もちろん、その上をいくのがわたしの仕事ですが』
軍議の場で、彼はそう答えた。
戦術を用いるにも、リネンダールの巨鬼を無力化しなければどうにもならないのだ。巨鬼の攻撃ひとつで、台無しになりかねない。
連合軍の三軍団には、それぞれリョハンの武装召喚師が随伴している。それもこれも、巨鬼の攻撃から軍勢を守るためだ。随伴する武装召喚師が“防壁”を展開することにより、雨のように降り注ぐ砲撃を耐え抜こうというのだが、無論それだけでは連合軍が壊滅するのも時間の問題だ。リョハンの武装召喚師も人間なのだ。召喚武装の能力を無限に長く行使することなどできるはずがない。
また、彼らの召喚武装は、クオン=カミヤのシールドオブメサイアとは違う。絶対無敵の防壁で守られているわけではない。過信はできない。
ガンディア軍にはマリク=マジクが同行し、ジベル軍にはニュウ=ディーとシヴィル=ソードウィン、アバード軍にはファリア=バルディッシュとカート=タリスマが随行していた。人数だけを見ればガンディア軍が損をしているように思えるが、マリク=マジクはたったひとりで二人分以上の働きをするということだった。大召喚師のお墨付きだ。不安はない。
また、王立親衛隊《獅子の尾》も、各軍団に分散していた。ファリアがジベル軍、ルウファがアバード軍に同行し、ガンディア軍にはセツナの留守を守るという名目で、ミリュウ=リバイエンがついていた。ガンディア軍には、ほかにグラード=クライド、ルクス=ヴェインといった召喚武装の使い手がいる。《獅子の尾》が分散しても、戦力に不足はなかった。
問題はやはり、巨鬼をどうするかだ。
ウェイドリッド砦の真北に聳える巨鬼をどうにかしないかぎり、ウェイドリッドとゼノキス要塞の間で行われるであろう決戦がクルセルク軍の優勢に傾くのはわかりきっている。決戦の地となるであろうリネン平原は、巨鬼の射程範囲内なのだ。後方から飛来する攻撃の雨が連合軍の士気を打ち砕くだけでなく、大損害をもたらすことは確実だ。
敵軍を巨鬼の射程範囲外に引っ張ることも考えたが、野生の皇魔ならばまだしも、軍事的訓練を受けた皇魔を簡単に誘引できるとは思えない。そこは魔王軍の強みといっていいだろう。
軍隊化した皇魔の弱みと強み。それを理解しなければ、勝ち目はない。
(強みは、軍隊化したことによる統制の取れた行動……か)
そしてそれは同時に弱点にもなる。
指揮官を潰し、指揮系統を混乱させることができれば、軍隊化した皇魔を無力化することができるだろう。それは、ザルワーンの戦いで実証済みだ。リョハンの武装召喚師たちが皇魔軍の中枢を叩いたことで、皇魔の軍勢は一時的に大混乱に陥り、ガンディア決戦軍の付け入る隙が生まれた。
ともかく、魔王軍の指揮官を叩くことだが、そのためにはこの砲撃の雨を停止させなければならない。
遥か頭上から降りしきる光の雨が、ガンディア軍の進軍経路を尽く破壊し、行軍速度を著しく低下させた。ガンディア軍の陣列に降ってきた光弾は、マリク=マジクの盾が発生させた防護障壁に直撃して爆発を起こしている。余波が全軍を襲ったが、死傷者はでなかった。
『長くは持たないよ』
出撃前、マリク=マジクがいった言葉は、ナーレスを多少なりとも焦らせたが、しかし、それはウェイドリッド砦にいても同じだったということに違いなかった。四大天侍がどれだけ優れた武装召喚師であろうとも人間なのだ。不眠不休で防壁を構築し続けることなどできない。
出撃の直後から山野に響き渡っていた爆音が途絶えたのは、二日の昼過ぎのことだった。そのころ、ガンディア軍は、ウェイドリッド北東を流れる河川を徒歩で渡っている最中であり、突如訪れた沈黙は、将兵たちに疑問を抱かせた。
ナーレスの読み通りだった。
(巨鬼は、地を這う我々よりも、天を征く彼を狙ってくれたか)
リネンダールの巨鬼は、超上空から近づく物体にこそ注力するべきだと判断し、地上への攻撃をやめたのだ。
クルセルクの大地を見渡している。
黒煙を上げるウェイドリッド砦を眼下に捉え、連合軍三軍団が砦から離れていく様を見届けている。
前方から飛来する光の弾が連合軍の進軍路に向かって降り注ぎ、爆砕の嵐を起こしたのも、目撃した。そして、防壁が光弾の爆砕から連合軍将兵を守るのも、見た。
