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第六百七十三話 覚悟(二)

「とはいえ、ウルが魔王を支配できるかどうかは不明だ。彼女は、同じ被験者に異能の行使を試みたことがないのだそうだ」

「異能者に異能が作用するのかはわからない……と」

 つぶやきながら、セツナにはウルの心情が少しは理解できる気がした。外法の被験者同士で傷つけあいたくなかったに違いない。仲間意識もあったのだろうし、そういう相手の精神を支配したいとは思わなかったのだ。

「作用はするだろうがな。ウルがアーリアを認識できないのは、アーリアの異能が、ウルにも作用しているからだ。なぜか、君には作用しないようだが。……なぜだ?」

「わかりませんよ。そんなこと」

 レオンガンドの目は、セツナに可能性を見出そうとでもしているかのようなものであり、決して心地の良いものではなかった。試しているのかもしれず、ただ不思議に思っているだけかもしれない。セツナ自身にとっても不思議としかいいようのないことなのだが。

 アーリアの異能を見抜いたのは、セツナがこの世界に召喚された直後のことらしい。セツナ自身はよく覚えていないのだが、大火に見舞われたカランからクレブールに避難中の集団の中に、彼女がいたのだという。セツナだけが、アーリアの存在を見出し、アーリアを驚かせたらしいのだが、セツナが特別なにかをしたわけもない。召喚されたばかりだ。右も左もわからず、矛の使い方さえ理解していなかった時期なのだ。

 そんな風に自分と他者の違いを考えると、ひとつだけ、思いつくことがあった。

「もしかしたら、俺が異世界から召喚されたのが影響しているのかもしれませんけど……」

「異世界の存在である皇魔も、彼女を認識することはできない。クオン=カミヤも、彼女の能力を見抜くことはできなかったそうだ。君だけが特別なのだ」

「俺だけが……特別」

 反芻した言葉の奇妙さに、セツナは呆然とした。自分が特別などと思ったことは一度もなかった。ありふれた家庭に生まれた、どこにでもいそうな一個人に過ぎない。父を早くに失いはしたものの、それが特別なはずもない。

「……まあ、それはいい。君が特別なのは今に始まったことじゃないからな」

 レオンガンドは微笑したが、セツナには納得しかねる言葉だった。かといって、レオンガンドの意見を捻じ曲げようとも思わない。レオンガンドがそう認識しているのならば、それでいいと考えている。他人の考えと自分の考えは違う。

 当たり前のことだ。


「ウルの話に戻そう。ウルの異能が魔王に作用したとしても、支配しきれるかどうかは別問題なのだ」

 レオンガンドは、そう前置きした上で、ウルの異能について詳しく解説してくれた。

 ウルの支配能力は、最大で十人の人間を同時に支配下に置くことができるのだが、それは常に十人支配できるということではないのだという。十本の糸があると思えばよく、一本の糸で操ることのできる人間もいれば、二本、三本必要な人間もいる。カイン=ヴィーヴルは、完全に支配するためには六本の糸を必要としたらしく、それだけ強烈な自我の持ち主であるということだった。

「魔王は、十本の糸でも支配しきれないかもしれない」

 あれだけの数の皇魔を支配し、使役しているのだ。自我の強固さは、カインの比ではないかもしれない、というウルの推測は理解できた。

「それともうひとつ、問題がある。支配の糸を四本以上用いようとすれば、カインの糸を解かなければならなくなるということだ」

「話を聞く限りだと、そうなりますね」

「彼はとてつもなく強烈な自我の持ち主で、一本でも緩めれば、本来の自分を取り戻してしまうそうだ」

「本来のカイン……ランカイン=ビューネル」

 炎の記憶が蘇る。燃え盛る街の中で哄笑する男は、狂気をはらんだ目でセツナを見たものだ。最初の死闘。実際、死にかけたのだから、死闘で間違いない。セツナは、ランカインの炎で焼き尽くされたのだ。そのときの熱が、体の奥底に残っている気がして、ぞくりとした。

「そうなれば、彼はガンディアに牙を剥くに違いない。わたしを真っ先に殺そうとするかもしれない。散々酷使してきたのだ。彼が憎しみをぶつけようとするのは、想像に難くない」

