第六百七十一話 擬似召喚魔法
二十六日午後、ウェイドリッド砦に集った連合軍首脳陣は軍議を開いた。議題は、リネンダールに出現した新事態への対応である。新事態とは、巨鬼が出現し、アバート突撃軍、遊撃軍が為す術もなく蹴散らされたことでもある。
アバード突撃軍、遊撃軍はリネンダール周辺を脱し、ウェイドリッド砦に向かっている最中ということもあり、リネンダールの巨鬼の実情については、彼らの到着を待つよりほかはなかった。ガンディア決戦軍、ジベル突撃軍がウェイドリッド砦にありながら手に入れることができた情報は、リネンダールの都市が消滅し、巨大な鬼が出現したという、ただそれだけであり、詳細なものではなかった。そして、ふたりの武装召喚師だけがその事実を認識し、連合軍に戦術の再考を促している。
黒き矛のセツナと、四大天侍のひとりにしてリョハンが誇る天才マリク=マジクは、召喚武装の力によってリネンダールに起きた異変を察知した、ということだった。マリクはともかくとして、セツナが連合軍に嘘の報告をする道理はなく、連合軍首脳陣は、彼の報告を疑いはしなかった。
「ザルワーンが五方防護陣なる五つの砦に行ったのと同じ方法でしょう」
リネンダールに起こった事象についての検証を行ったのは、リョハンの戦女神と謳われる当代最高峰の武装召喚師ファリア=バルディッシュであった。彼女は、持ち前の知識とマリク=マジクから得られた情報から、クルセルクがリネンダールそのものを召喚魔法の媒介として使用したのだと推測した。それは、ザルワーン戦争の最中、五方防護陣が消滅し、ドラゴンが出現したのと同じ原理ではないか、ということであり、ザルワーンからクルセルクに流れたオリアス=リヴァイアことオリアン=リバイエンが関わっているのは間違いなさそうだった。オリアンはミリュウの父親であり、ザルワーン魔龍窟の総帥である。さらにいえばアズマリア=アルテマックスの弟子であり、ファリア=バルディッシュはそのことを懸念していた。アズマリアの弟子であれば、アズマリアの秘術を継承している可能性があるというのだが、秘術については明かされなかった。
「召喚魔法……と考えてよろしいのですか?」
「はい。ですが、聖皇ミエンディアが行使した召喚魔法とは別物でしょう。聖皇は、みずからの精神力だけで異世界の神々を召喚したといいます。都市を消滅させるようなやり方では、ミエンディアが支持を得られることもなければ、聖皇と呼ばれるようなことはなかったでしょう」
ファリア=バルディッシュは、いった。確かに、聖皇とは尊称以外のなにものでもない。ミエンディアが当時の人々に尊敬され、信望を集めていたことは、古書の記述や伝承からも窺い知れるものである。
彼女のいうように、ミエンディアの召喚魔法が都市を消滅させるようなものであれば、ミエンディアは魔王と呼ばれたことだろう。ミエンディアの大陸統一も大いなる悪事として語り継がれたに違いない。だが、実際は、聖業として知られている。
大陸の統一、言語の統一は、国や地域の特色を奪い去っていったものの、人々の意思疎通の上では大いに役に立っていた。聖皇の手によって大陸共通言語が浸透したからこそ、皇魔の大氾濫という事態に直面した人々が手を取り合い、助けあって生き延びることができたのだ。
「ですので、擬似召喚魔法と仮に呼称することにします」
聖皇の召喚魔法とは違う、ということを明確にしておきたい、というのは、武装召喚師としての誇りや意地なのかもしれなかった。
武装召喚術は、召喚魔法の成り損ないという面がある。アズマリアが召喚魔法を再現しようとした結果、武装召喚術が生まれたといわれているからだ。武装召喚術の始祖であるアズマリアが到達できなかった高みを、最初の弟子であるファリア=バルディッシュたちではなく、オリアス=リヴァイアが辿り着いてしまったとは思いたくないのではないか。もっとも、ファリア=バルディッシュの説明に嘘はなさそうであり、聖皇の完全な召喚魔法とは別物なのは間違いないのだろうが。
「擬似であれなんであれ、リネンダールに現れたのは異世界の神や魔であることは間違いありません。それを放置すれば、いずれこの地を中心に大混乱が起きるでしょう。聖皇の魔性が増殖し、この大地を蝕む病と化したように」
