第六十二話 欺と疑
「なにっ、真かっ!」
クレイグ=クラシオンの報告を聞くなり、耳を覆いたくなるほどの大声で喜びを表したアーレス・レウス=ログナーの感情の起伏の激しさに辟易したものの、グレイ=バルゼルグは、その些末な感情を表に出すことはなかった。きっとアーレスは目を輝かせているのだろう――確信にも似た予想とともに、ログナーの王子を振り返る。
アーレスは、二十歳そこそこの若者である。金髪碧眼。絵に描いたような貴公子だった。神経質そうな顔つきをしていた。もっともそれはアーレス生来のものでは無さそうだったが。
アスタル=ラナディースが謀叛を起こし、エリウスが王位を継いだという衝撃的な報告以来、アーレスは変わったのだという。勉学にうつつを抜かし、ログナーを顧みようともしなかった己を恥じ、そして怒り狂った。もちろん、彼はいつだって祖国のことを案じていたし、臣下になにかあれば手紙を寄越すようにと申し付けてもいたらしい。だが、国外にいては、なにもできないのも同じである。
彼は、余程堪えたのだろう。
ザルワーン国主ミレルバス=ライバーンへの直訴など、普通では考えられないことだ。暴挙とも言える。それは、彼の精神状態が尋常ではなかったことの証明だった。
属国の政変とはいえ、通常ならばミレルバスがアーレスの相手をすることはなかったかもしれない。
アーレスが幸運だったのは、ミレルバスの手元の兵力に余裕があったことだ。
その兵力というのが、グレイ=バルゼルグであり、彼が手塩にかけて造り上げた最強部隊だった。直前まで相次ぐ内乱の鎮圧のために国内を飛び回っていたのだが、それらの戦いも終息し始めており、グレイは、みずからの部隊を首都・龍府にて休ませることを許されていた。
最強の部隊を遊ばせておく理由はない。グレイの部隊がログナーに派遣されることが決まったのは、ある意味当然の結果だった。そして、彼も不平ひとつもらさない。メリスオールの民のためならば、どのような過酷な任務であろうとも完遂するしかなかった。
もっとも、今回の派兵に関する命令を聞く限りでは、そんな覚悟とは無縁のようだったが。
グレイは、アーレスのきらきらと輝く瞳からすぐさま目を逸らすと、アーレスの前で跪く男へと視線を移した。兜を脱いだクレイグの姿は、どことなく滑稽だった。その古びた鎧ではまともに戦うことなど夢のまた夢に違いない。
「はっ、はい! 王子のお心に打たれ、馳せ参じるものが我々以外にも居たのでござりまする!」
「おおっ! おおっ!」
アーレスが、クレイグの手を取って感激の意を示す様は、総大将の行動としては軽率に見えたが、グレイはなにも言わなかった。ザルワーンで対面して以来、彼の意見が聞き入れられた試しはない。そしてログナー入りの直後、一族郎党引き連れて馳せ参じたクレイグ=クラシオンの愛国心に感動したのだろう。アーレスは、クレイグを旧来の直参さながらに接していた。
「さっそく、逢おう!」
アーレスが、声を励まして言った。
グレイは、その重い口を開かなければならなかった。あまりにも軽すぎる。クレイグの報告だけでは、相手の素性もわかっていないのだ。クレイグ本人が舞い上がっているだけに過ぎない。そしてその熱は、瞬く間にアーレスに感染してしまったが、いまならばまだ重傷に至る前に治すこともできるだろう。熱に浮かされていては冷静に判断することもままならない。
「殿下」
「なんだ? 将軍」
アーレスが殊更に不機嫌そうな声を出したのは、これからというときに水を差されたからだろう。こちらに目を向けもしない。グレイは、しかし、顔色ひとつ変えずに告げた。
「軽挙は慎まれたほうがよろしいかと」
「軽挙? なにが軽挙なものか! わたしのために駆けつけてくれたというのだぞ? 何年もこの国を離れていたわたしのために!」
「なにぶん素性もわからぬ相手。刺客という可能性も考えられましょう」
「ラナディースが刺客を放つものか」
「でしょうな」
忌々しそうに言い放ったアーレスに対して、グレイは一応同意を示したが、内心では別の考えも抱いていた。先王に忠の限りを尽くしてきたアスタル=ラナディースほどの人物が謀叛を起こしたのだ。彼女の覚悟は、想像を絶するものであるはずだ。主君に反逆し、譲位を迫ったのだ。もはや手は汚れた。業を背負ったのだ。敵として立ち上がったアーレスに刺客を放つくらいは平然とできるのではないか。
