第六百二十八話 協会
ザルワーンの大地を埋め尽くすのは、化け物の群れだ。
皇魔。
人類の天敵と呼ばれる。
五百年の昔、聖皇ミエンディアが召喚した神々に引き摺られるようにして出現したそれらを、聖皇の魔、皇魔と呼ぶようになった。神々と違って、人類にとって害にしかならなかったことが最大の要因であるが、その悪魔的な外見にも理由があるだろう。そして、魔物たちが人類を敵視し、暴威を振るったことも大きい。
聖皇の神々は、皇魔に対するものとして、皇神と呼ばれたものの、それらが人類を守護するということはなかった。皇神は歴史の闇に消え、皇魔だけが地上に残った。あらゆる生物の頂点に君臨するかのように。
しかし、人類は絶滅することなく、歴史を紡いできた。
都市は巨大化し、城壁は堅牢なものとなっていったが、そうしなければ大陸から人間という種は消えていたかもしれない。
五百年。
人間が皇魔の姿を見るたびに恐怖を抱くのは、歴史に刻まれた記憶が喚起されるからだろう。人を見れば殺気を放ち、人と出遭えば殺戮し、人の住処に殺到する。人外異形の化け物達。分かり合えるはずもなければ、交渉の余地などないかに思われていた。
が、クルセルクの魔王ユベルは、皇魔を従えていた。何万もの皇魔を支配下に置き、このガンディアの領土に攻め寄せてきたのだ。
通常、考えられることではない。
まるで悪い夢を見ているようだ、というものもいた。
「現実に目を背けるな!」
グラード=クライドが吼えると、全軍に緊張が走った。いや、緊張は常にあった。兵卒のひとりひとりに至るまで、だれもが死地に赴くことを知っていた。ザルワーンの激戦をくぐり抜けてきた者達にとっても、それは死地としか言いようのない戦場だった。
敵は皇魔。
人間ではないのだ。
人間が相手ならば、どうとでもなりうる。劣勢を覆すこともできよう。しかし、皇魔が相手では、人間相手の戦い方が通用しないと心得なければならない。人間相手の駆け引きなど、皇魔にはなんの意味もないのだ。
皇魔は、破壊と殺戮の化身といってもいい。
「これは悪夢ではない! 厳然たる現実だ! 敵は幾万の皇魔! あれらを退けられなければ、我らに未来はない! ガンディアにも! ログナーにも!」
(皇魔が組織的な行動を取っているっていうのがおかしいんだ)
ドルカは、グラードの咆哮を聞きながら、手綱を握る手に力を込めた。皇魔は、群れて行動こそすれ、統率の取れた行動をするわけではなかった。指揮官はいるものの、その行動に論理的根拠を求めるのは難しい。それが皇魔だった。
だというのに、クルセルクの皇魔は、まるで人間の軍隊のように動いていた。およそ三万の軍勢がマルウェールを包囲すると、すぐには攻撃せず、部隊をふたつに分けた、というだけでも皇魔らしくない。これが、人間の軍勢ならば、腑に落ちるのだ。
(皇魔が、人間に従うなど、あっていいことなのか?)
