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第六百四十話 黒禍(四)

 敵は、殺しても殺し尽くせないほどにいた。

 前も後ろも、右も左も、どこを見ても、敵、敵、敵、敵――人外異形の化け物どもが屠るべき人間を探して跳梁跋扈していた。四つ目の四足獣に緑の肌の小鬼が群れ集い、銀翼の猛禽が空を舞えば、骸を纏う狼が地上を駆け抜ける。戦鬼の咆哮が大地を揺らし、巨獣の猛進が兵士たちを吹き飛ばす。

 力だけでいえば、敵のほうが上なのはだれの目にも明らかだ。武装召喚師を多数投入しても、戦力を拮抗させるのがやっと、という戦場もあった。

 三つの戦場が、セツナの意識の中にある。セイドロック、ランシード、ゴードヴァンというクルセルクの三都市を巡る戦いは、軍師ナーレス=ラグナホルンの思惑通り、ほとんど同時に始まったのだ。都市間の連携を奪うためには、同時に戦闘を開始しなければならなかったのだ。

 クルセルクの戦力の大半をガンディアに誘引し、手薄になったところを連合軍の各部隊が強襲、速やかに都市を制圧する――ナーレスの目論見は、ある程度は達成できていた。というのも、クルセルクがガンディア領土に差し向けた戦力を除いたとしても、莫大な数の皇魔が、クルセルクの国土に犇めいていたからだ。

 三つの都市のうち、真っ先に陥落したのはアバード突撃軍が受け持ったクルセルク北東部の都市ランシードだった。セツナがランシードの主戦場に転移したときには、ランシードにアバードとイシカの軍旗が翻っていたのだ。だが、戦闘は終わっておらず、むしろ激化の一途を辿っており、セツナが参戦しなければ危うい状況にあったのは確かなようだった。

 並外れた巨躯を誇るレスベルを倒し、シーラの窮地を救ったセツナは、すぐさま別の戦場に転移している。

 ゴードヴァンでは、魔王軍のほうが優勢であり、連合軍は押されに押されていた。武装召喚師や、メレドの秘密兵器とやらが頑張ってはいたのだが、皇魔との力量差を覆すことは難しかったようだ。いや、ただの皇魔だけならばなんとかなったのかもしれない。

 驚くべきことに、魔王軍の皇魔の中には、武装召喚術を会得したものがいるようなのだ。ただでさえ人間を上回る力を持った化け物が、自身を強化する手段を得たということほど恐ろしい事実はなかった。一般の兵士では手が付けられないのは当然のことだが、武装召喚師ですら押し負けることもあったようだった。

 セツナは、皇魔を切り裂き、血を流させては、その血を利用しての空間転移を繰り返した。都市間の転移には膨大な血が必要だったが、血には困らないほどの敵がいた。殺しても殺し尽くせないほどの敵がいた。適当に矛を振り回しているだけでも死ぬような数の皇魔だ。その血を用い、セイドロックからゴードヴァンへ、ゴードヴァンからランシードへ、そして再びセイドロックの戦場に転移した。とにかく、皇魔と見れば襲いかった。カオスブリンガーの一撃は、どんな皇魔もたやすく貫き、絶命させる。どれだけ強固な外皮に覆われた化け物であっても、一刀両断できた。断末魔さえ上げさせないことが多かった。大量の血が降りかかる。返り血、血飛沫、数多の血。血は、黒き矛による空間転移のために必要だった。

 どす黒い血の中に浮かぶ景色に吸い込まれるようにして、転移する。

(敵はどこだ)

 転移に成功するたびに、彼は、皇魔を探して目をぎらつかせた。ブリークでもグレスベルでも構わない。ブラテールでも、リョットでも関係ない。レスベルでも、リュウディースでもよかった。とにかく、皇魔を殺す必要があった。いや、皇魔である必要すらない。

(敵を)

 ただ、敵を殺せばいい。

 目についたものが敵ならば跳びかかり、切っ先を心臓に食い込ませればいい。首を刎ねればいい。胴を薙ぎ、真っ二つにすればいい。とにかく、敵を斬り、貫き、砕き、殺し、屠り、滅ぼせばいいのだ。

 そうすれば血が流れる。

 勝利のためには、血が必要だ。

 莫大な量の血を流し、流させなくてはならない。

 クルセルクとの戦いは、無血で終わるようなものではないのだ。

(敵を……!)

 転移すれば、敵の視線が彼に集まった。突如として出現した殺意の塊に、つい反応してしまうのだろう。その視線を辿るだけでいい、ということもあった。その大半が皇魔だったが、中には人間の兵士を殺すこともあった。セイドロックの市街地は、クルセルクの正規軍とジベル突撃軍による戦闘が行われていたのだ。

 ランシードは簡単に陥落したようなのだが、セイドロックはそういうわけにもいかなかったらしい。ジベルの死神たちがレムと同様の能力を用いる光景を見ることができたのは、大きい収穫だったかもしれないが、どうでもいいことかもしれなかった。死神たちの能力がなんであれ、関係のないことだ。敵ならばいずれ殺すだけだ。

「セツナ伯か。援軍、痛み入る」

 死神零号の声が聞こえた気がするが、彼がなにをいったのかさえ忘れた。ほかの人間の言葉もだ。だれかはセツナを悪鬼のように恐れたし、だれかはセツナの出現に心底驚いたようだった。味方の言葉なのか、敵の言葉なのか。人間の発した声なのか、皇魔の発した声なのか。咆哮か、断末魔か。なにもかも有耶無耶になって記憶の中に溶けていく。

 どれだけの皇魔を殺し、人間を殺したのだろう。

 全身に浴びた血が乾ききらぬうちに新たな血を浴びていく。体は次第に重くなるが、それは疲労のせいもあるだろう。血を媒介とする転移は、精神力を著しく消耗した。血だけが必要なわけではないということだ。