もっとも、ラナディース側の動きを見る限りでは、こちらとの決戦に向けて戦備を整えている様子だったが。
それも信用できるものかどうか。
「しかし、ラナディースのみがこの状況を見ているわけではありますまい。アザーク、ガンディア、ベレル、メレド――近隣の国々が、この情勢を座して見ているとは考えられませぬ」
「ラナディースの手のものが国境を封鎖しているという情報があるが?」
「それもどこまで効果があるのかわかったものではありませんな」
街道を封鎖するだけで情報の漏洩を防ぐことができれば、それほど楽なことはないだろう。実際には、そんなもので情報の拡散が防げるはずがなかった。事実、ラナディース謀叛の報は、ログナーの情報封鎖を飛び越えてザルワーンにいたアーレスの元に届いている。完全に封鎖されていれば、アーレスがその事実を知ることはなかったはずであり、グレイたちがこの地に来ることもなかっただろう。
近隣諸国がログナーの現状を知れば、どう出るか。
ログナーはいま、真っ二つに割れているようなものだ。
ひとつは、先王を排斥し、エリウスを新王として擁する一派である。アスタル=ラナディース将軍の名声と人望は、反逆者としての暗ささえも掻き消してしまうほどのものであり、むしろこの謀叛によってログナーが新生すると信じさせるだけの迫力があった。故に、彼女の下には何千という兵士が集い、国内が混乱することはなかったのだ。
もちろん、彼女に反発し、逆賊と断じるものたちもいる。その先頭に立つのがアーレス・レウス=ログナーであり、彼はいまもログナーの第二王子であると言い放ち、父キリル・レイ=ログナーこそがこの国土の統治者であるのだと主張していた。そして逆臣アスタル=ラナディースを誅伐するための軍を起こしたのだ。
かくしてログナーにはふたつの勢力が存在し、火花を散らして睨み合っていた。
そんな事態だ。いくらでも付け入る隙はあるだろうし、周辺諸国は、その好機を窺っていると考えておいて間違いはないだろう。
「だが……!」
こちらを振り返ってきたアーレスのまなざしには、さきほど垣間見たときとは違って多少の理性が認められた。熱は冷めていないようだったが、少なくとも冷静さを取り戻しかけているのはわかった。
「わたしが逢わねば、話になるまい。相手が刺客ならばなおさらだ。わたしはログナーの第二王子だぞ? 逃げるわけにはいかないのだ」
「わかりました。そこまで言うのでしたら、わたしも同行させて頂きます」
グレイ=バルゼルグは、そう告げると、アーレスの眼を見据えた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
セツナたちが、クレイグ=クラシオンの案内でレコンダールの城門を潜り抜けることができたのは、あれから一時間ほど後のことだった。
その間、セツナたちは激しくなった雨に打たれ続けていたため、衣服はずぶ濡れになり、体も冷え切っていた。馬車は狭い。無理やり詰め込んだとしても十人前後しか乗り込めないのだ。そして、自分たちだけ馬車の中で雨露を凌ぐという選択肢はなかった。たとえ彼らがこちらに信服しておらず、いつ裏切られるのかわかったものではないにしても、わざわざ悪感情を煽る必要はない。
もっとも、
「いまさらそんなことをしたところで、どうなるものでもないでしょうに」
ランカインの呆れたようなつぶやきには、セツナとて同意せざるを得なかったが。
レコンダール市内には、城門の警備の厳重さに見られるような緊張感はなく、むしろ緩慢な倦怠感さえ漂っていた。だらけきっているのだ。市内に無数に張り巡らされた路地には、ザルワーンの兵卒の姿が散見されたのだが、彼らはクレイグ=クラシオンの姿を見つけると軽く会釈した程度で、ぞろぞろと連れ立って歩くセツナたちに目もくれなかった。
クレイグが先頭に立っているとはいえ、見るからに怪しげな一団なのだ。気にも留めないというのはやる気がないという証拠なのかもしれない。しかし、それが兵士たちの本心なのかはわからない。降りしきる雨の所為かもしれないし、そう装っているだけかもしれない。
