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第六百六十七話 裏腹の平穏

 眠りが浅い。

 ろくに眠った気になれないということは、疲れが取れていないのではないかという猜疑心を呼び起こし、自分自身への疑念は、無気力状態を生んだ。そして、力なく、夜明け前の室内で息を潜めていると、ただそれだけで疲労が蓄積した。自分以外の呼吸音がふたつ、鼓膜をくすぐるのだが、時折、それさえも聞こえなくなった。

(疲れすぎだ)

 セツナは、全身を苛む倦怠感に抗うように目を開いた。瞼さえも重く、まるで鉄の扉を開くような労力を要した――というのはいいすぎかもしれないが。

 顔を動かすと、右隣には寝間着姿のミリュウが眠っており、左隣にレムの姿があることがわかる。寝息の正体だが、驚くことはない。ふたりがセツナの寝所に忍びこむようになって随分経つのだ。こういう状況にも慣れてしまっていた。

(男なら喜ぶべき状況なんだろうけど)

 そういう気分になれるわけもなく、彼は胸に乗せられたミリュウの手を退けると、静かに体を起こした。それから、ふたりを起こさないようにそっとベッドから離れ、窓辺に向かう。宿舎の窓からは覗くのは、夜明け前の空だ。晴れ渡った空には、雲ひとつ泳いでいない。暗く、しかし、じきに夜が明けるという興奮が、空を包み込んでいる。

 一月二十六日。

 ウェイドリッド砦が連合軍の手に落ちてから、半日というところだろうか。

 緒戦からちょうど十日が経過している。それなのにセツナは回復するどころか、疲労が蓄積する一方だった。常に戦っているわけではない。常に黒き矛を召喚しているわけではない。休む機会はあるし、おそらく他の部隊、他の将兵よりも多分に与えられているはずだ。

 連合軍は、セツナを最大の戦力と評価している。緒戦でもっとも皇魔を倒したのがセツナであり、三軍の勝利にもっとも貢献したのもセツナなのだ。セツナは自分にできる最善を尽くしただけのつもりだが、評価される理由もわかっている。そして、評価されることが嬉しくないはずもない。

 その評価に遜色のない戦いを続けなければならない、という想いもあるが、苦痛ではなかった。戦いへの意欲に繋がるからだ。

 目標がなければ戦い抜くことは、難しい。

(目標……夢……望み……か)

 窓を開けると、予想以上の冷気がセツナの顔面を撫でた。眠気が吹き飛ぶかと期待したのだが、そうはならなかった。項垂れると、宿の裏庭が視界に飛び込んでくる。特になにがあるでもない殺風景な空間だったが、そこに見覚えのある人物がいたのだ。青みがかった髪でわかる。ファリアだ。

(こんな朝早くなにしてるんだろ……)

 セツナは、不思議に思ったが、彼女の様子をじっくりと見て、納得した。彼女は、裏庭に立てた的に向かって弓を構えていたのだ。彼女は弓の使い手ではないが、彼女の召喚武装オーロラストームは射程兵器だ。弓術の訓練は無駄にはならないに違いなかった。

 綺麗な姿勢だった。まっすぐに立ち、弓を構えている。矢を引き絞り、的に狙いを定め、放つ。矢が的に突き刺さったのは、音でわかった。

 宿は、砦の中心区画にある石造りの建物で、その三階の角部屋がセツナの部屋となっている。窓からは裏庭がよく見えた。声をかけるには少しばかり遠すぎたが、近かったとしても声をかけたりはしなかっただろう。邪魔をしたくはなかった。

 セツナは、ぼんやりと、ファリアが矢を番える様を眺めていた。朝日が裏庭を照らし、彼女が用意した矢を使いきるまで、飽きることなく。


 ウェイドリッド砦は、クルセルクの軍事拠点のひとつだ。クルセール、ゼノキス要塞に続く重要拠点でもあったが、軍人ばかりが住んでいるわけではなかった。黄金戦斧団と命名された正規軍部隊に所属する軍人の家族もいれば、軍の関係者やまたその家族も住んでいる。それ以外にも多種多様な人々が、砦の中で生活している。戦争が始まるまでは安穏たる暮らしを続けられていたらしく、砦を制圧した連合軍を公然と非難する住人も少なくはなかった。中には力で訴えようとするひともいたが、そういった手合の暴走は、クルセルクの正規兵が全力で食い止めていた。

 ガンディアは、いい。ログナー、ザルワーンなどの戦争において制圧した都市で、兵が略奪や強奪といった行動に出ることを堅く禁じ、破ったものを厳しく処罰してきたという前例がある。ガンディア軍の軍規が苛烈だということは、近隣諸国には知れ渡ったことだった。どういう事情があれ、ガンディア軍人が侵略先の住人に手を上げることはないはずだ。

