第六百五十七話 魔ヶ津戦(三)
「そういえば、セツナがバラン将軍と遭遇したという話は聞いているな?」
レオンガンドが囁くように聞いてきたのは、リョハンの武装召喚師たちが敵陣に巨大な風穴を開けるのを待つ間だった。ガンディア決戦軍一万二千の軍勢が、ウェイドリッド西方の丘陵地帯に布陣している。ガンディア軍の損害を最小限に抑えるためとはいえ、リョハンの援軍に一任するのは気が引けたが、前方で繰り広げられる天災のような戦いを見る限り、通常戦力を投入するのは、彼らの足を引っ張るだけにすぎない、ということもわかりきっている。
ナーレスは、そんな中、せめて武装召喚師だけでも援護に向かわせるべきか考えていたのだが、レオンガンドの思いも寄らぬ問には応えなくてはならなかった。
「もちろんです」
バラン=ディアランは、ガンディアの先王シウスクラウドの全盛期、ガンディア軍において将軍の座についていた人物だ。シウスクラウド王が病に倒れた後、王位継承権を持つレオンガンドの暗愚が明らかになったことで国を離れたものは、少なくない。バラン=ディアランもそのひとりであり、彼が流浪の果て、ハスカに居場所を得たという話は、ナーレスがザルワーンにいるときに知った。
ハスカは、シウスクラウド時代のガンディアと比べても小さな国だったが、そんな国でありながらも、他国からの流れ者に対する偏見や圧力は少なかったらしく、バランはあっという間に将軍の座に上り詰めたということだった。ハスカとは当分関わることもない。その上、彼の人生にとやかく言う権利など、だれにもなかった。
しかし、彼が将軍を務めるハスカは、なにを思ったのか、ノックスやニウェールと連合を組み、クルセルクとの戦いを始めた。当時の情勢ならば、勝てると踏んだのかもしれないし、単純に皇魔を使役する国の存在を許せないという理由から戦争を始めたのかもしれない。いずれにせよ、反魔王連合とクルセルクの戦いは、大方の予想を裏切るように一方的なものとなった。ニウェール、ノックス、ハスカ、リジウルとつぎつぎと敗北し、クルセルクの支配下に組み込まれていった。兵のみならず、人民も多く死んだようだ。皇魔は、人間と見れば見境なく襲う。市街地に皇魔を解き放てば、住人に被害が及ぶのは当然のことだ。自然、天下は国々に同情を注ぐとともに、クルセルクを公然と非難した。
クルセルクの近隣国は、魔王の存在を危ぶむとともに手を取り合い始めた。ガンディアを盟主とする反クルセルク連合軍だけがクルセルクと対立しているわけではないのだ。もっとも、他の近隣国がこの戦争に乗っかってくるとは思えない。クルセルクの怒りに触れ、皇魔を差し向けられるのは御免だろう。
クルセルクにどれだけ自由に動かせる戦力が残っているのかはともかく、だ。
「ハスカ軍は全滅したと聞いていましたが、まさか将軍が生き延びていたとは驚きです」
「生き延びていたのはいいさ。問題は、彼がジベル突撃軍に接触し、ハスカの奪還を直訴したということだ」
「陛下に直訴すれば、断固として却下されると考えたのでは?」
「だろうな……彼の考えそうなことだ。彼はわたしを見くびり、ガンディアを見くびっているのだ。が、それはいい。個人の感情など、気にすることではない。疑問なのは、ハーマイン=セクトル将軍がハスカを奪還するための部隊を派遣したということだ」
現状、連合軍にハスカを奪還する道理もなければ、戦力を割く余裕もない。ハーマイン=セクトルほどの人物がそれをわからないはずもなく、彼がハスカの奪還に差し出した軍勢は、死神部隊の六人だけということだった。それにハスカの生き残りである二百名あまりが加わっているが、たったそれだけのことだ。ジベル突撃軍にしても、連合軍全体を見ても、大した痛手にはならないだろう、というのがハーマインの考えではあるのだろうが。
「戦力的な問題はありませんよ。ジベル突撃軍には《獅子の尾》がついています。《獅子の尾》さえあれば、皇魔の堅陣を突破するのは決して難しいことではないでしょう」
それに、ウェイドリッド砦にたどり着くのは、どちらか一方の軍勢で十分だった。一万の兵が砦内に攻めこむことができれば、砦内の四千を討つことは可能だ。もちろん、西と南からの同時攻撃のほうが効果的なのは間違いないが。
「そして、政治的な問題もない。魔王を討ち、クルセルクを平定するということは、ハスカを魔王の支配から解放すると同義だ」
(だからこそ厄介だと考えておられるのだ)
ナーレスは、レオンガンドの思慮深い横顔を見遣りながら、彼の思考を読み取ろうとした。レオンガンドのいったように、クルセルクの平定によってハスカの旧領の奪還はなる。が、もちろんそれは、バラン=ディアランの望む通りの結果にはならないだろう。戦後、連合軍参加国による領土の所有権争いが始まるだけであり、ハスカの国権が回復するということなどありえないのだ。だからこそ、バラン=ディアランは、ジベル突撃軍に領土奪還を願った。ジベル突撃軍が一度それを拒んだのは、左の理由からだ。いずれ連合軍所有の領土になるもののために、わざわざ戦力を割く道理がない。
しかし、ハーマインは考え直し、死神部隊を差し向けた。ハスカの都市のひとつでも取り戻そうというのだろうし、あわよくば戦争が終わるまでにハスカ旧領の大部分をジベルの色に染めたいと思っているに違いない。そうすれば、戦後の領土争奪戦でハスカを手に入れられる可能性が高くなる。
