第六百二十六話 鬼謀
「先もいったように、マルウェールは囮です。敵は、我がほうの戦力の膨大さを恐れている。まともに戦っていては、勝ち目がないと踏んでいる。勝ち目がないから、策を弄した。マルウェールに戦力を集中させ、多少なりとも隙の生まれたクルセルク本土をジベルとアバードの軍勢で攻略する……連合軍の目論見は、そんなところでしょうね」
だれが立案したのかは知らないが、その策自体は、決して悪いものではないように思えた。相手がクルセルクでなければ、思惑通りに機能し、連合軍に勝利をもたらし得ただろう。だが、連合軍がその策を仕掛けた相手はこのクルセルクなのだ。戦力は、連合軍が思っている以上に多く、盤石といってもいい。
マルウェールに差し向けた戦力は、総戦力の半数にも満たないのだ。倍以上の戦力が、クルセルクの国土に残っている。国土や都市の防衛に当たっているのだ。そこからさらに半数をアバードとジベルにぶつけても、国土防衛に必要なだけの戦力を捻出できるくらいの兵数を誇るのが、このクルセルクなのだ。付け焼き刃の連合軍などに突破できるような薄さではない。
「その策を潰す、といったな?」
「はい」
オリアスは、穏やかに告げた。
「策を潰す方策はふたつ。ひとつは、ガンディア侵攻軍をふたつに分けること」
「マルウェールの攻囲に専念させる部隊と、ガンディアの侵攻に注力する部隊か。だが、それこそ連合軍の思惑通りではないのか? 戦力の分断こそ、彼らの望みだろう」
「ですから、ひとつといったのです」
彼は、ユベルの素直な反応に笑みさえ浮かべた。魔王には、そういうところがあった。魔王らしく傲岸かつ尊大に振る舞おうとするのだが、人間としての本質を隠し切ることができないのだ。そういうところも、ミレルバス=ライバーンとユベル・レイ=クルセルクの違うところだといえる。ミレルバスは、ミレルバス=ライバーンを演じ続けることができた。最期まで、国主ミレルバス=ライバーンで在り続けた。
そういう点では、稀有な人物だった。
「もうひとつは、マルウェールの早期制圧の実現」
「なるほど。早期制圧を実現させることさえできれば、戦力の分断も意味を成さなくなるな。だが、可能なのか? マルウェールは改修され、城塞化したと聞くぞ?」
「その点はご心配なく。マルウェール攻囲部隊には、わたくしの弟子をつけましたから」
オリアスが告げると、魔王はにやりとした。
「稀代の武装召喚師オリアス=リヴァイアの弟子か」
「彼らは物覚えもよく、勤勉で、なにより素直でした。人間が十年かけて覚えるようなことを二ヶ月足らずで習得してしまうのですから、驚きを通り越して、呆れたものですよ」
皇魔たちの能力の高さは、魔龍窟を再現するまでもなかったという事実にも現れている。皇魔たちは、古代言語を瞬く間に習得すると、大陸共通言語まで体得し、武装召喚術を会得していったのだ。それこそ、あっという間に、だった。オリアスは、自身を才能の塊だと自負しているが、その自負さえも吹き飛ぶような早さであり、自分がいかに矮小で狭量な価値観でものを見ていたのかを認識させられた。
皇魔の理不尽なまでの強さの一端を垣間見るとともに、そんな化け物が武装召喚術を習得したという事実がどれほど恐ろしいことなのかも理解した。
魔王の支配下にあればこそ笑っていられるが、もし、魔王が彼らの支配を解くような事態が起きれば、大陸に激震が走るだろう。
そんなときがくれば、皇魔は、真の意味で天災となるのだ。
風が、流れている。
戦塵を運ぶように、強く、烈しい風だった。
「クルセルクは、我々の思惑通りに動くでしょう」
ナーレス=ラグナホルンは、愛馬を操りながら、いった。隣には、大将軍アルガザード・バロル=バルガザールの姿がある。白髪の巨漢は、軍馬に跨ることで、その好々爺然とした姿を猛々しい軍神へと変貌させた。ただそれだけのことで、兵卒のひとりひとりに至るまで士気を高揚させるのだから、箔というものは大事なものだ。
アルガザードが、大将軍というガンディア軍の最高位にあるただひとりだからこそできる芸当なのだ。そして、アルガザードが数多の戦いを生き抜いてきた武人であり、ガンディアの守護神として君臨し続けてきた事実が、彼の格を揺るがぬものにしている。ガンディア人のみならず、ログナーやザルワーンにまで鳴り響いた武名は、こういうときにこそ役に立つのだ。
ナーレスはいま、龍府に駐屯していた軍勢を動かしている。
これも予定通りだった。ガンディア領になだれ込んできたクルセルクの軍勢を包囲覆滅するには、多少の戦力では駄目なのだ。戦力を出し尽くす覚悟で挑まなければならない。しかも、主力が不在という重い現実もある。
