第六百三十六話 余波と熱戦
「甘い」
ミルディは、レスベルの拳を左腕で払い除けると、透かさず相手の足を払った。転倒した赤鬼の腹を踏みつけ、体重をかけるのではなく、力を込めた。銀の脚具がぼうっと発光したかと思うと、レスベルが苦悶の声を発した。さらに力を込めながら、周囲への注意を怠らない。
マルウェール第二城壁の上は、まさに戦場そのものと成り果てている。グレスベルを乗せたブラテールが駆け回れば、リョットが楼門の上から主張する。ベスベルの一撃が弓兵たちを冗談のように引きちぎり、レスベルの光線が市街地に降り注ぐ。
城壁を突破し、市街地への侵攻を始める皇魔もいた。一時期の平穏が嘘だったかのような大攻勢は、第二城壁を囲う堀を攻略されたことに端を発する。第一城壁の瓦礫で堀を埋められてしまったのだ。一ヶ所ではあったが、そこを突破口に押し寄せてきた皇魔の群れを撃退することはかなわなかった。
その突破口も、カインによって早々に破壊されたものの、それまでに城壁に取りついていた皇魔の数が思った以上に多かったこともあり、ミルディたちは押し負けかけていた。
「ちっ」
ミルディは、城壁を乗り越えた皇魔の数に舌打ちせざるを得なかった。
マルウェールには、クルセルクを誘引するため、最低限の戦力しか配備されていない。そのうちのほとんどが第二城壁に登っており、市街地はがら空きといってもいい状態だったのだ。
ユーラ=リバイエンも彼の配下のほとんども第二城壁で戦っている。カインもだ。このマルウェールでただひとり頼れる人物は、召喚武装を手にした化け物と激しい戦いを繰り広げていた。
武装召喚師ではないミルディも、召喚武装を身に纏っている。この銀甲冑がそうだ。皇魔の死体から剥ぎ取ったものだが、契約者が死んだことでだれでも使えるようになったらしく、だからこそ、ミルディでも扱うことができるのだ。
能力の使い方がわからずとも、召喚武装の副産物ともいえる五感強化だけで十分に戦えた。皇魔を塵のように蹴散らす爽快感は、一時、ミルディに部隊指揮を忘れさせたほどだ。もちろん、彼はすぐさま自分の立場を思い出したし、自分が戦闘にのめり込んでも問題無いということも再認識した。部隊指揮はケイオンに任せておけばよく、全軍の采配についてはユーラ=リバイエンが取ってくれるだろう。
とはいえ、眼前の敵にばかり集中している場合ではないのも事実だ。召喚武装の使い方がわかってきたからといって、調子に乗っていいわけがない。市街地では戦闘が始まっている。数こそ少ないとはいっても、相手は皇魔だ。押し負ける可能性も少なくなかった。
つぎに、城壁の上を見回す。ザルワーン方面軍第一軍団、第二軍団の部隊長、兵士たちが懸命に戦っている。だが。
(押されているな……)
皇魔と人間の力量差は強烈であり、一対一では押し負ける上、仲間と連携を取ろうにも城壁上という狭い空間では思うように戦えないのだ。
そんなときだった。
光と音が、ミルディの五感を猛烈に刺激した。ミルディは、自分の身になにが起きたのかを理解するより早く、目の前に着地したリョットが、背後を振り返る瞬間を見逃さなかった。皇魔の死体を踏み潰して飛び、リョットの側頭部に拳を叩き込む。奇怪な悲鳴は、不意打ちへの怒りに満ちていた。手応えはあったが、リョットの頭蓋骨を撃ちぬくには力が足りなかったのだろう。ミルディが反撃を恐れて飛び退くと、リョットが全身の毛を逆立たせ、巨躯をさらに膨張させた。尾の先に灯る炎が一際大きく膨れ上がる。眼孔から漏れる光も烈しさを増す。
再び、光と音が視界と鼓膜を貫く。
(なんだ?)
