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第六百九話 征討(五)

 マードレルの戦いが終わったのは、一月五日の夕方である。

 マードレルの防衛戦力は、ミオンの騎士ハーシッド=ベイクレルを指揮官とする千二百名であり、激戦が予想されたものの、ルシオン軍は呆気無く勝利をものにしている。

 すべては、ミオン側の士気の低さに起因している。

 開戦当初、マードレルの城壁からは矢が雨のように降り注いだものだったが、白天戦団に所属する武装召喚師ルカ=ハードロウが城門を破壊したことで、状況は一変する。城壁の内側という安全圏からならばいくらでも攻撃できるが、敵が城壁内に雪崩れ込んでくるとなると話は別だったのだろう。マードレルの市街地に展開していたミオン軍は、白天戦団の怒涛の如き勢いを目の当たりにして、度肝を抜かれたようだった。持ち場から離れるものが続出し、陣形が乱れるだけの騒ぎではなく、迎撃行動に移ることさえかなわないというような有り様であった。

 白天戦団は、マードレル守備部隊の有り様に唖然としながらも攻撃を再開、数時間後、白天戦団は、敵指揮官を確保することに成功、それによってマードレルの戦いは一応の終結を見たのだった。

 ハルベルクもリノンクレアもマードレルの戦場に入ったものの、敵兵を斬り伏せるような状況には遭遇しないまま、戦いの終わりを迎えている。拍子抜けするくらいの勝利には、ハルベルクは肩をすくめる以外にはなかった。

 そして、ミオン王イシウスのことを想い、ただ同情した。

「なるほど。ルシオンは強いな。尚武の国を名乗るだけのことはある」

 白天戦団長バルベリドによってハルベルクの前に引き立てられた騎士ハーシッドは、ルシオン軍の武勇を褒め称えることで、自軍の不甲斐なさを掻き消そうとしたようだが、ハルベルクにとってはそんなことはどうでもよいことだった。ルシオンの兵卒ひとりひとりが精強なのは、自他共に認めることであり、いまさらだれかに褒めそやされて喜ぶようなことでもない。かといって、ミオン軍の士気の低さからくる不甲斐なさを罵るつもりもなかった。

「そなたは、武運がなかったのだ」

 ハルベルクは、ハーシッドにただそれだけを告げた。武運。それ以外には言い様がなかった。

 こうして、マードレル制圧はなった。

 ハルベルク率いるルシオン軍は、マードレルで体を休めると、翌々日にはミオン・リオンに向けて進軍を開始している。このままなにも起きなければ、九日にはミオン・リオンに辿り着くことができるだろう。

 ハルベルクは、リノンクレア、バルベリドとともに雨に打たれながら前進を続けた。

「目指すはミオン・リオン! 気を引き締めろ!」

 バルベリドの雄叫びは、雨音を掻き消すかのようだった。



「騎士とは名ばかりのものばかり、か」

 イシウス・レイ=ミオンが、嘆息するように発した言葉を、ギルバート=ハーディは聞き逃さなかった。

 一月八日、ミオンの首都ミオン・リオンは、沈黙に等しい静けさの中にあった。静寂を破る雨音が、むしろ静寂を静寂たらしめているのではないかと思うほどの沈黙が、ミオン・リオン全体を包み込んでいる。だれもがなにかを叫んでいるというのに、だれひとり言葉を発していない、そんな奇妙な感覚がミオン・リオンのひとびとを苛んでいる。

 天地をひっくり返すような騒動があったのは、しばらく前のことだ。

 イシウスがガンディアの要求を突っ撥ねたことは、ミオン・リオンの住人のみならず、ミオン国民を悲嘆に暮れさせた。国民は、宰相マルス=バールの偉大さを理解しているし、彼のおかげでミオンが再建できたという事実も認識している。しかし、それ以上に隣国ガンディアの膨張速度も理解しているのだ。

 ガンディアは急激に膨れ上がり、あっという間に軍事的強国に生まれ変わった。

 半年前まではミオンの助力がなければ国土防衛さえままならなかった弱小国家が、いまではアバードやジベルといった国々から盟主に擁立されるほどの強国となったのだ。

(半年……)

 ギルバートにとっても、ひとごとではない。

 たった半年足らずで、ガンディアは、ミオンを必要としない国になったのだ。ミオンは違う。いまでも、ガンディアの協力を必要としているはずだった。ガンディアの助力あればこそ、近隣国に対して強気でいられるはずだった。

 ラクシャやバラクがおとなしくなったのも、ミオンの後ろ盾であるガンディアが巨大化し始めたからだ。ミオンにちょっかいを出せば、ガンディアが黙ってはいないだろうという考えが、抑止力として働いていたのだ。

