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第六百話 ハルベルク・レウス=ルシオン

「ガンディアは巨大化し、レオンガンド陛下の名声は留まるところを知らぬ。なにものも、陛下の夢を止めることはできないでしょうな」

 ジゼルコート・ラーズ=ケルンノールは、自国の王のことをそのように評した。レオンガンドは、先の王シウスクラウドの実弟である彼にとっては甥に当たる人物であり、その甥が国を強く、大きくすることに対して、極めてそっけない態度を取っているのがジゼルコートという男だった。

 ハルベルクは、彼を掴み所のない人物だと思っている。かつて、シウスクラウドが病に倒れた後、ガンディアの実権を握っていたのが、ジゼルコートなのだ。二十年前である。レオンガンドはまだまだ幼く、後見人としてジゼルコートが権勢を得るのは当然の成り行きであったし、シウスクラウドも実弟に野心がないことを信じ抜いていたようだった。

 そして、ジゼルコートは、シウスクラウドの想いに応え続けた。シウスクラウドの病が重くなるに連れて、健康なジゼルコートこそガンディアの王座に着くべきではないかと囁くものも現れたという。そんな声に決して耳を貸さなかったのがジゼルコートであり、シウスクラウドが逝去すると、影の王という立場をあっさりと捨て去り、レオンガンドが王座に着くのを後押しした。その後は、領伯としてケルンノールの地に籠もっていたのだが、それもレオンガンドを思えばこそだ、ともいえる。

 約二十年に渡り、影の王として君臨していた彼の影響力は計り知れないのだ。彼が王宮に留まり続けていれば、継承後も“うつけ”の評判を背負っていたレオンガンドよりも、ジゼルコートの命令を優先するものが現れたかもしれないし、彼の派閥が出来上がったとしても不思議ではなかった。レオンガンド派、ジゼルコート派、ラインス派という三派閥が生まれていれば、ガンディアの政情はもっと混沌としていただろうし、レオンガンドも順風満帆とはいかなかっただろう。

 他国の内部事情について詳しくは知らないものの、“うつけ”を演じていたレオンガンドを廃嫡しようという動きがあったのは事実だったし、そういう運動が大きくなればなるほど、リノンクレアはレオンガンドを応援し、励ましたものだ。ハルベルクも彼女に習い、レオンガンドを激励したのだが、意味があったのかどうか。

 レオンガンドは、“うつけ”などではなかった。ハルベルクたちには、そんなことはわかりきってはいたのだが、彼が本性を見せないことへの苛立ちは、筆舌に尽くしがたい物があったのも事実だ。だれよりも貪欲に知識を吸収し、だれよりも苛烈に自身を鍛える彼の姿は、ハルベルクの網膜に焼き付いている。

 だからこそ、ハルベルクはレオンガンドに憧れ、彼の妹に恋をしたのかもしれない。

 リノンクレアは、レオンガンドを女性にしたような人物なのだから、決して間違いではないだろう。

「義兄上はお強い。それだけのことです」

「そう、陛下は強い。強くなられた。本当に、人が変わったように」

 ジゼルコートが、こちらを見つめながらもなにか違うものを見ているのは明白だった。遠い目だ。過去でも見ているのかもしれない。過去。レオンガンドが本質を隠していたころの姿でも、思い出しているのだろうか。

「かつて陛下は“うつけ”と誹られておられた。国の内外問わず、だれもかれもが口を揃えて、陛下のことを悪しざまにいっていたものです。覚えておられますかな?」

「無論。遠い昔のことでもありませんのでね」

 ハルベルクは、素直に頷いておいた。

 レオンガンド・レイ=ガンディアが“うつけ”という悪名から脱却できたのは、つい最近のことだといっても過言ではなかった。バルサー要塞の奪還と、ログナー平定が成って、初めて、レオンガンドは正当に評価されるようになったのだ。それからというもの、ガンディア国民の変貌ぶりというのは凄まじいものがあったが、それもしかたのないことだ。

