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第六百三十二話 激戦

 血が、霧のように視界を塞いでいる。

 化け物の血か、人間の血か。

 どちらにせよ、戦いの邪魔になるのは疑いようがなかった。剣を振るう。剣風が血煙を吹き飛ばすと、その向こう側から、皇魔の巨躯が突っ込んできたところだった。

 鉄鋼馬ブフマッツの突進を右に飛んでかわしながら、その首を撥ね飛ばした。断末魔は聞こえず、どす黒い血飛沫が視界の片隅を彩った。着地とともに後ろに下がる。背後に頼もしい気配がある。団長だろう。

「ったく、倒しても倒してもキリがねえな、おい」

「数的には大差ないはずなんですが」

「数ではな!」

 ジン=クレールの皮算用をシグルドが笑い飛ばした。重い打撃音は、シグルドの鉄槌が皇魔を蹴散らした証明だ。悲鳴とも怒号ともつかない金切り音。その人間の神経を逆撫でにする異音こそ、化け物の化け物たる所以だろう。それでも、戦える。戦えないわけがない。傭兵集団《蒼き風》は、これまで幾多の修羅場をくぐり抜けてきたのだ。敵が皇魔だからといって、負けるはずがなかった。

 ルクス=ヴェインは、グレイブストーンから伝わる興奮そのままに、口の端を釣り上げた。召喚武装は意思を持つ。そして、使用者にその意志を伝えてくることがある。それは、使用者と召喚武装の波長が合っている証明だと、武装召喚師はいう。つまり、ルクスとグレイブストーンはいま、この絶望的な戦いを楽しんでいるということだ。

(絶望的か。そうかもしれないな)

 否定は、しなかった。

 敵の数は膨大だ。一万五千を超える皇魔。皇魔なのだ。人間ではない。こちらも、人数の上では一万五千を超えているのだ。人間同士ならば、戦術次第で打ち勝つことも不可能ではない。互いに戦場に姿を晒している上、各地の拠点は、こちらのものなのだ。戦いようはいくらでもあった。しかし、敵が皇魔となれば話は別だ。何もかも変わってくる。人間と同じように考えていてはならないし、人間と同じような戦い方をすれば、死ぬのはこちらだ。

 敵は皇魔。人外異形の化け物であり、人智を超えた怪物たちだ。小型のものでさえ、常人を凌ぐ怪力を誇り、超常の能力を持つ。レスベル、ブフマッツといった中型以上となると、シグルドやジンでさえ、苦戦を強いられる。ギャブレイトのような大物となれば、武装召喚師以外には太刀打ち出来ないのではないだろうか。

 もちろん、数と戦術次第では、勝てないわけではない。しかし、それこそ、皇魔と人間の力量差を如実に表しているといってもいいだろう。ギャブレイトは一体ではないのだ。ギャブレイトを倒すためだけに人員を割くということは、数的不利の拡大に直結する。やはり、大物には武装召喚師や、召喚武装の使い手が当たるしかない。

 ルクスは、突撃隊長としての責務を放棄するように、戦場を勇躍した。突撃隊長などという名ばかりの役職に興味はない。シグルドも、この戦いにおいてはなにも命じてはこなかった。副長もだ。ルクスの自由行動を黙認している。それはつまり、一体でも多くの皇魔を狩れ、という命令にほかならない。

 グレイブストーンの柄を握りしめる。召喚武装による五感の拡張は、彼の脳裏に戦場の風景を浮かび上がらせた。とはいえ、目に映っている範囲内のことでしかないのかもしれないが。

 戦場は、スルーク北部に横たわる街道沿いだ。何の変哲もない平原は、いまや阿鼻叫喚の地獄絵図が描き出されているといっても過言ではなかった。大量の皇魔と大量の人間が戦果を競うように入り乱れ、血みどろの戦闘を繰り広げているのだから、当然といえば当然だろう。

 当初、皇魔の数は、一万とも一万五千ともいわれていた。正確な数がわからないのは、敵軍がマルウェールを長期攻囲する構えを見せたからでもある。結果的には攻囲部隊と別働隊に分離したものの、それが街道付近に展開した敵の数をわかりにくくしていた。もっとも、正確な数などどうでもいいことには違いない。少なく見積もっても一万はくだらないのだ。こちらの数では、正面からぶつかり合うべきではないのは、明白だ。ルクスでさえ理解できる。数で圧倒していようと、気を抜いてはいけないのが皇魔だ。

 皇魔の正確な数が判明したのは、開戦間際のこと。一万五千という数を耳にしたとき、《蒼き風》の傭兵たちでさえ、悲鳴を上げそうになった。率先して嫌な顔をしたのがシグルドだったのだが、それは、ほかの傭兵たちの気持ちを代弁するという思いもあっただろう。そうすることで、団員たちは団長が自分たちの理解者であると認識する、らしい。ジン=クレールの受け入りでは、そういうことだった。