 血も、精神力も、消耗する。

 息が上がるほど消耗したのは、いつ以来だろうか。手に力が入らない。体がいうことを聞いてくれない。何度か、避けられるような攻撃を喰らったのも、疲労と消耗のせいだ。空間転移の反動の重さに、苦笑するだけのゆとりもない。

 視界が揺れている。足がふらついた。目の前に鬼がいた。無意識に矛を振り抜く。脱力した矛の一閃は、しかし、皇魔の首を軽々と刎ね飛ばし、血飛沫を上げさせた。冗談のように吹き出す血の向こう側に懐かしい景色を見た気がした。生まれ育った世界。母のいる台所。

 帰りたいとは、想わなかった。

(は……)

 セツナは、矛の石突で皇魔の死体を押し倒すと、つぎの獲物を探して視線をさまよわせた。周囲には皇魔の死体ばかりが転がっていて、敵の姿は見当たらない。視界がぼやけた。揺らぐ。天地が、震撼している。なにが起きているのかわからない。ただひとつはっきりしていることがあるとすれば、いまのセツナには、どうすることもできないということだ。

「セツナ!」

 聞き知った声が聞こえた。心配してくれているらしい。

 セツナは、振り返ろうとした。が、声の主の顔を見ることはできなかった。崩れ落ちる視界の片隅に、駆け寄ってくる女性の足が見えた。

 

「これが黒き矛の戦い……」

 レム・ワウ=マーロウは、地面を埋め尽くす敵味方無数の死体を眺めていた。味方兵の死体は、皇魔に殺されたものばかりだが、皇魔の死体は一般兵や武装召喚師、または彼女が殺したものもある。が、大半は、たったひとりの少年の手によるものだった。

 常識的に考えれば、見渡す限りの死体の山をひとりの人間が作ることなど、できるわけがない。人間が相手であってもそうだが、皇魔が相手ならばなおさらだ。手練の武装召喚師でも、この数の皇魔を相手にすれば殲滅する前に息切れするのが関の山だろう。しかも、皇魔の中には召喚武装を用いるものまでいた。《獅子の尾》の武装召喚師ですら、集中しなければ倒されるかもしれないような化け物を意図もたやすく屠ることができるのは、彼くらいのものではないのか。

「そう、これがセツナ様がガンディアの切り札と呼ばれる所以。ガンディアのこれまでの勝利は、奇跡でもなんでもないんですよね」

 参謀局第一室長エイン=ラジャールが、そんなことをいってきた。おそらくレムのつぶやきを耳にしたからだろう。

 戦闘は終わった。ジベル突撃軍は、全軍を上げて死傷者の収容を始めており、エイン=ラジャールは、その指揮のために戦場を訪れていたようだった。

 セイドロックも、連合軍の手に落ちた。黒き矛の大活躍もあって全滅に近い損害を受けた皇魔の軍勢が撤退したことが、セイドロックを預かるクルセルク正規軍の戦意を失わせたようだった。

 ジベル突撃軍は、緒戦を勝利で飾ることができたということだ。

(知ってはいた。見てはいたけれど……)

 レムは、エインにはなにも言い返さず、戦場の有り様を見ていた。脳裏には、戦場を蹂躙する黒い暴風の如き怪物の姿が浮かんでは、消えた。怪物、としか言い様がなかった。人間の戦い方ではないのだ。武装召喚師という時点で人間の規格を外れた動作をするものだが、それすらも遥かに上回るもののように思えた。

 少なくとも、獅子王宮のときとは、なにもかもがまるで違っていた。

 黒き矛の一閃が複数の皇魔を切り裂き、絶命させた。吹き出す血飛沫が、彼を別の場所へと運ぶ。転移先で皇魔を殺戮すれば、また別の地点に跳ぶ。そして、皇魔を手当たり次第殺し手回り、再び空間を転移する。

 転移と殺戮を繰り返す悪鬼。

 長時間、このセイドロックの戦場から消えていたこともあった。どうやらランシードやゴードヴァンの戦場でまで暴れ回っていたらしい。推測だが、正解だろう。ほかに考えられないことだ。もっとも、そんな長距離を一瞬にして移動できるということしか考えられない、というのは異常というほかないが。

 黒き矛が規格外の能力を秘めているのだから仕方がない。そして、その規格外の力を平然と扱ってしまう少年がいるのだから、どうしようもない。

 ガンディアとは争うべきではない。

 彼とは戦うべきではない。

 セツナを敵に回すべきではない。

(本当に、あなたが死神でいいんじゃないの?)

 レムは、死神の仮面を外しながら、背後を振り返った。彼女の視線の先に、皇魔の死体が撤去された空間がある。そこに《獅子の尾》の隊士たちが屯している。ルウファとミリュウは軍医に傷を見せ、手当を受けているようだ。

 セツナは、ファリアの膝の上に頭を乗せて、眠っている。彼は戦いの最中、意識を失って倒れたのだ。もっとも、彼の不在が戦局に与える影響はなかった。彼の大活躍もあって、ジベル突撃軍の勝利に傾いていたからだ。

 皇魔たちが戦場から撤退を始めたのは、セツナが意識を失った直後だった。皇魔にしても、勝ち目がないと判断せざるを得ない状況だったのだろう。それほどまでに追い込まれたのは、セツナの鬼神のような戦いぶりがあったからこそだが、だからといってジベル突撃軍に追撃するほどの余裕があったわけではなかった。

 セイドロックの制圧に向かった別働隊も、城壁外で皇魔と戦っていた部隊も、相応に血を流し、疲弊した。

 勝利し、セイドロックを陥落せしめたものの、素直に喜ぶことはできそうになかった。

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