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第六百四十二話 勝声

 皇魔が戦場を離れ始めたのは、いつごろからだっただろう。

 ガンディア決戦軍による包囲網はとっくに崩壊していたため、皇魔の撤退を遮る術はなかった。皇魔たちは、瀕死の人間を視界に収めても手を出すこともなく、北東に向かって走り去っていく。北東、つまりクルセルクの領土に帰還するつもりなのだ。

 皇魔たちに撤退命令が出たに違いない。

 違いないのだが、指揮官らしきものの姿が見当たらないこともあり、ガンディア軍の将兵は、すぐには信じなかった。撤退する振りをしているのではないか。そういう疑いを抱いたのも無理はなかった。

 魔王軍の皇魔は、狡猾だった。隊伍を成し、陣形を構築し、戦術を駆使する。まるで人間の軍隊のような動きを見せる皇魔が、一目散に撤退することなどありうるだろうか。

 緊張が、ガンディア決戦軍の将兵の間に走った。

 魔王軍の撤退が真実だということがわかったのは、マルウェールの攻囲が解かれ始めたという報告が入ってからだった。

「追撃しますか?」

「いや……その必要はないでしょう。一先ずの目標は達成したのです。これ以上戦っても、こちらの損害を増やすだけですよ。自軍の損害は少ないに越したことはありませんから」

「は。では、いますぐ全軍に停戦命令を」

「ああ、そうしてください」

 ナーレス=ラグナホルンは、伝令兵たちが馬に乗って走り去るのを見届けると、ようやく安堵の息を吐いた。

 ザルワーン方面を舞台にした戦いは、一応の決着を見たのだ。大量の皇魔が屍となってザルワーンの大地に横たわり、血と死の臭いが冷風に運ばれて、戦場からやや離れた場所にいるナーレスたちの嗅覚をも刺激した。血を流し、倒れたのはなにも皇魔だけではない。ガンディア軍の正規兵や、傭兵、《大陸召喚師協会》の武装召喚師たちも、死んだ。

 正確な死者の数は不明だが、四千はくだらないだろう。開戦当初の兵数はおよそ一万八千であり、そこから四千も減ったのは痛いどころの話ではない。通常の戦争ならば、痛み分けもいいところだ。いや、それだけの死者が出れば、負けたも同じといったほうがいい。

 だが、ナーレスは、敗北したとは思っていなかった。これはクルセルクとの大戦争の緒戦であり、この戦いですべてが決するわけではないからだ。そして、ガンディア決戦軍と銘打った軍勢の目的は、敵主力のガンディア領土への誘引であり、連合軍別働隊の都市攻略の成功率を少しでも上げることだった。

 そのための出血がこの程度で済んだというのは、むしろ喜ばしいことなのかもしれない。

「我らの勝利、といったところかな」

 レオンガンドは、遠い目で戦場を眺めながら、いってきた。彼は、全軍を鼓舞するため、最前線まで行く気でいたのだが、皇魔が合流し、敵が増大してからは、ナーレスたちの指示に従うようになった。さすがに、護衛のいない状態で突出するのは危険だと理解したのだろう。

「まあ、そうなります。決して褒められた戦果ではありませんが」

「勝利は勝利だ。確かに、多大な犠牲を払ったものの、これ以上の戦果を求めることはできないだろうさ」

「それはそうかもしれませんが。軍師と名乗るからには、最善かつ最良の結果を求めたいものなのですよ」

「そういうものかな」

(とはいえ……最悪の事態に至らなかっただけ、マシというものか)

 ナーレスは、レオンガンドの横顔を見てから、再び戦場に視線を戻した。

 勝利とは程遠い空気感が、ザルワーンの大地を圧迫している。生き残ったものも、勝ったのかどうかすらわからぬまま、戦場から離脱する皇魔の群れを眺めていた。

 死傷者が数え切れないほどに出たこともあるが、勝利にもっとも貢献したのが、結局のところ、他所からきた援軍だから、ということもあるのかもしれない。それでは、戦った実感はあっても、苦戦した実感はあっても、仲間を失ったという実感はあっても、勝利を勝ち取ったという実感が湧くはずもない。

「しかし、さすがはリョハンの戦女神と四大天侍、といったところですね」

「大ファリア様にせよ、四大天侍にせよ、武装召喚術の総本山ともいえるリョハンで鍛えあげられた武装召喚師の中でも、選りすぐりの方々ですから。まあ、それにしても強すぎだと思わないこともないですよ」

 クオール=イーゼンは、ナーレスの言葉に対して、少しばかり苦しそうな顔でいった。彼もまた、リョハンの武装召喚師のひとりであり、もっとも重要な人物でもある。

 数ヶ月前、エンジュールで休暇中のセツナたちの前に現れた彼が、ガンディアとリョハンを結ぶ架け橋となってくれたことがきっかけとなり、此度の戦争に協力を要請する運びとなったのだ。彼がいなければ、いくらナーレスといえど、リョハンにまで協力を頼むなどというだいそれたことはしなかっただろう。したとして、周辺国の《協会》支局に問い合わせ、武装召喚師をかき集めるくらいだったに違いない。