 それが、なくなる。

 ガンディアとの同盟関係をやめるということは、そういうことだ。これまで得ていた利益をすべて返上するということであり、ミオンにとってはなんの利益もない選択といってよかった。

 ミオンの国民が、イシウスの決断に絶望し、あるいはミオン国内から逃げ出すのも無理からぬことだった。

 ガンディアが報復として戦争を仕掛けてくることは、火を見るより明らかなのだ。ミオンの国土が戦火に覆われる前に他国に渡るという判断は、賢い選択といってもよかったのだろう。実際、ミオンは戦火に包まれ始めている。

 一月五日、ガンディアの軍勢がミオン侵攻を開始した。ガンディア軍だけではない。ガンディアの属国ベレルの軍勢が北から攻め寄せ、同盟国ルシオンの軍勢が西から攻め込んできた。

 北の都市カルナーは銀騎士ユベイル=ウェーザー、南西の都市マードレルはハーシッド=ベイクレルが、それぞれ防衛の任についている。ふたりともイシウスへの忠誠心の塊のような騎士であり、マルス=バールがふたりを守将に任命したのは、騎士の忠義を信じたからだろう。

 が、七日夜半――つまり昨夜ミオン・リオンにもたらされた情報は、マルス=バールの期待を大きく裏切るものだった。銀騎士ユベイル=ウェーザーは、カルナーに迫りつつあったベレル軍に投降し、カルナーを明け渡し、マードレルのハーシッドは、戦闘らしい戦闘もせぬままルシオン軍に敗北、マードレルの制圧を許した、というのだ。

 イシウスが嘆くのは、当然のなのかもしれないが。

 ギルバートは、謁見の間の閑散とした有り様に寒気さえ覚えながら、玉座の少年を見つめた。少年王は、茫洋としたまなざしで、どこか遠くを見ているようだった。心ここにあらず、とでもいうべきか。

 宰相マルス=バールは、ここにはいない。彼は、ガンディア軍を撃退するために幾度と無くイシウスに提案したのだが、そのすべてを跳ね除けられたことで、この場にいるべきではないと悟ったようだった。

「陛下、ひとつ、よろしいですか?」

「ん……?」

 不意に、少年王の目に光が戻った。まるで遊離していた魂が帰還したかのようであり、その瞬間、イシウスから王としての威厳が放たれ始めたのには、ギルバートも震えた。

「なにか?」

「陛下は、騎士とは名ばかりと仰られましたが、騎士とは、義に生きるものでございます」

「であろうな。なればこそ、名ばかりの騎士しかいなかった、というのだ。わたしを愛してくれたユベイルも、わたしに剣の使い方を教えてくれたハーシッドも、わたしのために戦ってくれはしなかったのだ」

「……このような状況で義に殉ずることなど、できますまい」

 ギルバートは、イシウスの目を見据えながら、告げた。無垢なまでの幼さと、研ぎ澄まされた威厳が混在する不均衡は、イシウスという人物を不可解なものにしてしまっている。そこに、ギルバートが敬愛していた少年の姿はない。

 しかし、彼がギルバートの唯一の主である事実に違いはなかった。

 だからこそ、いわなければならないことがあるのだ。伝えなければならないことがあるのだ。彼の中の不均衡に。彼の中の不可解な化け物に、告げておかなければならないことがある。

「義を踏み躙った陛下のために死ぬものなど、どこにおりましょう」

「踏み躙った……? わたしが義を踏み躙ったというのか?」

「同盟国ガンディアを裏切り、レオンガンド陛下を亡き者にしようとした大罪人マルス=バールを許し、匿った事実を不義といわずしてなんといわれるのか」

「不義……」

「陛下は、マルス=バールあってこそと仰られた。マルスを殺すことは、自分を殺すも同然と。しかし、そのために国を犠牲にし、国民を犠牲にするなど、狂気の沙汰というものでございましょう」

「将軍は、わたしを諌めるというのか。いまさら!」

 イシウスが語気を強めたのは、それが彼の本心だから、なのだろうか。

 もっと早く止めて欲しかったとでもいうのだろうか。

(そうではあるまい)

 ギルバートは、イシウスの目に一切の迷いがないことを見て、確信した。彼は、だれかに止めて欲しいなどとは思ってもいないのだ。

「然様、いまさらです。いまさらなにをいったところで、どうにもなりますまい。ミオンは滅ぶべくして滅ぶ。それだけのことです」

「それで、良い」

 イシウスは、満足気な笑みを浮かべていた。彼は、破滅を望んでいる。ギルバートは、ようやく理解した。イシウスがなんのためにガンディアとの決別に踏み切ったのか。

 納得はできない。が、理解はできた。

「……なれば、わたくしにご命令を」

 ギルバートは、イシウスの前に進み出ると、傅いた。

 この戦いに義などない。

 だが、義のために戦うだけがすべてではない。

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