「連合軍としては問題だが……大義を掲げている以上、ハーマイン将軍の行動を非難することもできないな」
連合軍は、皇魔を使役する魔王を名指しで批判し、魔王を討ち、皇魔を打ち払うと明言しているのだ。そうである以上、ハーマインの行動を責めることは難しい。
ハーマイン=セクトルは、ハスカから魔王軍を追い払って欲しいという、バラン=ディアランの純粋な願いを聞き届けただけに過ぎない。しかも、彼がハスカに差し向けたのは、戦力とも呼べないような人数なのだ。
そんな彼を非難すれば、レオンガンドの器の小ささこそ批判されるだろう。ガンディアはいま、正念場にあるといってもいい。連合軍の盟主という立場を維持しながら国土を拡大していくには、評判も買っていかなければならないのだ。
目先のことだけに囚われていてはいけない。
「ハスカなど、ジベルにくれてやればよろしい」
不意に言い放ったのは、大将軍アルガザードだった。
「いまは、目の前の敵に集中するべきです」
大将軍が、長柄戦斧を掲げた。切っ先が指し示すのは、武装召喚師たちの活躍によって、ウェイドリッドへの血路が切り開かれたという事実だ。爆発や閃光、轟音は、連続的に続いている。五千ほどの皇魔が展開していたのだ。短時間で決着がつくはずもない。
(だが、思ったよりも早く道ができたな)
ナーレスは、武装召喚師の価値をさらに改める必要があると思った。もっとも、リョハンの戦女神や四大天侍、黒き矛のセツナのような武装召喚師は、そう見つかるものではない。一般的な武装召喚師は、《獅子の尾》の武装召喚師たちよりも劣る水準なのだ。
「ウェイドリッドさえ落とさば、ハーマイン将軍を問い質すこともできましょう。もっとも、問い質す必要もありませんが」
「ふむ。大将軍のいう通りだな」
レオンガンドが快活に笑ったのは、アルガザードに諌められたことが嬉しいからかもしれなかった。
紫電の矢がブリークの顔面に突き刺さった瞬間、閃光が走って小さな爆発を起こした。
異形の化け物の頭部が四散したかと思うと、背部の突起で集めていた電光が飛び散り、周囲の皇魔が悲鳴を上げた。そこへさらに雷撃が雨のように降り注ぎ、皇魔の小隊が瞬く間に壊滅状態に陥っていく。
ファリア・ベルファリア=アスラリアの召喚武装オーロラストームは、いままさに猛威を振るっていた。弓とも呼べないような異形の兵器だ。翼を広げた怪鳥とでもいうべきか。その形状は、召喚武装の中でも独特といってもいいものらしく、翼を形成する無数の結晶体が電光を帯びて輝く様は、神秘的としかいいようがなかった。
「うーん、絶好調!」
「まだまだよ」
ミリュウ=リバイエンの呼びかけに対し、ファリアの反応は素っ気ない。ファリアらしさが息を潜めてしまったような印象を覚えるものの、そもそも、彼女を詳しく知らないレムには、らしさというものもわかっていないのかもしれなかった。自分らしささえ見失っているのがレムなのだ。他人のことなど、わかるはずもない。
自嘲するでもなく、レムは、仮面の奥で笑った。黒獅子の面を被った彼女には、戦場の風景がよく見えていた。ドラド湿原の半ば凍りついた地面を歩きながら、湿原全体を戦場としてしまった《獅子の尾》の連中に呆れるばかりだった。戦場を拡大させたのは、突出しがちな男のせいだったし、空を自由に飛び回る男のせいでもあった。
セツナ・ラーズ=エンジュールは、いまやどこで戦っているのか探すことすら面倒だった。血を媒介とする転移能力は消耗の激しさ故、あまり使ってはいないようだったが、砦の南門近くまで突出してしまった彼を追いかけるのは不可能に近かった。なにより、皇魔の存在がセツナへの追従を阻むのだ。
セツナが敵陣深くに切り込んでいくことに問題はないし、ルウファ・ゼノン=バルガザールが持ち前の召喚武装で空中戦を繰り広げるのも悪いことではない。だが、全員が全員、ばらばらになって戦っては、敵の注意を本隊から逸らすという役目を果たせなくなるのではないのか。
レムは、自由奔放な《獅子の尾》の面々の戦い方に面食らいながらも、自分だけでも役目を果たそうとしていた。
「とにかく!」
「なに?」
「ウェイドリッドへの道を作ればいいだけなんでしょ!」
「そうよ。頑張って」
「なんでそう他人事なのよ!」
「わたしもやるわよ」
などといいながら、ファリアは、淡々と、雪煙を立てながら迫り来る皇魔を雷の矢で射殺していく。ミリュウもミリュウで、よくわからない召喚武装を振り回しながら、レスベルやリョットといった皇魔を相手に武装召喚師の実力を見せつけるが如く戦っている。
「あんたも頑張んなさいよ!」
「わかっておりましてよ、ミリュウ様」
レムは、適当に返答して、その場から飛び離れた。右後方から飛来した雷球が凍った地面に激突し、炸裂する。ブリークの仕業だろうが、後方に目を向けたときには、死体に変わっていた。“死神”の手刀が小型皇魔の胴体を貫いている。
(あたしは死神。死神壱号。レム・ワウ=マーロウ。それ以外の何者でもない)
自律行動を取る“死神”を遠目に見遣りながら、彼女は自分というものを再確認した。そうでもしなければ、自分がなにものなのか忘れてしまうかもしれない。
彼女の中でセツナという少年の存在が日に日に大きくなっているという事実は、否定しようがなかった。