第六百六話 征討(二)
ベレルの豪槍騎士団は、予定通り、一月四日にミオンとの国境線に到達、防衛部隊を蹴散らしながらミオン領土への侵攻を果たしている。
豪槍騎士団は、ガンディアの主導で行われた騎士団の再編成によって生まれた組織だった。ベレル最大の戦闘集団である騎士団をふたつに分けることで、組織としての機動力を高めることが目的とされた再編成により、騎士団は、豪槍騎士団と重盾騎士団に分かたれたのだ。属国の悲しさは、支配国の決定に逆らえないというところにあるが、それはそれとして、騎士団の分割は当初の想定以上に上手く機能していた。
重盾騎士団による本土防衛と豪槍騎士団による外征への参加は、ベレルのような弱小国にとっては必要不可欠な要素だったといえる。分ける必要があったのかどうかという問題は、外征のたびに騎士団から必要な戦力を供出するという以前のやり方よりも、豪槍騎士団を派遣するだけでいいといういまのやり方のほうが合理的であり、指揮系統の簡潔さもあって、ベレル国内でも評判は悪くなかった。
ミオン北部の都市カルナーに向かう最中、豪槍騎士団長マリク・ザン=ゼミュールは、運命の不思議を想わずにはいられなかった。頭上には暗い雲が立ち込め始めている。
彼は元々、ベレルの騎士団においては第三位の騎士であった。最高位の騎士にはグラハム・ザン=ノーディスが君臨し、第二位に前騎士長にして現在の重盾騎士団長アーク・ザン=ファードがその地位を確かなものとしていた。ふたりの立場は揺るぎようがなく、彼は第三位でも十分であり、満足しなければならないと言い聞かせていた。実際、満足してもいたのだ。ゼミュール家の実力を鑑みれば、第三位の騎士に上り詰めることができたのは、ゼミュール家の歴史に残る快挙といってもよかった。これ以上、望むべくもない。
グラハム・ザン=ノーディスは王妃の血筋であり、アーク=ファードの家系も、元を辿ればベレル王家に連なっている。太刀打ちできる家柄ではない。
それが、グラハム・ザン=ノーディスの追放によって、状況が一変した。彼は副騎士長に任命され、第二位の騎士となった。そして、ガンディアによるベレルの支配が決定的となると、今度は騎士団が解体され、重盾騎士団と豪槍騎士団に再編された。彼は豪槍騎士団長に任じられ、同時に騎士の称号を授けられた。
重盾騎士団長アーク・ザン=ファードと同列の立場になったのだ。
国が主権を失って哀しむべきなのか、騎士として上り詰めることができたことに喜ぶべきなのか、彼にはわからない。ただひとついえることは、運命は不可思議極まるものだということであり、騎士団長としての務めを果たさなければならないということだ。
やがて、カルナーの都市が見えてきた。ベレルとの国境に近い都市だ。首都ミオン・リオンを目指すのならば避けて通れぬ位置にあったし、ガンディアがミオン全土を平定するつもりならば、豪槍騎士団が攻略しなければならない。なにもかも、ガンディア軍参謀局の指し示した戦術通りであり、その点では、彼は気楽に構えることができていた。
戦術が失敗しても、こちらに落ち度はないのだ。
「雲行きが怪しいが……」
マリクは、頭上を仰ぎ見てつぶやいた。一月五日正午過ぎ。年明け以来天候に恵まれていたのだが、その恵みもついに終わりそうな気配を見せていた。にわかに黒い雲が空を覆い始めており、遠方では既に雨が降り始めている様子さえあった。
(急ぐべきか、待つべきか)
いますぐカルナーに攻撃を仕掛けたとして、雨が降り始める前に戦闘が終わる可能性は低い。かといって、雨が止むまで待つだけの猶予はない。雨も、小雨ならば問題はないのだが、雲を見る限り、本格的な大雨になりそうだった。
豪雨となれば、まともな戦闘などできるものでもあるまい。特に都市に攻め込もうとしているのだ。地の利は相手にあり、自然もまた、相手の味方をするだろう。
「団長、悩んでいる暇はありませんよ」
豪槍騎士団副団長メイズ=イルが、マリクの隣に馬を寄せてくるなり、冷ややかにいってきた。メイズは、ベレル四位の騎士であり、以前の騎士団では第一部隊の隊長を務めていた人物だ。野心家であり、いずれはグラハムをも凌ぐつもりでいたらしいのだが、グラハムが追放されてからというもの、抜け殻のようになっていたのを見る限り、グラハムへの対抗意識が彼を駆り立てていたのだろう。
