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第五百八十四話 ログナーにて

「ガンディアはなんだか厄介なことになっているねえ」

 新聞を顔面に被った男のどうしようもないつぶやきを聞きながら、エイン=ラジャールは、書類に視線を戻した。辞令が届いてからというもの、彼に休まるときはなかった。それでも一応、同僚の話し相手にはなってあげなければならないとも思うのが、エインのエインたる所以なのだろう。

 でなければ、彼が拗ねてしまう、という事実も大きいが。彼が拗ねてもエインにはなんの効果もないのだが、この場にいない彼の副官が困るだろう。それはあまりに可哀想だ。

「ザルワーン戦争からこっち、ずっと厄介なことばかりじゃないですか」

 ザルワーン戦争そのものは、いい。

 無事にガンディアが勝利を収め、国土の大半を支配下に置いた。ザルワーンの資源も資金も人材も、ほとんどそのまま手に入れることができた。戦争の最中に失ったものはあまりに大きすぎたが、そればかりはどうしようもない。少なくとも、ガンディアの戦力は倍増したのだ。それで十分だろう。

 それはそれとして、だ。

 戦後、ガンディアは災難に見舞われている。セツナの暗殺未遂事件に始まる王宮の騒動は、周辺諸国に衝撃と失笑をもたらしただろうし、ログナー解放同盟の活発化という事態にまで発展した。解放同盟の騒動は、エインたちログナー方面軍が躍起になってようやく沈静化した。ログナー解放同盟の主要構成員は国外に逃亡したようで、エインたちにも所在が掴めていない。

「それはそうなんだけどさ。聞いただろ? 婚儀の話」

「聞きましたよ。なんでも、クルセルクからの結婚祝いが皇魔の群れだったとか、セツナ様が大活躍したとか……はあ、見たかったなあ」

「エインくんがそういうと、セツナ様の戦いぶりを拝見したかったという風にしか聞こえないのが、あれだね」

「え?」

「ん?」

「それ以外になにがあるんですか?」

「……そうだなあ」

 ドルカ=フォームは、顔に載せていた新聞紙を掴み上げて視界を確保すると、なんともいえないような表情でこちらを見てきた。彼は、エインの事務机に長い足を乗せており、その行儀の悪さは副官のニナ=セントールがいないからこそだろう。そして、第三軍団長の執務室を我が物顔で占拠するなど、ドルカにしかできない芸当だった。

「まあ、それはともかく、皇魔事件の影で陛下の政敵が一掃されたという話もあるね」

「そういうこと、あまり大きな声でいわないほうがいいですよ。ラインス一派は、皇魔に殺されたんですから」

 エインは、つぎの軍団長に関する文章に目を通しながら、ドルカに警告した。彼は、婚儀の二日後、ラインス=アンスリウスを筆頭とする反レオンガンド派の貴族、軍人が、王宮の地下で死体となって発見されたことをいっているのだ。王宮の発表では、ラインスたちの死因は、地下に潜入した皇魔に殺されたということになっている。王宮の発表を信じるものも少なくはないが、疑念を抱くものも多い。

 が、エインにとっては、どうでもいいことだった。むしろ、ラインス一派が一掃されたことで、ガンディアの政治が正常化し、俊敏になるのならば、それにこしたことはない。足を引っ張るものがいなくなったのだ。レオンガンドやナーレスの意思が速やかに末端まで行き渡るようになれば、ガンディアの発展はさらに加速するに違いなかった。

「あれ、エインくんって、案外純真?」

「どういうことですか」

「まさか、信じてるのかなーってさ」

「……ですから」

 エインは、ドルカの言動の危うさに冷や冷やした。場所が場所とはいえ、どこに軍の耳があるのかわかったものではない。ログナー方面軍のほとんどはログナー人で固められているとはいえ、ログナー人も一枚岩ではない。ガンディアでの栄達のために、同じログナー人の足を引っ張ることも躊躇しない人間も当然いる。それが悪だというつもりもないが。

「あーはいはい。発言には気をつけますよ。でないと、昇格の可能性を潰しかねないし」

 ドルカは、新聞を事務机に置くと、ゆっくりと伸びをした。

「そういえば、エインくんは中央に呼ばれたんだって?」

「ええ。軍がまた大きく変わるみたいで」

「ガンディア軍参謀局……ねえ。戦術を立てるのが得意なエインくんにはぴったりかもねえ」

 ガンディア軍の再編は、なにもいまになって突然決まったことではない。ザルワーン戦争がガンディアの勝利で終わり、ザルワーン軍の生き残りをほとんどすべて取り込んだことでガンディア軍は肥大した。ただザルワーン方面軍を設け、そこにザルワーン人を配置すればいいという考えではいけない、というのが、軍師としてガンディア軍を導く立場に舞い戻ったナーレス=ラグナホルンの意志であり、彼は軍そのものを大きく変えることをレオンガンドに進言、承認された。

