第六百十四話 夢と現実(一)
一月九日夜半。
白聖騎士隊と白天戦団からなるルシオン軍が、ミオンの首都ミオン・リオンの南門に辿り着いた。マードレル制圧からここまで駆け通しといっても遜色ないくらいの行軍速度だったものの、ルシオン軍の隊列が乱れることはなかった。
白天戦団も白聖騎士隊も白を基調とする軍隊であり、雨天の暗闇の中でも、その白さは際立った。隊列に乱れがあればすぐにわかるほどだった。隊列のわずかな乱れも許さない気風が、ルシオン軍にはある。
そういったものが尚武の国の気風を作り上げていったのかもしれない。
ともかくも、ルシオン軍は、ミオン・リオンの城門を突破し、首都制圧に乗り出した。南門の突破には、マードレル同様、武装召喚師の役割だった。
ミオン軍の主力は首都を出払っているといっても過言ではない状況にあった。主力とはつまり、ギルバート=ハーディ将軍率いる騎兵隊である。騎兵隊は防戦を不得手とするために出撃させたのだろうが、そのために最重要防衛対象とでもいうべき首都の防備が手薄なのは頂けなかった。
「まるで素人戦術ですな」
王宮を目指す最中、バルベリドはそういって呆れたものだ。
「まったく」
ハルベルクも、彼の意見に同意した。なにもかも後手後手に回った戦い方は、素人にしても酷い有様だと彼は思った。そもそも、ガンディアの攻撃を待ち構えている時点で、間違っている。圧倒的な戦力差を覆すには、防戦だけではいけないのだ。第一波を退けることができても、第二波、第三波と押し寄せる敵軍を相手には戦い抜くことなどできないだろう。
その点、レオンガンドはよく心得ていた。本格的な戦争は、常に敵国の領土内で行ったのだ。特にザルワーン戦争ではそれが顕著だ。ザルワーンに攻め込まれれば、数で圧倒されるのが目に見えている。黒き矛率いる《獅子の尾》の力で局地的な勝利を得ることができたとしても、他の地域を制圧される可能性が高い。そうなれば、ガンディアがザルワーンを圧倒するよりも早く、ガンディア全土がザルワーン色に染まっただろう。
故に、レオンガンドは敵国で戦争を起こす。敵地で負けたとしても、失うのは兵の命であり、領土や民を失うことはない。一方、自国で負ければ、兵の命を失うだけではなく、民も領土も奪われてしまう。ガンディアは一度、それで痛い目を見ていた。
ログナーによるバルサー要塞の制圧は、領土の維持だけが取り柄だったガンディアにとって衝撃的な事件だった。レオンガンドを始めとするガンディアの首脳陣が考えを改めるのは、当然のことだったのかもしれない。
「経験が足りないのだ」
ハルベルクは、イシウスの聡明な横顔を思い浮かべて、告げた。彼はまだ十代前半。生きていれば、これからいくらでも経験を積むこともできただろう。頭脳明晰な彼のことだ。そういった経験を積めば、レオンガンドに並ぶ英傑になることも不可能ではなかったはずだ。
しかし、その道は絶たれた。
彼自身の愚かな決断によって、断たれてしまった。
「リノンクレアは白聖騎士隊を率いて、マルス=バールの捜索に当たってくれ。バルベリドは白天戦団とともに王宮の制圧を急げ。無抵抗の相手を傷つけることは許さん。これはレオンガンド陛下の望みでもある」
王宮を目前にして、ハルベルクは部隊を三つに分けることにした。ミオン側の戦力がもはや枯渇しているだろうという確信があったからこそだが、危うい賭けでもあった。しかし、そうしなければ、イシウスとの対話はままならないだろうということもわかっていた。
イシウスと話す時間が欲しかった。
(事ここに至って、まだそんなことを考えている。甘いな、わたしは)
ハルベルクは胸中で自嘲したが、表情には出さなかった。リノンクレアとバルベリドの視線が、彼に集まっている。
ここに至るまで、ミオン・リオンの市街地では、ルシオン軍とミオン軍の間で戦闘が起きている。ミオン三将軍のひとり、ウォルガー=ベイツが五百人あまりの兵を率いて、市街戦を展開したのだ。ミオン・リオンの住民の避難が完了しているのかは不明だったが、ウォルガーの場所を弁えない戦いぶりには、ルシオン側も相応の戦い方で報いなければならなかった。
もっとも、苛烈な戦闘はすぐに終わった。ウォルガーが、白天戦団の武装召喚師に狙撃されて戦死したからだ。将を失った敵部隊は瞬く間に瓦解し、ほとんどの兵がルシオン軍に投降の意思を示した。
バルベリドは、彼らから武器を奪い、一箇所に集めて拘束した。そうでもしなければ、監視のために兵力を割かなければならなかった。敵国の首都に乗り込んでいるという状況で、わずかでも兵力を失うのは避けるべきだろう。
そうして、ハルベルクたちは市街を突破し、ミオン・リオンの王宮に辿り着いたのだ。角のような立派な塔が象徴的な宮殿は、戦争中であることを忘れさせるような静寂に包まれていた。が、油断はできない。敵がどこに潜んでいるのかなど、わかるはずもないのだ。