 レオンガンドは、国を生き長らえさせるために道化を演じなければならなかったのだ。国民がレオンガンドの本質、本性を見抜いていたとすれば、他国の間者、諜者も騙せなかったに違いなく、ガンディアの運命は大きく変わっていたはずだ。

 レオンガンドが“うつけ”であり、無能であるという評判が、ガンディアを生き長らえさせた。

「その頃の陛下と、いまの陛下は、とても同じ人物とは思えませんな」

「なにをいっておられるのです。うかつな発言は、領伯殿の首を絞めることになりますよ」

「はっはっ、悪いことではありますまい。陛下は強くなられた、といっているのですからな」

「……言外に、なにか別の意を含んでおられるようにしか聞こえませんね」

「それは考え過ぎですよ。わたくし如きものがなにをいったところで、気にすることではない」

 ジゼルコートは一笑に付した。が、その態度が、ハルベルクには気に食わない。彼はなにかを企んでいるのではないか。それは、ジゼルコートがハルベルクに接触してきた時から感じていたことである。彼とのふたりだけの会談に応じたのも、ジゼルコートの真意を知ることで、レオンガンドに助力できるかもしれないと思ったからだ。

 ハルベルクは、レオンガンドの力になりたいと願っている。ザルワーン戦争において大した戦果を上げることができなかったことが、彼の心に影を落としている。このままでは、勝利と栄光の道を駆け上がっていくレオンガンドの背中を追うこともできないのではないか。そのような不安が、彼を駆り立てるのだ。

「ジゼルコート・ラーズ=ケルンノールともあろうお方が、みずからを卑下するなど」

「なに、わたくしの権勢も地に落ちた。いまはセツナ・ラーズ=エンジュール伯の時代なのは、だれの目にも明らか。各国はこぞってセツナ伯と接触を図り、関係を持つことに必死だといいます。それに比べて、わたくしときたら」

「……愚痴を零しに来たのですか?」

 ハルベルクがため息混じりに肩を竦めたのは、ジゼルコートの意図がまったくわからなかったからだ。

 もっとも、ジゼルコートが愚痴混じりにいったことは事実だ。ジゼルコート・ラーズ=ケルンノールはガンディア国内での権勢こそほとんど失ってはいないのだが、諸外国の王侯貴族の注目は、ケルンノールで牧場を経営する領伯よりも、最前線で戦い続ける親衛隊長兼領伯に集まってしまうものだ。そしてそれは、必然でもあった。セツナ・ラーズ=エンジュールは、バルサー要塞以来、ガンディアの最前線にあって数多の敵を屠り、あらゆる困難を打ち破ってきた人物である。今後の活躍も期待されるガンディアの超重要人物といってよく、彼と知り合っておくことは、ガンディアと付き合っていく上で重要なことだと判断されたとしても、なんらおかしなことではなかった。

 戦うことしか知らないセツナには迷惑な話かもしれないが。

「失礼。同盟国の王子殿下に愚痴を零すなど、領伯としてあるまじきことですな」

 そういって、ジゼルコートは快活に笑った。だが、彼の澄んだ目だけは笑っていないことに、ハルベルクは気づいた。ジゼルコートは、よく笑う。笑うのだが、その瞳は、常にハルベルクの目を見据えていた。

 それが、気に入らないのかもしれない。

 昔からそうだった。

 ハルベルクは子供の頃、レオンガンドとリノンクレアの遊び相手としてガンディオンを度々訪れたものだが、当然、ジゼルコートともよく会った。そのたびに目だけが笑っていない笑顔に迎え入れられて、胸がざわついたものだ。

 いまも、そういう気分だった。だが、表情には出さないし、言動にも表さない。それくらいの術は心得ている。感情を制御できなければ、ルシオンで生き抜くことなどできなかっただろう。

