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第六百八話 征討(四)

「雨は勢いを増すばかり。憂鬱だよ」

 ヒルベルト=アンテノーは、窓から見える空の色彩に不快感を隠さなかった。黒く濁った空模様は、嵐の到来を予感させる。現状ですら、大雨が降っているのだ。雨の嫌いなヒルベルトにとっては最悪の天気だったし、この天候は数日は続きそうで、だからこそ彼は気鬱なのだ。

 ダラム要塞の天守最上階に、彼の居室がある。ミオンの三将軍のひとりであり、ミオンの要衝であるダラム要塞を任されているのが、ヒルベルトという男だった。

「矢の雨は止んだかな」

 彼は、他人事のようにいって、居室の出入口付近で畏まっている兵士たちを見遣った。軽装の兵士たちは、ヒルベルト専属の伝令であり、彼の意思を要塞の隅々まで行き渡らせるという重要な役目を背負っている。伝令は、一様に緊張に満ちた表情をしている。当然だろう。ミオンでもっとも恐ろしいと噂される将軍の目の前にいるのだ。些細な失態が失脚に繋がる恐れが、彼らの緊張感を煽っている。

 ヒルベルトは、伝令たちの緊張感に笑みを浮かべると、伝令たちとは対照的に、緊張の欠片もない態度で突っ立っている男に視線を向けた。彼は、将軍の視線に対しても物怖じひとつしないものの、居住まいだけは正した。

「門が突破されて、どれくらい経つね?」

「……一時間は過ぎたものかと」

 部下は、ヒルベルトの質問に答えてから、懐中時計を取り出した。それからひとりでうなずいているところを見ると、彼の感覚は間違っていなかったということだろう。

「一時間か。十分戦った、かな」

 ガンディア軍の先鋒は、王立親衛隊《獅子の尾》であるといい、怪物揃いの《獅子の尾》を相手に一時間も戦闘を続けたというのなら、十分だろう。

「こちらの死傷者は、把握しているだけで百名を超過しており、これ以上の戦闘継続は不要かと」

「君の意見は聞いていないが。まあ、わたしの意見も同じだ。無駄に血を流す必要はない。ミオンも、ガンディアも。こんな戦闘、喜ぶのはガンディアの敵だけだ。陛下への義理は立てた」

 義理のために命を落とした兵士たちが浮かばれないかもしれないが、そんなことのために壊滅するまで戦い続けるなど、馬鹿馬鹿しい。かといって、戦いもせず降伏するのは、彼の誇りが許さないのだ。

(困った性分だ)

 自分の性分が、将軍に相応しいものではないことくらい、百も承知だった。それこそ、一兵卒の心意気だろう。組織の頂点に立つ人間が持つべき性分ではない。

 イシウス・レイ=ミオンもまた、頂点に立つべき人間ではなかった、ということだろう。

「全軍に停戦を命じる。ガンディア軍に降伏の意思を伝えよ」

「はっ!」

 数人の伝令兵は、ヒルベルトの命令に対して疑問ひとつ挟まず、居室を後にした。天守を駆け下りた彼らは、要塞の各所を駆け回りながら、将軍の命令を拡散させることだろう。足だけは速い連中を揃えている。じきにダラム要塞は、ガンディア軍に明け渡されることになる。

(それでいい)

 それでいいのだ、と彼はひとりで納得する。ダラム要塞は、ミオン・リオンの護りの要である。ダラム要塞が落ちれば、ミオン・リオンも落ちると言っても過言ではない。そして、ミオン・リオンが落ちれば、ミオンは滅びるだろう。

 滅びればいいのだ。国王のくだらぬ意地のために、滅びてしまえばいい。

 ヒルベルトは、再び壁にもたれかかった部下を一瞥してから、再び窓に目を向けた。雨脚は強くなる一方だ。ガンディア軍が猛攻を仕掛けてきたのは、この大雨を凌ぐための仮宿が欲しかったのではないかと思わないではないが、だとすれば、数時間足らずでこの堅牢な要塞を制圧できると踏んでいたということだ。

 実際、その通りなのだろう。ガンディア軍は、半日もかけずにこの要塞を制圧するつもりでいるのだ。ダラム要塞を臨んだガンディア軍が、攻城戦の構えさえ見せなかったのが、その証左だ。そして、固く閉じていたはずの城門が一撃で粉砕されたという報告を耳にしたとき、ヒルベルトは、ガンディアには勝てないことを心の底から理解した。黒き矛のセツナという化け物がいるという話は、ギルバート=ハーディから詳しく聞いていた。要塞よりも巨大なドラゴンを打ち倒したひとりの少年。そんなものが実在するのかと疑ったものだが、城門が破壊されたことで、疑念は消えた。化け物は実在し、しかも、彼の要塞内部に入り込んでいる。