(なにせ敵陣だからな。用心しないと……)
セツナは、気を引き締めると、ログナー第二の都市レコンダールの複雑な街並みを一応頭の中に叩き込んでいった。ここが戦場になるかもしれない――ラクサスが城門前でつぶやいた一言が、セツナの意識に緊迫感をもたらしていた。
やがてセツナたちは、クレイグ=クラシオンに先導されるがまま、レコンダールの北側に聳え立つ豪奢な屋敷に辿り着いた。まるで宮殿のような屋敷には、レコンダールの城門よりも遥かに厳重な警備が敷かれており、警備に当たる兵士たちの意識も市内で見かけた兵士たちとは大きく異なっているようだった。その屋敷の中にいる人物が原因なのか、それとも、常に緊張感を持っていられるような兵士たちだけがこの屋敷の警備に当てられたのか。恐らくは前者だろうが。
セツナたちは、クレイグ=クラシオンに案内されるがままに邸内へと進んでいく間、警備兵たちの刃のように鋭い視線に曝され続けなければならなかった。武装した兵士たちの視線は鋭く、いかなる異変も見逃さまいとする意志が感じられた。中には剣の柄に手をかけているものもいたが、それも仕方のないことだろう。いくらクレイグ=クラシオンを落とすことに成功したとはいえ、傭兵気取りと野盗の集団であり、一目見れば胡散臭いと思わざるを得ないのだ。ひとは見た目で判断してはいけない、というのは綺麗事に過ぎない。
屋敷に入ることを許されたのは、全員ではなかった。ラクサスともうひとりだけ、というのが向こうの条件だった。当然の話かもしれない。約三十人の大所帯である。数が多すぎるのだ。それだけではない。相手がこちらを全面的に信用しているはずがなかった。当たり前だ。クレイグがラクサスの話に感動して、取り次いだだけなのだ。三十人もの見知らぬ相手と面会するのは、あまりにも危険だった。
「レックス殿、どなたを連れていかれますかな?」
「そうですね……」
クレイグに尋ねられると、ラクサスは、ひとりひとりの顔を覗き見るようにした。レックス=バルガス。それがラクサスの偽名である。セツナは、レックスもバルガスも彼の本当の名前(ラクサス=バルガザール)に似ているような気がしたが、ラクサスは別段気にもしていないようだった。そうそうばれるものでもないだろう、というラクサスの自信はどこから湧いてくるのだろう。確かに、名前が少々似ているからといって露見するようなものでもないのだろうが。
セツナは、ファリアくらいには凝って欲しいものだと想わないでもなかった。
「ニーウェ、君にしよう」
「俺ですか?」
「ああ」
セツナは、ラクサスに見つめられて、きょとんとした。素直な反応だった。こういうときラクサスならば、しくじりそうもないランカインを選ぶと想ったのだ。セツナは、自分でいうのも変だが、まだまだ危なっかしいところも多く、こういう場面での選択肢としてはありえないような気がしてならないのだ。
「では、参りましょうか?」
「頼みます」
「こちらへ。殿下と将軍が首を長くしてお待ちになっておられます」
クレイグ=クラシオンのその台詞に、セツナはラクサスと顔を合わせた。驚きが、ふたりに沈黙を強いた。これから面会する相手は、クレイグの上司どころではなかったのだ。アーレス=ログナーとグレイ=バルゼルグ。それは、このレコンダールを実質的に支配するふたりの人物だった。
さすがに予想外の事態であり、セツナは、緊張感が急速に高まるのを認めた。
「殿下と将軍がですか!?」
尋ねるラクサスの声が上擦っていたのは演技もあったのだろうが、多少は本当の反応でもあったのかもしれない。それくらいに驚くべき状況だった。たかが門番をしていた男なのだ。そんな男が、アーレス、グレイと接点があり、彼らに掛け合うことができるなどと、だれが想像できるだろう。
「いかにも! それがしが殿下に直訴致したところ、是非とも逢われたいと申されたのです!」
クレイグが常にどこか誇らしげなのは、アーレスに直接進言できる立場にあるということが彼の心理に大きく影響しているのかもしれなかった。
「クレイグ=クラシオン! 《銅の槌》のレックス=バルガス、ニーウェ=ディアブラスの両名とともに参りました!」
