第六百二十九話 アバード突撃軍
クルセルク軍によるガンディア侵攻に端を発するこの戦争は、大小様々な国が入り乱れている。が、クルセルクと対立する連合軍という色分けにより、物事は単純化された。
最盛期のザルワーンよりも多少広いという程度の国土でありながら、六万を超える皇魔を従え、さらに二万の正規兵を持ち、圧倒的な軍事力を誇るクルセルクは、ガンディアを始めとする国々には脅威となった。そもそも、クルセルクが宣戦布告ともいうべき事件を引き起こしたのがきっかけではあったのだが、その事件がなくとも、クルセルクの存在が危険視されたことは言うまでもない。
クルセルクの近隣諸国のうち、アバード、ジベル、イシカ、メレド、ベレル、ルシオン、アザークは、ガンディアを盟主とする反クルセルク連合軍を結成し、クルセルクの脅威に対抗した。それ以外の国々は、クルセルクに関わることさえ忌み嫌ったか、もしくはガンディアの急成長を危惧し、クルセルクとの相打ちを望んでいた。
ともかくも、戦端は開かれた。
反クルセルク連合軍は、部隊を四つに分けた。
ひとつは、ガンディア領ザルワーン方面に誘引したクルセルク軍と戦闘する、決戦軍。
ひとつは、ジベル領サンゴート砦から北進し、クルセルク領セイドロックを攻撃するジベル突撃軍。
ひとつは、アバード領センティアから東進し、クルセルク領ゴードヴァン攻略を受け持つアバード突撃軍。
そして、アバード領タウラル要塞から東進し、クルセルク領ランシード攻撃を担当するアバード遊撃軍である。
遊撃軍は、その名の通り、遊撃の役割もあり、状況次第では各方面の援護に赴くことになっていた。
一月十六日。
クルセルクによるガンディア侵攻が始まってから二日が経過し、連合軍はガンディア領とクルセルク領の双方で激しい戦いを繰り広げていた。
十五日未明、タウレル要塞を発したアバード突撃軍は、十六日中にクルセルク西北部の都市ランシードを視界に収めた。強行軍だったが、そうでもしなければガンディアの軍師ナーレス=ラグナホルンの戦術を結実させることはできないという判断が、アバード突撃軍に覚悟を決めさせた。
しかし、ランシードへの強襲はならなかった。
ランシードの守備についていた皇魔五千が、アバード突撃軍を出迎えたのだ。
アバード突撃軍を構成するのは、アバードの王女シーラ・レーウェ=アバード率いる侍女団、親衛隊四百名に、牙獣戦団二千五百名、爪獣戦団二千二百名、そしてイシカの星弓兵団二千名と、星剣兵団二千名。九千人を超える兵数は、大軍勢といっても良かったし、兵力差ではランシードの防衛戦力を上回っていた。
が、それは兵数だけの話であり、実際の戦闘力を度外視したものであった。
「小物から大物まで多種多様……選り取りみどりとはこのことですね」
ランシードの西に広がる盆地に展開した敵軍を眺めながら、サラン=キルクレイドが苦笑を浮かべた。弓聖と謳われる老人には、兵数では覆しきれない戦力差がわかっているのだろう。獅子王宮での戦いを見る限り、サラン=キルクレイドの腕は鈍ってはいない。全盛期に比べれば衰えてはいるのだろうが、彼より優れた弓の使い手は、少なくともアバード軍にはいなかった。イシカ軍の中にもいないだろうし、もしかすると、連合軍の中で彼に敵う弓の名手などいないのかもしれない。
彼は、シーラにすらそう思わせるほどの実力を、獅子王宮の戦いで見せつけたのだ。
「けどまあ、こっちだって戦力を整えなかったわけじゃねえんだ。悲観的になる必要もねえ。そうだろ? センセ」
「はあ……」
シーラが同意を求めると、なぜかため息を漏らしたのは、セレネ=シドールである。アバードの武装召喚師であるところの彼は、シーラに召喚武装ハートオブビーストを献上した人物であり、シーラに召喚武装の使い方を手解きした人物でもある。
「情けねえ顔しないでくれよ、士気に関わる」
シーラは、セレネのハの字に下がった眉を見遣りながらいった。セレネは、恰幅のいい中年男なのだが、その表情のせいなのか、実体以上に小さく見えた。
「姫様の仰られることもごもっともですがね、《協会》の連中を説得するのに苦労した身にもなってくださいよ」
「そりゃあセンセの仕事だろ。俺には俺の仕事がある。役割が違うんだ。んなことまで考えてられるか」
「あうう……」
王女の放言に対して言い返せないのが宮仕えの辛いところなのかもしれない、と思いつつも、それが彼の立場であり、役割なのだと認識しているのがシーラだった。もちろん、セレネを見下しているわけではない。
「ま、センセには感謝してるさ。おかげで戦力が整ったんだ。いまならガンディアにも負ける気がしねえ」