上空からなら、味方の動きも、敵の動きもよく見えるのだ。
リネンダールに聳える巨鬼の姿も視認できたし、リネンダール周辺の地形がでたらめに破壊されているのもわかった。そして、巨鬼が二本の腕を使い、穴から抜けだそうとしている様子も窺えた。巨鬼が動けないのは、下半身が穴に埋まっているからだ。もし、その穴から抜け出すことができたら、状況は一気に変わるだろう。
巨鬼は、四つの腕を持っている。残る二本の腕が、連合軍への攻撃に使われていた。手の先に集まった光から光弾が射出される瞬間を目撃したのだ。砲撃の嵐は、巨鬼が連合軍を潰すために本気になったということなのかもしれない。大穴から脱出しようとしているのも、それだ。
「見えますかね」
「ああ。よく見える」
「やっぱり、黒き矛は規格外っていうか、うちらの召喚武装とは比べ物にならないようで」
クオール=イーゼンが、あきれたようにつぶやいたのは、彼にはリネンダールの巨鬼の姿が見えないからに違いなかった。彼のレイヴンズフェザーも強力な召喚武装に違いないのだが、黒き矛と比べると、見劣りするものなのかもしれない。しかし、彼とその召喚武装がなければ、今回の作戦は成立しなかっただろう。
昨日の会議が脳裏を過る。
『黒き矛をマリクちゃんが使っても、超長距離攻撃では軽傷を負わせるのがやっとだったわ。アレを倒すには、首を刎ねるなり、心臓を破壊するなりして、致命的な一撃を叩きこむ以外にはなさそうね』
ファリア=バルディッシュが会議の議長を務めていた。
これまでの調査などから、巨鬼に対抗するのは武装召喚師以外にはないと判断され、対応策についてはセツナを中心とする武装召喚師集団に一任されることになったのだ。当然、巨鬼に当たるのは黒き矛のセツナであり、セツナは巨鬼討伐に必要な人員を必要なだけ使うことが許可された。その場合、連合軍の他の軍団が危険な目に遭う可能性も低くはなかったが、巨鬼を撃破せずして安全はないという事情から、巨鬼討伐が最優先事項になったのだ。
『近づくのは至難の業だぜ』
『地上からは無理でしょうね。近づく前に殺されます』
『こっそり近づけば、見つからないかも』
『リネンダールからウェイドリッド砦に攻撃できるのよ? 逃れられるかしら』
巨鬼の視力は、黒き矛の補助を得たセツナと同程度と見ていい。最初の砲撃がウェイドリッドの上空に逸れたことを考えれば、セツナ以上という可能性は低い。が、黒き矛のセツナと同程度の視力を持つということは、広大な感知範囲を持っているということでもある。地上から接近するのは、不可能だろう。もちろん、こちらに防御手段があり、巨鬼の攻撃を防ぐことができるのなら話は別だが。
そのためには、武装召喚師集団で行動しなければならなくなる。連合軍の戦力が低下するような戦術を取ることはできない。
巨鬼への攻撃そのものは、カオスブリンガーだけでよかった。問題は、接近する手段だ。
『空間転移とか?』
『だれを斬るんだ? 血を見なきゃ転移はできないし、距離に応じて必要な血の量も増大する』
皇魔の群れが襲いかかってきているのなら話は別だ。その皇魔の集団にセツナひとりで突っ込み、大量の血を流させればいい。黒き矛の力によって空間がネジ曲がって、リネンダールまで転移することも可能だろう。そのうえ、空間転移は消耗が激しい。巨鬼を倒すだけの力を残そうと思えば、やはり空間転移に頼ることはできない。
『じゃあ空中から? ルウファの出番ね!』
『撃ち落とされて終わりじゃないですか』
『なんでよ』
『飛行はともかく、速度はでませんよ、シルフィードフェザー。見たでしょ、巨鬼の攻撃。あの速度は避けきれませんって』
ただでさえ空中での制御は難しいのに、とルウファはつぶやいた。
『速度……確かに速度は必要ねえ』
『速くて飛べてひとを運ぶことができる……か』
頭を抱えるほどのことでもない。
しかし、武装召喚師会議の場には、彼の姿はなかった。
クオール=イーゼンが会議の場に召喚されたのは、その日の夕刻のことであり、彼は鳩が豆鉄砲でも喰らったような顔をした。
『え? 俺?』
そして、クオールのレイヴンズフェザーが、セツナの翼となった。




