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第六百二十三話 咬牙

 一月十五日明朝、マルウェール北東を埋め尽くした皇魔の群れは、ガンディア軍の予測通り、正午にはマルウェールの包囲を完成させた。

 眼下、見渡すかぎりの皇魔の群れが、攻撃命令を待ち侘びているのが、城壁上の兵士たちの目に止まった。グレスベルとブラテールを主力とした軍勢。総数は不明だが、少なくともマルウェールの戦力を大きく上回るのは間違いがなかった。何千どころではない。一万から二万以上の戦力が、マルウェールという都市を包囲していたのだ。

 マルウェールの守備についているザルワーン方面軍第一軍団と第二軍団の兵士たちは、その圧倒的な戦力差を目の当たりにして震え上がった。到底勝ち目はないように思えたのだ。無論、ガンディアの本隊がこの都市を見放すはずもない、とだれもが信じている。

 クルセルク軍を誘引するために、マルウェールには最低限の戦力しか配置されなかったのだ。

(敵軍の戦略さえも操るのが軍師ナーレスの鬼謀……か)

 鼓舞するために第一城壁に移動したミルディは、堀の向こう側に翻るクルセルクの軍旗に目を細めた。クルセルクの国章ではない。大きく描かれた黄金の瞳は、魔王ユベルを示す紋章なのだ。

 それがなにを示しているのか、ミルディにはわからない。たとえそこになんらかの意味があるのだとしても、眼前の破滅的な現実にこそ注視するべきだと、彼は考えている。

 深い堀と強固な城壁を二重に持つマルウェールの守りを突破することは、容易ではない。城壁に辿り着くためには、まず堀を越えなくてはならないのだ。堀は深く、泳いで渡るというわけにもいかなかった。泳いでいったとしても壁を登らなくてはならない。壁の上には、弓兵がいる。壁の上から降り注ぐ矢の雨が、無防備な皇魔を射落とすのだ。

 皇魔は、堀を前に思案顔をしている、という風でもない。噂通り、組織的な行動を取っているのだ。命令があるまで攻撃してこないというのは、常識では考えられないことだった。皇魔が人間を目の前にして殺意をむき出しにしないことなど、ありうることではない。

 しかし、現実にそれが起きている。

 クルセルクの魔王は、まさに皇魔の王なのだろう。

 数多の皇魔を従え、この世に暗黒をもたらそうとでもいうのだろう。

 だからこそ、ガンディアは負けられないのだ。

「諸君、こちらから打って出る必要はない。我々は、援軍が来るまで耐え抜けば良いのだ。戦功を焦るな。生き残ることが何よりの武功と心得よ!」

 ミルディは、弓を構えながら声を張り上げた。元より、城外に打って出るためには橋をかけねばならないのだ。

 この状況下でそのような真似をする愚か者はいない。

 

「オリアス。卿の狙いを聞かせてもらいたいな」

 魔王がそう尋ねてきたのは唐突なことだったが、予想していたことでもあった。大戦争の開幕こそ控えてはいるものの、魔王のなすべきこと、やるべきことはほとんどないといってよかった。魔王は、皇魔を支配してくれているだけでいい。あとのことは、魔王軍総司令であるオリアス=リヴァイアと、魔王軍の将兵に任せればいいのだ。

 魔王が持て余した暇を潰すために魔王軍の司令室に足を運ぶのも、わかりきったことだった。

 だから、オリアスは彼が司令室を訪れたことを驚かなかった。彼は、いつものようにリュウディースのリュスカを連れていた。魔王の寵姫ともいわれる女魔は、なにを考えているのか、ぼんやりと室内を見回していた。

 魔王城の一角に設けられた魔王軍司令室は、常に慌ただしさに満ちている。

「さて、どこから話しましょうか」

 オリアスは、司令の席から立ち上がると、魔王に椅子を譲った。部下にリュスカの椅子の用意を命じながら、机の上に広げた地図に視線を落とす。何度となく睨み合った大陸図には、大陸小国家群の現状が克明に記されている。クルセルクの情報網の広範さ、精密さは、ザルワーンを遥かに超えるものであり、その情報量の多さと緻密さには、オリアスも舌を巻いたものだった。ザルワーンが健在であったとして、そのような国と対等に戦えたのかどうか。

 注視するべきは、巨大化したガンディアとその周辺諸国だった。

 魔王軍総司令の任を拝命したオリアスは、反魔王連合と戦っている間も、ずっと、ガンディアとの戦争について考えていた。ユベルの目的がそれだからだ。

「陛下の目的は、ガンディアを戦争で打ち負かし、この地上から消し去るというものでしたな。この大陸の歴史から抹消する、と」

「そうだ」

「なれば、戦うべき相手はガンディアだけでいいわけです。が、陛下がガンディアのみならず、周辺諸国を挑発したことで、反クルセルクの旗を掲げる国々が連合軍という形でひとつに纏まってしまいました」

「余計なことをしたか」

 ユベルはくすりと笑った。悪びれてもいない。彼にしてみれば、どうでもいいことなのだろう。敵が如何に強大化しようとも、関係がないのだ。ガンディアが巨大化する前に討滅するつもりならば、もっと早く動けただろう。ノックスになど手を出さず、ザルワーン戦争の終結を待っていればよかった。戦争がどのような形で終結するにせよ、ガンディアが疲弊するのはだれの目にも明らかだった。戦力を消耗し、国力を浪費した国を攻め潰すのは、決して難しいことではない。

