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第六百六十三話 魔ヶ津戦(九)

 リネンダールを覆っていた光の半球の膨張とともに、天地を揺らすような咆哮が響き渡った。

 重圧が衝撃波のように広がって連合軍の将兵たちを飲み込んでいく。絶望的なまでの殺気が嵐のように吹き荒れ、身も凍るような威圧感が連合軍を襲う。そして、光の半球の中から巨大な腕が出現するのを、多くのものが目撃した。

 シュレル=コーダーも、そのひとりだ。

 彼は、偶然にも、リネンダールが光に飲み込まれる前に都市外に抜けだしていた。それもこれも、皇魔ガ・サラ・ギとの戦闘にだれも巻き込まないようにという配慮からであり、リネンダールに仕掛けられた罠を見抜いたものではなかった。

 漆黒の鬼との戦闘は、都市外に出た瞬間から激しさを増している。シュレルとしても遠慮する理由がなくなった以上、力を出し惜しみする必要もなくなったからだ。それは、サラも同じらしかった。鬼は、リネンダールを出てからというもの、より一層強烈な攻撃を繰り出してきたのだ。シュレルは、鬼の猛攻を捌きながら、反撃の機会を窺うしかなかった。やはり、召喚武装を身につけた皇魔の力量は度を越している。

 そんなときだ。

 リネンダールが、奇妙な光に包まれるという現象が起きた。

 シュレルは、リネンダールが空城同然の状態だったのはこのためだったのだろうと思ったものの、それがなにを示す現象なのか、まったく理解できなかった。サラも同じらしく、シュレルたちの仲間がなにかをしたのではないかと疑ってきたものだった。いまでもそう思っているのかもしれない。

 そして、光の半球が爆発した。いや、光の中から出現した巨大な腕が、光の半球を破壊したのだ。リネンダールの周辺には膨大な量の爆煙が立ち込めており、現状、なにが起こっているのかはわからない。しかし、強化された五感は、リネンダールの中心になにかが出現したという事実を告げてきている。警告でもあった。サラよりも鮮烈な敵意が、シュレルの神経に突き刺さってきている。

 シュレルは、サラとの間合いを取りながら、爆煙の中に蠢く影を見ていた。光の半球を破壊した物体は、巨大な腕だった。それは間違いない。無論のこと、人間の腕でも、皇魔のそれにも見えなかった。そもそも、あれほど巨大な腕を持つ皇魔がこの世界に存在しているとは思えない。見えた腕はひとつ。だが、腕一本だけが出現したわけではなさそうだった。腕が声を発するはずもない。

 やがて、粉煙が風に流されていくと、その全容が明らかになる。

「なんだ、あれ?」

「あレは……なんだ?」

 シュレルが疑問符を上げると、サラも同じようにそれを見上げていた。

 まず、リネンダールという都市が地上から消滅していた。それはさながら、ザルワーン戦争における五方防護陣消滅事件を想起させるものであり、大地に穿たれた巨大な穴の中から上半身を覗かせるそれもまた、ザルワーンの守護龍と呼称されるドラゴンを思い起こさせた。しかし、それは一目見てドラゴンなどではないことがわかる。

「巨大な……鬼」

 リネンダールそのものを飲み込むほどの巨大な穴の底に下半身が埋まっているのであろうそれは、有り体にいえば、巨大な鬼だった。

 下腹部から上半身に至るまで筋肉の鎧に覆われており、ところどころ人間には見受けられないような器官があった。角のような突起物が様々な部位に見られる。腕は左右に二本ずつ、合計四本の腕があり、それぞれがとにかく巨大で、破壊的だった。そしてその四つの腕は、鬼の巨躯を支えるようにして、四方の地面に突き刺さっていた。

 頭部は、レスベルやベスベルに似ているようなのだが、明らかに違うところがある。眼だ。落ち窪んだ眼孔から赤い光が漏れている、という皇魔特有の眼ではなかった。いかにも憤怒の形相といってもいいような顔の中、金色に輝く瞳だけが神々しさを感じさせた。側頭部から生えた何本もの角が、天に向かって伸びている。数がわからないのは、鬼があまりにも巨大すぎるからにほかならなかった。

