第六百五十六話 魔ヶ津戦(ニ)
「ぼくらは皇魔の相手だけをしていればいいんだよね?」
マリク=マジクが、周囲を見回しながら、まるで他人事のようにいった。突き放したような、どうでもよさげな言動こそ、彼が彼である所以なのかもしれない。そして、彼の背後に浮遊する色とりどりの七本の剣が、彼の武装召喚師としての実力を否応なく見せつけている。
エレメンタルセブンと総称される。炎魔、水霊、風精、土公、雷獣、光竜、闇神と名付けられた七本の剣は、それぞれが独立した召喚武装でありながら、マリク特製の術式によって一度に召喚することができた。彼が独自に研究し、開発した術式は、他のだれにも真似のできない代物であり、戦女神さえ感嘆の声を上げたものだ。
力量差は歴然としているのだが、妬心を抱かずに済むのは、その差というものが最初からわかっていたものだったからだろう。あまりにもはっきりとしすぎていて、呆然とするしかないのだ。
彼だけが、別世界の住人のような才能を持っていた。
「そうだ。皇魔の討伐だけが、我々の任務。それ以外のことはする必要はない。そして、皇魔討伐に力を抜く必要もありません。皇魔との戦闘に巻き込まれたものがいたとすれば、それは巻き込まれたものが悪い」
「全力で戦っていいってことか」
「張り切りすぎて暴走しないように」
シヴィル=ソードウィンがマリクを一瞥した。四大天侍の長たる彼が身につけた黄金の長衣も、強力な召喚武装だ。
ローブゴールド。質量を無視して形状を自在に変化させることのできる長衣は、攻防一体の武装であり、四大天侍の長と仰ぐに相応しい力を秘めている。
「爆乳ディーじゃあるまいし」
「だれが爆乳ディーだ、だれが」
「マリクは前方、カートは左、ニュウは右を。わたしはここで相手の出方を見る」
シヴィルの指示にマリク、カート=タリスマがうなずく。ニュウ=ディーも目で同意すると、彼女は自身の召喚武装を再確認した。
ブレスブレス。銀で作られたような腕輪であり、表面に無数の文字が刻印されている。両腕に装着しているものの、能力強化の恩恵は召喚武装をひとつ身につけているのと同じようなものだ。二個一対の召喚武装の特徴である。一方、マリクのエレメンタルセブンは、ひとつの術式で七つの召喚武装を召喚しているため、彼の能力は、ニュウと比較にならないほど強化されている。
ブレスブレスの能力は、精神力を消費して光弾や光波を発生させるというものであり、破壊力、攻撃範囲ともに四大天侍の名に恥じないものだ。
四大天侍で随一の無口を誇るカート=タリスマは、その細身に似合わない両刃の戦斧を担いでいる。ホワイトブレイズと名付けられた戦斧は、戦斧そのものもさることながら、傷口から凍りつかせてしまうという能力も優れものだ。
「わたしはどうしましょう?」
「大ファリア様は、遊撃を」
「戦女神が遊撃とは、随分と豪勢ですね」
戦女神ことファリア=バルディッシュが口に手を当てて笑った。天流衣と閃刀・昴というふたつの召喚武装を身につけている。天流衣は補助的な意味で装備しているのだろうが、閃刀・昴は彼女が全力で戦うつもりであることを示している。近くの戦場に孫娘がいるという事実が、戦女神のやる気に繋がっていたとしても不思議には思わない。
ファリア=バルディッシュは、ファリア・ベルファリア=アスラリアを心の底から愛していた。それはニュウ=ディーも同じなのだが、血縁と赤の他人とではその深さは違うだろう。
「閃刀・昴は一対一に特化された武装。有象無象を相手にするには、一対多を得意とする我々のほうがよいのではないかと」
「ええ、もちろんわかっていますよ。シヴィルのいうようにいたします」
「恐縮です」
シヴィル=ソードウィンがそういうと、完全戦闘装備の老女は再び微笑んだ。衰えを感じさせない笑みは、無愛想なカートからも微笑を引き出すことができた。
「シヴィルちゃんの健気さには応えなくてはね」
「はあ……」
「あはは、眼鏡天侍も戦女神の奔放さには型なしだね」
マリクが大笑いすると、シヴィルがわざとらしく咳払いをした。
「さっさと始めたまえ。敵はとっくに動き出しているぞ」
シヴィルにいわれなくとも、四大天侍たちは現状を把握しきっていた。
召喚武装を手にしていることによって強化された五感は、戦場の光景を脳裏に投影してくれるものだ。
戦女神と四大天侍は、いま、ウェイドリッド砦の西側に広がるなだらかな丘陵地帯にいる。一面が雪景色であり、山河もなにもかも凍りついているかのような寒々しさがある。乾燥した空気は凍てつき、風は暴力的な冷気を伴って吹き抜けていく。空は晴れていたが、雪が溶け切るまでには時間がかかりそうだった。
敵は、五千程度の皇魔だ。ウェイドリッド砦周辺には一万もの皇魔が集結しているというのだが、西側に布陣しているのはその半数ほどだという。半数、つまり五千ほどが、小隊を組み、この雪の丘陵地帯に散在している。
