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第五百九十四話 黒き矛と獣姫(六)

「レムは、中々動きませんね」

 カナギ・トゥーレ=ラハンがつぶやいたのは、監視対象であるセツナ・ラーズ=エンジュールがシーラ・レーウェ=アバードとともに宿の屋内に消えて、十数分余りが経過してからだった。ふたりが屋内に姿を消すのはこれが初めてのことであり、セツナの様子を確認するには、レムが追跡する以外にはなかった。さすがに、クレイグたちがこの格好で追跡するわけにはいくまい。

 クレイグ・ゼム=ミドナスは、カナギとともに市街地の建造物の中で特に大きな時計塔の影に身を潜め、眼下の騒ぎを見下ろしている。エンジュール領伯とアバードの王女のふたりきりの行動は、王都市民の注目を集めるには十分過ぎるのだ。

 そんな中で頼りになるのは、やはり彼の目である死神壱号なのだが、彼女は、《獅子の尾》の隊長補佐や隊士の女などに捕まり、身動きが取れずにいる。

「これではセツナに付けた意味が無いな」

 クレイグは、肩を竦めたが、かといって死神壱号に強行突破させるつもりはなかった。セツナがアバードの姫君となにをしていようと、どんな話をしていようと、クレイグには興味のないことだ。ガンディアとアバードの友好に関する話題かもしれないし、クルセルクとの戦いに関する相談かもしれないし、極私的な会話かもしれない。

 いずれにせよ、彼の目的とは、関係のないことなのは疑いようがない。

 必要なのは、レムがセツナの信頼を勝ち取ることであり、セツナがレムに気を許すようになることだ。そのためにも、無理をさせるつもりはなかった。時間はたっぷりとある。明日明後日にクルセルクとの戦いが始まるわけではないのだ。

(いや、既に始まっているのか)

 水面下、既に戦いの幕は上がっている。

 クルセルクからの宣戦布告によって、ガンディアは軍備の増強を急がざるを得なくなった。ガンディアだけではない。ジベルも、アバードも、ベレル、ルシオン、ミオンといった同盟国、支配国も、イシカやメレドでさえ、最悪の事態に備えなければならなくなったのだ。

 大陸小国家群史上最大の戦争が、始まった。始まってしまった。

 魔王が始めたこの戦いの結末がどうなるのか、クレイグには想像もつかない。黒き矛と《獅子の尾》の武装召喚師たち、また、ジベルの死神部隊やアバードの獣姫、ルシオンの白聖騎士隊、ミオンの騎兵隊が全力を注げば、魔王の軍勢とも対等に戦えるものだろうか。

 魔王軍は、反魔王連合との戦いの中で各地の皇魔を糾合し、その戦力は、開戦当初の数倍にまで膨れ上がっているという。戦争はまだ終わっていない。クルセルクが反魔王連合の四国を潰し終えたころにはさらに増大していると考えるべきだろう。しかも、その戦力とは、人間の兵士を数に入れていないともいわれており、クルセルクが反魔王連合の四国の戦力を取り込んだ暁には、とんでもない数の兵力になるのではないか。 

 そんな規格外の敵に、ガンディアを盟主とする反クルセルク連合軍は勝てるのだろうか。

(勝たなければならない。なんとしてでも)

 彼は、拳を握りしめた。勝たなければ、ジベルに未来はない。ガンディアだけが滅びるのならば、いい。他国のことだ。他国の存亡になど、構ってはいられない。しかし、クルセルクがその敵意を向けたのは、ガンディアだけではなかった。

 クルセルクの隣国であるジベルやアバードにも牙を剥いた。

 ガンディアもろとも周辺諸国を滅ぼし、クルセルクをとてつもなく巨大な国にでもするつもりなのだ。反魔王連合の四国を飲みこんだクルセルクが、ガンディアとその周辺国までも併呑することができれば、クルセルクは、レオンガンドの掲げた大陸小国家群の統一を成し遂げることができるだろう。

 魔王と皇魔による小国家群の統一。

 そんなものをジベルが望むはずもなかった。

 クルセルクの膨張を防ぐということは、ガンディアの拡大を加速させることになるかもしれないが、魔王と皇魔による支配よりは遥かにましだと、アルジュは考えているようだし、クレイグもその考えには同意せざるを得なかった。

(だが、そうはならない)

 ガンディアは、黒き矛を失えば、その加速度的な拡大路線を取りやめることになるだろう。その間にジベルが力をつける。そして、ガンディアと対等な関係を結ぶことができれば最良だと、クレイグは導き出した。

 どうあがいてもガンディアには勝てない。国力差を見れば、一目瞭然だ。勝てない相手に闘いを挑むことほど馬鹿馬鹿しいことはない。

(だが、クルセルクに挑むのは、馬鹿馬鹿しいことか……?)

