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第六百十九話 魔王(前)


 雪が降っていた。

 凍えるような寒さは、そのせいに違いなかった。

 雪に風が混じれば、吹雪となって吹き荒れて、視界に映る何もかもを白く染め上げてしまう。

 世界は白一色に塗り潰された。

 息も凍れば、心も凍る。

 手がかじかんで思うように動かない。火が欲しいと思ったが、そんなものは持ち合わせていなかった。そもそも、こんな場所で火を起こせるはずもない。凍りついた世界。ただただ体温だけが奪われていく。

 小屋を抜けだしたのが間違いだったのだろう。

 あの小屋に篭っていれば、少なくとも、こんな吹雪に遭うこともなかったはずだ。そこになにもなかったとしても、得られるものはなく、ただ失い続けるのだとしても、命まで失うことはなかったのではないか。

 一面の銀世界を見遣りながら、彼が考えたのは、そんなことだ。そして、それができなかったことも知っている。交渉が決裂した以上、決別した以上、あの小屋にとどまり続けることなどできなかったのだ。

 彼女は彼女なりの方法で復讐を果たすというのならば、それを止めることはできない。

 自分もまた、別の方法を模索するよりほかはなかった。

 同じではいられないのだ。

 互いに人の道を踏み外してしまった以上、いや、人間であることを止めさせられた以上、取るべき道はひとつしかない。だが、同じ方法を取ることはできない。彼女は同化を拒んだ。個人であることを望んだ。孤独な魂。彼は、彼女のその気高くも儚い意思を尊重した。

 別れは必然だった。

(人外か)

 彼は、自嘲とともに笑った。

 人外ならば、このような状況を苦境とも思うまい。外法を施術されただれもが、この程度の寒さに負けるものか。アーリア、ウル、ヒース、キース、そしてイリス。外法機関の研究を生き抜いた五人ならば、この程度の吹雪など、ものともしないのだろう。

(失敗作……)

 彼は、自身に刻まれた烙印の重さを思い知った。異能の発現しなかった失敗作。研究者たちは、彼を見るたびにそういった。失敗作が、なぜ生きているのか。失敗作を生かしておく道理はない。研究者たちの言葉は、日に日に辛辣になっていたが、彼の心には響かなかった。

 心は、とっくに壊れていた。

(ここは……どこだ)

 イリスとふたりで王都を抜け出し、北を目指して走り続けた。食料は、人家から奪えばよかったし、途中からは、道中襲ってきた野盗から奪い取った金があった。その金さえあれば、人並みの生活をすることも難しいことではなかった。が、彼らはそれを拒んだ。もはや、人間として生きる道は、絶たれている。

 復讐を。

 彼の国に報いを。

 それだけが、彼と彼女を突き動かした。

(その結果が……このザマか)

 道無き道を歩いている最中に意識を失い、気がつけば、白銀の世界に放り込まれていた。いや、意識を失っている間に雪が積もったのだが、彼からしてみれば、そのようにしか思えなかった。なにもかもが白く染まった世界。

 冬。

 それも真冬だった。

 雪が降ってもおかしくない天候だったが、彼は構わず歩き続けたのだ。目的地などはない。ただ、北を目指した。北に向かえば、なにかがあるのではないか。いや、違うだろう。単純にガンディアから離れたかっただけだ。ガンディアは、北進を掲げながら何十年も足踏みしている。北にザルワーンがあるかぎり、ガンディアが北に伸びることはないのだ。

 北ならば、安全だ。

(安全……)

 彼は、そこで初めて、自分がガンディアを怖れていることを知った。

 外法という名の人体改造が彼に植えつけたのは、ガンディアという国の恐ろしさであり、邪悪さであり、憎悪であり、絶望だった。

(怖くはない……死ぬのは)

 死ねば、ガンディアの魔の手から逃れきることができる。それでも生き抜こうとしたのは、死ねば、報復できなくなるからだ。ガンディアを滅ぼすには、生き抜いて、力を手に入れるしかない。強大な力だ。ガンディアは弱小国だが、国ではある。個人の力で滅ぼすことなど、できるはずもないのだ。力がいる。

