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第五百九十七話 ミオンについて(二)

「マルス=バール。卿はなにか勘違いしているのではないか?」

 イシウス・レイ=ミオンは、玉座に腰を下ろすと、謁見の間に傅いている男に穏やかな視線を投げた。そのとき、イシウスが常に纏っていた幼さが消え、高潔な王としての側面が現れ始めていることに気づいたのは、ギルバート=ハーディだけだったのかもしれない。

 ミオン・リオン王宮の謁見の間には、国王たるイシウスと重臣たち、ギルバート=ハーディを始めとする将校が勢揃いしていた。王立親衛隊の隊士として、ギルバート=ハーディの息子もこの場にいたが、目を合わせることはなかった。だれもが、緊張の面持ちだった。当然だろう。

 ミオンの実質的な支配者、黒衣の宰相マルス=バールが断罪されるときがきたのだ、とだれもが認識していたし、王の前に傅いている当の本人さえ、裁きの時を待っていた。

 マルス=バール。自己弁護と他社批判を繰り返しながらミオン国内を逃げ回っていたときとは打って変わって、静かなものだった。覚悟を決めてしまえば、だれしもが言葉を失うのかもしれない。

「確かに、わたしはレオンガンド・レイ=ガンディア陛下を敬い、尊い存在だと思っている。神のように崇めているといっても過言ではない。持たざるものだったわたしにとって、レオンガンド陛下は、光そのものだったからだ」

 イシウス・レイ=ミオンの声は、透明で、力強さを持っていた。聞くものの魂を震わせる響きがあった。ギルバート=ハーディが自身の扱いに不平を漏らさないのは、ひとえに、この若き国王のためならば死ねる、という想いがあったからかもしれない。

「“うつけ”と呼ばれた陛下と、自分の境遇を重ねあわせていたのだろうな。愚かなことだが、幼き故、致し方あるまい。だれしも、子供の頃から聡明ではいられぬものだ」

 イシウスは静かに言葉を続ける。

「いや、レオンガンド陛下が光であることに違いはない。いままさに大陸小国家群を照らさんとする曙光だ。ガンディアの勢いは留まることを知らぬ。いかなものにも、彼の国を止めることはできまい。クルセルクとて、どうなるものか。斯様な手段を用いねばならぬ国など、ガンディアの前に脆くも崩れ去ろう。そしてガンディアはさらなる強国となるのだ」

 咳きひとつ漏れない状況下で、イシウスの語りだけが紡がれていく。

「ガンディアは、それでよい。勢いに乗って、どこまでも拡大を続ければよいのだ。それが、レオンガンド陛下の夢ならば、その夢のために全生命を注ぐのは、なにも間違ってはいない。だが、わたしはそうではない。わたしは、陛下の夢に追従する気はないのだ」

 だれもが、新鮮な驚きを覚えながら、我が主の声に耳を傾けているに違いない。ギルバート=ハーディですら、イシウスの饒舌ぶりに驚きを隠せなかった。彼がそこまで力強い言葉を吐くとは、想像もできないことだったのだ。

「わたしはわたしだよ、マルス=バール。持たざるものイシウス。いつだってわたしはそれだ。わたしにはなにもなく、卿がいなければ、この場にいる皆がいなければ、いまにも野垂れ死ぬような愚か者だ。わたしにはなにもないのだ。卿たちがいてくれて、はじめて、イシウス・レイ=ミオンと名乗れるのだ」

 謁見の間に集った将校たちは、皆一様に顔を見合わせた。イシウスは自分を卑下しすぎているのではないか、と思う一方で、自分たちをそこまで信頼してくれているのか、という思いもあったのだろう。ギルバート自身は、イシウスが信頼してくれていることは知っていたが、改めて言葉にされると、なんとも面映いものだと思ったりもした。

「わたしは忘れてはいない。あの日、卿がわたしを連れて逃げ出してくれなければ、わたしは兄上に殺されていたという事実をな。卿が行動を起こさなければ、わたしの人生はそこで終わっていたのだ。卿が私利私欲のために起こした行動であったとしても、だ。わたしにとってはそれがすべてなのだよ」