 彼は、胸中で頭を振る。

 それとこれとは別の話だと、だれもがいうだろう。

 これは、人間の尊厳をかけた戦いなのだ。

 と。

「人様の国で諜報活動とは、いただけないな」

 頭上から降ってきた声は、警告以外のなにものでもなく、クレイグは即座に後ろに飛んだ。時計塔の屋根になにかが突き刺さったのが見える。黒の仮面によって強化された五感は、それを白い羽だと認識していた。羽が矢のように降ってきたのだ。建材を貫き、屋根を損傷させている。

「死神部隊……だったっけ? あなたたちがいかにジベルにとって重要な存在であれ、クルセルクとの戦争で必要な存在であれ、この王都で無作法を働くというのなら、《獅子の尾》が許さないよ」

 破壊跡に降り立ったのは、若い男だった。背中から一対の翼を生やしていることを除けば、普通の青年といってもいいのだろう。黄金色の髪が陽光を跳ね返して、眩しいくらいに輝いている。青い目がこちらを見据えていた。表情は笑っているが、目の奥は微塵も笑っていない。

 王立親衛隊《獅子の尾》の隊章を身につけていることから、彼がなにものなのかすぐにわかる。もちろん、そんなものを見ずとも、一目でわかることだ。

「《獅子の尾》の副長殿か」

「ルウファ・ゼノン=バルガザール。お見知り置きを、死神殿」

「剣呑ですね」

 クレイグは、カナギを一瞥した。彼女は戦闘態勢に入ろうとしていたが、制する。この情勢下で、ガンディアの親衛隊と騒動を起こすのは明らかに間違っている。先に仕掛けてきたのはルウファのほうだ、という言い分は通るまい。

 ここは、ガンディアなのだ。

「当たり前でしょう。ここは、ガンディア。ジベルではないんだ。あなたがたのやりたいようにやらせるつもりはない」

 ルウファがいってきたことが、すべてだ。ガンディアであり、ジベルではない。ガンディアの法は、ルウファに味方する。ルウファの行いこそ正義であり、クレイグの行いは悪と認定されるだろう。もちろん、彼との間で諍いを起こした場合の話だが

「わたくしどもも、あなたがたとやり合うつもりなどはありませんよ」

「ではなぜ、セツナ様を監視していた?」

「監視? それは見解の相違というものです。わたくしどもは、市街が騒がしいので見学にきたまで」

「ふうん……群臣街からずっと追跡していたふうに見えたのは、気のせいだったのか」

「……なるほど。ガンディアには黒き矛以外にも注意すべき人材がいたようですね」

 クレイグが冷や汗をかいたのは、久々といってもよかった。クレイグは、ルウファの追跡にまったく気づいていなかったのだ。超感覚でも気づけないということは、感知領域外の遥か上空から監視していたということなのだろう。レムとの会話も聞かれてはいないはずだが、内心、穏やかではいられなかった。

 ルウファは、皮肉げな笑顔を浮かべた。クレイグを出し抜けたことが嬉しかった、というわけでもないようだが。

「最注意人物はセツナ様で間違いないけど、セツナ様だけを見ていれば足元を掬われるのは間違いないね。俺と同等の武装召喚師が少なくとも三人はいるのだから」

「ファリア・ベルファリア=アスラリアとミリュウ=リバイエン、それにカイン=ヴィーヴルか。肝に銘じておきましょう」

「特にカインは俺ほど優しくはないよ」

「ふむ……副長殿でよかったわけだ」

「ただし」

 ルウファは、表情を消した。笑顔が消えると、途端に人が変わったように見える。

「レム・ワウ=マーロウを使ってなにを企んでいるのか知らないが、良からぬことは考えないことだ。俺は、俺の居場所を奪おうとするものには容赦しない」

 ひどく落ち着いた声だった。しかし、だからこそ、クレイグは、彼の中に潜む毒のようなものを感じたのかもしれない。それがルウファ・ゼノン=バルガザールの本質なのかは定かではないにせよ、絶望を抱いている可能性を示唆していた。

 死神に相応しい人材なのかもしれない。

(空きはないが……)