「そうそう。同盟国といえば、ミオンの動向についてはご存じですか?」

「ええ、聞いています。イシウス陛下も迂闊なことをされたものだ。マルス=バールひとりに国を任せるなど……」

 ハルベルクの脳裏に過ったのは、ザルワーン戦争目前、ミオンに立ち寄ったときにマルス=バールがつぶやいた言葉だ。

『獅子は己が身を弁えるもの。であればこそ、我らも安心していられるのです』

 マルス=バールが、ガンディアの領土拡大方針に危機感を抱いていたのは疑いようがない。彼は、レオンガンドの野心が、やがて同盟国であるミオンに牙を剥くことになるのではないか、と危惧していたのかもしれない。ザルワーンを平定した際、レオンガンドが掲げた大陸小国家群統一の言葉が、決定的となったのだとすれば、迂闊なのはレオンガンドのほうかもしれないが。

「レオンガンド陛下はどうなさるのでしょうね?」

「ミオンがマルスの首を差し出せば、それで終わることです。ミオンにとっては痛手でしょうが、マルスひとりの命で手打ちにするというガンディアの決断ほど、寛容なものもありません」

「そこが、問題なのです」

「問題?」

「ミオンは、マルス=バールの身柄を確保したというのに、ガンディアに明け渡すどころか、首を寄越してくる気配もない。陛下はお怒りだ」

 ジゼルコートは、やはり、他人事のような口調で行ってきた。

「そしてつい先程、レオンガンド陛下は、ミオン征討を決意したようですよ」

 ハルベルクは、レオンガンドを止めようと思ったのは、ガンディア、ルシオン、ミオンの三国同盟が崩壊することを恐れたこともあったが、ガンディアとミオンが戦うことになんの意味もないと思ったからにほかならなかった。

 敵は、クルセルクであり、ミオンではないはずだ。ミオンの宰相がクルセルクと繋がっていたのなら、クルセルクさえ潰せばいいだけではないのか。

 


「王子殿下、折り入って話があるということですが?」

 ハルベルクがレオンガンド・レイ=ガンディアと対面したのは、戦略会議室と銘打たれた一室だった。子供の頃から見慣れた部屋は、見慣れない地図が数多に飾られ、長机の上には機密情報が記されていそうな書類が山のように積み上げられている。ついさっきまで軍議を開いていたのは間違いない。

 ハルベルクがここに到着するまでに軍師や将軍とすれ違い、会釈を交わしたからだ。ナーレス=ラグナホルンとデイオン=ホークロウもまた、ハルベルクにとっては幼い頃からの知り合いであり、ふたりがレオンガンドに取ってかけがえのない協力者だということも知っていた。

「陛下、いえ、義兄上、義弟として聞きたいことがあります」

「義弟として、か。いいだろう。なんでも聞くがいい」

 レオンガンドは、ハルベルクの申し出が嬉しかったのか、笑みを浮かべた。少し前まで張り詰めた会議を開いていたのだ。緊張を解きほぐしたかったのかもしれない。

 ハルベルクは、自分の発言が義兄の表情を曇らせることを承知で、口を開いた。

「ミオン征討の噂、真でございましょうか?」

 レオンガンドは、やはり、笑みを消した。

「ハル、君も、ミオンがガンディアを裏切っていたという話は聞いているだろう」

「はい。しかしそれは……」

「嘘だというのか? ミオンの宰相マルス=バールが、ラインス=アンスリウスらと手を組み、クルセルクと共謀し、わたしとナージュの婚儀の場で、わたしたちを諸共に暗殺しようとしていたというのは、事実なのだ」

「事実……」

「ラインスの側近であったゼイン=マルディーンの証言がある。その上、クルセルクの運搬経路を考えれば、ミオンが関与しているのは間違いない。イシウス陛下が存じ上げておられなかったとしても、宰相が知らぬはずはあるまい」

「だからといって、同盟国に攻めこむというのですか?」

「そうしなければ、ガンディアの面目が立たない。諸国の怒りはどうなる? マルスたちの暴挙に巻き込まれた国々の怒りは。クルセルクとの戦争を前に、諸国との協力関係を失うわけにはいかぬのだ。それにな、ハル。わたしは譲歩したのだ。マルス=バールひとりの首で差し許す、と」

