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第六百七十二話 覚悟(一)

「覚悟を決めなければならない」

 レオンガンド・レイ=ガンディアが、部屋に満ちた静寂を破るように口を開いた。

 一月二十九日。ウェイドリッド砦にアバード突撃軍、遊撃軍が合流し、二日が経過している。窓の外、太陽はとっくに沈み始めていて、時の流れの速さを実感せざるを得ない。全軍合流からここに至るまで、セツナまで追い立てられるように仕事に忙殺された。

 親衛隊長の仕事と、領伯の仕事をこなさなければならないのがセツナの辛いところだ。もちろん、《獅子の尾》隊長の仕事は副隊長と隊長補佐が手伝ってくれるし、領伯の仕事の大部分はゴードン=フェネック司政官に任せてしまえばいいのだが。それでも、今後のことを考えれば、自分の手で仕事をこなすべきではないかと思ったりもした。

 そうするうちに軍議が開かれた。リネンダールに出現した巨鬼に関するものだ。リネンダールからの生還者であるアバード軍の指揮官シーラ・レーウェ=アバード、サリウス・レイ=メレドらの口から、巨鬼の実態について語らせるために開かれた軍議では、巨鬼の持つ圧倒的な攻撃力、射程範囲が明らかになり、軍議は一時騒然となった。後退し、距離を取ったはずのアバード軍が、巨鬼の攻撃によって大打撃を受けたというのだから、その攻撃能力は推して知るべきだろう。実際、ウェイドリッドに辿り着いたアバード軍は、開戦前に比べて激減していた。半減というほどではないにせよ、多くの将兵が死んだことに間違いはない。

 巨鬼は、ますます放置できなくなった。圧倒的な攻撃能力を誇る異界の存在を放っておけば、リネンダール付近は焦土と化すかもしれない。拳を振り下ろしただけで地形を激変させるような破壊を生み、超長距離の砲撃を行うこともできる。ザルワーンのドラゴン以上に危険な存在かもしれない。

 ドラゴンと同じく、リネンダールの大穴に下半身が埋まっており、簡単には抜け出さないだろうという点だけが、吉報といえるのかもしれない。もっとも、ドラゴンのように穴を抜け出す可能性は皆無ではないし、だからこそ、放ってはおけないのだが。

「リネンダールの鬼と戦う上で、ですか?」

 セツナは、レオンガンドに問うた。ほかに、覚悟を決める必要があることなど、想像もつかない。

「いや、少し先のことだ」

 レオンガンドがあっさりといってくる。決して広くはない室内にレオンガンドとセツナだけがいる。アーリアもいない。セツナには彼女の異能は通用しなかった。だから、この場にいないのかもしれない。アーリアは、他人の認識から消えている状態の自分を見られることを極端に嫌っているらしい。故にセツナは彼女に敵視され、殺されかけている。セツナはアーリアに対してなんら含むところはないのだが、無意識に嫌われることだってあるだろう。

(少し先……)

 レオンガンドは、窓辺に立っている。彼の背中を見ると、窓の向こうの夕日に照らされてウェイドリッドの光景さえも見えた。ウェイドリッド砦は、連合軍の全兵を受け入れられるだけの広さがあった。拠点として利用するにはもってこいということだが、いつまでもこの地に留まっている場合でもない。

 短期決戦でなければ勝ち目はない、とナーレス=ラグナホルンがいっているのだ。持久戦になれば、疲弊するのはこちらのほうだ。魔王が無尽蔵に皇魔を呼び寄せることができるのならば、兵力も戦力も有限なこちらが先に力尽きるのは当然のことだ。

「魔王を討つための覚悟……」

 つぶやいた。

 魔王を討つ。それがこの戦争の目的だった。人類の天敵たる皇魔を従え、近隣国に恐怖を撒き散らす魔王を討ち果たすことこそ、戦争を始めるために掲げた大義だ。大義がなければ、戦争を起こすことは難しい、という。兵士たちの士気や戦意に関わるからだ。

「……魔王は、討てない」

「どういうことですか」

「魔王は、異能者だった。君も知っているアーリアやウル、イリスと同じく、外法機関によって開発された異能者だったのだ」

「そんな……!」

 衝撃的な事実に言葉を詰まらせる。想像もしなかったことだ。何万もの皇魔を使役する能力が人為的に発生させられたなど、セツナの稚拙な頭脳では思いつきようがなかった。

「ユベルの本当の名は、エレンというそうだ。アーリアが見てきたのだから、間違いないだろう。アーリアには、魔王の暗殺を命じていた。魔王さえ殺してしまえば、この戦争における連合軍の勝利は揺るぎない――だれもがそう思う。だから暗殺も許可した。大義を掲げる戦争には似つかわしくないことだが、仕方のないことだった」

 掲げた大義を重んじるあまり、味方の犠牲に目を瞑ることなど本末転倒以外のなにものでもない、とレオンガンドは、続けた。

 正義や大義は、戦争を行う上でとても重要だ。命を賭して戦う将兵たちを納得させることができなければ、勝てる戦も勝てなくなる。そのための大義。そのための正義。それがたとえ見え透いた嘘であったとしても、兵士たちが自分の心を騙し通すことができるだけの理屈があればいいのだ。侵略戦争であることが明白であったとしても、自分たちに正義があると信じられるから、戦える。死地に飛び込むことができる。納得ができなければ、勇気など湧いてこないものだ。

