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第五百八十二話 獅子は枷を解かれ

 レオンガンドとナージュの結婚式から二日が経った十二月八日、レオンガンド・レイ=ガンディアは、ひとり憂鬱な午後を過ごしていた。

 結婚式から二日ということは、ナージュを妃として、妻として迎え入れて二日が経過したということでもある。彼女はナージュ・レア=ガンディアと名乗るようになり、名実ともにガンディアの王妃としての日常を送り始めている。太后グレイシアは、その立場に必ずしも相応しくはなかった王妃レアの名を返上し、王母レイアという名を使うようになった。

 ナージュとグレイシアの仲は良好そのものであり、レオンガンドが危惧するようなことは一切なかった。グレイシアは以前からナージュを気に入っていた上、レオンガンドが妃を迎え入れることを望んでもいた。彼女は、とにかく家族が増えることを願っていたのだ。そういう意味では、親孝行ができたのかもしれない、ともレオンガンドは考えたりもした。

 王女であり愛娘であったリノンクレアがルシオンの王子に嫁ぎ、夫にして先の王シウスクラウドに先立たれてからというもの、グレイシアには寂しい想いばかりをさせていたのだ。ナージュがガンディオンに来てからというもの、グレイシアの周りは華やかになったという。それまでは太后派の貴族たちばかりが出入りしていたのだ。ナージュや彼女の侍女たちとの触れ合いが、どれだけグレイシアの心を慰めたのか。

 それは良いのだ。

 レオンガンドは、玉座に腰を下ろして、謁見の間の広い空間を眺めている。側近もいなければ、使用人もいない。貴族も、軍人も、役人も、だれもいない。いないのは、彼がそう望んだからだ。彼の望みに対して牙を向くものなど、この獅子王宮にはひとりとして存在しないのだ。

(独裁……か)

 彼は、皮肉に口を歪めた。

 政敵が、いなくなったのだ。

 彼の独裁を止めるものは、もはやいなくなってしまった。

 今朝のことだ。ラインス=アンスリウスを始めとする反レオンガンド派の主要人物が、死体となって発見された。発見したのは、王宮警護の隊員で、王宮地下から異臭がするという話を使用人から聞きつけた彼は、同僚とともに地下を捜索、ラインスたちの死体と、皇魔の死体を発見したのだという。

 結婚式の最中に起きた皇魔襲撃事件に直面したラインスたちが、王宮地下に逃げ込んだところ、皇魔に出くわしたのではないか、と見る向きが強い。なぜ王宮地下に皇魔が潜んでいたのかはわからないが、王宮に放たれた皇魔がどうにかして地下に潜り込んだ可能性も皆無ではない。王家の森から王宮地下に続く階段を利用すればいいだけの話だ。皇魔の知能は決して低くはないのだ。地下へ至る方法が見つかれば、それを利用するかもしれない。

 ラインスたちは、皇魔襲撃直後、悲鳴を上げながら王宮に駆け戻り、地下に向かう姿が目撃されている。

 皇魔殲滅後、ラインスたちの姿が見えなかったのは、各自の屋敷に戻り、恐怖に震えているからだという侮蔑にも似た憶測が飛び交ったものだが、実際は、地下で死体となっていたようだ。ラインスとともに死体となって発見されたのは、ゼイン=マルディーン、ラファエル=クロウ、キルド=ガレーン、ザメル=メジエンといった反レオンガンド派の中核をなした連中である。彼らがラインスとともに死んだのは、反レオンガンド派の首魁であるラインスと行動をともにしていたからにほかならない。

 が、こう見る向きもある。

 反レオンガンド派の存在を疎ましく思ったものたちが、反レオンガンド派を潰すために暗殺したのではないか。皇魔の死体は、暗殺を隠蔽するための材料に過ぎないのではないか。

「なにやら穿った見方をする連中も、少なくはないようですな」

 突然、謁見の間に朗々と響いたのは、いつになく涼やかな声だった。いつの間にか床に落としていた目線を上げると、軍師の長身痩躯が視界に入り込んでくる。ザルワーンの地下牢から救出してからというもの、彼の姿は痛々しいばかりだった。ナーレス=ラグナホルン。

 ガンディアの軍師は、怜悧な目で、玉座のレオンガンドを見上げている。国王を前にして取っていい態度ではないが、いまはふたりきりだ。ほかのものの目があるならばまだしも、ふたりきりのときならば、なんの問題もない。彼はレオンガンドにとっては師匠といってもいいし、友人といってもいい。

 胸襟を開くのに、礼節ほど不要なものはない。

「陛下も、そのようにお考えですか?」

「ほかに考えようがない」

「そうですか?」

 ナーレスは、涼しい顔でしらばっくれた。あまりの白々しさに、レオンガンドは苦笑したくなったが、彼としては素直に認めるわけにはいかないのかもしれない。しかし、レオンガンドには、ナーレスの仕業以外には考えられないのも事実だ。あの状況を利用してラインスたちを暗殺するなど、簡単なことではない。前もって入念に準備していなければならないのだ。結婚式の警備についても詳しく知っておく必要がある。