クルセルクの内情がある程度判明した現在に至っても、皇魔と魔王の関係性は見えてこなかった。ただ、皇魔が軍事的な訓練を受けていることはわかっている。反魔王連合との戦いの経過を見る限り、軍隊として十分以上に機能してもいる。
魔王は、支配下の皇魔を軍隊として鍛え上げた――真実はともかく、事実としてそう考えるしかないだろう。
「眼前の皇魔を打ち払い、クルセルクの魔王を討つ! それだけが我らの将来を掴み取る唯一の方法だ!」
グラードの雄叫びに、ログナー方面軍の兵士たちが歓声を上げた。強引にでも士気を高揚させようというグラードの目論見は成功したといえる。死地へ赴く緊張を、興奮と熱気で狂気へと昇華しようというのだ。
ドルカは、右後方を見た。ニナが第四軍団の部隊長たちに命令を発していた。第四軍団は、冷徹かつ的確な指示を出すニナがいて初めて輝く組織である。もちろん、軍団長であるドルカが蔑ろにされることなどありえないのだが、ニナがいなければ機能的に動くことはないだろう。それくらい、ニナ=セントールに依存している。
「グラード軍団長のいう通りだ。ともかく、目の前の敵を蹴散らすことだけを考えろ!」
『おおーっ!』
「やれやれ、これじゃだれが軍団長かわからないねえ」
副長の叫びに声を上げる兵士たちの様子にドルカは肩を竦めたものの、皮肉を込めたつもりもない。正直な感想だった。
すると、ニナが馬を寄せてきて、上目遣いにこちらを見た。いつもの鉄面皮に可愛げが生まれるのは、その角度のせいかもしれない。
「軍団長はドルカ様ですが」
「わかっているともさ。ただ、まあ、なんていうか、ニナちゃんが軍団長になっても問題なさそうだと思ってさ」
「軍団長?」
「俺が死んだとしても、ニナちゃんなら上手くやってくれる。そうとわかれば、無茶もできるってもんさ」
「なにいってるんですか。第四軍団は、軍団長がいるからこそ纏まっているんですよ。そんな不吉なことは、考えないでください」
「難しい注文だな」
ドルカは、ニナの鋭いまなざしに笑みを返した。
「楽観的になれるような状況じゃないんだ。生き抜くつもりではいても、いつだって俺が死んだときの事を考える必要がある。俺は軍団長だからね」
「ですが」
「わかっている。いまは、目の前の敵に集中しろっていうんだろ。そんなことは、わかりきってるさ」
彼女の台詞を遮るように告げて、ドルカは軍馬の腹を蹴った。驚いて駈け出した愛馬の手綱を操りつつ、背後を見やる。副長のニナを始め、ログナー方面軍第四軍団の全部隊が、彼に引き摺られるようにして動き出した。
前方に横たわるのは、ザルワーンの沃野だ。朝焼けの中、暗い影が落ちているようにみえるのは、一万を超える皇魔の群れが大地を埋め尽くしているからだろう。
(クルセルクには、勝利する。それは明らかだ。こちらには黒き矛がいる。彼なら、魔王さえも仕留めることができるはずだ)
セツナ・ラーズ=エンジュールを信じている。
かつて祖国に滅びを突きつけた黒き矛の実力を、信じきっている。だからこそ、この無謀極まる戦いにも命を賭すことができるのだ。
勝利を確信しているからこそ、死ぬこともできる。
(死ぬつもりはないけどね)
ニナにもいったことだが、ドルカにその気はなかった。なんとしてでも生き延びる。それが彼の生き様だった。もちろん、自分ひとり生き延びても仕方がないとも思っているのだが。
前方の皇魔は、マルウェールから南西に向かって流れてきた軍勢である。一万体以上の皇魔が、隊伍をなし、粛々と行軍するさまは奇妙としかいいようがなかった。そして、皇魔たちは、自分たちの進行方向に展開するガンディアの軍勢を認識すると、防御陣形を構築した。
皇魔の軍勢に対するのは、ゼオル、スルーク、ナグラシア、龍府の各都市、各地から出撃したガンディアの軍勢である。メリス・エリス付近に陣取っていたログナー方面軍第二、第三軍団は、皇魔軍の東側に展開する格好になり、ザルワーン方面軍第三、第四軍団は北面を抑え、第五、第六軍団は南部、龍府を発したガンディア方面軍第三、第四、第五軍団が西側から迫る形になった。ドルカたちは、南西から皇魔の群れに突き進んでいる。
マルウェールから南西へ、まるでザルワーンの中心を目指して移動するかのような皇魔を遠巻きに包囲する形になったのは、偶然にしても出来過ぎではあったが、ナーレスの読み通りでもあった。マルウェールを攻囲した部隊とは別の部隊がザルワーンを蹂躙することを見越して、各部隊を配置していたのだ。
たとえ、皇魔の別働隊がマルウェールを南下し、スルークの東を通過、ナグラシアに向かったとしても、ログナー方面軍第二、第三軍団が抑えている間に包囲の形に持って行くことができただろう。ログナー方面軍第二、第三軍団には、ガンディアが雇った傭兵集団が随伴している。戦力的には、申し分ない。
(戦力的に申し分ないといえば、うちらもか)
ドルカは、だれよりも先を進む真紅の鎧を見遣りながらつぶやいた。ガンディアは、クルセルクとの決戦に当って、《大陸召喚師協会》と交渉し、複数の武装召喚師を雇い入れており、そのうちのふたりがドルカたち第一・第四混成部隊に編入されていた。
グラードの後を追う二頭の軍馬に乗っているのが、それだ。




