第六百八十二話 対抗策
「驚きましたね」
ナーレス=ラグナホルンが、小さくうめいた。
「まさかリネンダールからの攻撃がここまで届くとは」
彼が苦渋に満ちた表情を浮かべるのはめずらしいことだと、レオンガンドは認識している。彼はいつだって涼やかな表情で物事を解決してきた。どのような苦しい状況であろうとも、涼し気なまなざしで処理し、勝利を手にしてきたはずだった。
だからこそ、彼は稀代の軍師と呼ばれた。
だが、そんな彼でも予期せぬ出来事というものはある。シウスクラウドがザルワーンの策謀によって病床に伏したこともそうだし、ザルワーンでの工作活動が露見することもそうだ。また、ザルワーン戦争においてオリアン=リバイエンが擬似召喚魔法を使うこともわからなかった。メリス・エリスでなんらかの実験を行っていたという事実までは掴んでいたそうだが、それが守護龍の召喚に繋がるとは、神ならぬナーレスにわかるはずもない。
とはいえ、オリアス=リヴァイアがオリアン=リバイエンの本当の名前だということは判明していた以上、擬似召喚魔法そのものは予期できなかったわけではない。住人も守備兵もいないリネンダールになんらかの罠が仕掛けられていることは明白であり、それが擬似召喚魔法と関係するかもしれないというところまでは考えていたようだ。しかし、リネンダールを放置することも、内部調査を止めることもできなかった。例えば、ガンディア決戦軍がリネンダールの攻略を任されていたとしても、調査部隊は派遣しただろう。そして、巨鬼が召喚されるのだ。
巨鬼の召喚は、避けることができなかった。
だから、それはだれも問題にはしていないのだ。
問題は、巨鬼の射程距離だ。巨鬼は、その巨大さに物を言わせた打撃のみならず、光の弾を飛ばし、遠方の目標を攻撃することができる。それによってアバード軍が多大な損害を出したことは記憶に新しい。
巨鬼と戦うには、その射程を見極めた上で、射程距離外から攻撃できる武装召喚師に任せるしかない――軍議の結論は、昨日のうちに否定された。ナーレスがいった通り、リネンダールの巨鬼の攻撃がこのウェイドリッド砦にまで到達したのだ。
レオンガンドたちが軍議を開いている間、リョハンの戦女神を筆頭とする主力級の武装召喚師が巨鬼の対策を練っていた。その最中、巨鬼に攻撃を試みたらしい。黒き矛の絶大な力を利用した超長距離攻撃は、見事巨鬼に命中したものの、倒すには至らなかったという。そして、巨鬼の反撃がウェイドリッドの上空を通過した。
ファリア=バルディッシュは四大天侍に防護壁を構築させたものの、時間稼ぎにしかならないだろうということだった。巨鬼を無力化しない限り、連合軍に安息は訪れないということだ。無論、巨鬼の射程外まで移動することも不可能ではない。四大天侍の防壁を利用すれば、巨鬼の攻撃に晒されてもなんとかなるだろう。
しかし、巨鬼の射程距離外に逃れられたとしても、それで状況が好転するわけではないのだ。その状況で魔王を下すことができたとしても、クルセルクは巨鬼を抱え続けることになる。
リネンダールは、クルセルクの交通の要衝だ。リネンダールからウェイドリッドに至る範囲が交通できないとなると、クルセルクの領土としての機能が著しく低下するのはだれの目にも明らかだ。いずれにせよ、巨鬼を撃破する必要がある。
巨鬼を召喚した人物――オリアス=リヴァイアが、連合軍に降り、巨鬼を元の世界に送還するというのなら話は別だが、話を聞く限り、彼が連合軍に降るとは思えなかった。可能性は捨てきれないが、楽観視もできない。
「リネンダールの巨鬼に三都市の陥落。そしてゼノキス要塞の動き……なにもかも、クルセルクの思惑通りか」
