第六百七十九話 ハスカに舞う死神(前)
死神部隊がセイドロックを発って四日が経過している。
セイドロックから南東、旧ハスカ領に向かったのはバラン=ディアラン率いるハスカの遺臣とともに旧ハスカ領の奪還を目的としたからだ。
バラン=ディアラン率いる旧ハスカ兵は二百人あまり。それに比べると、死神部隊の少なさが目立つ。たった六人。壱号を除くたった六人が死神部隊の全戦力だった。しかし、死神部隊は元より少数精鋭の部隊であり、人数の少なさが問題になるようなことはない。むしろ二百人あまりしか引き連れていないバラン=ディアランのほうにこそ問題があるのは、死神たちには明白だった。
ハスカは、魔王率いるクルセルク軍の手に落ちている。
しかも、連合軍との戦争の真っ只中であるにもかかわらず、大量の皇魔が旧ハスカ領土に充満しているというのだ。
死神部隊の任務は、バランとともにハスカ領土を回復することであるが、それとともにハスカ領土の魔王軍が北進し、連合軍の後背を突くことがないように牽制するためでもあった。そもそも、ハスカ領を早急に奪還する必要性はないのだ。魔王を打倒し、クルセルク全土を魔王の手から解放すれば、おのずと連合軍の元に転がり込んでくる。
それでもハーマイン=セクトル将軍が死神部隊をハスカに派遣したのは、戦後の領土分配における発言力を得るためだ。
連合軍は、クルセルクを倒したあと、その領土を各国に振り分けることになる。もっとも活躍した国がもっとも多くの領土を得られるのは当然のことであり、そういう事情もあって、各国の首脳陣は将兵を叱咤激励していた。
ジベルもそういう国のひとつだ。
ハーマイン将軍は、今後のことを踏まえて、クルセルクの中でも旧ハスカ領を欲していた。ハスカは、ジベルの隣国であり、遠いニウェールなどをもらうよりも実用的で、現実的だ。ニウェールなどを分配されたら、飛び地になってしまう。そう考えていたとき、セツナ・ラーズ=エンジュールがバラン=ディアランとハスカの遺臣たちを連れてきた。
ハーマイン=セクトルは、これを好機と捉えた。バランの願いを聞き入れるふりをしてハスカに兵を差し向け、都市をひとつでも落とすことができれば、戦後、ハスカに関する発言力を得られると考えたのだ。ハーマインの計画は、アルジュ・レイ=ジベルの賛成によって実行される運びになった。
しかし、問題がないわけではない。連合軍の盟主はジベルではなく、ガンディアだ。クルセルク以上の大国にして強国であるガンディアの不興を買うことは避けたい。それには、連合軍の戦力を使わないことだ。そこで、ハーマインはジベルの中でも死神部隊だけを派遣することにした。たった六人だけならば、連合軍の戦力が著しく低下するということはあるまい。死神ひとりひとりが並外れた力を持っているとしても、六人だ。武装召喚師たちで埋め合わせられる。
クレイグ・ゼム=ミドナスは、ハーマインとアルジュの計画には消極的だった。これでは、彼の悲願が果たせなくなるかもしれないからだ。セツナの殺害と、黒き矛の破壊。それがクレイグと闇黒の仮面の望みだった。
しかし、主君であるアルジュの命令を拒絶することはできない。クレイグは、レム・ワウ=マーロウの任務を解かないことを条件に了承した。ハーマインとしても、黒き矛のセツナに枷をつけておくことには賛成だったのだろう。クレイグの条件は飲まれた。
クレイグは安堵した。死神壱号が監視についている限り、好機を逸するようなことはない。
セイドロックの南東に、旧ハスカの都市マーレルがある。マーレルこそ、バラン=ディアランがクルセルク軍から国土を死守するために戦力を集結させた都市であるといい、三重の城壁と同数の深い堀に囲われた城塞都市であった。
クレイグたちがマーレルを遠望したとき、都市を囲っていた城壁は原型を留めておらず、都市周辺を徘徊する皇魔の群れが都市の内外を威圧しているかのようだった。徘徊というよりは、巡回なのかもしれない。魔王軍の皇魔は、軍隊化しているといい、隊伍を組み、部隊を構成していた。指揮官の命令に従って行動する様はまさに軍隊そのものであり、野生の皇魔とはまるで違っている。だからこそ行動を読みやすく、対処もしやすいというものだが、それでも常人にとっては脅威以外のなにものでもない。
「数は二千といったところね」
死神弐号カナギ・トゥーレ=ラハンが口にしたのは、“死神”の視力によって得た情報だ。カナギの“死神”トゥーレは、“死神”の中でも特に優れた視力を誇る。純粋な戦闘能力ではワウに劣るものの、その視力を利用した遠距離攻撃はカナギの得意とするところであった。
「さすがにセイドロックほど多くはないってわけね」
