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第六百十七話 夢と現実(四)

「これで、良かったのですね?」

 バルベリド=ウォースーンが囁くように尋ねてきたのは、ハルベルクがミオン・リオンの制圧完了をガンディアの軍団長たちに伝えに行ったあとのことだ。

 雷雨が、ミオンの首都を包み込んでいる。激しい雨音と、吹き荒ぶ強風は、嵐そのものといっても良かった。ミオン・リオンで起きた戦闘よりも激しい嵐が、なにもかもを吹き飛ばしていくかのようだと、彼は思った。いや、そうであって欲しいと思っているのだろう。

 この戦いほど、意味のない戦いがあっただろうか。

(いや。意味ならあった……か)

 彼は胸中で頭を振ると、バルベリドを一瞥した。白天戦団長の厳しい表情は、ハルベルクの心中を察しているからに他ならない。彼と、生き残った数名の騎士だけが、それを知っている。

「ああ。こうするよりほかなかった。これ以外、最善の道はないのだ」

「しかし……」

「わかっている。わかってはいるのだ。だが、わたしには……」

 彼の脳裏を過るのは、イシウスとの問答だ。

 


「正直にいえば、ミオンを失うことなど、さしたる問題ではないのだ。マルスを失い、この国の未来が断たれたとして、臣民の将来に影を落とすようなことはないのだからな」

 イシウスは、ハルベルクの目を見据えたまま、そう切り出してきた。彼の澄んだ目は、確かな知性を感じさせるものであり、このような暴挙に至るようにはとても思えない。そして、イシウスがその場しのぎの嘘を言っているようにも思えなかった。

「わたしは、仮初めの王にすぎない。国政に携わることなどほとんどなかった。すべて、マルス=バールに任せきりだったからな。それが一番だとわかっていたからではあるし、実際、その通りになった。ミオンは蘇り、豊かな国となった。ガンディアやルシオンと並び立つ国になったのだ。マルス=バールのおかげだよ、なにもかも」

 イシウスがマルス=バールの名を口にするとき、そのまなざしは慈しみに満ちた。彼にとって、マルス=バールがいかな人物なのかわかろうというものだ。

「わたしは、マルス=バールの操り人形でよかった。玉座に座る傀儡でよかった。彼の政策を黙認するだけの存在でよかった。それだけで、この国は良くなっていったのだから。わたしは言葉を発さず、石のように動かなければ良い。それで、よいはずだった」

 彼は、長い長い沈黙の末、小さく頭を振った。

「だが、わたしは人間なのだ。意思を持つ人間なのだ。人形ではない。断じて、傀儡などではない」

 イシウスは、言い切ってから、少しばかり自嘲気味な表情になった。断言しながらも、人形であったという現実を否定できないからだろう。が、ハルベルクは彼を笑わなかった。ハルベルクもまた、ルシオンの王子という役割を与えられただけの存在に過ぎない。みずからの力で勝ち取ったものなど、なにひとつないのだ。

 王子という地位も、リノンクレアを妻としたことも、レオンガンドとともにあるという立場も、すべて、ルシオンの国王ハルワールの第一子に生まれたからである。

 イシウスの告白ほど、身につまされるものはない。

(人形……傀儡……)

 これまでハルベルクは、父なる国王ハルワール・レイ=ルシオンの意のままに動いてきた。ハルワールの意に背いたことなど、なにひとつない。リノンクレアとの婚姻も、ハルワールとシウスクラウドの間で取り決められたことであり、そこにハルベルクの意志が介在したという事実はなかった。なにもかも、父の意思であり、思惑なのだ。

 そして、もうひとつの意思が、彼を支配している。

 レオンガンド・レイ=ガンディア。彼の妻リノンクレアの兄であり、ハルベルクにとっては義理の兄という立場にある人物は、いまや反クルセルク連合軍の盟主という立場にあった。彼の意に背くことなど、ハルベルクにはできるはずもない。彼の意に従わなければ、ルシオンもまた、ミオンと同じような運命を辿るかもしれないのだ。

(そうだ。これが現実だ)

 ガンディアは、一気に強国に並び立った。かつて、ルシオンと肩を並べる程度の戦力しか持ち得ず、兵の練度でいえばルシオンに大きく劣っていた国は、もはやルシオンを大きく上回る軍事力を誇る国となった。同盟国への仕打ちに対する意見を具申することさえ、空恐ろしいものだ。ハルベルクは、義弟の立場を利用して意見したものの、内心ではレオンガンドの怒りを買うのではないかと思ったものだ。

 レオンガンドの怒りを買ってはならない。

 ハルワールさえも、ハルベルクに忠告するほど、ガンディアという国は強大化していた。ガンディアがその気になれば、ルシオンを飲み込むことなど、容易いのだ。

 それは、ミオンの現状を見ればわかるだろう。

 ミオンと同程度の戦力しか有していないルシオンでは、ガンディアと対等に戦うことなど不可能なのだ。

(そもそも、戦う必要がないのだ。イシウス陛下は、それをわかっておられたはずだ。だというのに……!)