「いえ、そうでもないでしょう。クルセルクは、少なくとも緒戦で圧倒的な勝利を得、そのままガンディアを攻め落としたかったはずです。でなければ、三万もの軍勢をマルウェールに差し向けたりはしないでしょう。しかし、そうはならなかった」
リョハンの戦女神と四大天侍の到着によって、ザルワーンの戦況は一変した。
元より、ガンディア決戦軍も善戦してはいた。大量に投入した武装召喚師と、召喚武装を装備した戦士たちの活躍もあって、想像以上の戦局を作り上げることに成功していた。形勢不利と見るや、魔王軍はマルウェールの皇魔をザルワーンの戦場に合流させた。形勢は逆転、ガンディア決戦軍が押され始めた。
リョハンの風が吹いたのは、そんなときだった。
戦女神と四大天侍の降臨は、ガンディア決戦軍を勢いづけた。偉大なる武装召喚師たちの圧倒的な暴力が、勝てる可能性を提示した。魔王軍の指揮系統に乱れが出たのも大きかっただろう。皇魔が組織化されていたことが、こちらにとって有利に働いたのだ。命令がなければ行動することもできなくなった化け物など、恐れる必要はなかった。かくして、ガンディア決戦軍は初戦を勝利で飾り、クルセルクの三都市も連合軍の手に落ちた。
そこまでは、ナーレスの思惑通りだった。誘引策も、三都市同時攻撃も、何もかもうまくいった。
「ザルワーンに展開した三万の皇魔のうち、大半が討ち取られ、撤退するはめになるなど、だれが想像できるでしょうか。皇魔の軍勢に人間の軍勢が太刀打ちできるはずがない。だれもがそう思います。こちらにも勝利を信じたものがどれだけいたのか」
「敗走し、三都市が同時に攻略されたことが、魔王の激怒を買ったな」
「そうかもしれません」
レオンガンドの冗談を、ナーレスは否定しなかった。魔王ユベルの正体についてはナーレスも知っている。そして、魔王を殺さない方法を考えるべきだということにも、彼は一応、納得してくれていた。
勝利だけを求めるのならば、魔王を暗殺し、これ以上魔王支配下の皇魔を増やさないようにするのが手っ取り早いし、確実だ。しかし、それは同時に不確定要素を拡散することにも繋がる。
クルセルクは、昨年、その版図を大きく広げている。ニウェール、ノックス、リジウル、ハスカの四カ国を併呑し、ガンディアに対抗しうる国土を得た。その国土中に皇魔がばらまかれているかもしれない。
開戦前に取り沙汰された六万という数字は、連合軍が認識した皇魔の数だ。魔王の配下には、もっと多くの皇魔が存在しているのかもしれない。
それを裏付けるのが、バラン=ディアランの証言だ。ハスカ方面には大量の皇魔が蠢いていて、ハスカの人々を恐れさせている、というようなことを彼が証言したという。バランほどの人物が虚言を弄するとも思えない。ハスカには魔王配下の皇魔がいるのは間違いないだろう。となれば、ニウェール、ノックス、リジウルにも皇魔が配置されていると視るべきだ。
その戦力を動かさないのは、動かすまでもないと考えているからか、最終手段だからなのか。
ともかく、魔王を殺せば、彼の異能によって支配されていた皇魔が野に放たれるのは火を見るより明らかだ。皇魔は暴れ狂うだろう。どれだけの人間が死ぬのかわかったものではない。
『無人の野を支配しても意味はありますまい』
ナーレスはそういって、魔王を降す方策を様々に考え、レオンガンドに告げてきたものだ。ウルの使用もそのひとつであり、彼の中では有力な手段だということだった。確かに、ウルの異能が決まれば、これ以上にないくらい簡単に勝利することができるだろうが。
「さて、どうする。軍師ナーレス=ラグナホルン。リネンダールの巨鬼と戦うか。避けるか。進むか、退くか」
「退くも地獄、進むも地獄ですよ、陛下」
「ならば、進むしかあるまい。して、どう戦う?」
「打って出るしかないでしょう。ここに籠もっていても、戦いようがない。補給線は絶たれ、巨鬼の攻撃も精密さを増していくという話です。時間が経てば経つほど、我が方の敗北は確実になります」