グラハムに対抗意識を燃やす人物など、彼くらいしかいなかった。
「む……」
「我々は、十日には、ミオン・リオンに辿り着いていなければならないのです。でなければ、ベレルの豪槍騎士団の面目が立ちませんよ」
「しかし……」
「カルナーの守将には、銀騎士ユベイル=ウェーザーがついているということですが、戦力は千二百。我ら豪槍騎士団の相手にもならないでしょう。なにより、士気が低い」
メイズは、その秀麗な顔を皮肉たっぷりに歪めながらいった。士気が低いのは、ベレルの豪槍騎士団とて同じことだ。しかし、戦力はたっぷりと用意してある。豪槍騎士団は、二千五百人をこの戦いに動員している。ガンディアの属国となって初めての戦争なのだ。ここにベレルの騎士団ありというところを見せなければ、ガンディアでの立場は低くなる一方だ。
ガンディアには、王女イスラが囚われている。ベレルの立場は、彼女の立場に直結する可能性がある。
騎士団の良き理解者であったイスラは、騎士団員からもっとも尊敬されていた人物のひとりだ。国王や王妃も敬い、尊んでいるが、騎士団のイスラへの愛は、熱烈といっていいものだった。彼女がガンディアの人質に取られたことは、騎士団を激昂させたものだが、それは騎士団の不甲斐なさを露呈させるだけのことであり、自分たちの無力さを再認識した騎士たちは、訓練に明け暮れた。
そして、豪槍騎士団は、以前とは比べ物にならないくらいに攻撃的な組織へと再生した。
「報告!」
伝令の騎馬が、マリクたちの前で立ち止まり、兵が下馬した。
「カルナーが城門を開き、銀騎士ユベイル=ウェーザーと思しき人物が出て参りました!」
思しき、といったのは、遠方からでは確定できないからだろう。派手な銀騎士の甲冑を、別の誰かが身につけているだけかもしれない。もちろん、その可能性は限りなく低い。銀騎士の名を汚すような行いをユベイル=ウェーザー自身が許すはずがなかった。他人の評価を気にしているからこそ、ユベイルは派手な銀甲冑を身につけているのだから。
「打って出てきたのか?」
「いえ、銀騎士は供回りだけを引き連れており、とても戦闘の気配はなく」
「ふむ」
「……なるほど、降伏か。賢い判断だ」
マリクは、メイズが一人納得する傍らで、険しい表情を崩さなかった。なにか罠があるのではないか、と疑ったのだ。とはいえ、豪槍騎士団が布陣しているのは、カルナー北部の平原であり、カルナーの兵の射程範囲には入っておらず、罠を仕掛けようにも仕掛けられるような距離ではなかった。
銀騎士みずからが囮となるには、マリクたちがもっとカルナーに近寄ってからでなければならない。
果たして、ユベイル=ウェーザーは、マリクに対して、豪槍騎士団、引いてはガンディア軍への降伏を告げてきたのだった。
「貴殿が話のわかる人で良かった」
「我々の行動のひとつひとつが、イシウス陛下の目を覚ましてくれると信じているからこそ、降るのだ」
「イシウス陛下の目を覚ます……」
「陛下は、間違っている。こんな戦いになんの意味がある。ガンディアと争うことに、ガンディアに滅ぼされることに、いったいなんの意味があるというのだ」
白銀の甲冑を身につけた女騎士は、ミオンとガンディアという同盟国同士の戦争を嘆き、クルセルクとの戦いを前に血を流すことの無意味さに涙すら流していた。
マリクは、彼女に同情したものの、一方で、ミオンの王に対しては、同情の余地などあるものだろうか、と思わないではなかった。
ベレルの国王イストリアは、戦わずしてガンディアに降るという選択をした。
対して、ミオンの国王イシウスは、ガンディアの要望を跳ね除け、戦うという選択をした。
置かれた状況はミオンとは大きく違うものの、国王の判断だけを比較すれば、いかにイストリアが賢明なのかがわかろうというものだ。
勝てるはずのない戦いに意味などあろうはずもない。
マリク率いる豪槍騎士団がカルナーに入り、その支配権を確立したのは一月五日。カルナーに駐屯していたミオンの戦力は、そのほとんどがユベイルに賛同しており、制圧に時間はかからなかった。中にはユベイルを売国奴と罵るものもいたが、戦力差の前には抵抗する気力さえ失われたようだった。