周囲の兵士たちは、ひとりとして反応していない。皇魔も、ブリークやグレスベルといった小型の皇魔は無反応であり、中型皇魔の反応もまちまちだ。ギャブレイトのような大型は、光と音の発生源を特定しているのが、その様子から窺える。
目の前のリョットも、光と音の発生源を把握したのだろう。それでも敵の眼前で隙をさらけ出すのはいただけないが、気になるのも理解できなくはなかった。
「こちらの勝ちだな」
カイン=ヴィーヴルの囁きが聞こえた瞬間、リョットの巨体が宙を舞っていた。ドラゴンクロウが皇魔の横腹を打ち抜き、そのまま吹き飛ばしたようなのだ。あまりの凄まじさに、ミルディはただ唖然とした。
「勝ち? この状況で?」
「どうやら、軍師殿は秘策を用意していたらしい」
「秘策……」
「秘策って?」
カインの傍らに現れたウルが、小首を傾げた。戦闘の只中である。非戦闘員である彼女がうろついていい場所ではない、などと忠告しようとしたとき、ミルディははたと気づいた。
皇魔たちが、第二城壁から第一城壁まで後退していたのだ。堀の中を泳ぐ皇魔もいれば、飛行能力を有する皇魔に運ばれるものもいる。城壁上に残っている皇魔は、死体と成り果てたものだけだった。
まだ、日は高い。
皇魔は、人間よりも非常に高い生命力を持つ生物だ。それはつまり、戦闘を継続できる時間が長い、ということを示している。ミルディは、最低でも夕闇が迫るまでは、敵の猛攻を凌ぎきらなければならないと思っていたし、第二城壁だけではそれも不可能に近いのではないかと思っていたところだった。
そんな矢先、状況は一転した。
「さて……な」
カインは、遠くマルウェール南西を見遣りながら、ウルの頭に右手を乗せた。ふたつの召喚武装を身に纏う彼の目には、戦場の光景が映っているのかもしれない。
彼が弓引くたびに、皇魔の肉体は千千に割けた。剛弓が唸るたびに、死体が増えた。弓から解き放たれた矢が、標的を違えることなどあろうはずもなく、一矢一殺の心得を体現していた。
弓聖サラン=キルクレイドの神業を垣間見ることができて、シーラは、歓喜に打ち震えた。震えながら、興奮とともにハートオブビーストを振り回した。獣姫の槍は、皇魔の血を浴びるごとに鋭さを増していく。威力が、ではない。使い手の技が冴え渡っていくのだ。
「行くよっ、猫耳姫!」
「だれが猫耳姫だ!」
叫び返したものの、侍女の言葉を否定することなどできないことも知っていた。ハートオブビーストの能力によって、シーラの身体に変化が起きていたのだ。髪の間から猫の耳が生え、長い二又の尾が、彼女の臀部から伸びていた。
ハートオブビーストの能力のひとつ、キャッツアイは、身体能力を大きく向上させるというものなのだが、副作用として猫の耳と尻尾が出現するという困った性質を持っているのだ。ライオンハートに副作用がないのは例外的なものであり、ほかの能力には、キャッツアイと同様の副作用があった。身体の異形化は、ハートオブビーストを使う上では仕方のないことだ。その代わり、多大な力を得ることができる。
十分だ。
彼女は、歯を見せて笑った。
アバード突撃軍がランシード近郊で皇魔の軍勢と衝突して、どれくらいの時間が経ったのか。ランシードの市街地には連合軍の軍旗が翻り、連合軍の制圧下に入ったことを示している。それは、弓聖サラン=キルクレイドの策が当たったということにほかならない。
シーラたちが正面からぶつかっている間に、イシカの星弓、星剣兵団がランシードの城門を突破、市街地の制圧を完了させたのだ。城壁内では、戦闘らしい戦闘も起きなかったようだ。これほど早く軍旗が翻るということは、それ以外の理由は考えられない。
戦闘は、もはや不要のものと成り果てた。
『しかし、皇魔どもには交渉の余地などありますまい』
『だな!』
サランの判断に、シーラは大きく頷いたものだった。ようやく能力が発動し、戦闘が楽しくなってきたところなのだ。こんなところで終了させるなど、不完全燃焼もいいところだった。もちろん、戦いに熱中したために配下の兵を死なせることなどあってはならない。
そんなことはわかりきっている。
必要な戦闘なのだ。
皇魔側は、ランシードが落ちても撤退する様子ひとつ見せないのだ。それどころか、積極的に攻撃してきていた。これでは、城壁内に向かうことなどできるわけがなかった。
「だからといって、殲滅する必要はありませんよ、姫様」
「わーってるよ!」
言い返しつつ、飛来してきた雷球を斧槍の切っ先で両断する。真っ二つに割れた雷球は、シーラの後ろで炸裂したようだった。そのときには、彼女はその場を飛び離れている。雷球を発射したブリークの元へ、一足飛びに飛んでいた。そして、ブリークのぬめっとした顔面を胴体ごと切り裂き、周囲の皇魔も立て続けに切り捨てる。
降りかかる皇魔の血が、ハートオブビーストを加速させていく。