元より、援軍の望めない籠城戦などに意味はない。城に籠るのは、援軍が期待できるからであり、敵国領土内で、しかも補給線さえ絶たれた状態ではなんの意味も持たなかった。そして、補給線が絶たれたということは、長期戦は不可能になったということだ。
これも、元々考慮外のことだ。長期戦になればなるほど連合軍が不利だということもわかりきっていたのだ。
魔王が皇魔を無尽蔵に従える可能性を考えれば、そういう結論にもなる。
「敵は、今朝、ゼノキス要塞から軍勢を出したばかりです。おそらく、北からウェイドリッド砦に圧力をかけてくるつもりなのでしょう。南も抑えられていますし、ネヴィア(東)もクルセルクのものです。連合軍を遠巻きに包囲するつもりなのか、南からの圧迫を強め、連合軍をウェイドリッドから追いだすつもりなのか……」
ゼノキス要塞は、クルセルク北部、首都クルセールのやや南方に存在するクルセルク最大の軍事拠点だ。連合軍がクルセールの制圧を目的とする以上、避けては通れない場所にあり、ゼノキス要塞ではかつてない激戦が予想されていた。クルセルク軍が残存戦力をゼノキス要塞に集めているという報告もあったのだ。ゼノキス要塞で待ち受けていると考えるのが自然だろう。
だが、クルセルクは打って出てきた。クルセルクの軍勢がゼノキス要塞から吐き出される光景を目撃した人物がいる。クオール=イーゼンだ。レイヴンズフェザーの長距離高速飛行能力は、リネンダールの巨鬼の攻撃を掻い潜り、ゼノキス要塞に到達することを可能とした。
同じ飛行能力を持つシルフィードフェザーでは不可能だろうというのが、ルウファ本人の意見だ。
「しかし、リネンダールに巨鬼が存在する以上、ゼノキス要塞から戦力を出す必要はないのではないか?」
巨鬼は、ただそれだけで圧倒的だ。凄まじい攻撃力に射程距離は、皇魔の軍勢など不要だと断言できるほどだ。もちろん、リネンダールに固定されている以上、巨鬼だけで連合軍を撃滅することはできないが、脅威と圧力を与えることには成功している。そして、その脅威と圧力こそ、重要なのだ。
連合軍の戦意を挫き、士気を著しく低下させることに成功しているのだから。
「決戦を行うつもりなのでしょう」
ナーレスは窓の外に視線を向けた。日が沈み、二月一日の終わりを告げようとしている。ウェイドリッド制圧から五日が経過した。将兵の疲労は回復したが、士気は激減した。厭戦気分が蔓延しつつある。皇魔という化け物との戦いさえ、嫌なものだ。常人が正面切って戦うような存在ではないのだ。そこへきて、巨鬼の出現である。士気が下がるのも無理はなかった。
「全戦力の投入がなによりの証明」
ゼノキス要塞から吐き出されたのは、皇魔だけではない。一般に正規兵と目される人間の兵隊も、ゼノキス要塞から出撃し、南に向かって行軍を開始していた。五日もあればウェイドリッド砦に到達する見込みだが、前述のとおり、連合軍が籠城戦を展開する意味はない。打って出るしかないのだが、だとしてもリネンダールの巨鬼をどうにかしなければ、どうにもならない。
「巨鬼は、セツナ伯に任せます」
ナーレスが自嘲気味に笑ったのは、稀代の軍師と呼ばれるほどのものであっても、巨鬼のような規格外の存在はどうすることもできないから、なのかもしれない。
「無論、セツナ伯おひとりに、ではありませんよ。セツナ伯が必要というものはすべて提供し、万全の状態で戦ってもらいます」
「巨鬼さえ倒すことができれば、連合軍の士気も上がろう」
逆を言えば、巨鬼を倒せなければどうにもならない、ということにほかならない。
連合軍の命運は、セツナ・ラーズ=エンジュールの活躍にかかっているといっても過言ではなかった。