 ともかく、歴戦の猛者であるシグルド=フォリアーでさえ、嫌気が差すような戦場であることは確かだった。

 敵一万五千に対し、味方もまた、一万五千を超える大軍勢だった。ガンディア軍のほとんどの軍団が、この戦闘に参加している。ガンディア方面軍、ログナー方面軍、ザルワーン方面軍、そして傭兵たちが、皇魔の群れを包囲するように布陣しているのだ。

 最強部隊であるところの《獅子の尾》は、ミオンから直接クルセルク領土に向かうことなっているため、この戦場にはいないのだが、それを補って余りある戦力が投入されていた。《大陸召喚師協会》の武装召喚師が大量に雇われたのも、この劣勢ともいえる戦いをどうにかして勝利に持って行こうという決意の表れであろうし、これまで《蒼き風》以外の傭兵団を雇うことをあまりしてこなかったガンディアが、他の大規模な傭兵団と契約を結んだのも、この戦場が過酷なものになることを見越してのものに違いなかった。

「うおおおおお!」

 気合とともに殺気を感じて、ルクスは前に跳んだ。同時に前方から飛来してきた雷球をグレイブストーンで両断し、さらに踏み込んでブリークの頭頂部に剣の切っ先を叩き込む。異形の皇魔が痙攣した後、動かなくなったのを確認してから後ろを振り向くと、巨大な金砕棒が、さっきまでルクスの立っていた地面を抉っていた。

「危ないなあ、もう」

 よく見れば、金砕棒は地中から出現したブリークの尾を破壊しているのだが、それにしても、一言声をかけるべきだろう。ルクスは、金砕棒の使い手を睨んだ。金砕棒を軽々と肩に担いでみせたのは、シグルドを優に超える大巨漢だった。

「油断したのは、ルクスだろ。弟は悪くない」

「そうかなあ?」

 こもったような低い声の主は、すぐ右隣にいた。厳しい甲冑に身を包んだ人物は、傭兵集団・紅き羽の団長である。声が籠もったように聞こえるのは、顔面を覆う兜のせいであり、声質そのものが原因ではない。ちなみに、巨漢の方は、紅き羽の副団長だ。

「そうさ。あんたにとっては楽な仕事かもしれないが、油断はしてくれるなよ?」

「油断はしてないってば。そんなことしたら、団長に殺される」

「嬉しそうにいうんじゃないよ。あんたはわたしと結婚するんだ。そうだろ?」

 彼女は、兜の面を上げると、熱烈な視線を浴びせてきた。綺麗で、熱情的なまなざしには、彼女の心からの思いが込められているのがわかる。ベネディクト=フィットライン。高名な傭兵ではあるが、唯一、欠点があるとすれば、それはルクスを見つけるとどんな状況であっても結婚を迫ることだろう。

「まーた、いってる」

「何度だっていうさ。この戦いが終わったら結婚しよう、ルクス」

「それって男の台詞だよね」

「あんたがいってくれないから、仕方なくいってるんだろ!」

 怒気とともに振り抜いた大太刀が、彼女に迫っていたグレスベルの首を胴体から切り離した。グレスベルは、自分の身になにが起こったのかわからないまま絶命したはずだ。彼女の視線は、ルクスに注がれたままだった。神業といっても過言ではない。

「ひゅー、やっぱ強え」

「だからさあ、わたしと結婚して、もっと強い子を生もう?」

「いやいや、そんなことをいってる場合じゃないってば」

 ルクスは、ベネディクトの猛烈な求婚発言には、辟易するしかなかった。戦場でする話ではないのは無論のことだが、戦場以外でも御免被りたいのが実情だった。ベネディクト自身は嫌いではないし、彼女に対してなんの感情もないといえば嘘になるだろう。しかし、それとこれとは別の話だ。

 戦場に生き、戦場で死ぬ以外に道など無いのだ。

 そして、そんな話ばかりしていては、こんな戦場で死ぬことになりかねない。なんとも華のない話ではないか。

(どんな戦場がいいかと聞かれたら、困るけど)

 ルクスは、ベネディクトが不満そうに兜の面を下ろすのを見遣りながら、警戒を強めた。周囲の皇魔たちの動きが奇妙だった。猛然たる攻勢が鳴りを潜めている。隊伍を組み直し、陣形を整えているようだった。

「ルクス、一度下がるぞ!」

「はい? なんでまた?」

「戦線が崩壊寸前なんだよ!」

 シグルドの悲鳴じみた叫び声が、この戦場の惨憺たる現状を的確に表現していた。

 皇魔の奇妙な動きは、彼らが自軍の優勢を理解したからこそのものだったのかもしれない。

 そして、さらに絶望的な情報がガンディア軍に伝わった。マルウェールに取り付いていた皇魔の大半が、別働隊への合流を開始したというのだ。


「ザルワーン方面軍第七軍団が壊滅……か」

 ドルカ=フォームは、前線から届いた報告に渋い顔をした。ザルワーン方面軍第七軍団は、開戦前、スルークに配備されていた軍団だ。皇魔の包囲網では南を担当しており、その軍団が壊滅したということは、包囲網が突破されるかもしれないということだ。