「彼らは、あまりに肥大しすぎた。国土の広さに比べて、兵数が多すぎるのです。考えてもみてください。ザルワーンでさえ、二万の戦力がやっとでした。いまのガンディアならば、三万はあってもおかしくないとはいえ、それでも十分過ぎる戦力しょう。三万もあれば、小国家群に覇を唱えることも難しくはないのですから」
「皇魔だけで六万。クルセルクの正規兵を含めると、八万以上……か。確かに膨大だ。肥大というのもあながち間違っていないか」
反魔王連合との戦い以来、軍の指揮を取っているのは、オリアス=リヴァイアという人物だという。
オリアス=リヴァイア。
ミリュウ=リバイエンの父親オリアン=リバイエンの本当の名前が、オリアス=リヴァイアだったはずだ。セツナたちが休暇先のエンジュールで遭遇したアズマリア=アルテマックスにより伝えられた情報が事実ならばの話だが、アズマリアが虚言を用いてセツナたちを混乱させる道理はなさそうに思えた。であれば、事実と仮定して考えるべきだ。
オリアス=リヴァイアがオリアン=リバイエンだとすれば、ザルワーン戦争後、クルセルクに渡ったということだ。そして、魔王に評価され、軍の最高指揮官にまで上り詰めたのだろうが、通常では考えられないような出世は、セツナにも匹敵するのではないか。もちろん、比較する必要もないが。
オリアス=リヴァイアの正体がオリアン=リバイエンだという事実だとしても、特別脅威に感じることはなかった。彼に軍事的才能があるとは思えないからだ。彼に軍事的才能があれば、ミレルバスはナーレスではなくオリアンを軍師として重用したであろう。
オリアンは、ミレルバスの半身であり、ミレルバスの数少ない理解者だったのだ。同じ軍師ならば、理解者のほうが信用するにたるはずだ。
だが、ミレルバスは、オリアン=リバイエンを魔龍窟総帥に留めた。それ以上の権力を与えてはいたものの、軍事的指揮権は、オリアンにはなかった。オリアンに部隊を率いさせるつもりもなかった、ということだ。
だからといって、一切安堵しないのは、オリアン=リバイエンが一線級の武装召喚師だからだ。たった数ヶ月で武装召喚師を育成できるとは思えないが、彼自身が戦場に立つという可能性も考慮しなければならない。まさか、オリアン自身がガンディア攻略に乗り出すとは思えないが。
「たとえ、オリアス=リヴァイアがこちらの策を見抜いていたとしても、マルウェールに取りついた以上は、わたしの思惑通りに動くほかはありません」
ナーレスは、強気にいいきった。
(打てる手は打った)
クルセルクと戦うことになるのは、ザルワーンを制圧したときから決まっていたようなものだ。クルセルクは、魔王による簒奪からこっち、領土の拡大を開始している。ザルワーンの隣国であるクルセルクが、ガンディアと衝突するのは時間の問題だったのだ。
鎖国状態だったクルセルクの軍事力を知ることは困難ではあったものの、対策が取れないということはなかった。
端的にいえば、戦力の増強である。
複数の傭兵団と契約を結び、《大陸召喚師協会》と交渉を重ねた。強大な力を持つ武装召喚師が一人でも多く雇い入れることができれば、勝利を引き寄せることもできるというものだ。
結果、ガンディアの戦力は、大幅に強化されたのだ。圧倒的な戦力差を覆しうるだけの戦力を整えたつもりではいる。
(そして……)
ナーレスは、後方を振り返った。隊列の後方には、絢爛豪華な軍装に身を包んだ王立親衛隊《獅子の牙》と《獅子の爪》が、粛々とした態度で行進していることだろう。そこには当然、ガンディア国王レオンガンド・レイ=ガンディアもいる。国王ともあろうものがみずから戦場に出るというのは控えるべきことだったが、劣勢を覆すには高い士気と覚悟が全軍に行き渡らなければならないだろう、というのがレオンガンドの意見だった。
レオンガンドは、国王みずからが陣頭に立つことでガンディア軍人を奮い立たせようというのだ。ガンディア軍人が奮起すれば、それに当てられてログナー人もザルワーン人も奮戦するのではないか、という彼の思惑は、ある程度は成功するだろうとナーレスは見ている。だからこそ否定しなかったのだが、一抹の不安を抱いてもいた。
いま、レオンガンドの絶対的な護衛であるアーリアが不在なのだ。だれにも認識できないという異能を持ち、鉄線を自在に操ることさえできる怪人が常に寄り添っているからこそ、レオンガンドに無茶をさせてもよかった。彼女が影のように寄り添っているから、レオンガンドが殺されることはありえないと言い切れる。ザルワーン戦争ではその油断が仇となり、レオンガンドの片目を失う結果になったが、その失態がアーリアの誇りを奪い、彼女を完全無欠の守護者へと昇華したという事実もある。アーリアは、あのときから、レオンガンドの完全な影となった。婚儀での騒動でも、アーリアはレオンガンドを守り抜いたのだ。
