第六百三十話 ジベル突撃軍
ジベル突撃軍がクルセルク領セイドロックを視界に収めたのは、一月十六日未明のことだ。アバード突撃軍によるランシード到達と時を同じくしている。
ジベル突撃軍を構成する最大戦力はジベルの正規軍である。ジベルは鹿の角を国章としており、そのことから四つの軍団に赤き角、白き角、黒き角、青き角と名づけている。それぞれ二千名の将兵からなる軍団であり、合計八千人の戦闘要員が、ジベルから連合軍に提供された。医療部隊や輸送部隊を含めると、ジベルが提供した人員は更に膨れ上がる。そのため、この軍勢にはジベルの国名が冠せられることになった。ガンディア決戦軍は言わずもがなだが、アバード突撃軍、遊撃軍の命名も同じ理由である。
総勢一万六千名を超える大所帯は、ジベルの将軍ハーマイン=セクトル指揮の元、多少の混乱を招きながらもセイドロック南方、セイドの丘に到着、陣を敷いた。
冬の朝。
黎明の空は薄暗く、吹きすさぶ風は冷気としかいいようがなかった。霜の降り立った大地に、堅牢な城壁に囲われた都市が立ち尽くしている。そして、皇魔だ。膨大な数の皇魔が、セイドロックの南門からセイド原野に向かって布陣している。
皇魔が、陣を敷いているのだ。
「皇魔が隊伍を成し、陣を構築し、敵の到来を待っている……なんとも奇妙な光景だな」
「皇魔らしくはないですね。皇魔が組織的な行動を取るという話は、聞いたことがない。そもそも皇魔はそれぞれが独立した種族だというのが、古来からの見解です。彼らは偶然共闘することはあっても、みずからの意思で部隊を組むということをしてこなかった。ましてや、軍隊を構築するなど、歴史上初めてのことじゃないですかね」
「歴史的な光景を目撃している、ということかね」
「まあ、そういうことになります」
ハーマインのつぶやきに対し、エイン=ラジャールはあっさりとした顔でうなずいた。ガンディア軍参謀局第一室長という大層な肩書を持つ少年は、ハーマインとともに馬から降りて、陣地内を歩き回っていた。連合軍の盟主であるガンディアが、この戦争の責任者という立場にあり、戦争の基本となる戦術も、ガンディアの軍師ナーレス=ラグナホルンが練り上げたものだった。そのナーレスの戦術を伝えるのが、参謀局室長の役割であるらしい。
「それもこれも魔王の仕業、なのか?」
そう尋ねたのは、ガンディアの黒き矛ことセツナ・ラーズ=エンジュールだった。ミオン征討においてはギルバート=ハーディ将軍を討ち取るという戦果を上げた彼は、ガンディアの最高戦力にして、連合軍の切り札でもあった。
そんな切り札が本隊といっていいガンディア決戦軍ではなく、ジベル突撃軍に編入されているのは、ガンディア決戦軍がガンディア領土内での戦いに主軸を置いているからにほかならない。クルセルクを打ち倒すには、クルセルク領土を制圧しなければならないのだ。
ジベル突撃軍は、はからずも、この戦いの主役になってしまったといってもいい。
「さあ、どうでしょうね。本当に魔王が皇魔を使役しているのかは、魔王本人に問い質すまではわかりませんよ。魔王の配下の仕業かもしれない」
「なるほど。魔王を討つだけじゃあ駄目なのね」
「魔王を討ってそれで終わりかもしれませんし、魔王を討ったところでなにも終わらないかもしれない。現状、なにもわからないんですよ。クルセルクの内情がわかるようになったといったところで、判明しているのは、クルセルクが公表している数値でしかありませんし」
「正規軍二万……だけだったな」
ハーマインは、苦笑とともにクルセルクの資料を思い出した。魔王が従えているという皇魔の数は不明というのが、初期の調査資料だったのだ。それが時とともに克明なものへと変わっていった。皇魔だけで六万という大軍勢という報告には、目を疑ったものだ。
勝てるわけがない。
「そういえば、皇魔の六万というのは、連合軍が調べあげた数字ですが、信憑性がどれほどのものかはわかりませんよ。本当はもっと多いかもしれません」
「少ないということはないんだ?」
「ええ。少なく見積もっても六万、というのが、連合軍諜報部の見解です」
エイン=ラジャールが《獅子の尾》の女召喚師たちに説明しているのを聞きながら、ハーマインは、ジベルの選択の正しさを再認識した。
ジベルには、反クルセルク連合軍に参加しないという選択も、当然、ありえたのだ。ジベルにとっては隣国であり、目の上のたんこぶといっても過言ではないクルセルクだが、交渉の余地は残されていた。婚儀での事件を交渉材料に使えば、クルセルクとの同盟を結ぶことだって可能だったのかもしれない。
が、そうなった場合、ジベルはどうなっていただろうか。
何万もの皇魔が、ジベルの領土を踏み荒らしていったのではないか。連合軍との戦いのために、ジベルの国土は躊躇いもなく穢されていったのではないか。
眼前の皇魔を見ていると、そういう考えが過って仕方がなかった。
一方、クルセルクとの決戦に向けて結成された連合軍は、このひと月あまり、蜜月の日々を送っているといってもよかった。連合軍の結成直前まで国交断絶状態だったイシカとメレドは、連合軍の中ではその険悪さを表情にさえ出さなかったし、ジベル突撃軍には、ベレルの騎士団が参加している。各国思うところはあるのだろうが、クルセルクという最大の脅威を前にして、一致団結していることは疑うまでもなかった。