クレイグが大声を発したのは、屋敷の奥まったところにある応接室の扉の前だった。長い廊下を渡り、ようやく辿り着いたその部屋の扉はいかにも高級品といった風情があり、屋敷全体に漂う気品をまったく損なわない一品だった。
室内からの返答は、すぐにあった。
「入れ」
「失礼します」
クレイグ=クラシオンの骨ばった手が、扉を開く。
広い部屋の中には、ふたりの男が立っていた。ひとりは二十代の若者であり、前もって聞いていた話の限りでは彼がアーレス=ログナーに違いない。王子というだけあって貴公子然とした青年だった。
もうひとりの男は、武人然とした巨漢だった。筋骨隆々。絵に書いたような大男であり、彼こそが将軍グレイ=バルゼルグに違いない。鬼のような、という形容詞がこれほど相応しい男もいないだろう。鍛え上げられた肉体も、形相も、セツナが出会っただれよりも恐ろしく研ぎ澄まされていた。
そして、その男の発するただならぬ気配は、セツナが寒気を覚えるほどのものだった。威圧しているというわけでもあるまい。そんなことをするような小物が猛将などと恐れられるはずがなかった。
空気が、緊張している。
「待っていたぞ、レックス=バルガス。話はクレイグから聞いている。よく来てくれた。わたしは君たちのような義士の到来を待ち侘びていたのだ」
アーレスの鷹揚な態度は、王族として生まれ育ったもののみが持つ気品によって装飾されており、上に立つものとしての最低限の威厳が感じられた。もっとも、レオンガンドとは比べるべくもないというのが、率直なセツナの感想だったが。
若さが問題ではない。
レオンガンドも若い王ではあるのだ。しかし、アーレスとは違うなにかがレオンガンドにはあった。それがなんであるのか、セツナには、言葉で説明することはできなかったが、少なくともそのなにかが大きな魅力であることは間違いなかった。
「逆賊を討つために率先して立たれた殿下こそ、義士の中の義士であられましょう! 我々は、殿下の御旗の下に集ったまで」
「君たちは行動を起こし、わたしの下に参集してくれたのであろう? それを義挙と呼ばずになんとする? わたしは感動しているのだ! こんなに喜ばしいことはない! そうであろう」
アーレスの力強い台詞は、セツナにある種の確信を抱かせるものだった。彼はラクサスを信じきっている。疑ってなどいないのだ。ラクサスの迫真の演技の為せる業なのか、それともアーレスの置かれている状況がこちらにとって有利に働いたのか、それはわからない。が、どちらにしても、いまのところは上手くいっているのだ。
セツナは、安堵したものの、表情には出さなかった。グレイ=バルゼルグの鋭いまなざしは、微妙な顔色の変化さえも見逃さまいとしている証明だった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
(ふむ)
ランカインは、人気の少ない通りを悠然と歩いていた。
いまのところ、ラクサスの策は上手くいっているといってもいいのだろう。クレイグ=クラシオンという老兵とアーレス=ログナーを騙せている以上、しばらくは持つはずだった。グレイ=バルゼルグ将軍の動向だけが気になったが、内に入り込んだ以上、露見を恐れるよりは行動しなければならなかった。
情報収集である。
なによりもザルワーンの真意を見抜かなければならなかった。彼らの目的がラナディース一派の討伐だけならばまだしも、ガンディア侵攻をも目論んでいるのならば、こちらも迅速に行動しなければならなくなる。
場合によっては諜報員に構っている場合ではなくなる可能性もあった。
そして、
(意気軒昂……というほどではないな)
市内を散策する間に把握したのは、それだった。
レコンダールを占拠してまだ十日も立っていないはずなのにも関わらず、兵士たちの士気は極めて低かった。天候の所為などではないだろう。雨が戦意を奪うのなら、それほど容易いことはない。単純に、彼らにやる気がないのだ。
城門や屋敷の警備をしていた連中と、市内をうろつく兵士たちの違いはなんなのか。クレイグ=クラシオンを筆頭とする警備兵たちの士気は高く、目にもうるさいほどだったが。
嗤う。
(哀れなバルゼルグ将軍の哀れな兵隊たちと、ログナーの人間の違い……か?)