 大将軍を頂点とする構造はそのままに、参謀局という戦術の立案、補佐、分析などを行う部署が作られ、初代局長にナーレスがついた。参謀局は軍師の組織であるという意思表明であり、大将軍の支配からは独立した機構だと宣言したも同然だった。もちろん、対立する意志などあろうはずもない。そして、ナーレスとアルガザードは古くからの同志である。大将軍と軍師の間に亀裂が生まれる可能性は皆無だろう、とガンディア軍人は見ている。

 方面軍制は変わらないものの、新たにザルワーン方面軍が設けられた。

 ガンディア方面軍はデイオン=ホークロウ左眼将軍が、ログナー方面軍はアスタル=ラナディース右眼将軍が統括しており、ザルワーン方面軍を統括するのはだれになるのか、大いに注目されたものだが、蓋を開けてみれば、なんのことはない、大将軍アルガザードそのひとがザルワーン方面軍を統括するようだった。

 ザルワーン方面軍を構成するのは、ほとんどがザルワーンの元軍人である。龍鱗軍や龍眼軍、龍牙軍の生き残りが大半を占めるが、戦後、生活のために、将来のためにガンディア軍に参加したザルワーン人も少なくはなかった。

 ザルワーンの広い大地に比べて、都市の数は多いとはいえない。龍府、マルウェール、スルーク、ゼオル、バハンダール、ルベン、ナグラシアの七都市であり、その七つの都市にそれぞれ千二百人からなる軍団が配備される運びとなっている。

 都市の少なさは、ザルワーンが戦争末期に五方防護陣と呼ばれた砦群を滅ぼしたことに一因があるのだが。

 そのため、龍府の北側が手薄であり、アバードから侵攻があった場合、対応に遅れる可能性もあった。アバード対策として、龍府の北に要塞を建造するべきだという話もあったが、いまのところ、許可が降りた様子はなかった。レオンガンドやナーレスは、アバードが侵攻してくる可能性は少ないと見ていたようであり、その判断は、いまならば正しいと考えるべきだろう。

 婚儀での皇魔襲撃事件は、ガンディアと周辺諸国の距離を急速に近づけた。レオンガンドとナージュ婚儀に参加したのは、ミオン、ルシオン、レマニフラの同盟国、それに支配国のベレルだけではない。アザーク、ジベル、メレド、イシカ、アバードという近隣諸国のほとんどの国の王族が、レオンガンドの結婚式に参列し、ふたりの門出を祝福した。そして、クルセルクの暴挙に遭遇し、クルセルクの魔王ユベルへの危機感を強くしたのだ。

 元より、クルセルクへの反感や嫌悪感を抱かない国のほうが少なかった、という現実がある。

 クルセルクが門戸を閉ざし、情報を封鎖していた時代は、魔王の噂だけがひとり歩きし、クルセルクという国の実態を掴むことさえ難しかった。その当時でさえ、魔王ユベルの名は知られていたし、ユベルがクルセルク国内で魔王と呼ばれ、恐れられているという事実は、周辺諸国にクルセルクへの警戒心を抱かせた。

 そして、クルセルクがノックス侵攻に際して、表立って皇魔の軍勢を用いたことにより、魔王の由来が諸国に知れ渡る。ガンディアにも衝撃を伴って伝わってきたその情報は、クルセルクという謎めいた国の恐るべき全容というべきものであり、人間が皇魔を使役しているという事実は、多くの人間に恐怖と反感を植え付けるものだった。

 そんな国が、ガンディアとその周辺諸国への敵意を明確にしたのが、婚儀での皇魔事件だった。

 クルセルクほどの国が、ガンディアで行われる婚儀に周辺国の王族要人が参加することを知らないはずもない。魔王の狙いは、ガンディア中枢の破壊だけでなく、参加国要人の殺害も含まれていたのだ、とガンディアが喧伝するまでもなく、諸国はクルセルクとの対立姿勢を明確化した。

 クルセルクと対峙するに当たり、矢面に立つのは、当然、ガンディアの役割だ。

 クルセルクに隣接した国の中で、もっとも巨大でもっとも強大なのが、ガンディアなのだ。ジベルもアバードも、かつてのガンディアよりは大国だが、ログナー、ザルワーンを平定した現在のガンディアとは比べるべくもない。

 特にアバードは、ガンディアを頼っているという空気が強い。婚儀に参列した王女シーラが、本国との連絡を待たずして、ガンディアと協力してクルセルクに当たるということを明言しており、イシカやアザークはそれに倣う形で、反クルセルク連合軍に参加を表明した。

