第六百七十七話 反転
「ちょうどよい所に来てくれた。そちらの会議は終わったのか?」
セツナたちが会議室に入ると、レオンガンド直々に出迎えてくれた。会議室は、ウェイドリッド砦北塔から少し離れた施設内にあるのだが、そこに向かうことになったのは、レオンガンドを始めとする連合軍首脳陣と連絡を取ろうとしたところ、会議室に集まっているということだったからだ。
会議室には、連合軍の中核をなす重要人物が集まっていた。レオンガンド・レイ=ガンディア、ナーレス=ラグナホルン、アルガザード=バルガザールなどのガンディア勢、ルシオンの王子夫妻にジベルの将軍、メレドの国王にイシカの弓聖、ベレルの騎士団長といった錚々たる顔ぶれには、セツナも緊張せざるをえない。それは、皆厳しい表情をしており、だれひとりとして楽観的な空気をまとっていなかったからかもしれない。
むしろ、外から来たセツナたちのほうが気楽であり、場違いな感さえあった。ファリアとミリュウが顔を見合わせるのもわからなくはない。それくらい、武装召喚師たちと軍人たちの空気感が違っていたのだ。
「終わったわけじゃないんですが……ちょうどよいところってどういうことですか?」
「セイドロックとゴードヴァンが落ちた」
「はい?」
レオンガンドがあまりにあっさり告げてきた言葉の衝撃性に、セツナは目を丸くした。冗談とも思えないし、現状、悪趣味な冗談をいえるほどの余裕が連合軍にあるわけもない。
「本当なんですか?」
「ああ、本当だ。とりあえず、開いている席に座り給え。立ち話も辛いだろう」
レオンガンドに促されるまま、セツナはファリアたちとともに会議室の奥に向かった。レオンガンドたちは、広い部屋の中心に置かれた長方形のテーブルを囲んで、会議を行っていたようだ。連合軍盟主であるガンディアの国王レオンガンドが、一番奥の席にあり、その左右に大将軍と軍師の姿がある。側近のうち、ゼフィル=マルディーンとバレット=ワイズムーンがレオンガンドの背後に控えている。アーリアもいて、彼女と目が合った。冷たい目だ。セツナを殺す機会を窺っている、そんなまなざし。
レオンガンドの正面左側にルシオン、ベレルの代表が着席し、右側にジベル、メレド、イシカの代表が座っている。左側がガンディアと親しい国、右側がガンディアと関係のない国、という風に分かれているのかもしれない。アバードの代表であるシーラは、ハーマイン将軍の隣の席に座り、リョハンの戦女神ファリア=バルディッシュは、レオンガンドと対面の席に腰を下ろした。
結局、セツナたち《獅子の尾》も、リョハンの武装召喚師たちと同じ列に座ることになった。他にまとまって空いている席がなかったからだ。ナーレスの隣にはエイン=ラジャールとアレグリア=シーンが、アルガザードの隣はアスタル=ラナディースとデイオン=ホークロウが陣取っているのだ。その席を奪うことはできない。
「では、俺から説明しましょう」
といってセツナたちの背後から現れたのは、クオール=イーゼンだった。
「あ、クオール……生き返ったのね」
「ひとが死んでいたみたいにいうもんじゃないよ」
クオールが苦い顔をしたのは、ファリアの反応が予想に反していたからかもしれない。彼にとってファリアは大切なひとであるということをセツナは知っている。そして、彼女のことを頼まれてもいた。
「干からびてたそうじゃない」
「そうだけどさ……仕方ないだろ。だれも血を吸わせてくれないんだもの」
「“吸血鬼”には処女の血が必要とかくだらないこといってるからよ」
ファリアが嘆息とともに言い放つと、クオールが頭を抱えるような素振りを見せた。
「正論過ぎて反論の余地が無いぜ……」
「クオールさんってあんなに面白い人だったっけ」
「あれが素で、あのときは仮面被ってたんじゃない?」
「そっか」
「そこ、納得しない!」
ミリュウとの会話に口を挟んできたクオールの視線は、わりと鋭かった。
クオール=イーゼンは、リョハンの武装召喚師だ。
今回の戦争では、リョハンの戦女神と四大天侍をガンディアまで運んでくるという重大な役割を担っていた。彼の召喚武装レイヴンズフェザーだけがなし得るものであり、それだけに彼の重要性は大きく、またガンディアと彼の接触も秘匿とされた。セツナでさえ、ガンディアがリョハンと接触していることを知らなかったのは、情報の漏洩を恐れたからだ。ガンディアがリョハンの戦力を投入するかもしれないという情報がクルセルクに流れれば、クルセルクはなんらかの対策を練るに違いない。クオールとの接触については、細心の注意を払って行われた。
クオールは、五人の武装召喚師をリョハンからガンディア・ザルワーン方面の戦場に届けると、力を使いきったということで戦線を離脱、後方で体力が回復するのを待っていたらしい。レイヴンズフェザーの力を最大限発揮するには、自分の血を使わなければならず、失った血液を回復するために他人の血を啜ることからついた異名が“吸血鬼”なのだという。
異名の由来はともかく、十日あまり寝込んでいた彼はクルセルクの最前線まで休み休み飛んできたらしく、その道中で、ゴードヴァンとセイドロックの現状を確認したというのだ。
「最初、マルウェールからゴードヴァンに向かったんですよ。なにもなければ、そのままここまで飛んで来る予定でした」
「ゴードヴァンが落ちていた、と」
「ええ。ゴードヴァン、皇魔が市街を埋め尽くしていましたよ。駐屯部隊は全滅したとみていいでしょう。見た限り、連合軍の将兵はひとりとして発見できませんでした。それからセイドロックまでひとっ飛びで確認してきた、というわけです。もちろん、セイドロックもクルセルクに奪還されていました」
