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第六百六十話 魔ヶ津戦(六)

 文字が浮かんでいることに気づいたのは、いつだったのか。

 光り輝く神秘の文字は、まるで彼らを祝福するようにリネンダールの市街地に溢れ、世にも奇妙で美しい光景を作り出していた。

「なんだ、これは……?」

「文字……のようですが」

 ビュウ=ゴレットを始め、竜胆隊の隊員たちは、リネンダールに起きた異変に面食らったものの、その美しさに心を奪われるものも少なくなかった。恐怖や不安よりも安心感を覚えるのは、その光があまりに優しく、慈しむように輝いているからかもしれない。

 文字は、空中に浮かんでいるだけではない。地面にも流れ、壁や屋根、街灯にも溢れている。中には複雑な紋様を描いているように見える文字列もあったが、よくはわからない。どこからともなく出現し、どこへともなく消えていく無数の文字を見ていると、意識が遠のくような感覚に襲われた。

「これが罠か」

「でしょうな」

 とはいえ、この文字がなにを示すのかはビュウたちにはわからない。文字や紋様が浮かんでいるだけなのだ。これでは罠とも策ともいえないだろう。

「気をつけろよ、できるだけ文字には触れるな」

「触れたところで問題はなさそうですが」

「用心するに越したことはないさ」

 ビュウは、副隊長のバジルの体を透過する光文字を見つめながらいった。光の文字や紋様に触れても、人体に影響はないようだった。が、目に見えた影響がないだけなのかもしれず、自分から触れようとすることもないだろう。

 やがて、竜胆隊はリネンダールの中心部に辿り着いた。中心には、リネンダールの役所らしい権威的な建造物が聳え立っており、周囲には役所関連の建物が立ち並んでいる。ここに至るまでに視界を過る光の文字の数が増大しており、いまでは天を覆うほどに光が散乱していた。

「しかし……これはなんなんでしょう?」

 隊員が、困惑気味に問いかけてきたが、ビュウには首を横に振ることしかできない。

「さあな。魔王の考える事などわからんよ」

「……魔王の思惑ではないのだがな」

 突然割って入ってきた声に緊張が走った。低くもよく通る声だった。

「だれだ!」

 隊員のひとりが叫びながら剣を抜くと、ほかの隊員たちも次々と剣を抜いた。馬上、長柄の武器を装備しているものは少ない。

 声の主は、役所の出入口に立っていた。ただひとり、護衛もつけていないし、武器も持たなければ、防具らしい防具すら身につけていなかった。声からわかる通り、男だ。若くはないが、年齢を判別しにくい容姿の持ち主だった。

 超然とした目は、ビュウ=ゴレットの警戒心を喚起させたに過ぎないが。

「ようこそ、リネンダールへ。そしてさようなら、と綺麗に終わりたいところだったのだが……たったそれだけか。百人かそこらでは、餌にもならんではないか」

「二百人だ」

「訂正とは、律儀なものだ」

 相手は、感心したようでいてどうでも良さげな顔をした。事実、男にとっては実数などどうでもいいことなのだろう。餌にもならないという事実が覆るわけでもなさそうだった。

(餌だと?)

 引っかかったのは、そこだった。餌。皇魔の餌ということなのだろうが、だとすれば、皇魔をどこかに潜めているということにほかならない。つまり、男は、リネンダールが空っぽだと見せかけることで、連合軍の戦力をリネンダール内部に引き入れ、隙をついて皇魔に強襲させるつもりだった、ということなのかもしれない。

 憶測ばかりでは話にならないが、おそらくはそういうことだ。

 ビュウは、馬の手綱を捌きながら、男に近づいた。ある程度の間合いを保ちつつ、周囲の警戒も怠らない。視界を彩る緑の輝きが、ただ眩しい。

「……貴様はなにものだ? この状況を作り出した張本人か? これはなんだ? それに餌とはなんだ? なにを考えている?」

「質問が多いぞ」

 男は、やれやれと肩を竦めた。わざとらしい勿体ぶった挙措動作は、時間稼ぎのように思えたが。

「わたしはオリアス=リヴァイアだ。貴様も反クルセルク連合軍の一員ならば、名前くらいは聞いたことがあるのではないか?」

「魔王軍総司令……か」

「そんな大物がどうしてこんなところに?」

「連合軍が……思った以上に頑張ってくれたおかげで、わたしが出張る必要が出てきてしまったのだよ。ザルワーン地方がクルセルクの手に落ちれば、貴様らも苦しまずに終戦を迎えられたものを……余計なことをしたものだ」

「余計なことだと……! 皇魔を従え、人類に仇なす貴様らにいえたことか」

「そういった考えが愚かだというのだ。皇魔を使役することのなにが悪なのかね? 魔王は、使えるものを使っているに過ぎない。人間の兵を使うことと、皇魔の兵を使うことの違いとはなんだ? 人間を死地に追いやるのが良くて、皇魔を使役することが悪いのか?」

「皇魔は存在そのものが悪だ。皇魔の使役は、許容できない。それが人間の選択だ」

 ビュウは、腰に帯びていた剣を抜いた。妙に軽いのは、片手でも扱える代物だからだ。扱い慣れた剛剣は、ルベンの戦いで壊されたままだったし、代替品があったとしても馬上で扱えるような代物ではない。