 が、無論、すぐさま包囲網が崩壊するわけもない。グラード=クライド率いる混成軍が、第七軍団の生き残りを吸収し、第七軍団を打ち破った皇魔の部隊の南進を食い止めている。そのために多少の犠牲を払ったものの、包囲が破られるという最悪の事態だけは避けられた。

「自棄になるなよ、ドルカ軍団長。今日の戦いはまだ終わっていない」

「わかってますよ。そんなことは。でも、夜まで続けるっていうんですか、この状況で」

「皇魔が勢いを盛り返した。こちらの事情で休憩に入ってくれるはずもあるまい」

「そりゃそうだ。皇魔相手に疲れました、休みましょう、なんていったら、嬲り殺されるだけですな」

 ドルカは、グラードが笑いもせずに前線に戻る様を見遣ると、軽く肩を竦めた。

 戦況は、決して良くはなかった。包囲網は最初から不完全で不安定な代物だったが、軍団がひとつ壊滅したことで、より不均衡なものになってしまっている。そこへ、敵の増援である。マルウェールの包囲軍からさらに別働隊が派遣され、ドルカたちと対峙する皇魔軍に合流する見込みだというのだ。なにより絶望的なのは、その合流を食い止めることができないという残酷な現実を受け入れるしかないということだろう。

 ドルカは、ニナを手招きして呼び寄せると、彼女の肩口からぼそりと問いかけた。

「敵、どれくらい削ったんだ?」

「分かる範囲では四千ほど。ですが、こちらも二千以上の兵を消耗している模様です」

「ふうん……押してはいるのか」

「全力を上げて武装召喚師を雇い入れたのが、功を奏したようです。もっとも戦果を上げているのは、《協会》の武装召喚師たちと、ルクス=ヴェイン、そしてグラード軍団長ですから」

「なるほど。召喚武装ってのは、凄いね。人智を超えた化け物どもとも渡り合えるんだから」

 ドルカは、前方で繰り広げられる戦いを眺めながら、告げた。彼の部下や、グラードの部下が皇魔の群れとぶつかり合っている。

 前面には大盾兵が展開され、皇魔の突撃を寄せ付けんとしているが、皇魔の馬鹿力の前では人間の盾など意味をなさない。吹き飛ばさるか、よくて押し負けた。盾がなくなれば、後ろに控えている槍兵が猛然と突きを繰り出し、弓兵による矢の雨が遠方の皇魔に降り注ぐ。矢の雨は、小型の皇魔には効果的のようだが、ブフマッツのような硬い外殻に覆われた皇魔には無意味といってもよかった。それでも、小型の皇魔を間引くことができるのならば、有用ではあるだろう。

「でもさ、これって詰んでるよね」

「はい」

「人間の力ってのは、有限なんだよね。いくら武装召喚師が強かろうと、召喚武装が強力であろうと、皇魔の生命力には敵わない。もちろん、皇魔の力も有限なんだろうけどさ、その容量が段違いって話」

「武装召喚師たちが力尽きれば、我が方の敗北は必至……ですね」

「ま、軍師殿がこの状況を想定していないはずはないんだけど……」

 ドルカは、ニナに指示を出すと、前線の様子を眺める作業に戻った。

 ドルカは、軍団長である。軍団長とはつまり、軍団の頂点に君臨する人物のことであり、前線に出て戦うなど以ての外であった。鎧兜を身につけ、武器を携帯してはいるものの、彼は積極的に前線に出ようとは思わなかった。指揮官を失うことほど、兵士たちにとっての恐怖はない。

 その点、グラードは違った。魂が震えるような雄叫びとともに最前線に飛び込み、燃える拳で皇魔を叩き潰していく。彼の勇姿は、兵士たちの魂を燃え上がらせ、熱狂させるにたるだけのものがあった。

 熱狂が、兵士たちの心から恐怖を取り除くのだ。

(俺は間違っているのか?)

 ドルカは、グラードの戦い方こそ、軍団長のあるべき姿なのか、とも考えた。即座に首を振る。確かに、グラードのような戦い方もあるだろう。だが、彼は特別なのだ。召喚武装に身を包んでいる以上、通常人ではないといってもいい。

 グラードの拳がレスベルの胴体を貫き、その巨体を紅蓮に燃え上がらせる。皇魔が断末魔の叫びを上げながら、口腔から光を放散する。光線が周囲に飛び散り、兵や皇魔に降りかかったが、大きな被害は出なかったようだった。

 グラードが吼え、彼の部下が続く。

 もちろん、グラードたちだけが気炎を吐いたところで戦況が好転するわけもないのだが、ドルカの心に火をつけることには成功したようではあった。

「いくぞ、ニナちゃん。グラードさんに続く」

「正気ですか?」

「いんや。おそらく、きっと、たぶん、狂ってる」

 ドルカは自嘲気味に笑って、グラードの後に続いた。少しでも多くの敵を撃破すれば、多少なりとも戦況をこちらに傾けることができるのではないか。

 グラードたちの戦いぶりを見ていると、そんな気になってしまうのだから不思議だった。

 果たして、事態は好転する。

 しかしそれは、グラードたちの頑張りによるものではなかった。

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