「ちからが欲しい」

 彼は、凍えていく中で、小さくつぶやいた。吹き荒ぶ冷気と降りしきる雪が、視界を白く塗り潰していく。死ぬのだろう。覚悟ではなく、確信として、それを実感した。

 死。

 この吹雪の中、助けが来ることなどあるはずもない。

 そのとき、雄叫びが聞こえた。神経を逆撫でにするような叫び声も、いまの彼にはただただ遠い。だが、その化け物の咆哮こそが、彼の意思を叩き起こした。

(死ねない)

 皇魔は、人類の天敵だ。人間と見れば襲いかかり、殺戮する化け物だ。そんなものに見つかれば、たちまち引き裂かれ、殺されてしまうだろう。彼は外法を施されこそすれ、イリスのような超人力も、アーリアのような異能も発現しなかったのだ。立ち向かえるはずもない。

(殺されるわけにはいかない)

 復讐を果たさなければならない。

 報いを受けさせなければならない。

 断罪しなければ。

(俺は……!)

 渾身の力を振り絞って立ち上がったとき、銀世界を埋め尽くす化け物の群れが見えた。外骨格に覆われた狼のような化け物――ブラテールの群れ。眼孔から溢れる赤い光が、死を連想させる。死。彼らがもたらすのは絶対的な死だ。間違いなく、自分は死ぬ。無残に殺されて、死ぬ。

 彼は、寒さすら感じなくなっている自分に気づき、腰に帯びていた短剣を抜いた。そんなもので太刀打ちできる相手ではないのは、わかっている。わかりきっているのだ。それでも、彼は立ち向かった。

「おおおおおおお!」

 彼は、吼え、目の前のブラテールに飛びかかった。魔狼は、彼の攻撃を軽やかに避けると、嘲笑うかのように目を細めた。いや、細めたように見えただけだろう。皇魔の目からこぼれる光の量が少なくなったのだ。

 渾身の一撃をかわされて、彼は反撃を覚悟した。それはつまり、死ぬということだ。数十体のブラテールが彼を囲んでいる。反撃は、一撃では終わるまい。

 が、反撃はなかった。反撃どころか、攻撃する素振りさえみせなかった。

(なんだ?)

 彼を囲んだブラテールたちは、雪面に座りこむと、彼を仰ぎ見るようにしたのだ。あまつさえ、しっぽを振っているものまでいた。眼孔からは相変わらず赤い光が漏れているものの、そこに殺意もなければ、敵意もない。むしろ、好意的なものさえ感じ取れて、彼は愕然とした。

(なんだこれは?)

 彼は、短剣を振り抜いた格好のまま、しばし呆然とした。

 そして、それが自分の異能だということに感づいたのは、ブラテールたちが彼の足にじゃれついてきてからのことだった。

(皇魔を支配する能力……か!)

 彼は、笑った。皇魔たちが驚くほどの大声で笑って、泣いた。

「失敗作……失敗作か!」

 外法機関の実験において、皇魔を使うことなどなかったのだ。

 彼の異能が発現するはずがなかった。

 彼は、ブラテールを連れて、歩いた。歩いていると、ブラテールとは別の皇魔が近づいてきた。ベスベルやリョット、ギャブレイト……様々な皇魔が、彼の配下に加わっていった。配下の皇魔が百体を越える頃、彼は皇魔の注目を集める存在となっていた。

 やがて、皇魔のほうから彼を訪れるようになる。ブリーク、ブフマッツ、リョット、グレスベル、シフ……数多の皇魔が、彼を支配者と認めていった。

 そのころだろう。

 彼は、魔王を意識するようになった。ガンディアを滅ぼすには、魔王として君臨するのが一番の近道ではないか。そんなことを考えるようになっていった。

「おまえも、俺についてくるか?」

 遠くからこちらを眺めていたリュウディースに声をかけたのは、彼が魔軍を形成しているさなかの事だった。

 彼女は、なにもいわず、彼に付き従った。

 リュウディースの名はリュスカといい、リュウディースの女王だった。

 人間の魔王と皇魔の女王。

 ふたりは、出会うべくして出会ったのかもしれない。

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