「ご随意に」
「殿下はどうされます?」
「わたしは手勢を率い、イシウス陛下を抑える」
ハルベルクは有無をいわさなかった。リノンクレアがハルベルクの行動を危ぶんだが、彼の供回りを見て、多少は安心したらしい。白聖騎士隊の中でも特に精強な二十人が、ハルベルクの手勢となった。
王宮は広い。が、戦場としては手狭であり、二十人も護衛につけば、相手が何人いようと十分以上に戦えるだろう。それに、白天戦団による残存兵力の制圧も同時進行するのだ。なにも、ハルベルクが単身で乗り込むわけではない。
「投降兵によれば、陛下は天座塔に居られるそうです。くれぐれもお気をつけて」
「蛮勇にだけは走られぬように」
「わかっている。ふたりも、気をつけて」
ハルベルクは、心配症なふたりに苦笑しかけた。
三人は、それぞれの部隊を率い、ミオン・リオン王宮手前で三手にわかれた。
降りしきる豪雨に混じる雷鳴と閃光が、ミオンの終わりを象徴しているかのようだと、彼は思った。雨は大雨となり、豪雨となった。豪雨は雷雨となり、雷雨は嵐となるのかもしれない。風が、強くなり始めている。
嵐が来るまでに、なにもかも終わるだろうが。
リノンクレアが白聖騎士隊を率いて王宮の裏手に回るのを見届けると、ちょうどバルベリド率いる白天戦団が王宮に乗り込むところだった。
「我らも行くぞ」
ハルベルクは、供回りの騎士たちに告げると、白天戦団につづいて宮殿に乗り込んでいった。
雷光が、曇天を切り裂くように走った。
雷鳴が轟き、雨音を一時消し飛ばしたかに思えた。が、もちろんそんなことはありえず、降り止まない雨の不協和音に等しい旋律は、隊列を乱すほどに不規則に鳴り響き、ガンディア軍の行軍速度をいたずらに低下させた。
ダラム要塞とミオン・リオンは、そう遠く離れているわけではない。強行軍を取らずとも一日半で辿り着くような位置関係にあった。エインがミオン=リオンへの到着を急がず、むしろ途中で休憩を挟んだのは、そういうことが理由としてあるようだった。
一月九日、夜。
ギルバート=ハーディ将軍率いる騎兵隊との激闘の翌日である。ミオン騎兵隊からの投降兵は、負傷兵ともどもダラム要塞に送っている。ダラム要塞に援軍を要請したほうがいいのではないか、という声も少なくはなかったが、エインと軍団長らの協議によって否定された。ミオン・リオンに向かっている戦力は、ガンディア軍のみではなかったし、ミオン・リオンに残っている兵力などたかが知れているだろうというのが、援軍不要論の根拠だった。
ミオンの総兵力は、初期のガンディアと同程度の約七千といったところだという。国境に配置している防衛部隊や、ザルワーン戦争で騎兵隊が半壊したことを踏まえると、五千程度が動員しうる兵力だと、エインは見ている。もちろん、ザルワーン戦争後に兵力の補充はしているだろうが、そう簡単に増員できるものでもない。ガンディアがそうだった。ログナー戦争での戦力の低下が解消されないまま、ザルワーン戦争に踏み切っている。ザルワーン戦争では更に兵力を失ったものの、ザルワーンという広大な国土を得たことで、兵力は、結果的に増大した。
ともかく、失った兵力を回復するのは、簡単なことではない。だからこそ、レオンガンドは、ミオン征討でガンディア軍から損害がでることを極端に恐れている。クルセルクとの戦いが間近に控えている以上、ここで戦力を失うわけにはいかないのだ。
だから、《獅子の尾》が全面に出なければならない。
「あたしたちは消耗してもいいってわけね」
「そういうことじゃないだろ」
「そうよ。わたしたちは、そう簡単には消耗しないでしょ」
「そうでしたっけねえ」
ルウファが訝しげに首をひねると、
「敵に武装召喚師がいないときに限り、でしょ」
ミリュウがそっぽを向いて告げてきた。
確かに彼女の言うとおりだったため、セツナはファリアと見つめ合って、互いに苦笑した。
ザルワーン戦争では、敵武装召喚師に苦しめられ、だれもが負傷したものだ。ルウファは後送され、ファリアは全身に火傷を負った。セツナもミリュウに殺されかけた。そんなことを思い出したのは、ミオン・リオンの目前に辿り着いたからかもしれない。
雷雨に包まれたミオン・リオンに入ると、そこかしこにルシオンの軍旗や白聖騎士隊の隊旗がはためいており、さらにベレルの豪槍騎士団と思しき団旗が掲げられていた。さらに進むと、市街地には無数の死体が転がっているのがわかる。ミオンの兵士の死体もあれば、ルシオン兵の死体もある。
「出遅れましたね」
エイン=ラジャールは、むしろ喜ばしいことのようにいった。
ミオン・リオンの制圧がルシオン軍の手によって完遂されたとしても、ガンディアにはなんの不利益もないからだ。