ガンディア決戦軍は、皇魔との戦闘はニュウたちに任せきるつもりのようだった。彼らの目的は、ウェイドリッド砦の制圧であり、皇魔の撃滅ではないのだ。そして、皇魔には常人主体の軍勢ではなく、武装召喚師たちをぶつけるというのは理に適った戦術ではある。
(だとしても、援護くらいはしてほしいものね)
ガンディア決戦軍に随伴している《大陸召喚師協会》の武装召喚師たちでさえこちらに寄越さないのは、どういう了見なのか。問い質したいところだったが、ファリア=バルディッシュが了承したことにとやかくいうこともないと思い直した。戦女神は、この程度の皇魔を蹴散らすだけならば、自分たちだけで十分だと認識したに違いなかった。
「さあて、やりますか」
「マリクちゃん、カートちゃん、ニュウちゃん、頑張ってね」
背後から聞こえてきたのは、どこか場違いな、のほほんとした声ではあったが。
「はいいいい!」
大召喚師に背中を押されたとあらば、全力を出すしかない。元よりそのつもりではあったが、余計に力が入った。雪の丘を右手に駆け出しながら、敵の動きを確認する。皇魔の小隊が複数、雪をかき分けながらこちらに向かって進行中だった。そのうち、飛行型の皇魔が突出してくるのがわかる。
シフだ。
それも複数体、左前方から接近してきている。ニュウは左手の腕輪を起動させると、すぐさま掲げた。陽光を跳ね返す銀の翼を目視した瞬間、撃ち放つ。手の先で光の球が膨れ上がったかと思うと、飛来するシフの群れに向かって収束していった。空中で爆発が起き、大気が震えた。光波を逃れたシフが滑空してくるが、それには右手で対応する。右手の先から放たれた光弾がシフの頭を貫き、爆散した。
そうする間にも、視界に皇魔の群れが飛び込んできている。
「数だけは多いわね」
軽く精神疲労を覚えながら、ニュウは口の端を釣り上げた。
「相変わらず、威力も精度も範囲も半端ないね、爆乳ディーはさ」
マリク=マジクは、右後方で始まったニュウ=ディーの戦いを見遣りながら、そんな感想を漏らした。左後方でも、カート=タリスマの戦いが始まっている。両刃の戦斧を軽々と振り回す戦いは、見とれるほどに研ぎ澄まされたものだ。
しかし、敵の数は、決して少なくはない。いかに四大天侍といえども、苦戦を強いられるだろう。だが、カートには大ファリアが援護に向かうだろうし、ニュウのほうにはシヴィルが救援に向かうはずだ。それなら最初から二人一組になればいいと思うのだが、シヴィルは、ニュウとカートの自尊心を考えて、このような方法をとったのだろう。
四大天侍としての今後を考えれば、ふたりの自尊心を傷つけたくはないと思ったとしても無理は無い。
「人間ってのは、本当に馬鹿ばっかりでさ。くだらない自尊心やどうでもいい誇りとか、そんなことで悩まなくちゃならないらしい。苦しまなくちゃならないらしいよ」
マリクは、だれとはなしにそんな言葉を浮かべた。前方の皇魔の小隊が、じりじりと距離を詰めてきている。包囲されるのも時間の問題だろう。だが、そんなことが問題になるはずもない。
「ぼくにはわからないんだけどさ」
左前方から雪煙を上げながら、なにかが突進してくるのが見えた。なだらかな丘陵を駆け下りてきている。ぶつかればひとたまりもない。いかに武装召喚師が強力であっても、人間と同じ生物であることに違いはないのだ。召喚武装を手にしたところで、肉体の強度が上がるわけではない。
「でもまあ、人間らしさなんてとうの昔に捨てたから、どうでもいいんだけど」
爆走してくるのは三体のブフマッツだった。鋼鉄の軍馬とも呼ばれる皇魔だ。鋼鉄の外皮に覆われており、通常兵器では傷つけることも難しい。
(いや)
マリクは即座に認識を改めた。迫り来るのは、ブフマッツだけではなかった。ブフマッツが巻き上げる雪煙に隠れるようにして、グレスベルを乗せたブラテールが追従している。それに、右前方の上空からはシフの群れが飛来してきている。前方にはギャブレイトの巨躯が見えた。
「ぼくらも踊ろうか」
マリクは、左手を振り翳した。エレメンタルセブンの一、炎魔が轟音とともに熱波を発したかと思うと、ブフマッツの集団に向かって飛んでいく。続けて右手で虚空を撫でると、エレメンタルセブンのひとつである雷獣が吼えた。電光石火の早さで飛翔し、シフの胴体に突き刺さった。電撃が拡散するのを見届けず、彼はさらに左手を前方に掲げた。
人差し指で、ギャブレイトを指し示す。つぎの瞬間、風精が高速で回転し、うなりを上げながら、ギャブレイトの元へと殺到した。小さな竜巻が発生し、周囲の雪を巻き上げて吹雪を起こす。爆音が響いた。炎魔がブフマッツを爆破したのだ。
見やると、もうもうと立ち込める爆煙の中から、五体のブラテールが姿を見せた。外殻を破壊され、ところどころ血を吹き出しながら、それでもマリクへの攻撃をやめようとはしない。
「君らも大変だね。死ぬまで人間を殺さずにはいられないんだから」
マリクは、冷笑すると、右手の中指と親指を弾いた。
炎魔の爆発光が、彼の視界をも白く染め上げた。