 考慮する価値はある。が、それもこれも、すべてが終わってからのことだ。なにもかもすべてに決着がついてからのことだ。いますぐどうにかできるようなことではない。

「なにも」

 クレイグは、ルウファの目を見据えながら、いった。

「なにも企んでなどいませんよ。クルセルクとの戦いに勝利すること以外はね」

 まずは、それだ。

 クルセルクの脅威を払い除けなければ、黒き矛を打倒することなど、夢のまた夢だ。

(夢……)

 彼は胸中でつぶやいて、仮面の奥の目を細めた。

 アルジュの夢とは、一体何なのだろう。

 クレイグは夢を見ない。クレイグは、アルジュの別人格に過ぎないからだ。主人格であるアルジュを守護し、その弱々しい魂を傷つけないようにする事こそが存在意義であり、それ以外の存在理由などはなかったはずだ。

 みずからの意思を発露させたことなどなかったはずだ。

 それにもかかわらず、彼はいま、アルジュの身を危険に晒そうとしている。それも、これまでにない窮地に立たそうとしている。

 黒き矛と戦うとは、そういうことだ。

 死と、対峙するということだ。



 木剣が唸り、剣閃が走る。

 咄嗟に後ろに飛んでかわすが、背中がなにかにぶつかって、それ以上距離を開くことができない。舌打ちする。壁だ。相手が口の端で笑う。流れた木剣を翻し、即座に突きを放ってくる。剣の腹を叩きつけて軌道を逸そうとするが、切っ先が右頬を掠った。木剣が倉庫の壁を抉る。木片が舞った。

 セツナは、相手の追撃がないことにほっとしながら、その場にへたり込んだ。シーラが木剣を引きながら、ため息まじりにいってくる。

「はっ、竜殺しっていうのは名ばかりかよ?」

 明らかに失望の混じった声音に、セツナは、ただただ申し訳なく想った。シーラは、黒き矛のセツナという強者に興味を持ったのだ。それが、蓋を開けてみれば一般人に毛が生えた程度の実力だったのだから、彼女も落胆せざるを得ないだろう。

 いまのセツナには、黒き矛の力に頼りきっている現実を否定することはできない。

「雑魚相手に息巻いてもしかたないっすよ、姫様―」

 ルクスの発言はいつだって容赦無いものだが、今日は一段と厳しく感じられた。

「雑魚って、あんた師匠じゃないのか?」

「だからいったでしょー、師匠だから、その馬鹿弟子の弱さを嘆く権利があるんですって」

「……それにしたって、なあ」

「俺が弱いのは事実ですから」

「黒き矛……カオスブリンガーを握れば、鬼のように強くなるんだろ?」

「それが、召喚武装に頼ってるだけってことなんですよ」

 ルクスが、壁に立てかけていた長剣を手に取り、鞘から抜き放った。透明な青さを誇る刀身が魔晶灯の光を浴びて、美しく輝く。切っ先からルクスに視線を戻すと、彼は冷徹な視線をこちらに注いでいた。

「矛を呼べ、セツナ。姫様を失望させたままでは、領伯の立つ瀬もないだろう?」

「本気ですか?」

「本気も本気さ。おまえが強くなったのは、俺が一番良く知っている。姫様との立会を見ても、驚くほどに上達しているのがわかる。おまえはよくやっているよ。本当に」

 静かな声は、彼が本心を述べているからなのかもしれない。ルクスに褒められた記憶などないセツナは、ただただ唖然としたが、同時に興奮している自分を知った。これまで散々扱き下ろされてきたというのもあるが、尊敬する相手に褒められて嬉しくないはずがなかったのだ。

「だが、おまえの目的は自身を鍛えることだけではないはずだ。黒き矛を、カオスブリンガーを支配し、制御するために、俺の下へ来た。そうだろう?」

「はい」

「だったら、木剣を振り回す訓練だけじゃあ駄目だ。黒き矛を振るえ。思う存分、振り回せ。それだけの力を振るっても殺し切れない相手が目の前にいるんだ」

「でも……」

「おまえは、俺を殺せるとでも思っているのか?」

 ルクスの問いに対して、セツナはなにもいわなかった。ただ、武装召喚とつぶやき、彼の意気に応えたのだ。全身から光が溢れ、倉庫内の薄闇を吹き飛ばす。爆発的な光が加速度的に収斂し、漆黒の矛が具現する。

 矛の柄を握り締めた瞬間、セツナは、力の漲りを感じた。

「死んでも、知らないですからね」

「そのときはそのときさ」

 ルクスは、グレイブストーンを構えながら、嬉しそうに口の端を釣り上げた。

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