 国王が参列したジベルやメレドも、ガンディア王レオンガンドと度重なる協議の末、反クルセルク連合軍に参加することを決定。

 ガンディアを取り巻く状況は、大きく変化している。

 そんな中、エインは王都ガンディオンに呼ばれたのだ。軍師ナーレス=ラグナホルン直々の指名とあっては、拒否することもできなかった。

「で、エインくんが抜けた第三軍団はだれが率いるんだって?」

「知れば驚きますよ」

 エインは手元の書類を一冊、事務机に向かって放り投げた。事務机が占拠されているため、彼は応接用の机で仕事を行っているのだが、これが案外捗ることがわかったのが、一番の収穫だったかもしれない。

「どれどれ……はあん」

 ドルカの納得の声とともに、書類が戻ってくる。が、書類が机に着弾した際の風圧で、別の書類が吹き飛んでしまい、エインは頭を抱えた。

「理解したよ」

「さすがはドルカさん。話が早い」

 などといいながら、エインは書類集めに奔走した。仕事は今日中に片付けたかった。

「しっかし、そこまでログナー人におもねる必要があるのかねえ」

 エインの後任となる第三軍団長には、アラン=ディフォンが任命されるのだ。あのエレニア=ディフォンの実弟であり、ログナーが健在だったころ、騎士のひとりとして活躍していた人物だ。ガンディア政権下では、ログナー方面軍第二軍団の配属となり、レノ=ギルバースの下、部隊長としてザルワーン戦争を戦い抜いている。

 ドルカがいっているのは、ガンディアは、ディフォン家の人間を軍団長に据えることで、ログナー人の心情を宥めようとしているのではないか、ということだろうが。

「さあ? 単に、ほかに人材がいなかったからなんじゃないですかね。ガンディア方面軍の軍団長からもひとり、参謀局に引き抜いたようですし」

「そこまで酷かったっけ? うちの人材事情って」

「人材は豊富でも、軍団長に相応しい人間が少ないのは事実でしょうね」

「ま、俺が軍団長になれるくらいだし?」

 そういってドルカは笑ったが、エインは笑わなかった。ドルカ=フォームが軍団長に任命されたのは、人材不足を補うためという側面も確かにあるだろうが、それをいえば、エイン=ラジャールが軍団長を務めるのも、人材不足故にほかならない。が、不足を埋められるだけの人材と認識されたからこそ、自分たちは軍団長になれたのではないのか、とも思うのだ。そして、それだけの結果を残してきている。

「自虐もほどほどにしておかないと、ニナさんに絞られますよ」

「それも悪かないが」

 まんざらでもないドルカの表情に、エインは吹き出すしかなかった。

「はは……仲良きことは素晴らしきことで」

「本当、適当だなあ、君は」

「ドルカさんほどじゃないよ」

「いうねえ……」

「ところで、ドルカさんは、こんなときにマルスールにいていいんですか?」

「優秀すぎる副官殿のおかげでさ、やることないんだよねえ」

「その優秀すぎる副官殿の労苦にこそ報いてあげてくださいよ」

「……それもそうだな」

 ようやく、ドルカは長い足を床に下ろし、椅子から立ち上がった。長身の美丈夫が突如として出現したような錯覚を覚えて、彼は苦笑した。ドルカの姿が変化したわけではない。いままでがだらけすぎていただけだ。

 ドルカは、執務室の扉の前で立ち止まった。

「エインくん」

「なんです?」

「参謀局に行っても、俺のことは忘れないでくれよ」

「今生の別れでもないでしょうに」

「そうかな? クルセルクとの戦争次第では、どうなるものか」

「……勝ちますよ」

「ああ、そこんところは心配していないよ。クルセルクがどれだけ皇魔を用いてこようと、最終的に勝利するのは、ガンディアだ」

 淀みのない言葉は、ドルカが心の底から確信しているからだ。二倍する戦力差を誇ったザルワーンにも勝利したガンディアが、クルセルクに負けるはずがないと思っているのだ。それに、ガンディアだけで立ち向かうわけではない。

 勝てる、という確信は、エインにもある。

 もちろん、エインの場合は、ひとりの少年を信仰しているからにほかならない。セツナ=カミヤ。あるいは。セツナ・ゼノン=カミヤ。もしくは、セツナ・ラーズ=エンジュール。王立親衛隊《獅子の尾》隊長にして、ガンディア王国ログナー地方エンジュール領伯。エインがこの世で唯一信仰する存在であるところの少年は、ガンディアの希望でもあった。

 彼がいれば、どのような苦境をも脱しうるのではないか。

 エインならずとも、そう思っている。思っていも不思議ではないほどの戦果を上げている。

「だが、勝利したとき、俺や君が生き残っているとは限らないだろう?」

「……そうですね」

 セツナは生き残るだろう。

 だが、自分やドルカは違う。

 そう考えたとき、エインは席を立ち、ドルカに歩み寄っていた。

「なんて、湿っぽいのはやめにしましょう。生き残るんです。俺も、ドルカさんも」

「……ああ。そうだな。俺もそれがいいや」

 そしてふたりは、固い握手を交わした、

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