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第六百四十三話 三魔将


「全軍撤退か。らしからぬ失態だな、ベルク将軍」

「失態もなにも、敵戦力を甘く見たのが敗因でしょう。俺だけに責任を押し付けられても困るよ」

 ベルク将軍と呼ばれた皇魔は、廊下の壁に凭れるリュウフブスの紅い目を見つめた。広い廊下だ。光沢のある床と壁は、毎日のように磨かれているからだろう。

 リュウフブスという種族名もまた、ベルクの種族名ウィレドと同じく、人間が勝手に名づけたものだ。しかし、大陸共通言語を駆使する以上、人間がつけた名称を使うのも仕方のないことだ。郷に入れば郷に従え、というほどのことでもないが。

 そもそも、自分たちの種族名は、人間の言葉では言い表せないものである。皇魔は本来、意思疎通のために言語を必要としなかったからだが、この世界で、魔王の配下として生きていく上で言語は必要不可欠だった。

「魔王軍最高司令官殿を侮るか。さすがは三魔将の一翼を担う方だ」

 相手のリュウフブスは、その賢しい顔になんの感情も浮かべなかった。

 リュウフブス。リュウディースと源流を同じにする種族だ。身体的特徴は、人間に似た部分が多いが、蒼白の肌と真っ白な髪はこの世界の人間に似ているとは言い難い。他の皇魔同様、落ち窪んだ眼孔からは紅い光が漏れている。眼球はなく、そういう意味でも人間とは大きく異っているが、それはウィレドも同じことだ。

 ウィレドも、人間と同じ四肢を持つ生物である。しかし、暗紅色の外皮に覆われた外見は、人間から見れば醜悪極まりないものらしく、悪魔的でさえあるという。そして、背中から生えた一対の翼が、悪魔的な印象に拍車をかけている、らしい。

「翼のおかげで、ここまで逃げ帰ってこられましたとも。あなたにはできないことだろうね」

 彼は、右の翼を軽く広げて見せた。飛膜に浮かぶ紋様は、彼の血統を示している。

「わたしなら、逃げ帰ってくることもなかったがね」

 リュウフブスが、鼻で笑った。自負の塊のような顔つきは、彼の本質そのものなのかもしれない。名はメリオルという。三魔将のひとりであり、魔王の親衛とでもいうべき鬼哭衆を束ねる立場にあり、ベルクの率いる魔天衆、もうひとりの将軍が率いる覇獄衆とは反目しあっている。

 つまるところ、魔王軍もまた、一枚岩ではないのだ。

「ほう。偉い自信だ。さすがは王でありながら魔王に降ったお方はいうことが違いますなあ」

「なんとでもいうがいい。わたしはおまえとは違う」

「ええ、違いますとも」

 ベルクは小さく肩を竦めた。メリオルと言い争ったところで、なにも得るものはない。そんな当たり前のことを再確認してしまった自分に呆れる想いがした。

 彼はいま、クルセルク領リネンダールにいた。リネンダールは、クルセルクにおける最大の都市といっても過言ではない。かつては首都クルセール以上に栄えていたといい、その面影がいまもなお色濃く残っている。

 リネンダールが繁栄したのは、クルセルクにおける交通の要衝だったからだ。クルセルクのすべての道は、リネンダールに通じている。リネンダールはクルセルクの交差点である、ともいわれており、リネンダールの防備を固めるのは、戦略的にも正しい判断のようだ。

 もっとも、戦略のせの字も知らないベルクには、なにがなんだかわからないことだし、飛行能力を持つウィレドに交通の要衝がどうだとかいう話をされても困るというものだったが、ともかく、この都市を守らなければならないということだけはわかっていた。だから、ガンディア領土からここまで休むことなく飛び続けてきたのだ。

 その道中、クルセルクのいくつかの都市が、連合軍によって制圧されていることも確認している。ランシード、ゴードヴァン、セイドロック。連合軍領土に近い三つの都市がほぼ同時期に陥落したということは、敵に完全に出し抜かれたという証明だろう。

 そしてそれは反クルセルク連合軍との緒戦が、クルセルク側の大敗に終わったということでもある。

 ベルクは、メリオルの前を通り抜けると、奥の部屋に向かった。リネンダールは、最重要拠点ということもあり、軍事施設も充実している。当然、作戦司令本部も存在しており、リネンダールのほとんど中心に聳える堅牢な建物がそれだった。

 ベルクがいま歩いているのも、作戦司令本部の通路であり、本来ならば皇魔など立ち入れる場所ではなかった。魔都こそ皇魔が闊歩することを実験的に許されてはいるが、他の都市内に侵入することは許されていなかった。

 魔王は、国民感情を考えなくてはならない。皇魔を支配できる魔王も、人間の心まで支配することはできないのだ。恐怖の王として君臨するつもりのない魔王にとって、人心を慰撫し、掌握することは重要な事なのだ。たとえそれが皇魔の心を踏み躙るものだとあったとしても、だ。

 メリオルにはそれが気に喰わないようなのだが、ベルクにとってはどうでもいいことだ。彼には、安息さえあればそれでよかった。

 通路の突き当りに、作戦司令室に通じる扉がある。扉の隣に、一体のベスベルが立っていた。胸の前で腕組みをする鎧武者には、動かしがたい風格がある。人間が命名したベスベルという種族名は、青い肌の鬼という程度の意味らしい。群青の装甲染みた外皮に覆われた人型の怪物に相応しい名称といえるのかもしれない。

「……見苦しいことだ」

 低く重い声は、彼の外見に通じるところがあった。ハ・イスル・ギ。覇獄衆を束ねる立場にある、三魔将のひとりだ。三魔将でも一番の武闘派であるが、それはベスベルの種族的性格によるところが大きいのかもしれない。