 ヒルベルトは、ダラム要塞の防衛にあたって、配下の兵士たちには、積極的な戦闘は避けるようにと言い含めていた。迎撃するにしても、弓で遠距離から攻撃するに止め、白兵戦はできるだけ回避するべきだと厳命した。この戦いに意味はない。無意味な戦いで命を落とす必要はない。

 そう言明していても、血は流れた。

 無駄な出血。

「わたしはね、イシウスの擁立には反対だったのだよ。彼は幼く、後見人となったものが権力を握るのは目に見えていた。実際、その通りになった。この国は、マルス=バールという絶対者によって支配された」

「シウス殿下が王位を継いでいれば、このようなことにはならなかった、と?」

「シウスならば、ミオンはもっと早く滅んでいたさ」

 ヒルベルトは、部下の問いに、嘆息とともに告げた。

「ミオンを建て直したのは、マルス=バールだ。彼が、あの貧しい国を豊かな国へと変えた。たった数年でな。彼がいなければ、ミオンはガンディアとルシオンに吸収されていたのではないかな」

 もしくは、ベレルやラクシャ辺りが領土の奪い合いで泥沼の戦争を繰り広げたか。

「マルスは、自分が建て直した国をガンディアの勢力の及ばぬところに置きたかったのだろうが……イシウスは、どうだろうな」

 ヒルベルトは、少年王の聡明なまなざしを思い出して、考え込んだ。利発な少年ではあった。物事の理解が早く、何事にも順応することができた。王としての振る舞いを心得ており、威厳もあった。幼さを残してはいたが、立派に、王を演じることができていた。

 傀儡の王ではあったが。

「彼はなにを考えて、マルスを生かした?」

 イシウス・レイ=ミオンは、実のところ、なにも考えていないのではないか、という恐ろしい考えに行き着いて、ヒルベルトは頭を振った。

 窓の外、雨は激しくなってきている。


 一月六日、午後四時を迎えるころには、ガンディア軍によるダラム要塞の制圧は完了していた。

 戦闘に費やした時間は、一時間余り。戦闘らしい戦闘も起きなかった、というのは、言い過ぎかもしれない。十数人と打ち合い、殺しているのだ。戦闘は、あった。しかし、本格的な戦闘はというと、それくらいのものしかなかったともいえる。

 セツナが門を打ち破り、《獅子の尾》の面々とレムが要塞に突入したことで、決着がついたといってもよかった。《獅子の尾》の後方に続いていたはずの、ガンディア軍は、要塞内に雪崩れ込んでくることもなかったのだ。《獅子の尾》に任せておけばいいとでもいいたげな動きだったが、セツナたちは気にもしなかった。

《獅子の尾》だけでも戦力としては十分だったが、レムこと死神壱号も参戦しているのだ。負けるはずがなかった。むしろ、本隊が要塞外で待機しているということは、自軍兵が邪魔にならずに済むということであり、思う存分力を発揮できるということでもあった。

 もっとも、戦闘は、セツナが本気になる前に終了したのだが。

「あっさりしたものでございますね」

「本当よねえ、もっとこう、がつんと来るかと思っていたのに」

「そういう状況じゃないことくらい、わかるでしょ」

「そりゃあわかってるけどぉ」

 ダラム要塞の守将ヒルベルト=アンテノー以下約千名がガンディア軍に投降したことで、ダラム要塞の戦いは終わってしまった。ミリュウが不完全燃焼気味なのも、わからないではなかったが、元同盟国の兵士を殺戮せずに済んだことには、セツナは安堵していた。

 立ち向かってきた十数人は殺してしまったが、それはそれ、と割り切れている。

「綺麗な黒髪よね、セツナって」

 ミリュウが耳元で甘ったるい声を出すと、前に回ったレムが満面の笑みを向けてくる。

「わたくしとお揃いでございますね」

「あたしの髪はセツナの目とお揃いなのよ!」

「なんで張り合ってんだよ……」

 セツナは、雨に濡れた髪をミリュウとレムに拭われるという奇妙な状況の中にいた。ダラム要塞内部である。室内にルウファはいないし、さっきミリュウをたしなめていたファリアも、助けてくれようとはしなかった。

 少しばかり気鬱になったのは、激しさを増すばかりの雨のせいかもしれない。

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