 不意に、レオンガンドの目が、冷ややかな光を帯びた。

「そのとき、君には彼を殺してもらわなければならない」

 レオンガンドの声音は、酷く穏やかで、落ち着いたものだった。


 匂いがした。 

 その前から聞こえていた石畳を踏みつける靴音は途絶え、女の匂いだけが、鼻腔をくすぐっている。

「あなた、死ぬかもね」

 女が耳元で囁いた言葉の意味を咄嗟に理解できず、カインは、瞼を開いた。女の胸の膨らみが視界に飛び込んでくる。喪服のように黒い装束の胸元。彼女は、壁にもたれかかって座り込んだカインの目の前に立ち、腰を折り曲げて、耳元に顔を寄せているようだ。

「陛下と軍師に呼ばれていたんじゃなかったのか」

 つぶやくと、女のか細い腕がカインの首に絡みついた。カインは、やれやれと思ったが、なにもいわなかった。こういう場合、彼女のしたいようにさせるのが一番だ。でなければ、無理矢理にでも従わされてしまう。

「お話は終わったわよ。大事なお話がね。だからあなたを探していたんじゃない」

「俺を探す必要があるのかね」

 カインは、頭上を仰いだ。青空が遥か彼方にある。滲んだような青と、それを彩る雲の白さが目に痛いほどだった。真冬の屋外。凍てつくような寒さがカインの全身を包み込んでいるのだが、彼は気にしてもいなかった。厚手の衣服を着込んでいるから、ということではなく、もっと単純な理由だ。

 寒さよりも、喧騒のほうが敵わない。

 ウェイドリッド砦には、ひとが溢れている。そのほとんどが軍人だ。この国の、ではなく、近隣国の兵士、将校、傭兵、武装召喚師で満ち満ちている。ウェイドリッド砦の住人たちは戦々恐々としているに違いなく、眠れぬ日々を送らざるを得ない事実を前に愕然としていることだろう。ウェイドリッド砦は陥落したのだ。蹂躙されないだけましだと諦めるしかない。

 ガンディア、ルシオン、ジベル、アバード、イシカ、メレド、ベレルという七カ国の軍が一堂に会している。砦中が騒々しくなるのも当然だった。それでも彼が静けさを求めたのは、熱を帯びているからだ。

 開戦以来、闘争本能に火が点いている。点きっぱなしといってもいい。寝ている間さえ臨戦態勢であり、そのことが原因で彼女の不興を買うことがしばしばだった。魔女は、優雅に眠りたいものなのだろう。

「あるわ」

 女が、カインの崩した足の間に腰を下ろした。自然、彼女の顔がカインの胸元に沈み、そのまま落ち着く。

「あるのよ。きっと」

 彼女は、それ以上なにもいってはこなかった。ただ、カインの胸に顔を埋めて、じっとしていた。

 彼は、彼女の頭部に手を置くと、いつものように撫で付けた。そうすることで彼女の心が落ち着くということを知っている。

 魔女の心が分かり始めている。

 そして魔女にも、魔竜の心が分かり始めているらしい。

 笑い飛ばしたくなった。

(俺はなにをしているのだろうな)

 夢を見たのは、いつだったか。

 兄の青臭い夢に付き従い、手を汚した。魔龍窟を出てからのことだ。

(そういえば……あのときも、こんな天気だったか)

 成績の優秀さから魔龍窟を出された彼を待ち受けていたのは、実の兄エルアベル=ビューネルとの再会であり、招きだった。エルアベルは、ザルワーンに革命を起こそうとしていた。そのための準備をしながら、ランカインの地上への帰還を待っていたのだ。

 ビューネル家は、五竜氏族の末席に位置づけられていた。五竜氏族とは、ヴリディア、ライバーン、ファブルネイア、リバイエン、ビューネルという五つの家系からなるザルワーンの支配階級だ。五家の当主が持ち回りでザルワーンの国主となるはずなのだが、ビューネル家は、五竜氏族の中で最下位であり、国主を担当した回数はもっとも少なかった。

 このままではビューネル家の立場がなくなるかもしれない。エルアベルが抱いた危機感は、当たらずも遠からずといったところだっただろう。ミレルバス=ライバーンは、将来的に特権階級としての五竜氏族を廃止しようと考えていたからだ。

 ミレルバスの夢は、ガンディアによって打ち砕かれた。

 エルアベルの夢は、ミレルバスに。

(だれもが夢を見て、目の前の現実を見失う)

 ふと、そんなことを思ってしまった理由は、自分でもわからなかった。

 魔女の寝息を聞きながら、カインは、目を閉じた。彼女の匂いに満たされれば、夢を見ることができるのだ。

 優しい夢を。

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