 イシウスのマルス=バールに注ぐ視線は、優しい。慈しみに満ち溢れており、マルス=バールが体を震わせるのもわかるというものだった。

「諸君、聞いてほしい。マルス=バールは、ガンディアのラインス=アンスリウスやクルセルクの魔王ユベルと結託し、レオンガンド・レイ=ガンディアを亡き者にせんとした。同盟国の盟主たるガンディアへの背信行為も甚だしく、わたしとしても許しがたいことではある」

 イシウスは、さっきまでとは打って変わって、辛辣な口調で告げた。実際、イシウスには許せないことだったというのは間違いあるまい。イシウスがレオンガンドを神のように信仰しているのは、本人が言った通りなのだ。自国の宰相がその暗殺計画に携わっていたという事実ほど衝撃的なものはないだろう。

 そして、イシウスは、ガンディオンからミオンに戻るまでの間、マルス=バールを処罰することばかりいっていたのだ。イシウスとしては、なんとしてでもレオンガンドの怒りを解きたいというのもあっただろうが。

 それが、ここにきて変化を見せていることに、ギルバートは、疑問を抱いていた。

「ガンディア国王レオンガンド・レイ=ガンディアは、ギルバート=ハーディ将軍にいったそうだ。マルス=バールの首を差し出せば、差し許す、と。本来ならば、ここでマルス=バールを断罪し、その首をガンディアに届けるべきなのだろう。レオンガンド陛下の元へ。そうすれば、ミオンは、ガンディアの同盟国として栄光の中を歩み続けることができよう。ガンディアの、レオンガンド陛下の夢の果てを拝むことも可能かもしれない」

 イシウスが玉座から立ち上がった。少年王は、その小さな体からは考えられないほどの圧力を発した。王者としての威厳が備わりつつあるのかもしれない。ギルバートは、平伏したい気分に駆られた。

「しかし、それでよいのか? 本当にそれで、よいのか? 本当に、ミオンは存続し続けることができるのか?」

 イシウスの問いには、だれも答えることなどできない。預言者などいないのだ。そして、明日の天気も当てられぬ預言など信じられるはずもない。

「レオンガンド陛下は、約束してくださった。ミオンの領土を侵すことは断じてないと宣言し、宣誓書も用意してくださった。陛下の言に間違いはあるまい。陛下は、ミオンを守護し続けてくださるだろう」

 イシウスは断言した。レオンガンドへの揺るぎない信頼は、彼のみならず、多くのミオン国民の心情でもあった。イシウスが王位を継ぎ、マルスが国政を担ったからこそ、ミオンは内政に尽力し、財政の再建を成し遂げることができたのだ。国民の生活が向上したのは疑いようのない事実であり、黒衣の宰相に人望が集まっているのは当然のことだといえた。彼に悪い噂があったとしても、その噂を押しのけるくらいの人気もあるのだ。

 イシウスの兄であったシウスが王位を継いでいた場合、当然、マルスが宰相として辣腕を振るうことはなく、ミオンは財政を立て直すこともできず、ガンディアの属国に成り果てたのではないかという推測は、おそらく見当違いではあるまい。

 ミオンがガンディアの同盟国としてそれなりの立場を保つことができたのは、イシウスと、マルスの尽力によるところが大きく、ふたりを後援したガンディアとレオンガンドをミオンの国民が支持しないはずがなかったのだ。

 そう、ミオンとガンディアの関係は友好的かつ良好であり、蜜月の日々は、まだまだ長く続くものだと誰もが思っていたし、いまも、その希望を捨てていないものがこの場にいるだろう。マルス=バールの首さえ差し出せば、ガンディアは不問にするといっているのだ。たかが宰相ひとりでガンディアとの関係が安定するのなら、それに越したことはない。

