第五百八十五話 魔王の夢
「ラインス=アンスリウスの企みは失敗に終わったそうだ」
ユベルは、魔王城の中庭を歩きながら、事も無げに告げた。十二月十一日である。クルセルクの首都クルセールに、十二月六日ガンディアの首都で起きた事件の情報が伝わってくるにしてはあまりに早いのだが、彼は、ガンディオンで起きた事の詳細を知っていた。早馬を飛ばしたわけではないし、鳥による空中経路を利用したわけでもない。もっと単純で、しかし、ユベル以外には利用のできない方法で、彼は情報を得た。
中庭は、広い。見渡すかぎりの花壇があり、様々な種類の花が植えられているのだが、色とりどりの花が、冬の寒さにも負けず咲き誇っているのが奇妙といえば奇妙だった。冬に咲く類の花は一切なく、季節を無視しているのがだれの目にも明らかなのだ。それもこれもこの中庭を手入れしている皇魔たちの仕業であり、その皇魔というのもリュスカと同族のリュウディースたちだった。どういう方法で花を咲かせているのかはわからないが、人知の及ばない領域なのは間違いない。
花壇の側にしゃがみ込み、花を愛でるリュスカの様子を視界に収めながら、彼は足を止めた。ユベルについて歩いていた男も足を止める。クラン=ウェザーレだ。
「となると、ガンディアは一枚岩になった、ということですか。五百の皇魔を喪失しただけになりましたな」
「たかが五百だ。物の数にもはいらん」
ガンディアに送り届けた五百は、クルセルクの軍門に下ったばかりの皇魔たちだった。最初の任務が敵地に潜入しての破壊工作ということもあり、彼らも殺気立っていたものだが、そのすべてが命を落としたようだ。
皇魔は人類の天敵なのだ。人間側が、皇魔を生かそうとすることも、その逆もまた、ありえない。皇魔と人間が戦えば、殲滅戦にならざるを得ない。どちらかが死に絶えるか、逃げ延びるまで、戦いは続く。仕方のないことだ。皇魔は人間を敵視し、人間も皇魔を忌み嫌っている。
皇魔と人間の共存など、考えるだけ無駄なことなのだ。
水やりを始めたリュスカを見る限り、共存の可能性も皆無ではないように思えるのだが、それもただの幻想に過ぎない。
リュスカがユベルやクランを殺さないのは、彼女がユベルの影響下にあるからにほかならないのだ。でなければ、凶悪な皇魔であるリュウディースが、人間ごときに媚びへつらう理由など存在しない。
「元よりただの座興だ。あの程度で彼の国を滅ぼせるなどとは思ってもいなかったさ。そして、ラインス=アンスリウスらも俺にとっては敵だ。いずれ殺すつもりだったのだ」
「では、手間が省けましたか」
「たいした差はない。ガンディア王家とそれに連なるすべてを滅ぼすのが、俺の望みだぞ。たかがラインス一派が壊滅しただけではな」
「ガンディア王家を根絶やしにするためだけに、周辺諸国まで敵に回すのは良策とは思えませんが」
「コーラル=キャリオンか」
ユベルが視線を向けた先、中庭を抱く魔王城の回廊から壮年の男が、従者をつれて歩み寄ってきていた。目の色彩の薄い男で、なにを考えているのかよくわからないところがあった。彼は、クラン=ウェザーレともども、ユベルの壮挙に付き従った人間のひとりであり、重臣といってもいい。
「陛下。陛下の望みがガンディア王家の根絶だということは理解しております。しかし、それならば、然様な座興などなされずともよろしかったのではございますまいか。おかげで周辺諸国がすべて敵に回ってしまったではございませぬか」
コーラルのいうことももっともだった。ラインスの密謀に加担したがために、ガンディア王の婚儀に参列した国々は、クルセルクとの対決姿勢を明らかにした。五百体の皇魔を婚儀の場に解き放ったのだ。当然の結果だ。
ガンディアだけが狙われたのならばまだしも、ジベルやアバードなど、多数の国々の王や王女までも皇魔の殺意に曝されたことになる。クルセルクの暴挙に怒りを露わにした国々が、ガンディアを中心として反クルセルクで纏まるのは、想定の範囲内の出来事ではあったのだが。
「……目下、最大の敵はガンディア。中でも武装召喚師部隊である《獅子の尾》、そして黒き矛のセツナこそが最大の障碍。その事実を理解せぬコーラル=キャリオンではあるまい?」
「黒き矛のセツナ。セツナ・ラーズ=エンジュールさえ打倒することができれば、封殺することができれば、どのような状況にあっても我が方の勝ちは揺るがない……クラン=ウェザーレの分析に間違いはございますまいが、だからといって敵を増やしていい理由にはならないでしょう」
「セツナを殺せば、ガンディア王家を根絶することができる。そして、ガンディア王家さえ滅ぼせば、ガンディアに群がる国々も、クルセルクとの戦いを積極的に継続しようとは思うまい。時を見計らって和議を申し付ければ、応じてくれもしよう」