「だが、暗殺は決行されなかった。アーリアにはわかったのだ。魔王を殺したとき、我々の身になにが待っているのかが、な」

 彼は、そういって、少し間を置いた。呼吸を整えると、静かに言葉を紡ぐ。

「魔王が異能によって皇魔を使役しているのならば、魔王を討てば、魔王が死ねばどうなると思う?」

「皇魔が支配から解放されるだけじゃないんですか?」

「そうだな。そのとおりだ。しかし、この地に満ちた皇魔がすべて同時に支配から解き放たれた時、なにが起こるか想像できるかい? 皇魔は人類の天敵だ。皇魔は、人間を見れば殺戮せずにはいられないものたちだ。呪いといってもいい。そうなれば、少なくともクルセルクに住んでいる多くの人間が死ぬだろう。もちろん、我々も無事で済むわけがない。たとえ皇魔を殲滅し尽くすことができたとしても、失うものがあまりにも大きすぎるのだ」

 仮に皇魔を殲滅し、クルセルク領を平定することができたとしても、都市もひとも失われてしまっている可能性も低くはない。ガンディアは、ただ領土を拡大するためだけに戦争しているわけではないのだ。領土だけが広がっても、中身が伴わなければ意味がない。領土を維持するのも簡単なことではない。敵国の人的資源は、出来る限り無傷で手に入れたいというのが、レオンガンドたちの本音らしい。

「では、どうするのですか?」

 問いながら、セツナは自分だけがこの場に呼ばれたことにいまさらのように不安を覚えた。覚悟を決めるとは、どういうことなのか。魔王を討てないことと関係するのは間違いないのだが、レオンガンドの考えはまるで読めない。

「ナーレスはウルを使うつもりでいる。ウルを使い、皇魔を支配する魔王を支配するというわけだ」

「上手く行けば、それでなにもかも丸く収まる……」

 セツナはそう思った。ウルは、あのランカインを完全に制御しているのだ。魔王も支配することができれば、連合軍の勝利は間違いない。

「そうだな。魔王を支配することができれば、魔王に皇魔の軍を解体させることができる。それに、上手く使えば、自国領の皇魔に人間を襲わないように仕向けることができるかもしれない。皇魔を使役する、というのは、ありえないがな」

「もし、皇魔を使役すればどうなります?」

「リョハンが敵に回る。そしておそらく、そうなったとき、リョハンはガンディアを滅ぼそうとするだろう。リョハンが全戦力を動員した場合、いかに魔王と皇魔の力を得たとしても、敵いはしないだろう。《大陸召喚師協会》そのものを敵に回すのと同じことだ」

 連合軍は、その戦力の大部分を《協会》の武装召喚師に依っている。武装召喚師たちがいなければ、皇魔の大群を相手に戦うなどという暴挙に出ることはできないのだ。リョハンの力添えがなければ、クルセルクとの全面戦争に踏み切ることもなかったのではないか。戦うにしても、敵戦力を自国領に引きこむような大胆かつ危険性の高い策を採用することはなかったはずだ。

 戦局は、大きく変わっただろう。こうしてクルセルクの中枢近くに食い込むことができたかどうかも怪しいものだ。セツナひとり血を吐くような戦いをしたところで、六万の皇魔を倒しきれるわけがない。

 それは、リョハンを敵に回した場合にも同じことがいえるだろう。セツナひとりが黒き矛を掲げ、気炎を吐いたところで、圧倒的な質量の前に沈黙せざるを得ない。

「もちろん、リョハンを敵に回したくないことが直接的な原因ではない。もっと、根源的なことだ。この大陸の人間にとって皇魔ほど恐ろしい存在はない。そのようなものを使役して、小国家群を統一できたとして、待っているのは破滅的な大戦争だろう。均衡は崩れ、三大勢力が動き出すのは目に見えている。いや、小国家群を統一する前に動くだろうな。わたしならそうする」

 皇魔を付き従え、大陸小国家群の統一に乗り出すような国が出てくれば、三大勢力が動き出すというのは、理屈でわかった。皇魔は強大な力を持っている。同じだけの力を持った人間はいない。召喚武装があってやっと互角以上の戦いを繰り広げることができる。そんな化け物たちを無尽蔵に近い駒として扱える国など、大陸の広範を治める三大勢力にとっても脅威に映るだろう。潰すために動き出したとしても不思議ではなく、そのとき、小国家群は歴史から消滅するのだ。

 そしてそれは、クルセルクが小国家群統一の気配を見せたとしても、同じことだ。クルセルクを潰す必要性は、そこにもあるのかもしれない。クルセルクがこれ以上領土拡大の方針を推し進めれば、三大勢力を刺激しかねない。

 三大勢力が動き出せば、レオンガンドの夢は終わる。

(俺の夢も)

 セツナは、拳を握った。異世界に流れ着いた自分には、夢などない。元の世界に帰ることができないという現実を突きつけられれば、夢を見ることも馬鹿らしくなるものだ。主君の夢を叶えることが、セツナの夢になった。

 他人の夢に自分の思いを重ねることは、決して悪いことではないはずだ。

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