 ギルバートでさえ、そう考えている。

「だが、陛下がいつまでもガンディアの国王として君臨しておられるわけではない。人間は無限に生きられるわけではないのだ。定められた命の時間がある。陛下の跡を継いだものが、膨大化したガンディアの隣の小さな同盟国に手出ししないと、どうして言い切れるのか」

 淀みなく言葉を続けていたイシウスだったが、しばらくして、首を左右に振った。様々な思惑が、謁見の間に交錯しているのを感じ取ったのかもしれない。重臣にせよ、将校にせよ、この場に集められた多くの人間は、マルス=バールひとりの死でミオンが存続するならば、それほどたやすいことはないと思っていたのだ。だからこそ、消えたマルス=バールを探し出すために血眼になったのだ。

 結局、マルス=バールは、自領の屋敷に隠れていたのだが、それを見つけ出したのは、彼の息子であるところの親衛隊長だった。

「わかっている。杞憂にすぎない、と。将来のことなど、だれにもわからないのだ、と。そんなことを言い出せばきりがないのだということも、理解している。それでも、だ。わたしには、マルス=バールを断罪することなどできないのだ。わたしがマルスを殺すということは、みずからを殺すのと同じことだ」

 それが、本音なのだろう。

 要するに、ガンディアへの不安や懸念は、ただの言い訳なのだ。本心は、マルス=バールを殺したくないというただそれだけのことなのだ。

 ギルバートは、腑に落ちた気分になる一方、最初からそういってくれればよかったのではないか、と思った。が、そういうわけにもいかないことも理解していた。なにごとにも理由が必要なのだ。理由がなければ、ついてくるものもついてこないだろう。

 不意に、マルス=バールが顔を上げた。彼がどのような表情でイシウスを見上げているのか、ギルバートの位置からはわからない。しかし、彼が決然とした意思でなにかを発言しようとしていることだけはわかっていた。

「陛下……なにを、いまさらなにをいっておられるのです。いますぐ、わたしの首を刎ね、レオンガンド陛下に差し出されませ。すべて、マルス=バールが勝手にやったことでございます。陛下に落ち度はございませぬ。わたしが陛下の御前にあるのは、ひとえに、陛下の手で討たれるため」

「同じことを、何度も言わせるものではない。卿は、わたしイシウス・レイ=ミオンの命そのものなのだ。わたしは卿を殺さない。卿あれば、わたしは王になれた。卿あればこそ、ミオンは再興したといっても過言ではない。ガンディアに卿の首を差し出し、それでよしとするなど、わたしの魂が許さぬ」

「レオンガンド陛下が、お許しになりますまい」

「そのときは、戦の一字あるのみ」

 イシウスがマルスに向かって微笑むと、謁見の間全体がどよめいた。だれもが、イシウスの言動から察してはいても、彼が断言するまでは、別の可能性を信じたかったのだ。だれしも、ガンディアとことを構えたいなどと思ってもいない。

 それは、宰相自身がもっとも思っていることに違いない。彼ほど、ガンディアの国力を知らないものはいないのだ。彼ほど、ガンディアとの戦力差を認識しているものはいないのだ。だから、彼はレオンガンドを暗殺しようとしたのだ。暗殺ならば、弱小国家にも勝ち目はある。が、その暗殺が失敗したいまとなっては、マルスにも打つ手などないのだ。

「国が、滅びますぞ」

 マルス=バールが告げると、イシウスは、涼やかな表情を崩さなかった。

「国は、王家は滅びても、民は残るよ」

「なにを……」

「ガンディアの軍規の厳しさを知らぬ宰相ではあるまい? ギルバート将軍からよく聞いていたであろう? 他国での略奪行為や民間人への攻撃を許さぬというではないか。ガンディアと戦って敗れても、民は、生き残る。生き残り、ガンディアの国民となる」

 謁見の間にいるだれもが唖然とする中で、イシウスは、悠然とした足取りで玉座に戻った。

「それでよいではないか」

 そう告げる彼の真意など、理解できるはずもなかった。

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