 レオンガンドが立ち上がって、こちらを見た。超然としたまなざしは、以前のレオンガンドからは考えられないような威圧感があった。風格といってもいい。弱小国ガンディアの新王ではなく、強国ガンディアの獅子王としてのレオンガンドが、ハルベルクの目の前に立っている。

 ハルベルクは、レオンガンドから感じる圧力に、むしろ歓喜を覚えた。これこそ、夢に描いていたレオンガンドの姿だった。リノンクレアとともに支えようと誓ったのは、レオンガンドがいまにも“うつけ”の悪評を吹き飛ばし、獅子王として君臨すると信じたからだ。

「宰相ひとりの首も差し出せぬというのなら、ガンディアとの関係よりも、自国の宰相の命のほうが大事だというのならば、滅ぼすよりほかはあるまい」

 だが、だからといって、ハルベルクにも看過できないことがある。ミオンは、ガンディアの同盟国であり、ガンディア東部防衛の要だったのだ。ガンディアが東部の防衛に戦力を割かずに済んだのは、ミオンが防壁の役割を果たしていたからだ。そして、ギルバート=ハーディ率いる騎兵隊が、ガンディアの躍進に果たした役割は大きい。

「しかし!」

「三国同盟の時代は終わったのだ。ガンディアはいまやログナー、ザルワーンを飲み込み、ベレルを支配している。ルシオン、レマニフラと同盟を結び、また、反クルセルク連合軍の盟主となった。ミオン一国程度、惜しくはない」

「義兄上……いま、なんと!?」

「ミオン程度惜しくはない、といったのだ」

 以前のレオンガンドからは考えられないような発言に、ハルベルクはただただ愕然とした。国土の拡大、国力の巨大化は、ひとをこうまで変えるものだろうか。ハルベルクには、わからない。ハルベルクは、王位継承権こそ持っているものの、国王ではない。国政に関与こそすれ、実権を握っているのは実の父である国王だ。だからこそ、こうしてガンディアに長期滞在などしていられるのだが。

「ルシオンは、どうする? ガンディアに協力するか、それとも、ミオンと手を結ぶか。ふたつにひとつ。傍観するという選択肢はないぞ」

 問われて、ハルベルクは沈黙した。答えはひとつしかない。ガンディアに、レオンガンドに歯向かうという選択肢など、最初から存在しないのだ。レオンガンドを支えるというのは、もちろん、従属するということではないのだが、ガンディアに敵対するのは、もっと違う。

 自分の鼓動が聞こえるほどの静寂の中で、ハルベルクは、レオンガンドの美しい顔を見ていた。片目を失ったことで精悍さを得ている。

 若き獅子王には、いつか見たシウスクラウドの面影があった。

「ルシオンは……もちろん、ガンディアとともに歩みます。しかし、ミオンとも、ともに歩みたいと考えています」

 ミオンのことを考えると胸が傷んだ。幼い王は、リノンクレアのことが大好きだった。リノンクレアも、イシウスのことを弟のように愛していた。ミオンに攻めこむということは、彼を死地に追いやるということではないのか。

「どうか、考えなおしてください。ミオン征討で得られるものなど、たかが知れています」

「ふむ、そうだな……ハルのいうことももっともだ。ミオンは、ガンディアのために幾度と無く尽力してくれた同盟国。もう少し、様子を見てもいいのかもしれない」

「義兄上……!」

「だが、ハルよ。ミオンがマルス=バールの首を差し出さなかったときは、わかっているな?」

「ルシオンの白聖騎士隊が、ミオン・リオンを滅ぼしましょう」

 ハルベルクは、自分がとんでもないことを宣言したことに気づいたものの、もはや止められるものではないとも理解していた。

 何事にも、流れ、というものがある。

 状況は、ミオンにとって最悪な方向に流れている。その流れを止めることはできないが、変えることはできるかもしれない。流れ着く先を変えるには、多大な労力を必要とするだろうし、労力に見合うだけのものは得られないかもしれないが。

(やってみるさ)

 ハルベルクは、レオンガンドの前で固く決意した。

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