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第六百十話 ギルバート=ハーディ(一)

 ダラム要塞がガンディア軍の手に落ちたのは、一月六日のことだという。

 陥落したというよりは、降伏したといったほうが正しいようだ。

 ダラム要塞を任されていたのはミオンの三将軍のひとり、ヒルベルト=アンテノーだ。イシウスに対して批判的なヒルベルトのことだ。イシウスの暴挙に対する反発もあったに違いない。が、それだけで降伏したのではないだろう。主君への反発心だけで敵軍に降伏するような男が、将軍になどなれるはずがなかった。

 勝てないからだ。

 ヒルベルトに与えられた兵力では、ダラム要塞に殺到したガンディア軍を撃退することなど、できるわけがなかった。要塞に篭もることができれば、多少は持ち堪えられたかもしれないが、要塞の防御力は瞬く間に無力化されたようだ。

 ガンディアには、凶悪な武装召喚師が存在する。

(黒き矛のセツナ……か)

 イシウスの決断から今日まで、ガンディア躍進の立役者のことを考えない日はなかった。セツナ=カミヤ。まだ若い。十七歳だったか。ギルバートの息子よりも年下なのだから、相当若いといっていいだろう。そんな少年兵が、ガンディアの興亡を握っているというのだから、不思議なものだ。不思議で、歪で、奇妙だ。

 馬上、ギルバート=ハーディは、リオの丘の上にあって、ダラム平原を見渡していた。降りしきる大雨が大地を濡らし、地面をぬかるんだものにしていくが、彼の騎兵術には関係のないことといってもよかった。もちろん、地面の状態は良ければ良いほどいいのだが、悪くても悪いなりの走り方というものがある。

 そして、悪路の走法を極めているからこそ、ミオンの騎兵隊は最強なのだ。

(それだけが、我らの優位性……)

 ギルバートは、天を睨んだ。空模様は荒れに荒れている。雨脚は強くなる一方だったし、風も烈しさを増してきている。嵐が来るのではないか、というものもあったが、彼はむしろ望むところだと思った。

(降れ。もっと降れ。我らの足音が掻き消えるほどに。我らの鼓動が消え失せるほどに)

 そのとき、ギルバートの目は、ダラム平原を西から東に突き進む軍集団を捉えていた。ダラム要塞を出発したガンディアの軍勢だろう。ミオン・リオンを目指しているのだ。

 彼は、背後を振り返った。ギルバート=ハーディの麾下千五百名が、将軍の下知を今か今かと待ち侘びている。士卒ひとりひとりの表情を見ることは叶わないが、だれもがこの状況下で生き延びることを考えてはいないに違いない。

 死ぬのだ。

 たとえ彼の思惑通りに事が運んだとしても、生き延びることができないのはわかりきっていた。しかし、そうでもしなければ、勝ち目はない。いや、彼の目論見が果たされたとしても、勝つことは不可能だ。ただ、ガンディアに痛撃を与えることしかできない。

 レオンガンドの増長した横面を叩くことしかできない。

 増長。

 必然だと、彼は考えている。

 獅子王と名乗れど、小国の王でしかなかった若者が、まさに大国の支配者と成り果てたのだ。ログナー、ザルワーンを下し、ベレルを支配下に置いたのだ。どれほど聡明で英邁な人物であっても、驕り高ぶるのは当然のことだ。それだけのことを成し遂げたのだ。増長しない人間のほうが、おかしいといえる。

 そして、その増長は決して悪ではない。善でもないが、善悪で割り切れるものではないのだ。増長とはつまり、レオンガンドが大国の支配者としての視点を持つことができたということでもあろう。小国の王としての狭い視野のままでは、これからのガンディアを運営していくことなど不可能に近い。

 ミオンを切り捨てることもできなかっただろう。

 レオンガンドは、イシウスの行為を許してはならないのだ。ガンディアの威信に関わる問題だ。ここでミオンを許せば、ガンディアという国がいかにも惰弱で、頼りがいのない国に思われてしまうだろう。クルセルクとの決戦を控え、連合国にそのような印象を植え付けるわけにはいかないのだ。