クルセルクを野放しにすれば、軍事的組織力を身につけた皇魔が増幅していくだろう。それは、人類史に終わりを突きつけるのと同じことだ。
「その六万が数字通りの戦力じゃないというのは、皆さんもわかっていると思いますが」
「まあ、な」
黒き矛の少年が、苦笑した。
皇魔という怪物がどれほどの戦闘力を持っているのか、知らぬものはいないだろう。ワーグラーン大陸に生まれたものならば、骨身に染みて知っているはずだ。六万の皇魔と六万の人間が衝突すれば、皇魔が勝利するのは火を見るより明らかだ。皇魔と人間の力の差は、それほどまでに歴然としている。
ただし、それは人間側が通常人のみで構成されている場合の話だ。
今回のように多数の超人を内包している軍勢ならば、話は別なのだ。
(黒き矛を始めとする《獅子の尾》の武装召喚師たち、《協会》の武装召喚師たち、そして、死神たち……)
ハーマインが左後方を一瞥すると、クレイグ・ゼム=ミドナスを筆頭に死神部隊の面々が、出番のときを待っているのがうかがえた。死神壱号ことレム・ワウ=マーロウが、クレイグとの再会を喜んでいる様子が、戦闘直前の緊張感を台無しにしている。
「さて、やりますか。さっさとセイドロックを落として、ザルワーンのガンディア軍の負担を減らさないといけませんし」
「あちらも、隠し球があるのだろう?」
ハーマインが尋ねると、エインは微妙な笑みを浮かべた。
「局長殿がなにを企んでいるのかまでは、知りませんよ」
同日、アバード遊撃軍は、クルセルク領ゴードヴァンの北西部に部隊を展開した。ゴードヴァンの北西に広がるゴルドー湿原に、魔王旗を掲げる皇魔の軍勢を発見したのだ。
「正義は我らにあり! 人の世に平穏を齎すため、皇魔どもを駆逐するのだ!」
朝焼けが東の空を燃え上がらせる中、サリウス・レイ=メレドの号令が、アバード遊撃軍を奮い立たせた。メレドは、国王みずからが連合軍の戦いに参加し、また、戦場にみずから出馬した。メレドの宰相は、国王の勇猛さに呆れるばかりだったが、サリウスは、将兵に任せるだけではメレドの名を世にしらしめることはできないと考えたのだ。
なにより、メレドとしてはガンディアとの関係を強化したいという想いがある。強国ガンディアの後ろ盾を得ることができれば、今後のイシカとの戦いも有利に進めることができるし、もし、イシカとの争いを回避する結果に終わったとしても、ガンディアとの結びつきを強くしておくことは必要不可欠だった。
もちろん、連合軍に参加したのは、そのためだけではないのだが。
クルセルクの排除は急務だ。
冷気渦巻く湿地帯に展開する皇魔の陣容を目の当たりにして、サリウスは、自分の選択が間違いではないことを確信した。人類の天敵を用い、領土の拡大を画策する国の存在など、許してはならないのだ。クルセルクの膨張は、すなわち、人の世の終わりと同義である。魔王の世が来るのだ。魔王の治世がどれほど良いものであったとしても、皇魔が跋扈する世界を望む人間などいない。
世論がクルセルク討滅へと傾くのは、当然の帰結であるといっても過言ではなかった。
「正面には召喚師部隊をぶつけよ! 黒薔薇戦団はそれに続け! 白百合兵団は右翼を、獣翼戦団には左翼を攻め立てよ! 総力戦である! 全軍、死力を尽くせ!」
サリウスは、吼えるように号令すると、馬上刀を振り翳した。戦場は湿原。敵は、扇状に陣形を構築している。陸戦に特化した皇魔が大半だが、シフやベスレアといった飛行能力を有した皇魔の姿も少なくはない。どのような陣形を構築したところで、空中からの攻撃には対処のしようがないのが実情なのだ。ならば、正面からぶつかっていくしかない。
アバード遊撃軍を構成するのは、アバードの獣翼戦団二千二百、メレドの黒薔薇戦団二千三百、白百合兵団二千三百、合計六千八百名の将兵である。兵数からいえば、メレドの国名を冠するべきなのだろうが、連合軍がメレドとイシカの関係や感情を考慮した結果、アバードの名を冠する軍団となったのだ。
メレドの将兵からは不満の声が相次いだが、サリウスは黙殺した。サリウスにしてみれば、そのようなことは些細な事なのだ。大事なのは、クルセルクに勝つことである。メレドの名を売ることも大事かもしれないが、そのためにイシカの感情を逆撫でにする必要はなかった。
「正面からぶつかるつもりですか? 力負けしますよ」
サリウスの策に難色を示したのは、ガンディアから派遣された人物だった。ガンディア軍参謀局第二室長アレグリア=シーンという随分立派な肩書の持ち主は、元はといえばガンディア方面軍第四軍団長であり、ザルワーン戦争におけるナグラシア防衛のあざやかさを買われて参謀局に転属したということだった。
どうやら、ナーレス=ラグナホルンは、この戦争をガンディアの色で染め上げようとしているらしい。それは、彼女のような参謀局の室長が各軍団に派遣されていることからも窺える。各軍団が、ナーレスの薫陶を受けた人間が立案した戦術通りに動くことこそ、勝利への近道だとでもいうのだろう。
「まず、召喚師部隊が敵の気勢を削ぐ。そこに付け入る隙が生まれるでしょう」
サリウスは、アレグリア=シーンの緊張に満ちた横書を一瞥して、告げた。前方、アバード遊撃軍は既に動き始めている。
ゴルドー湿原の中心地に爆音が轟く。
《大陸召喚師協会》から借り出した武装召喚師たちが引き起こした爆発と、皇魔の超常の力が引き起こした爆発が、ゴルドー湿原の地形さえも変えてしまった。