「わたしはね、ハルベルク殿下。夢を思い出したのだ」

「夢……」

「現実は、ときに夢を忘れさせる。夢を追うことを、妨げる。現実を見ている限り、夢を追うことなど出来はしないのに、状況は現実を突きつける。わたしにとっての現実とは、ミオンの現状であり、マルス=バールだ。この国と、この国を支配する真なる王の存在が、わたしに夢を忘れさせた」

 ハルベルクには、彼の告白に余計な言葉を挟むことはできなかった。イシウスは、ハルベルクにどうしても伝えたいことがあるようなのだ。

(夢……)

「夢など、思い出さなければよかったのだろうな。思い出さなければ、現実だけを見ていれば、このような道を選ぶこともなかった。マルス=バールの首を差し出し、ガンディアの狗と成り果て、ミオンが朽ちゆくさまを見届ければよかったのだ。それが、わたしの業」

「陛下……」

「殿下は、夢を見たことはあるだろうか?」

 イシウスの問いかけに対して、彼は答えるべき言葉を持ち合わせていなかった。

「わたしの夢はね、レオンガンド陛下の隣にあったのだ。いや、違うな。わたしはきっと、陛下になりたかったのだろう。“うつけ”と誹られながら夢を掲げ、目標に向かって邁進する陛下の姿に、わたしは憧れた。わたしは、陛下に光を見たのだ。陛下の進む先にこそ、光があるのだと思った」

「ならばなぜ!」

 ハルベルクは、声を荒らげた。イシウスのいっていることは、めちゃくちゃだった。だからだろう。急に腹立たしくなった。

「ならばなぜ、陛下に恭順の意を示さなかったのです!」

 ハルベルクの叫び声に、イシウスの親衛隊が剣を構えたが、イシウスが手でそれを制した。空気が張り詰めていくのは止められない。

「恭順……か」

「陛下は、イシウス陛下を敬愛され、信じておられた! マルス=バールの首ひとつで許すと仰られたのも、イシウス陛下を信頼されておられる故ではないのですか!」

「いっただろう、殿下。わたしは、夢を思い出したのだ、と」

 イシウスの眼は、どこか傲然としていた。その態度一つで、彼が王としての威厳を取り繕っていたわけではないということがわかる。生まれ持った王族としての資質なのかもしれない。

 ハルベルクに足りないものを、彼は持っている。

「現実に従えば、夢を追うことなどできはしないのだ。夢を追わねばならぬ。夢を追い、その途上で死ぬのならば、満ち足りた死を迎えることもできよう」

「あなたはなにをいっているのです! それでも、一国の王なのですか!」

「そうだよ。わたしはミオンの王イシウス・レイ=ミオン。なればこそ、この者達も、わたしの意に従い、命を捨てる覚悟でここにいる」

 イシウスが示したのは親衛隊の騎士たちのことだ。いずれも三国同盟では名の知れた騎士だった。イシウスがレオンガンドを真似て王立親衛隊を作り上げたという話は聞いていたが、まさかミオンでも指折りの騎士たちを加えるとは、ハルベルクにも想像できなかった。

 が、イシウスが元にしたレオンガンドの親衛隊自体、ガンディアでも有数の実力者を集めた組織であることを考えれば、おかしいことではなかった。

 ハルベルクと面識のある騎士もいるのだが、彼らは、王命にこそすべてを注いでおり、ハルベルクたちを倒すべき敵としか認識していない。視線に、殺気が籠もっていた。

「一国の王ならば、為政者ならば、夢よりも現実を見るべきだ! 臣民のために、国のために!」

「そう、それが正しいものの見方、考え方なのだろう。わたしは間違っている。愚かな決断をした。だが、それでも、わたしは満足しているよ」

 イシウスは、腰に帯びていた剣を抜いた。硝子のよう刀身を持つ剣は、おそらくガンディアの宝剣グラスオリオンを模倣して作らせたものだろう。イシウスのレオンガンドへの狂信ぶりが垣間見えたが、その狂気がこのような行動に走らせたとは、思いたくもなかった。