ゴーシュ・フォーン=メーベルが腕組みしながらいった。ゴーシュは死神肆号であり、隣に立ち尽くす死神参号シウル・スレイ=メーベルは彼の実の兄だ。どちらも死神の仮面を身に着けている。もちろん、カナギも死神の仮面を身につけており、闇色の黒衣と仮面を纏った一団は、いかにも怪しい空気を帯びている。マーレル北部の雑木林に身を潜めていなければ、皇魔にも気づかれるだろう。
「二千か」
クルセルク本土への攻撃は想定していたものの、ハスカ方面への攻撃は考慮されていなかったということだろう。いかに連合軍が膨大な戦力を有しているとはいえ、多方面に戦力を分散するとは考えにくいものだ。三都市への同時攻撃ですら、クルセルク側の度肝を抜いたかもしれない。クルセルクの戦力は、連合軍の戦力よりも強靭で狂暴なのだ。本来ならば、戦力を分散する愚は避けるべきだったし、三都市同時攻撃は最良の策とはいえない。
それはともかく、予想よりも少ない皇魔の数に、死神零号は、胸を撫で下ろした。いかに死神部隊がジベル最強の戦闘部隊であっても、四、五千の皇魔を相手に完勝できるとは思えない。そういうところが《獅子の尾》とは違うところだ。
(だが、それもこれまで。この戦いが終われば、状況は変わる)
クレイグは、仮面の奥で目を細めた。黒き矛の力さえ奪えば、状況は一転する。ジベルは小国家群最強の名をほしいままにするだろう。そしてその頂点にはアルジュの影が君臨するのだ。
「この人数で行けるのか?」
バラン=ディアランの不安げな顔が、不快極まりなかった。たった六人でどうにかなるわけがないと考える彼の心情は理解できる。だが、理解するのと受け入れるのは別の話だ。
「連合軍には連合軍の戦いがございますので、これ以上戦力を割く余裕がないのです」
クレイグはそう嘯くと、恭しく頭を下げた。立場としては、クレイグの方が上であろう。彼は亡国の将軍であり、敗軍の将である。対してクレイグはジベルの特殊部隊の隊長なのだ。わざわざ頭を下げるいわれはない。しかし、彼は皮肉たっぷりに演出するのだ。
「なに、戦闘は我々死神部隊にお任せなさい。あなたがたは後ろに控えていればよい。ハスカは、我々が奪還いたしましょう」
バラン=ディアランの目に反感の色が浮かんだのを見て取って、彼は仮面の中でほくそ笑んだ。状況は彼の思うとおりに進展している。
「弐号はこの場に待機、視覚情報を各人に伝えよ。参号、肆号は北側に、伍号、陸号は西側に展開、配置次第、各自攻撃を開始しろ」
「わかりました」
「御意」
「はいはーい」
「了解っすけど、隊長はあ?」
四者四様の反応はいつものことだったし、ゴーシュだけが疑問を呈してくるのも、いつものことだった。
「わたしは君らが討ち漏らした皇魔を狩る」
クレイグは“死神”を起動すると、前方に視線を戻した。死神部隊はマーレル北部の雑木林に身を潜めていた。クレイグの命令とともに四人の死神が所定の位置に向かって動き出したのだが、それよりも前に雑木林を飛び出した部隊が、マーレルへ至る平原を駆け抜けていくのが見えている。バラン=ディアラン率いるハスカの遺臣たちだ。
彼らは、セツナ・ラーズ=エンジュールに接触を試みたとき、武器も防具もボロボロの状態であり、とても戦闘に参加できるようなものではなかった。命からがら生き延びたという表現がぴったりの格好であり、いかに連合軍が薄情であっても、そのままハスカの奪還に向かわせることはできなかった。そして、セイドロックに届いていた補給物資の中から見繕った武器防具は、彼らの士気を高めたらしい。
もっとも、連合軍が提供した戦力が死神部隊だけだったのには落胆を隠せなかったようだが。
バラン=ディアランは憤慨したようだが、こちらの事情も理解してはいたのだろう。戦力不足についてはなにもいってはこなかった。
そんな彼ではあるが、先ほどクレイグに不安をぶつけてきたのは、マーレル周辺を巡回する数多の皇魔を目の当たりにして現実を理解したからかもしれない。
総勢二百六人。
二千ものを皇魔を撃退するには、戦力が足りなすぎる。
だからといって、死神たちにすべてを任せることは、彼の誇りが許さなかったのかもしれない。だから、死神部隊の始動を待たず、飛び出した。
「誇り、自尊心、自負……人間が人間らしくあるためには必要不可欠なものなのかもしれないがな」
「マーレル上空のシフがバラン隊を発見した模様です。マーレル全域の皇魔に知られるのも時間の問題ですね」
「遅かれ早かれそうなる予定だったのだ。構うまい」
「バラン隊はどうされます?」
「放っておくさ。我々の使命は、ハスカで戦い、ハスカの占有権を得ること。バラン=ディアランら遺臣たちの尻拭いでも、護衛でもない」
バラン=ディアランが生き残れば、彼が手を下すまでのことだ。