そのアーリアがいない状況で、レオンガンドを前線に出すことはしたくなかった。主君たるもの、本来ならば後方で勝利の報告を待っているべきなのだが、レオンガンドにはそれができないらしい。みずから戦場に出ていかなければ、死んでいくものに申し訳が立たないとでも思いつめているようだった。悪い癖だ、と何度もいうのだが、聞く耳を持たない。
王の盾たる《獅子の牙》がレオンガンドに近侍しているものの、アーリアほどの安心感はなかった。それも仕方のないことだ。アーリアは、外法機関によって異能が発現した超人なのだ。常人とは比べ物にならない力を発揮する、化け物といって差支えがない存在だ。レルガ兄弟やウルも同じだが、彼女のように戦闘に加わらなかったのは、戦闘に特化した能力を持ち得なかったからだ。
アーリアとイリスだけが、戦闘に特化した。
何人もの被験者が、ふたりの実験で死亡したという。彼女たちの心が壊れたのも、当然の帰結といっていいのかもしれない。
アーリアはいま、クルセルクの大地に潜伏している。
(ひとつだけ気がかりがあるとすれば、だ)
魔王を討てば、それですべてが丸く収まるのかどうか、ということだ。
第二城壁が破壊されたと思ったつぎの瞬間、爆音が轟き、大気が激しく震えた。
振り返ると、銀甲冑の皇魔が吹き飛ばされてくるのが見えた。レスベルが牙を剥き出しにして吼えるも、為す術もなく第一城壁の内側に激突する。直後、第二城壁の大穴からなにかが飛び出し、城壁から飛び上がったレスベルを堀の中に叩き落とした。水柱が上がる。
「皇魔が武装召喚術を使うとはな」
くぐもった声は、すぐ側で聞こえた。
「が、それでこそだ」
半身が異形化した仮面の男が、ミルディの隣に立っていたのだ。その男が、軍属の武装召喚師カイン=ヴィーヴルだということは、ミルディが知らないはずがなかった。
彼こそ、マルウェール防衛の要だったのだ。
「第一城壁の補修を急いだほうがいい。補修したところで、すぐに破られるかもしれんが、気勢を削ぐことはできる」
カインの提案に兵士たちが即座に動いた。元より、補修させるつもりではあったのだが、城壁を破られて間もないこともあり、動き出せずにいたのだ。城壁に開いた穴から侵入を試みる皇魔の撃退もしなければならない。いや、そちらのほうが急務でもあった。
「は、ははは……冗談みたいな戦いだな、おい」
「武装召喚師の戦いなんてものは、通常人から見れば冗談みたいなものさ」
彼の姿そのものが、冗談みたいだといえば、彼は怒っただろうか。
ミルディは、異形の甲冑を纏う男を見つめながら、そんなことを考えた。失っていた腕を補うような篭手に、半身を覆う軽鎧には長い尾があった。竜を模しているのかもしれない。そういえば、仮面も竜を思わせた。
妙な親近感を抱いたのは、その竜を象徴する姿のせいかもしれなかった。
ザルワーンは竜の国だ。ミルディらザルワーン人にとって、竜ほど特別で、親密な存在はないのだ。
「そういえば、いま、皇魔が武装召喚術を使うとかいったな?」
「ああ。いまのレスベルの甲冑は、召喚武装だ」
「悪い冗談だな」
「この戦争そのものが、悪い冗談だ」
カイン=ヴィーヴルが皮肉に口の端を歪めたのが、なんとなく想像できた。
そのとき、ミルディの後方で破裂音がした。振り向く。堀の中から巨大な水柱が立ち上ったかと思うと、その中に銀甲冑のレスベルを発見する。
爛々と輝く双眸は、カイン=ヴィーヴルを認識して、喜びを発しているように見えた。
「さすがにしぶといか」
カインはうんざりと、しかしまんざらでもなさそうに告げて、跳躍した。距離は一瞬でなくなる。左腕の一撃は受け止められたものの、尾による追撃が皇魔の背中に突き刺さる。レスベルは吹き飛ばされながらも、口から光線を吐き出してカインを攻撃した。破壊的な光の奔流は、カインの篭手に弾かれて門楼に激突、爆砕した。
「各方面に通達しろ。魔王軍の中には、武装召喚術を体得した皇魔が存在する模様。注意されたし、とな!」
カインが皇魔ともども堀の中に落下していくさまを見遣りながら、ミルディは口早に命令した。全身が泡立っているのは、カインがいなければ、自分の命が危うかったこともあるだろうが、それ以上に武装召喚師の戦闘の凄まじさを目の当たりにしたからにほかならない。
(常人には常人なりの戦い方があるさ)
武装召喚師には武装召喚師を当てればいいのだ。
ミルディは、気を取り直すと、城壁の大穴に向かった。殺到する皇魔を撃退しなければならない。皇魔の武装召喚師を撃破したところで、マルウェールが落ちてしまっては意味が無いのだ。
マルウェールを死守することで、ナーレスの策は生きる。