 切っ先を向けたところで、オリアスは微動だにしなかった。剣が届く距離ではないことも無関係ではないのだろうが、彼は死ぬことを恐れてもいないのかもしれない。

「まったく、貴様らは聞く耳を持たないから愚かなのだ。が、貴様らの言い分もわからないではない。彼らも魔王という主柱を失えば、元の悪魔に戻るだけだろうからな。人間と皇魔が共存することなど、ありえないことだ」

「わかっているのならばなぜ、魔王に与した? 貴様ほどの実力があれば、ガンディアに降れば、要職は確約されただろうに」

 ビュウは、語気を強めたが、オリアスの表情に変化はない。

「ガンディアは……友の敵だからな」

「なに?」

「……くだらぬ話はここまでにしよう。時間もない。ウェイドリッドが落ちる前に、事を済ませたい」

「なんだと」

「ウェイドリットに戦力を集中させるという連合軍の戦術、実に正しい。だが、リネンダールにも戦力を差し向けたのは、少々失敗だったな」

「たった二百人を誘き寄せることができただけで随分嬉しそうだな」

「そうでもないさ」

 オリアスはなにがおかしいのか、小さく笑った。そして、彼は右に視線を送った。つられて見やると、軍馬の群れが、地を揺らしながらこの中心部に向かってきていた。メレド軍黒薔薇戦団の団旗が翻っている。蓮華隊だということは、先頭を進む兵の鎧でわかった。蓮華隊は、黒薔薇戦団の中でも奇抜な鎧で知られている。

「蓮華隊だと……馬鹿な」

 ビュウは、オリアスの動きに警戒しながらも、猛烈な勢いで近づいてくる蓮華隊の様子に驚きを隠せなかった。リネンダール内部の調査は、竜胆隊、いや、ビュウ=ゴレットに任されたはずだったのではなかったのか。

「竜胆隊! 無事か!」

 叫びながらビュウの近くで馬を止めたのは、蓮華隊の隊長であるセス=セヴスだった。切れ長の目が、兜の奥で輝いている。

「なぜ入ってきたんだ?」

「なぜもなにも、外からでも異常がわかったのだよ」

「だからといって」

「陛下が竜胆隊に脱出を促せと、仰られたのだ」

「陛下が……?」

(陛下が、そこまで仰ってくださるというのか? 俺に、生きろと)

 黒い噂の絶えないサリウスではあるが、彼ほど臣下想いの国王はいないのではないかと、ビュウは想っていた。ザルワーンの国主はいわずもがなだが、ガンディアの国王などよりも遥かに臣下国民に愛情を注いでいる。

「二百が四百に増えたところで大差はないが……まあ、わたしの命を捧げれば、足りなくもないかな」

 オリアスのつぶやきが引っかからないわけもなかったが、リネンダールからの脱出を優先するとあらば、黙殺しても構わないだろう。

「あの男は?」

「オリアス=リヴァイアだそうだ。魔王軍総司令のな」

「大物だな。討つか」

「ああ……!」

 ビュウは、同意とともに馬の腹を蹴った。軍馬が駈け出し、オリアスとの間の距離を瞬く間に縮めた。ビュウは剣を掲げている。オリアスの目がこちらを見ていた。無数の文字が視界に踊った。男が口を歪めた。なにかを口走った。声は聞こえたはずだが、奇怪な発音は、ビュウの耳に異音として刻まれた。

 オリアスの真横を駆け抜ける瞬間、ビュウは、無心で剣を振り抜いていた。手応えはあった。馬首を巡らせながら振り向くと、オリアスの頭が空中を舞っていた。赤黒い血が、緑に輝く世界に不協和音を落としていた。

「やりましたね! 隊長!」

「ああ、やったな。俺は、やった」

 ビュウは、部下の賞賛の声に浮かれる気にもなれなかった。オリアスの首が地面に落ちるころ、その肉体も地面にくずおれている。光が乱舞する世界で、石床を染める赤と黒だけが異質だった。刀身に付着した血漿も、この世界に紛れ込んだ異物に見えなくもない。

「魔王軍総司令を討つとは、大手柄も大手柄だな」

「なぜ手柄を譲ってくれたんだ?」

「命を賭して任務に赴いた君に敬意を表したまでだ」

 セス=セヴスは、事も無げにいってきた。功を争うのが常の戦場にあって、彼のような心ばえの持ち主はそういるものではないだろう。

「ありがとう」

「い、いや、気にするな。さっさと出よう。なにが起こるのかわかったものじゃない」

「……ということは、リネンダールは放棄するのか?」

「そうなるかもしれない。この状況ではな。とりあえず、ウェイドリッドの戦いが終わるまでは様子見だそうだ。獣姫は納得していないだろうがな」

「姫様らしい」

 シーラ姫がひとり憤慨する光景が想像できて、ビュウは、笑った。

「隊長……それ」

 不意に隊員が指し示したのは、ビュウの剣だった。

「ん? ああ、済まない」

 彼は、剣が抜き身であることを指摘されたと思ったのだが。

 よく見ると、刀身に付着した血液が、緑色に輝く文字に触れ、変質を始めていた。凝固しかけていた血液が融けだしたかと思うと、空気中に溶け出していく。いや、血液だけではない。刀身自体が虚空に溶けていく。鍔も、柄も、ビュウの右手を覆う手甲も、右手そのものも、跡形もなく消えていく。

 痛みもなければ、なんの感覚もなく、ただ虚空に溶けていく。

「なんだ――」

 彼の発した声も、虚空に溶けて、消えた。


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