見通しが甘い、とは思わなかった。ガンディアの戦力を、黒き矛の力を当てにして組み上がった大勢力など、その基板となるものが失われれば、たちまち統制を失い、瓦解するに決まっている。
「和議……?」
「戦争などというくだらぬものを長久に続けることに意味はない。目的を達成すれば、矛を収めるのが賢しいやり方であろう」
「ですが、彼らはクルセルクが皇魔を保有している限り、我らと和睦など致しますまい」
「だからいったのだ。時を見計らって、と」
ユベルは、花壇の花を見遣りながらいった。リュスカを女王と仰ぐリュウディースたちが、彼女の機嫌を損ねないよう、必死になって手入れしている花壇だ。どの花も活き活きとしており、誇るように咲き乱れている。その花に囲まれて、幸せそうな表情を浮かべるリュスカも、ユベルの支配から外れれば、喜んで人間を殺戮するのだ。
それが、皇魔というものだ。
クルセルクが皇魔を戦力の中心に据えている限り、ジベルやアバードといった国々が、クルセルクに靡かないのは必然なのだ。それは、反魔王連合を結成した四国の行く末を見ればわかる。ニウェールしかり、ノックスしかり、どれだけ敗色が濃厚になったとしても、最後まで抗い続けたという。皇魔を擁する国に従うくらいならば滅亡したほうがましだとでもいわんばかりの結末は、ユベルに失笑をもたらしたが、同時に、人間とはなんなのか、と考えさせたりもした。
反魔王連合軍との戦争も佳境に入っている。残る国はふたつ。ハスカとリジウルだが、ハスカは反魔王連合軍の中でもっとも小さな国であり、ひと揉みに揉み潰せるだろうというのがオリアス=リヴァイアの目算だった。リジウルも、年が明ける頃には決着がつくのではないか、ということだが。
「俺は、ガンディアさえ、ガンディア王家さえ滅ぼすことができればそれでいいのだ。そのときには、クルセルクは貴公らに任せるつもりだ」
そのために、皇魔を政治的に重要な立場につかせるということをしなかったのだ。元より、人間社会に順応するはずもない化け物達だ。政治に携わらせるつもりなど、最初からなかった。それでも、一部の皇魔は、政治的権力を欲した。人間より優れている自分たちが、ただ人間に使われる立場にあるというのは不当だというのだ。
その筆頭がリュウフブスのメリオルだが、彼の言い分にも一理あるとは思うのだ。大陸共通語を瞬く間に理解し、リュスカ以上に人間の言葉を操る彼にしてみれば、人間など幼稚でくだらない存在としか見えないのだろう。そういった連中を導くのが自分の使命なのだとでもいいたげな彼には、将軍の地位を与えた。
軍の中での地位ならばいくらでもくれてやろう。
「皇魔はどうなさるのです」
コーラルの問いに、リュスカの耳が反応した。しかし、彼女はこちらを振り向いたり、視線を送ってきたりはしなかった。聞いていないとでもいうかのように、水やりに熱中しているふりをしてみせた。そのいじらしさこそ、ユベルが彼女を側に置く理由だ。彼女は、リュウディースの女王でありながら、メリオルのような我の強さは全くなかった。
「俺が連れて行くさ。クルセルクは人間の国になる。人間の国になれば、ジベルやアバードとも交渉できよう」
クルセルクの現在の主戦力は皇魔だが、ガンディアとの戦いが終わる頃には、人間の戦力も十分に整っているだろう。少なくとも、ジベルやアバードとの交渉において、優位性を失うことなど決してあり得ない。
「皇魔が一体もいない国だ。人間にとっては楽園となるだろうな」
何万という皇魔を連れて行くということは、そういうことだ。
そしてそうなれば、クルセルクを訪れる人間が増大するだろう。皇魔がいない国など、この大陸のどこにも存在しなかったのだ。皇魔がいないというだけで、人間は安堵を覚え、救いを見出すだろう。まさに楽園のようなものだ。
「地上の楽園……」
クラン=ウェザーレが、小さくつぶやいた。遠い記憶を探るかのように。
コーラル=キャリオンが、薄い色の目をことさら細めた。
「陛下は、かつてそうおっしゃいましたな。クルセルクに地上の楽園を築く、と。わたしやクランがあなたに付き従ったのは、その言葉を信じたからです。皇魔の軍勢を整え始めた時はどうなるものかと思いましたが」
「信じて、ついてきた甲斐があっただろう」
ユベルは、小さく笑った。それから、リュスカに歩み寄り、彼女の青い肩に手を触れる。リュウディースの女王は、水やりを終え、こちらを振り返った。
彼女がなにを考えているのかを知りたいと思ったのはこれが初めてではないが。
彼は、リュスカの眼に映る自分の顔の有り様に、苦笑せざるを得なかった。