(ガンディアは、それで良い)

 レオンガンド・レイ=ガンディアに謁見した時のことを思い出す。

 王位を継いだ直後の謁見では、聡明さを内に秘めながらも、自信のなさげなところさえあったものだが、婚儀の後の謁見では、獅子王としての風格を備えており、まるで別人に変わってしまっていた。彼は、ログナー戦争、ザルワーン戦争を経て、着実に成長しているのだ。

 成長しているのは、レオンガンドだけではない。

 ガンディアという国そのものも、大きく成長している。

 もし、同盟国のままであったならば、ミオンは、その成長に追従することができただろうか。

(マルスがいれば、それも不可能ではなかったかな)

 だが、同盟国を続けるということは、マルス=バールの首を差し出すということだ。マルス=バールの実務能力は、ギルバートもよく知っている。彼ひとりでミオンという国を支えているといっても過言ではなかった。彼がいなくなれば、たちまちミオンは立ち行かなくなるだろう。イシウスがマルスの命を惜しんだのも、理解できない話ではないのだ。マルスを失えば、ミオンの政情は間違いなく荒れるだろう。マルスひとりで切り盛りしていた国政は迷走を始めるに違いない。

 イシウスは、そういった未来さえ見ていたのか、どうか。

(あなたが最後の主でよかった)

 ギルバートの脳裏に浮かぶイシウスの表情は、穏やかで、優しい。とても、これから最期の戦いに向かう将軍に向けられる表情ではなかったが、それでこそ、イシウスなのだとギルバートは想った。本来は、春の日差しのように穏やかで優しい少年なのだ。

 彼のためならば、この生命も惜しくはない。

 ギルバートはいま、そんな気分だった。

 大雨は豪雨へと変わり始めている。

 彼は、敵勢が丘の目の前を横切ろうとしたとき、右手を掲げた。


 豪雨の中、ガンディア軍はミオンの首都に向かって前進していた。

 ダラム要塞制圧から二日もの間要塞に籠もっていたことになるが、それは悪天候を考慮してのことだった。二日も休めば雨も上がるのではないか、というエイン=ラジャールの願いも虚しく、雨の勢いは増すばかりであった。

 このままでは予定通り十日までにミオン・リオンに到達することはできないということで、ダラム要塞での雨宿りを終えたのだ。ダラム要塞には、ガンディア方面軍第三軍団が残り、ミオンの将軍ヒルベルト=アンテノーとその配下を監視する役目を担った。

 つまり、セツナたちの戦力は、王立親衛隊《獅子の尾》とガンディア方面軍第一軍団、第二軍団の二千四百あまりとなり、ミオンの首都を制圧するにはすこしばかり心細いものとなっていた。

『とはいえ、ですね。ミオン・リオンの戦力は、多くても二千程度でしょうし、問題はありませんよ。北からはベレルが、南西からはルシオンがミオン・リオンに向かっていますし、それになによりセツナ様がいますしね』

 エインは、セツナの名を強調したが、ダラム要塞での戦いを振り返れば、強調されるまでもなかった。ダラム要塞の戦いでは、ガンディア方面軍はまったく当てにならなかったのだ。戦闘に参加するつもりもなかったようであり、ダラム要塞が降伏するまで動く素振りさえ見せなかった。

 それはガンディア軍人の士気の低さに起因するのではなく、エイン=ラジャールら参謀局が立案した作戦通りに動いた結果であり、方面軍を責めることはできない。そしてエインたち参謀局のやり方を非難することもできなかった。