 だが、ユベルはそれをしなかった。ザルワーン戦争後、彼が魔王軍を差し向けたのはガンディアではなく、反魔王を掲げる四カ国連合であり、反魔王連合との戦いは、ガンディアに多少の回復期間を与える。ガンディアは軍備を増強し、さらに連合軍を結成するに至る。

 ガンディアは、全力を投じて戦うに値する敵になった。

 オリアスは、ユベルの非合理的なやり方に口を挟まなかった。それがユベルの望みだというのならば、付き従うしかない。ユベルは、ミレルバス=ライバーンとは違う。ミレルバスにならばいくらでも意見し、批判しただろうが、魔王に対してオリアスは臣下でしかない。

「ええ。余計なことです。が、陛下のお気持ちも、わかります。ガンディアを完膚なきまでに叩き潰したいというのでしょう。となれば、我々は、陛下の悲願を叶えるために邁進すれば良い」

 というのも、本音ではあった。ユベルを主君として戴いた以上、彼の悲願のために全力を上げるのが家臣の本分であろう。

「本題はここからです。どう攻めるか。陛下はそこが気になっているのでしょう。反クルセルク連合軍参加国のうち、クルセルクと隣接しているのはガンディア、アバード、ジベルの三国です。我が方の総兵力を鑑みれば、多方面作戦を展開しても構わないのですが、それでは不安が残る。数では圧倒的に上回っているとはいえ、兵力の分散は危険を伴う」

「ふむ」

「そこで、アバード、ジベル、ガンディアのうち、いずれかに戦力を集中させるべきだと考えました」

「それはわかる。が、そこでガンディアのマルウェールを選んだのはなぜだ?」

「簡単な事です。マルウェールの戦力がもっとも少ないということが判明しておりましたのでね」

「ほう」

「情報によれば、アバードのタウラル要塞、センティア、ジベルのザンコート砦には、反クルセルク連合軍の戦力が分散して配備されており、叩くならばもっとも戦力の薄いマルウェールしかない。もちろん、これはガンディアの戦術なのは明白です」

 オリアスは、クルセルクの南西に位置するマルウェールを見つめながら、告げた。戦術や戦略など、本来自分のようなものが考えるべきではないのだろうが、クルセルクには戦争に精通した人物が皆無といっていいほどいなかった。政を任せられる人物はいるのだが、戦いとなると、幾度かの戦争を経験したオリアスが適任となるほど、層が薄いのがクルセルク――いや、魔王軍の弱点といえば、弱点だった。

 もっとも、皇魔の数に任せた力押しの戦いで勝ってきたということを考えれば、軍師や戦術に精通した人間が不要だったのも事実であり、それは、この戦いでも変わらないのかもしれない。

 オリアス自身、この戦争は、数の力で勝利するだろうと見ている。圧倒的な戦力差が、ガンディアを盟主とする連合軍と、ユベル率いる魔王軍の間に横たわっている。絶望的といっていい。

 数だけを見れば、引けを取らないのかもしれない。

 ガンディア、ジベル、アバード、イシカ、メレド、ベレル、ルシオン……七カ国が戦力を出し合えば、魔王軍にも匹敵しうる数の兵を動員することはできるかもしれない。

 だが、兵の質が違った。

 魔王軍を構成するのは、六万の皇魔だ。ブリーク、グレスベル、ブラテール、リョット、ベスベル、レスベル、ギャブレイト……様々な種の皇魔による混成軍であり、統率は十分に取れている。人間の軍勢よりも余程、規律に厳しいのが魔王軍だった。

 魔王による支配は、日に日に力を増しているという。皇魔たちの態度や反応を見ていても、わかった。人外異形の怪物たちは、さながら教育された軍人のように振る舞っているのだ。軍律を守り、行軍を乱さぬ様は、人間と変わらないといっていい。

 もちろん、それらは人間ではない。皇魔だ。遥か昔、異世界より現れた怪物たち。それらが軍属の兵士として、戦士として人間の命令に従っているのは、魔王がいるからにほかならない。魔王がいなければ、人間になど従う義理も道理もないのだ。

 そして、その怪物たちの力は、人間の比ではない。ブリークやグレスベルといった小型の皇魔ですら、鍛え上げられた人間の戦士を凌駕する力を持っている。単純な戦闘力では、人間が皇魔に敵うはずがなかった。

「ガンディアの策に乗るということか?」

「策を潰す、ということです」

 オリアスは、マルウェール周辺の地形を脳裏に描き出しながら、告げた。

 策を弄さねばならないのが反クルセルク連合軍ならば、策を用いる必要がないのが魔王軍なのだ。圧倒的な戦力差は、戦術の必要性を失わせるものだ。

(……ただひとつだけ、留意しなければならないことがある)

 彼は、多大な犠牲を払って召喚した守護龍が、たったひとりの武装召喚師に撃破されたという事実には頭を悩ませなければならなかった。

 セツナ・ゼノン=カミヤ。あるいは、セツナ・ラーズ=エンジュール。

 ガンディアの黒き矛は、ザルワーンに滅びを突きつけた人物でもあった。

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