シーラは、アバード突撃軍の陣容を見回しながらいった。アバードとイシカの混成軍が主戦力だったが、その中には、セレネ=シドールがみずからの威信にかけて集めた《協会》所属の武装召喚師たちが見え隠れしている。アバード国内だけでなく、イシカの《協会》支局にも掛け合ったというのだから、セレネがいかに自分の役割に力を注いでいるかがわかろうというものである。命を賭けているといっても過言ではないだろう。
それは、シーラも同じだ。
クルセルクが全方位に喧嘩を売り、戦争を始めたのだ。敗戦とは、シーラたちの死を意味することでもある。
だれもが命を賭している。
「ま、まさか、ガンディアと戦うつもりですか? そうなったらわたし、《協会》を破門されてしまいますよお!」
「ははっ、ただの冗談だろ。連合軍で同士討ちしてどうするってんだ」
「シーラ姫の言い様が、あまりに真に迫っていたのでしょう。実際、ガンディアと戦をしてみたいと思っておられるようだ」
馬上、こちらを見下ろすサランのまなざしは涼やかだ。とても六十手前の老人のものには見えなかった。鋭くも穏やかな瞳。敵対していないからこその暖かさなのだと、シーラは理解している。アバードとイシカの領土は隣り合っていないため、これまで敵対することがなく、そういう歴史的事実も大きいのかもしれなかった。
シーラは、鼻頭を指でかいた。
「んー……少し違うかな」
「黒き矛と戦いたい、と」
「そう、それ。さすが弓聖の爺さん、話がわかる!」
「ひ、姫様、仮にもイシカの代表であるサラン様に対して、失礼ですよ!」
「いや、セレネ殿、お気になさるな。わたしが爺であるというのは事実ですよ」
仰天するセレネに対し、サランの反応は極めて穏やかだ。まるで実の祖父と戯れているような気がしてしまうのは、サランの器の大きさによるところが大きいに違いない。だから、シーラもついつい甘えてしまうのだ。
「事実……って、だからといって」
「ははは、セレネ殿はお堅い方だ。それでは気苦労が絶えないでしょうな」
「そうなんだよ、爺さん。センセってさ、自分から苦労を背負いに行くようなひとでさ。それでいつも困った顔してるんだから世話がねえんだ」
「姫様あ……」
「いやはや、賑やかで大変よろしい。いくら絶望的な戦いであったとしても、戦うからには明るく、希望を胸に抱いて進みたいものです」
サランの表情が厳しくなったのは、黎明の大地に雷光が走ったからだ。ランシードの西側、つまりアバード突撃軍の前方に雷が落ちたかのように光が生じ、爆音が大気を震わせた。まるでなにかの合図のようだった。
実際、それは合図だったのだろう。
五千の皇魔が、一斉に動き出した。
「明るく、希望を胸に、ね」
シーラは、侍女のひとりから愛用の斧槍を受け取ると、意識が肥大する感覚を認めた。召喚武装を手にしたことによる五感の強化が、戦場の情景を脳裏に浮かび上がらせていく。
「敵は五千の皇魔。こちらは九千の人間。数の上ではこちらが有利に見えますが、正面からぶつかるのは得策ではありませんな」
「じゃあ、どうする? 弓聖の爺さん。敵はもう動き出してるぜ」
「こちらも、とっくに動き出していますよ」
「へ?」
サランが指し示した方向を見やると、イシカの軍隊が北と南の二手に分かれて進軍している様子が窺えた。西側に展開した敵軍と衝突するような進軍路ではない。大きく迂回して、ランシードの北門と南門を攻めようというのだ。
「我々の目的は、ランシードの制圧。皇魔の殲滅などに拘る必要はないのです」
「しっかしよお、そうもいってはいられねえんじゃねえのか?」
敵も、こちらの動きを察知しているはずだった。五千の皇魔のほとんどが前進しているものの、こちらの真意を理解すれば、北と南に部隊を差し向けてくるだろう。
「もちろん、我々が皇魔の注意を引きつけておく必要はありますが」
サランは、しれっと告げると、巨大な弓を部下から受け取った。獅子王宮で用いていた弓の三倍はあろうかという大弓は、常人に扱えるようなものではなさそうだったが、老将は軽々と掲げてみせるのだ。
弓が大きければ、矢も大きい。サランの背後に控えた部下は、特製の矢を乗せた荷車を引いていた。おそらく、弓もその荷車に乗せていたのだろう。
「敵の注目を浴びることに関しては、獣姫ほどの適役はございますまい」
剛弓から放たれた一条の矢は、まっすぐに飛翔し、敵軍最前列を進んでいたブラテールの頭蓋を貫いた。シーラが呆気に取られかけたのは、サランがあまりにあっさり戦闘の開始を告げる一矢を放ったからに他ならない。
「爺さんには負けねえぜ!」
シーラは、ハートオブビーストを高く掲げた。