「確かに……強すぎる」

 ナーレスは、クオールの言葉を反芻するようにいった。リョハンからの救援は、たった五人の武装召喚師に過ぎない。しかし、その五人が、ひとりひとり規格外の実力を備えた人物であり、皇魔の充満した大地を瞬く間に死体で埋め尽くしていった。

 戦場を蹂躙する皇魔を蹂躙する武装召喚師たち。

 敵を蹴散らす五人の出現は、ガンディア決戦軍の士気を否応なく高めた。逆に、皇魔たちは陣形を乱し、隊伍を崩し、戦術も見失い、混乱を極めた。勝機が生まれた。ガンディア方面軍、ログナー方面軍、ザルワーン方面軍に傭兵たちも、勝機を確かなものとするために力を尽くした。戦いの烈しさは筆舌に尽くしがたいものとなった。

 敵は数多に死んだが、味方も多く死んだ。

 仕方のないことだと割り切ったところで、死んだ人間は帰っては来ないのだ。多くの兵が死んだ。道半ば、夢半ばで、命を散らせていった。勝利のための犠牲。しかし、今後の戦いに負ければ、すべて犬死にとなる。

 勝ち続けなければならない。

(途方も無いことだな。だが、やらねばならん)

 でなければ、自分の存在意義も消えてなくなる。

 部下に命令を発しながら、ナーレスは、ふと、そんなことを考えていた。



「軍団長、て、敵がっ、皇魔が包囲を解いていきます!」

「なにっ、本当かっ!?」

 部下からの報せに、ミルディは飛び起きた。疲労は多少回復していたが、まだ完全な状態とはいえなかった。皇魔から剥ぎ取った召喚武装の能力を使いすぎたせいだと、カイン=ヴィーヴルは呆れていたが、ミルディは使いたくて使いまくったわけではない。銀の甲冑の能力は、無意識に発動することがままあったのだ。

 故に、ミルディの精神力が無駄に削られ、戦線から離脱する必要に迫られたのだ。副長ケイオンや、第二軍団長ユーラ=リバイエンの勧めもあったし、なにより、マルウェールを巡る戦いが膠着状態に陥っていたことが、彼の休息を後押しした。

 マルウェールを包囲する皇魔たちが攻撃の手を休めてから、どれほどの時間が経過したのだろう。少なくとも、二、三時間は経っているに違いなかった。市街地の仮設作戦本部を飛び出したときに見えた空が、やや赤みがかっていた。

 マルウェールの市街地には、当然、市民の姿はない。ザルワーン方面軍第二軍団の兵士の姿が確認されるくらいだ。市街地でも城壁付近では皇魔との戦闘もあったのだが、市街地の家屋や建築物に被害は見受けられなかった。

 部下に先導されるまま城壁に向かい、階段を登ると、途中で仮面の武装召喚師が女とともに休んでいた。

「やあ、おふたりで休憩中?」

「終わったからな」

 仮面の穴から覗く瞳には、疲れが見えていた。彼は常に戦場にあり、召喚武装を維持し続けていたのだ。疲労も半端ではないだろう。ミルディほどの戦士が数時間足らずで消耗し尽くすのが、召喚武装という代物なのだ。一人前の武装召喚師になるためには、人生を捧げなければならないほどの修練が必要だという話も、あながち誇張ではなさそうだった。

「勝った、ってことかい?」

「そういうことだ。少なくとも、負けてはいない」

「負けてたら、あんたと話せてないよ」

 ミルディは笑って、ふたりの前を通り過ぎた。

 城壁上に到達すると、浮かれる兵士たちの姿が目についた。報告とカインのいう通り、戦闘が終わったということなのだろう。そのうちミルディの姿に気づいた兵士が敬礼してきたので、彼は軽く手を上げて応えた。

 それから、副長のケイオン=オードの隣まで足を運び、倒壊した第一城壁を見やる。皇魔が陣取っていた場所には、化け物の姿は一切なく、廃墟のような無残な光景だけがあった。その瓦礫と堀を挟んだ向こう側を、皇魔の大群が脇目もふらず通り過ぎていく。

 マルウェールを包囲していた軍勢だけではなく、ガンディア領土に侵攻してきたクルセルク軍の全部隊が撤退しているのかもしれない。

「ケイオン君、様子はどうだね?」

「とりあえず、緒戦は勝利したようですよ。軍団長こそ、お加減はいかがです?」

「俺のことはいいさ。ちょっと調子に乗りすぎただけだからね」

「ま、似合わないことはするものではないということです」

「その通りだな」

 ケイオンの歯に衣着せぬ物言いに、ミルディは、渋い顔になった。


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