 しかし、連合軍を構成するのは、ガンディア軍だけではなかった。ウェイドリッド砦には、いまやガンディア、ルシオン、ベレル、ジベルの四カ国の将兵が入り込んでおり、荒くれ者揃いの傭兵たちや正体不明の武装召喚師たちまでいる。

 特にジベル兵の怒りを買えば、どうなるものかわかったものではない、というのが黄金戦斧団の考えのようだった。ジベルは、クルセルクの隣国であり、魔王の出現以前からクルセルクに対して悪感情を抱いているのは知れた話だ。

 いかにガンディアが連合軍の盟主として祭り上げられているとしても、他国の軍規にまで口出しすることはできないだろう。

 それに、黄金戦斧団の兵士たちは、連合軍がクルセルクを魔王の支配から解き放ってくれることを期待しているようなのだ。

『魔王がいなくなれば、皇魔がいなくなれば、自由に街を出て、歩き回ることだってできるんだぜ?』

『まるで夢みたいね……』

『これまでが悪い夢だったのさ』

『夢、覚めるといいね……』

 朝方聞いた兵士とその妻らしき女性の会話が、耳に残っている。

『そのためにも、連合軍には勝ってもらわないとな。たとえクルセルクという国がなくなったとしても、魔王の統治下よりは遥かにマシだ』

 兵士は、吐き捨てるようにいった。

 情報によれば、魔王はクルセルクにおいて善政を敷いており、国民からもそれなりの支持を得ているということだったのだが、実態はどうやら違うらしい。

(そりゃあそうか)

 セツナは、鈍い思考のまま、目の前の女性の笑顔を見ていた。赤毛の女性がなぜ笑っているのかは皆目見当もつかなかったが、それはそれとして、兵士の心情を考える。いかに魔王が善政を敷き、人々の暮らしを良くするために骨を折ろうとも、皇魔という存在がすべてを台無しにしているのだ。

 皇魔は、人類の天敵なのだ。五百年の昔から続く因縁は、おそらく遺伝子レベルで刻みつけられている記憶であり、この大陸に生まれ育った人間は、皇魔を受け入れることなどできないし、皇魔もまた、人間を理解しようとはしないのだろう。何百年もの長きに渡り殺し合ってきたのだ。相互理解を深めることなど、できようはずもない。

 それはこの小国家群にもいえることなのかもしれない。

(約五百年……無数の国家が小競り合いを続けてきたんだよな……)

 ガンディア、ログナー、ザルワーン、ルシオン、ミオン、ジベル、ベレル、アザーク、アバード……知っているだけでも、数えきれないほどの国の名前が湧いて出る。そういった小国のほとんどが五百年の歴史を持っているわけではないようだが、建国から少なくとも百年以上は経過しているが多いらしい。小国家群が小国家群として成立することができたのは、早々に三大勢力が形になったからだという話だが、それでも百年単位の話ではあるようだ。その三大勢力もまた、奇妙だと思わざるをえない。

 ヴァシュタリア、ザイオン帝国、神聖ディール王国――三大勢力はほぼ同時期に成立し、国土をいまの形に整えると、まるで示し合わせたかのように外征を行わなくなったというのだ。三大勢力が沈黙したことで、小国家群という特殊な状況が成立し、時が流れた。

 大陸歴五百一年に至るまで、小国家群の情勢というのはほとんど変わらなかったらしい。もちろん、ログナーがガンディアのバルサー要塞を攻め落とし、要塞周辺の領土を我がものとしたような、その程度の変化ならば無数にあったということだが。

(激変が起きたのは、ガンディアがログナーを飲みこんだ辺りから)

 小競り合いで終始していた時代が終わりを告げた。小国家群が、まさに戦国乱世に突入したといってもいい。様々な国が、国力を強化し、領土拡大に乗り出し始めた。

(陛下が時を進めた、ということかな)

 セツナは、我が主君のことを思い浮かべながら、朝食の味の薄さに眉を寄せた。対面の席の女性が、表情を強張らせたのだが、その理由もわからなかった。

「セツナ……どうしたのよぉ? あたしのこと、嫌いになったの?」

 彼女の泣きそうな声で、我に返る。

「なんでそうなるんだよ」

「だってえ」

 赤毛の女性はミリュウ=リバイエンで、セツナがいるのは宿舎の大食堂だった。隣にはファリアが腰掛けていて、指定席を奪われたミリュウは、彼の対面に座ることで我慢したようだった。レムは、後ろのテーブルからセツナを見ているらしい。ルウファはエミルと二人がけのテーブルにおり、マリア=スコールは宿舎にはいなかった。

「セツナがつまらなそうな顔をするからあ」

「……スープの味が薄くてさ」

「そう? 結構濃いと思うけど」

「まじ?」

 ファリアを見ると、彼女のほうこそ驚いたような顔をしていた。

 ウェイドリッド砦の朝は、そんな風に平穏な空気に包まれていた。

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