ランカインは、目を細めた。哀れなグレイ=バルゼルグ。彼は、事の真相を知らぬまま、生涯を終えるに違いない。そして、そのほうが彼にとっては幸福なのだろう。故にこそ哀れだった。だからといって、グレイに真実を告げる必要性は感じられなかった。哀れな人形は、哀れにも踊り続けるのが相応しい。
天を仰ぐ。鉛色の空からは、絶え間なく雨が降り注いでいた。ランカインは、全身を濡らしていく雨の色彩に笑みを浮かべた。体は冷え切っている。しかし、心の奥底では、炎が渦巻いていた。紅蓮と燃える闘争本能。死地を求め、彷徨する魂の情動。
それは、劣情に似ていた。
ランカインは、ふと呪文を口ずさんでいる自分に気づいたものの、それを決して止めようとはしなかった。監視はとっくに振り切っている。遠慮する必要はなかった。歌うように言葉を並べる。古き言葉。魔法の言葉。もっとも、結尾は口にしない。それは状況を最悪にしかねないのだ。
彼は、狂気と正気の狭間で、古代言語を歌い続けた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
やがて、夜が訪れた。
セツナたちは、アーレスたちが司令部とする屋敷に近い場所にある建物を宿舎として与えられていた。約三十人を押し込めるには少々狭かったが、文句を言っていられる立場ではない。目的を達成することが肝要なのだ。
冷え切っていた身体を風呂で温め、それなりに豪勢な食事で空腹を満たした一行は、泥のように眠った。長旅による疲れもあったのだろうが、なにより、馬車の中や野外ではなく、建物の中という安心感が皆の眠気を刺激したに違いなかった。
馬車の中で睡眠を取ることのできたセツナでさえ、そうである。野宿するしかなかった野盗たちにとって見れば、この宿舎は楽園や天国のようなものだったのかもしれない。
が。
「起きろ」
「ふぇ?」
激しく揺り起こされて、セツナは、生返事を浮かべながら瞼を開いた。穏やかで懐かしい日々の夢から呼び戻されて、一瞬、怒りが生まれたがそれも即座に霧散する。淡い闇が視界を覆っていた。なにも見えない。静寂が世界を包んでいた。
判然としない意識の中、夢の国からの甘い誘惑を振り払うことは難しく、彼は再び目を閉じようとした。
もっとも、ラクサスの声がそれを許さなかったが。
「寝ている場合じゃない」
「ふぁい?」
「どうやら、包囲されたらしい」
「はあ?」
セツナは、ラクサスの言っていることの意味がわからず、寝惚け眼を擦りながら身体を起こした。視界は闇に閉ざされたままだったが、気配と物音でラクサスの居場所を探る。彼は、セツナが寝ているベッドの傍らに立ち、窓の外を眺めている様子だった。
窓の向こう側には、夜の闇が広がっているようにしか見えない。
ラクサスが皮肉げに笑った。
「ダグネたちが裏切ったということさ」