「わたしは、ようやく、自分になれたのだから」

 イシウスの親衛隊が剣を抜くのに合わせて、ハルベルクと彼の騎士たちも剣を抜いた。

「殿下はどうだ? 夢と現実、どちらを見ている?」

 ハルベルクは、抜いた剣の切っ先が震える様を認めながら、イシウスの問いを黙殺した。

(夢……夢だと)

 激戦が繰り広げられた。

 イシウスの親衛隊は全滅し、四人の白聖騎士が落命、数人が軽傷を負った。

 ハルベルクも、手傷を負った。

(夢……)

 血の臭いが蔓延する空間で、彼は、イシウスの目を見ていた。イシウスは、格好だけは一人前だったが、剣の腕は一流とはいえなかった。実戦を知らないのだ。ハルベルクに敵うはずもなかった。数度剣を交えたあと、彼は剣を手落とし、その場に崩れ落ちた。

「はっ……付け焼き刃の剣術では、敵わないか」

 こちらを仰ぎ見る少年の目は、震えていた。恐怖がある。実戦を知らない人間が、戦場に放り込まれれば、そうもなるだろう。

 ハルベルクは、ただ哀れに思った。

「当たり前です。わたしがこれまで、どれだけの戦場を超えてきたと思っているのですか」

「それも、そうだね。その通りだ。わたしは、本当の戦いを知らなかった。それなのに、夢を語り、皆を死に追いやった。馬鹿な話さ」

「いまさら、なにをいうのです。聡明な貴方のことだ。最初からわかっていたことでしょう」

「うん。わかっていた。わかっていたんだ。こうなることくらい、目に見えていたさ。でも、それでも、わたしはわたしになりたかった。糸を、切りたかった」

 イシウスは、妙にすっきりした顔だった。

「わたしの運命を操る糸を切りたかったんだ」

(運命を操る糸……マルス=バールの糸……呪縛)

 イシウスという少年の人生を支配していた呪縛。

 この戦いは、その呪縛を解くための儀式だったのかもしれない。

 そうしなければならなかったのだろう。そうしなければ、彼は彼でいられなかったのだろう。彼が彼になるためには、この戦いが必要だったのだろう。

「さあ、わたしを殺してくれたまえ。わたしは、イシウス・レイ=ミオンとして死ねる。これ以上嬉しいことはない。殿下は現実を生きよ。夢のない現実の世を生き抜くがいい」

 ハルベルクは、剣を掲げた。

 イシウスの冷笑は、強がりにしか見えなかった。



「ほかに取るべき道はなかったのだ」

 ハルベルクは、自身に言い聞かせるように告げた。

 宮殿内は、にわかに騒がしくなっている。

 ガンディア王立親衛隊《獅子の尾》の隊士たちが騒々しさの源であるらしかったが、いまのハルベルクには耳障りな喧騒としか映らなかった。

 ガンディア軍は、ミオン・リオンに向かう途中、ギルバート=ハーディ率いる騎兵隊の奇襲に遭い、大打撃を受けたということだったが、《獅子の尾》の武装召喚師たちは軽傷で済んだといい、また、彼らの活躍によってガンディア軍は勝利したという。

 突撃将軍ギルバート=ハーディは戦死、彼の騎兵隊は全滅といっても過言ではないほどだったらしい。

 ミオン・リオンの宮殿には、ガンディア軍の将兵で満ち溢れていたものの、勝利に沸き立つといったことはなかった。ルシオンの将兵も、ベレルの将兵も同じだ。

 同盟国を滅ぼしたという事実は、勝利を虚しいものにしたのだろう。だれもが、その虚しさの中にいた。《獅子の尾》の隊士たちも、空元気を振りまいているようにしか見えなかった。そうでもしなければ、やっていられないような空気が、宮殿に満ちている。

 ただひとり、ハルベルクだけは、虚しさの中に別のものを抱いていたのだが。

(夢……か)

 彼は、目が覚めたような気分の中にいた。

 いや、むしろ、夢に落ちたのかもしれない。

「バルベリド、後のことは頼む」

 ハルベルクが白天戦団長を振り返ると、彼は無言でうなずいた。

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