 ガンディアは、ミオン征討において、わずかでも血を流したくないのだ。

 クルセルクとの一大決戦を控えている。

「あたしたちなら酷使して構わないってさ」

 降りしきる雨の中、ミリュウが皮肉に笑った。フードが雨粒を弾く音が防音壁にでもなっているのか、左右と後方を走る仲間たちからはなにもいってはこなかった。

「そりゃそうさ。エインは俺を信じているからな」

「セツナ教か。あたしも入信しようかしら。なんか毎日幸せそうだし」

「なんでだよ」

「だってさ、毎日セツナのことを考えてるなんて、幸せ以外の何物でもないじゃない……って、いつものあたしそのものね!」

「なんだそれ」

「うふふ。あたしは幸せものってことよ」

 ミリュウの声だけが聞こえるのも、やはり、豪雨が地面を叩く音が物すさまじいからであり、この悪天候の中を進軍しなければならないのは、苦痛としか言いようがなかった。しかし、目的地は目と鼻の先といってもいいほどの距離にある。全速力で駆け抜ければ一日足らずで辿り着くこともできるだろうということだったが、エインの万全を期すべきだという主張により、目的地の手前で小休止する予定になっている。

 目的地は、ミオン・リオン。

 ミオンの首都には、若き国王イシウス・レイ=ミオンと黒衣の宰相マルス=バール、そして突撃将軍ギルバート=ハーディが待ち受けているに違いない。ギルバート=ハーディの騎兵隊は、ガンディア軍の頼もしい味方として数々の戦場でその勇名を轟かせている。セツナも、ギルバート将軍の勇姿は知っているし、征竜野の戦いにおける騎兵隊の高速機動は眼を見張るものがあった。

 彼と戦うことになるのだ。

(昨日の友はなんとやら……か) 

 ミオンが敵になり、レオンガンドが討滅を掲げたのならば、セツナに否やはない。レオンガンドの命ずるままに敵を討ち倒し、ガンディアに勝利をもたらすのが黒き矛の役割なのだ。それがたとえ、昨日まで味方であった人物であろうと、黒き矛を振るうことに躊躇はしない。

 躊躇いは、味方に牙を剥くかもしれないのだ。

 もう二度と、ログナー戦争時のような過ちを起こしてはならない。

(でも、昨日の敵が味方になることもある)

 ログナーしかり、ザルワーンしかり、敵対していた国の人間も、戦争が終われば味方になった。そうしなければ生きていけないからであったが、それが戦国乱世の習わしでもあったからだろう。割り切れない人間もいて、そういう人たちは、エレニアのように憎悪を募らせるのだ。エレニアのように、とはいっただが、だれもがその憎悪を発散できるわけではない。むしろ、内に溜めこむ人間のほうが多いのだろう。

 ふと、そんなことを考えたのは、エンジュールでエレニア=ディフォンと出会ったことを思い出してしまったからだ。エレニアは、エンジュールの片隅で生活している。ガンディア軍諜報部の監視下に置かれながら、だ。妊婦である彼女の身の回りの世話をしているのは、テウロス家の人間だといい、ディフォン家の人間は彼女に近寄ろうともしないということだった。

『当然の報いですよ。領伯様におかれましては、どうかお気になさらないでください』

 エレニアは、覚めた顔でいったものだ。ディフォン家は、エレニアが暗殺未遂事件の実行犯として捕らえられたことにより、立場を失っている。

『領伯様』

 彼女は、逡巡の後、意を決したようにいった。

『わたしは、ウェインを奪ったセツナ=カミヤを憎んでいますが、レインを生かしてくださった領伯様には感謝しかありません』

 エレニアは、膨らんだお腹を愛おしそうに撫でた。彼女のお腹には、ウェイン・ベルセイン=テウロスとの間に生まれた命が宿っていた。セツナが彼女を殺さなかったのは、妊娠しているからではないのだが――。

「セツナ!」

「なに!」

 ミリュウの鋭い叫び声に、セツナは彼女の視線を追った。左手の丘陵地帯から、なにかが、黒い雪崩の如く流れ落ちてくるのが見えた。流れ落ちてくるなどという生ぬるいものではない。怒涛だ。黒い津波が、豪雨の中を突き進んでくる。

「敵襲!」

 だれかの叫び声が聞こえたときには、セツナたちは黒い津波に飲み込まれていた。

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