「ランシードはどうなんだ?」
シーラが机に身を乗り出したのは、ランシードを担当したのが彼女率いるアバード突撃軍であり、駐屯部隊にはアバードの兵が多いからだろう。
「皆さんに報告するほうが先決だと判断し、ランシードには飛んでいませんよ。ランシードまで飛べば、ここまで戻ってくるために数日を要するかもしれませんし……血が足りなくてですね」
クオールは言い訳でもするように告げたが、だれも彼を責めることはできなかった。むしろ、ウェイドリッドへの報告を急いでくれたことを感謝するべきだろう。彼の報告があるとないとでは、立てる戦術も変わってくるはずだ。
「そうか……」
「クルセールから遠いセイドロックとゴードヴァンが陥落したのだ。ランシードも落ちていると見るべきだな」
「ああ、そのとおりだな」
ハーマインの発言に、シーラが憮然とした表情になった。ハーマインが気が立っている様に見えるのは、彼も、セイドロックに残した兵を失っていることに起因しているのかもしれない。だれもが沈痛な面持ちなのは、各都市に残した兵士たちの生存が絶望的だからだったのだろう。
「だが、クルセルクがどうやって三都市を奪還したのかがわからない。我々が三都市を開けたのは、数日前のことだ。その間、クルセールから各地に兵が差し向けられたという情報もなかった」
連合軍は、ウェイドリッド砦とリネンダールの同時攻略作戦にあたり、クルセルクの広範に渡って偵察兵を派遣している。クルセルク側に反転攻勢の動きがあれば、数日以内に連合軍のいずれかの部隊に届くはずだった。それがまるでなかった、というのだ。それは、クルセルク側に大きな動きがなかったということであるとともに、クオールが飛んでこなければ、連合軍は背後を取られたという事実を知らないまま戦争を続けることになっていた、ということでもある。
クオールの果たした役割は大きい。
「三都市が同時期に落ちたとすれば、昨夜のうちでしょうね。連合軍が軍を発した直後に落ちていたのなら、そういう情報がこちらに届いていないはずはないですし」
「一夜のうちに……か」
「こちらも同じようなことをしたのだ。一夜のうちに、三都市を落とし、勢いを得た。その勢いに乗ってウェイドリッド、リネンダールの同時攻略を目論んだまではいいが、それが仇となったな」
レオンガンドがナーレスを一瞥した。ナーレスは涼しい顔をしていたが、内心、穏やかではないかもしれなかった。要するに、事を急ぐあまり、ウェイドリッドとリネンダールに戦力を集中したのが裏目に出たのだ。
三都市を維持するための戦力を疎かにしてしまった。
「セイドロックとゴードヴァンを奪還した皇魔がどこから出現したのかはわかりませんが、クオール殿の報告によれば、四千から五千はいたとのこと。通常戦力では、抵抗することもままならなかったでしょう。相手は、軍事訓練によって城壁をものともしなくなった皇魔なのです。都市を要塞として運用して戦うという通常の戦術は、魔王軍には通用しない」
ナーレスは、冷ややかな声を会議室に響かせた。
「つまるところ、ウェイドリッドとリネンダールに戦力を集中させたことが、三都市を奪還された理由にはならない、というのだな?」
「各都市に十名程度の武装召喚師を配備することができるのなら、迎撃することも不可能ではなかったでしょうが……連合軍の戦力では、それは不可能というもの」
「軍師殿の仰られる通りです。魔王軍は、我々の予想を超える戦力を有していたのでしょう。それを各都市の近辺に潜めていた……」
「召喚武装で運搬したのかもしれませんよ」
「ほう……そのような召喚武装があるのかね?」
「代表的なものに、我が師アズマリア=アルテマックスの召喚武装ゲートオブヴァーミリオンがあります。かの召喚武装は、アズマリアが大陸中を渡り歩くために利用されることも多く、大量の皇魔を運搬することくらい簡単でしょう」
「アズマリアがクルセルクに協力しているというのか」
「例をいったまでですよ。我が師は、国家間の戦争に手を出すようなことはしないでしょう。もっと無意味で、無駄なことに全力を尽くすような迷惑極まりない方ですから」
ファリア=バルディッシュの回答に、会議室の面々は押し黙った。セツナとしては納得のいく回答であり、改めてファリアの祖母を見やった。凛とした横顔も、ファリアによく似ていた。ファリアが年を取れば、瓜二つになるかもしれない。ふと、そんなことを思った。思って、少し悲しくなった。たとえ長く一緒にいることができても、年を経た彼女を見ることはできないのだろう。
セツナの寿命は、ファリアの矢によって縮まってしまった。そうしなければ死んでいた命。ファリアには感謝しかないのだが。
少しさびしさを感じるくらいならば、許されるだろう。
「クルセルクがどのような手段を用いていようと、二都市が奪還されたのは事実だ。我々は退路を断たれた、というわけだな」
レオンガンドはいったが、もちろん本心などではあるまい。四、五千の皇魔など、セツナたちが奮闘すれば倒せるということはとっくに証明されている。撤退するのは不可能ではないのだ。しかし、レオンガンドはこの状況こそ利用できないかと考えているらしい。セツナにはわからないが、ナーレスとなんらかの話し合いをしているのは間違いなさそうだ。ガンディアの戦略は、軍師の頭脳から出ている。
「では、前進あるのみですかな?」
「そのためにはリネンダールの鬼をなんとかしなければなりませんよ。報告によれば、鬼の射程距離は長大。避けて通るのは難しいということですし」
「巨鬼については、先程まで対策を練っていた彼らに任せよう」
レオンガンドがこちらを見てにやりと笑ったのが、セツナにはわかった。