「そいつはどうも」

「ふん。軍人ならば、言い訳などするべきではないといっているのだ」

「俺は軍人なんかじゃあありゃあしませんぜ、イスルの旦那。ただの化け物さ」

「……貴様の口はあまりに軽い。なぜ、貴様のようなものが将軍になれたのか」

「能力主義者ですからねえ、陛下は。実直な無能者よりも、不真面目な有能者を選んだだけでしょう」

 ベルクはそういったものの、必ずしも自分でいったことを信じているわけではない。彼は、将軍同士でいがみ合っていてもなんの意味もないと思っているのだ。くだらない言い争いをしている暇があるのなら、連合軍に対抗する手段を考えるべきだ。

 もっとも、戦術を練るのは将軍たちの仕事ではないし、彼らにできることといえば、戦場に出て、敵兵を殺戮することくらいのものなのだが。

「だとすれば、陛下の目は曇っていた、ということになるが?」

「陛下を愚弄すると、あなたの部下が怒るんじゃないですかねえ」

「ミトラか……あの娘の陛下好きにも困ったものだよ」

「困ることもないでしょうに」

「……そうかもしれんな」

 ハ・イスル・ギの真横を擦り抜けるようにして、彼は作戦司令室の扉を開いた。人間らしい礼儀など知ったことではなかった。人間ではないのだ。人間らしく振る舞う必要はあるまい。

 作戦司令室の広い空間には、魔王軍総司令官オリアス=リヴァイアがただひとり、ぽつりと佇んでいた。司令室に取り揃えられた調度品の数々は高級なものらしいのだが、人間的な感覚を持っていないベルクにはなにが高級でなにが低級なのかまったくわからなかったし、理解する気もなかった。

「話は聞いたよ、将軍。だが、気にすることはない。相手の戦力が、こちらの予想をはるかに上回った、ただそれだけのことだ」

「はあ……」

 ベルクは、オリアス=リヴァイアの目に見据えられながら、生返事を浮かべた。オリアスが至極冷静なのが不思議でならなかったのだ。彼が取り乱している様も思いつかないのだが、かといって、敗戦につぐ敗戦の報告を聞いて、ここまで平然としていられるものなのだろうか。

 皇魔であるメリオルやハ・イスル・ギさえ、冷静さを欠いているこの状況にあって、非力な人間に過ぎないオリアスが威厳を保っていられるのは、奇妙なことのように思えてならなかった。無論、ベルクは彼を見下しているわけではない。数少ない尊敬できる人間のひとりとして見ているし、心から敬服している。

 オリアスは、ベルクたち皇魔に大陸共通言語と武装召喚術を叩き込んだ人物なのだ。

「マルウェール攻略及びガンディア領土制圧には、覇獄衆のみならず、魔天衆、鬼哭衆から選りすぐりの精鋭を投入していた。第一次、第二次合わせて三万の皇魔を派遣したのだ。それだけの戦力を投入すれば、ガンディア全土の制圧など時間の問題だ――わたしもそう思っていたのだがね」

「人間を侮ったわけでもないんですが」

「当たり前だ。相手が通常人だけならばまだしも、ガンディア軍は近隣国に先駆けて武装召喚師の登用に積極的な国なのだ。我が国と戦うことを決めた以上、さらなる武装召喚師の獲得に乗り出している可能性もあった。侮ることなどできんよ」

「だから、覇獄衆の武装召喚師たちも投入したんすね。それで負けたんだもん。イスル将軍が怒るのも無理はないかあ」

「……彼は怒っていたか」

「ええ、まあ。当たり散らされましたよ、俺」

「将軍はいつも損な役回りをしているな」

「気にしちゃあいませんよ。些細な事だ」

 ベルクは、大袈裟に肩を竦めて見せた。権力闘争や派閥争いといった人間臭い行いが、魔王配下の皇魔の間にも広がり始めていることに懸念こそ抱いているものの、だからといってなにか行動を起こそうという気にもなれなかった。皇魔らしく、怪物らしくあろうとすればするほど、人間染みた化け物になってしまうものだ。

 魔王の影響を色濃く受けた皇魔は、本来の在り方など忘れてしまうものらしい。

「さて、問題は、どう挽回するかだが……緒戦を落としただけ、とはいえ、覇獄衆は半減、鬼哭衆、魔天衆も損害が大きい。陛下に進言したものの、兵力の補充には時間がかかる。正規軍と皇魔軍の共同戦線などありうるものではないしな」

 陸戦部隊である覇獄衆は、皇魔軍の中で最大の勢力を誇っている。つぎに魔天衆が多く、鬼哭衆は魔王親衛という性格からか、他ふたつの軍団に比べれば少ない。もっとも、それは単純に鬼哭衆を構成するリュウディースとリュウフブスの絶対数が少ないからであり、鬼哭衆が優遇されていないという話ではない。

 魔王親衛とは、魔王とその寵姫の身辺を警護することであり、引いては魔都クルセールの防衛も鬼哭衆の役割となっている。

「敵はセイドロック、ゴードヴァン、ランシードを落として勢いに乗っている。敵はおそらく、ウェイドリッド砦に戦力を集中させるだろう。ランシードを落とした部隊がゼノキス要塞を攻撃する可能性も少なくないが……あの程度の戦力で落ちる要塞ではない。それは敵も理解しているだろう」

「では、こちらもウェイドリッドに戦力を集める、と?」

「いや、将軍らにはゼノキス要塞に下がってもらう。ウェイドリッドは捨て置くさ」

「なんでまた?」

「餌は、ひとつだけでは食いつきも悪かろう」

 オリアスは、冷ややかに目を細めたが、ベルクには彼がいっていることがまったく理解できなかった。

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