ファリア=バルディッシュのその言葉で、決定的となった。軍議は、リネンダールの巨鬼をどうするかで喧々諤々の議論を繰り広げていたのだ。無視し、ゼノキス要塞に直行するべきだとハーマイン=セクトルがいえば、ゼノキス要塞には後方の安全を確保したうえで向かうべきだとアスタル=ラナディースが主張した。ルシオンの王子はハーマインを支持し、ベレルの騎士団長はアスタルを推した。ハルベルクが魔王討伐を優先したのは不思議だったが、彼がいうには、リネンダールの巨鬼と戦っている間に魔王が皇魔兵を増やすのは目に見えているため、先に魔王を討つべきだ、ということだった。魔王を討ち、皇魔の脅威が薄れてから、リネンダールの巨鬼を相手にするべきなのだ、と。ハルベルクの主張には一理あるように思えたが、実情を知るものからすれば、絵空事に思えてならなかった。
魔王を討ったところで、連合軍が窮地に陥るだけだ。
ファリア=バルディッシュが、リネンダールの巨鬼を異世界の神魔と断定したことで、状況は変わった。皇魔とは比較にならない力を持っているのは、その巨大さから明らかだ。おそらく、ザルワーンのドラゴン程度の力はあるだろう。セツナでさえ、シールドオブメサイアの加護がなければ勝てなかったかもしれないような相手だ。後回しにすれば、どうなるものかわかったものではない。
「リョハンは、協力してくれるのでしょうか?」
リノンクレアが問うと、ファリア=バルディッシュは、静かにうなずいた。
「もちろんです。契約では皇魔の討伐のみ請け負うとしましたが、異世界から召喚された存在を目にしておきながら、それを黙殺するなど、リョハンの正義に反します」
安堵の息が会議室のどこからともなく聞こえた。ザルワーン戦争を経験した人間にしてみれば、ザルワーンのドラゴンほどの脅威はないのだ。それも、無敵の盾と最強の矛があってはじめて打ち倒すことができたのであり、無敵の盾が存在しない今回はどのような戦いになるのか、想像もつかなかった。そんな中、リョハンの武装召喚師たちが協力しないとなると、絶望するしかなくなったのではないか。
無論、セツナたち《獅子の尾》の武装召喚師たちは強く、勇猛だ。しかし、彼らが束になっても勝てるかどうかわからないのが、ザルワーンの守護龍だった。それと同等かそれ以上の力を持っているのがリネンダールの巨鬼なのだ。リョハンの戦女神と四大天侍の力添えがなくては、勝てるものも勝てなくなってしまう。
「しかし……クルセルクがリネンダールを犠牲にして召喚魔法を行使するとは、稀代の軍師ナーレス=ラグナホルンでも読み切れなかったようですな」
ハーマイン=セクトルが皮肉に目を細めた。
「オリアス=リヴァイアの正体がオリアン=リバイエンであるとわかったときから、懸念していたことではあります。しかし、こればかりは、わたくしどもの手でどうにかなるものではないでしょう」
ナーレスは、どこか呆れたような口調で言い返した。召喚魔法の犠牲になったのがリネンダールで良かった、と思うよりほかはない。リネンダールからは住人や守備兵が避難しているという事前情報もあったのだ。なにかしらの罠が仕掛けられているのは、だれの目にも明らかだった。それは、アバード軍の被害は最小で済んだに違いないという憶測に繋がるのだが、真実はまだわからない。アバード軍はいま、全力でこちらに向かっているはずだった。
「本当、セイドロックに仕掛けられていなくて良かったですね」
エイン=ラジャールが、ハーマインに微笑みかけた。
「擬似召喚魔法とやらはすべてを飲み込むようですし」
「そうだな」
ハーマインは、エインの皮肉に気づいたのだろうが、穏やかに笑い返しただけだった。セイドロックは、ジベル突撃軍が攻略を担当した都市だが、もしセイドロックに擬似召喚魔法が仕掛けられていれば、犠牲になったのは都市内に真っ先に乗り込んだハーマインと死神部隊、ジベルの将兵なのだ。
軍議は、一度そこで打ち切られた。リネンダールの巨鬼と相対するにせよ、アバード軍との合流こそ先決に済ませるべきなのだ。
アバード突撃軍、遊撃軍が、ほうほうの体でウェイドリッド砦に到着したのは、二十七日の夕刻だった。