 ヴィゼンと同調し、なおかつ召喚武装を手にしているシュレルだからこそ、全容が把握できたに過ぎない。通常人からすれば、鬼の尊顔を見ることもかなわないかもしれない。

「召喚魔法ってやつ……? 冗談じゃない」

 魔法とは元来、規模の巨大なものらしいのだが、それにしてもあんまりだと、彼らは思った。あまりに巨大過ぎて、一瞬、我を忘れかけた。戦場で自分を見失うのは、命取りだ。

「召喚……魔法?」

 サラがこちらの言葉を反芻するようにいった。皇魔は、リネンダールに出現した巨大な鬼を茫然と仰ぎ見ている。

 シュレルは、地を蹴った。雪の溶け始めた地面。足が滑らないように注意はしているが、だからといって勢いを殺すような真似はできない。サラがこちらの接近に気づいた。だが、遅い。

「武装召喚術とは違うものらしいよ。詳しくは知らないけどさ」

 シュレルは、皇魔の胸に剣を突き立てながら、小さくつぶやいた。鬼の眼は笑っていた。衝撃がシュレルの腹を貫いている。激痛が全身に広がる。内臓が破壊されたのか、骨が折れたか、いずれにせよ、大打撃を喰らったようだった。口の中に広がる鉄の味に、彼は歯噛みした。全力で、剣を押し上げる。サラがなにか奇怪な言葉を吐いた。おそらく、皇魔本来の言葉なのだろうが、シュレルには理解できなかった。剣が、胸から首へ、首から頭に至り、頭蓋を割った。

 返り血を浴びながらも、脳裏に響く声に苦笑を浮かべた。

「かっこ悪くて悪かったな」

 もはや物言わぬ亡骸と成り果てた皇魔の体を押し退けて、シュレルはその場にへたり込んだ。腹に触れる。腹部を覆っていた装甲が砕かれていることがわかるのとともに、指先に触れる感触に彼は恐怖を覚えた。腹に大きな穴が空いているかもしれない。

「勝手に死んじゃったら、ごめんね」

 心の底から謝りながら、これでようやくひとりの人間に戻れるのかもしれない、とも思った。


 巨鬼の出現は、リネンダールを包囲していたアバード突撃軍、同遊撃軍に多大な衝撃を与えただけではなかった。

 出現とともに振りおろされた拳が、両軍団の先陣を粉砕したのだ。拳が巨大なだけではない。巨鬼の拳に込められた力が、攻撃地点周辺の地形を大きく変容させるほどの破壊を伴っていたからだ。破壊的な力の激突が、両軍の先陣にいた将兵の命を容易く奪い去っていったのだ。

 最初の攻撃は、それだけだった。しかし、それだけで、両軍は巨鬼を絶望的な脅威と判断し、戦線を引き下げている。アバード突撃軍の死傷者は五百名を越え、同遊撃軍の死傷者も同程度は出たということだった。

 振り下ろした拳の一撃で、それだ。リネンダールの巨鬼がいかに巨大で凶悪なのかが理解できようというものだ。

「ただの一撃で先陣が崩壊するんだからな……どうしようもねえ」

 シーラは、嘆息とともにリネンダールの方角を振り返った。巨鬼がなにか特別な力を発揮したという風にも見えなかったのだ。ただ、拳を振り下ろしただけなのだ。足で蟻を踏み潰すかのように、無造作に。

 リネンダールの跡地には、巨鬼の巨体が微動だにせず聳えている。巨鬼に見られているような気がするのだが、気のせいだろう。いかに鬼が巨大で、その視力が優れていても、遠く離れた地にいる蟻ほどの大きさのものを見つけることなどできないはずだ。

 シーラ・レーウェ=アバード率いる突撃軍は、リネンダール北西の原野に辿り着くと、陣地の設営を開始していた。遮蔽物の少ない平野ではあるが、敵がリネンダールから動き出さないのであれば、どこに陣地を構築しようと問題はないだろう。考慮しなければならないのは、巨鬼の接近ではなく魔王軍の襲来だった。魔王配下の皇魔のほとんどは蹴散らしたとはいえ、反魔王連合戦争という前例がある以上、皇魔が補充されることは予測してしかるべきなのだ。

「ザルワーンの守護龍とやらも、あれほどの代物だったのでしょうな」

 サラン=キルクレイドが、渋い表情でつぶやいた。本陣には、突撃軍の各部隊長が集まりつつあった。

「セツナ伯は、あんなのと戦っていたのかよ……」

 シーラは、呆然とつぶやくしかなかった。

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