 でなければ、暗殺が失敗する可能性がある。晩餐会の夜のように。

「……皇魔は、だれが殺した?」

「ルウファ殿が、地下に紛れ込んだ皇魔を殺したと報告していたようですが」

「ルウファは地下に皇魔がいるという報告を受けて、飛んでいったというが……」

「わたしもそのように聞いています」

「彼は、皇魔が出現したとき、わたしの元に駆けつけても来なかったよ」

 そう告げた時、レオンガンドの脳裏には、クルセルクの贈り物から皇魔が出現した瞬間の情景が浮かんでいた。セツナが門楼から飛び降りてきたあと、ファリアとミリュウが駆け寄ってきたのだが、そのとき、ルウファの姿はなかった。皇魔が出現した直後のことだ。皇魔が出現と同時に地下に侵入するなど、有り得る話ではない。

「そうでしたか」

「……隠す必要があるのか?」

「いえ。陛下には知っていただく必要のあることです」

 ナーレスは、表情は変えず、目だけを光らせた。

 そして、レオンガンドにすべてを明かした。


 ナーレスがラインス一派を抹殺することに決めたのは、セツナの暗殺未遂事件がきっかけだったようだ。

 ガンディアの軍事の要であるセツナを、政治的優位を得るためだけに排除しようとしたものを放置することなどできない、というのがナーレスが行動を起こした理由だった。オーギュストはレオンガンドの意向を汲んだが、ナーレスは、レオンガンドの甘い考えなど取るに足らないものと一蹴したというわけだ。

 ナーレスは、ラインスだけを排除しても意味は無いと考えた。ラインスと、彼につき従う貴族どもを一掃しなければ、レオンガンドを取り巻く王宮の事情は変わらないと判断したのだ。

 そんな折、オーギュスト=サンシアンにゼイン=マルディーンが接触してきた。ゼインは、ラインス一派に属していては、マルディーン家の将来が危ういのではないかと考えていたらしく、レオンガンド派に鞍替えしようと画策していたのだ。ナーレスはオーギュストを介してゼインを操り、ラインスから情報を引き出させた。そして、ラインスがレオンガンドの結婚式を大混乱に陥れる計画を立てていることを知る。その計画は日々変化したが、最終的に、クルセルクと共謀し、王宮に皇魔を放つというものに落ち着く。

 ナーレスは、ラインスが、もはや手の付けられないほどの狂人と化していることを知った。このまま放置しておけば、いずれにせよ、レオンガンドとガンディアに災いをもたらすだろうことは明白だった。いや、王宮に皇魔を放つという時点で、ガンディアに災いをもたらしているのだ。

 躊躇など生まれるはずもなかった。

 ガンディア王家に仇なす者を誅殺するのだ。正義の行いといってもいい。

 暗殺にはルウファ・ゼノン=バルガザールを使った。ルウファが無理なら、ミリュウ=リバイエンを使うつもりだったということまで、彼は教えてくれた。

 ルウファは、ナーレスの考えに賛同し、暗殺者として十分以上の力を発揮した。つまり、ラインスたちを見事皆殺しにしたということだ。ラインスを裏切ったゼインも、殺した。当然のことだ。ナーレスにしてみれば、セツナ暗殺に賛同した時点で、ゼインもラインスの同類なのだ。

 果たして、ラインス=アンスリウスとその一党は壊滅した。

すべてわかっていながらレオンガンドにも黙っていたのは、ラインス一党を欺くためであり、致し方のないことだと彼はいった。情報はどこから漏れるのか、わかったものではない。レオンガンド自身から漏れずとも、その周囲から露呈しないとは限らないのだ。


「これでガンディアは名実ともにわたしのものになったわけだ」

 レオンガンドは、すべてを聞き終えてから、たっぷりと間を置いて自嘲した。

 ナーレスの目を、見ている。怜悧なまなざしは、レオンガンドの考えの及ばないものを見ているのかもしれない。

 ラインスが死に、ラファエル=クロウ、ゼイン=マルディーンも死んだ。その他、ラインスに付き従っていた連中のうち、重要な立ち位置にいたものたちも死んだ。残るは雑魚ばかりといっても過言ではなかった。雑魚でも大勢力となれば厄介だが、ラインス一派が権勢を失って久しいのだ。もはやレオンガンドに対抗しうる勢力を形成することなど、ありはしないのではないか。

「ええ。なにもかも、陛下の思いのままですよ。あなたの足を引っ張るものなど、もはやいないのです。思う存分、前にお進みください。我々は、そのために全力を尽くしましょう」

「前進あるのみ……か」

 レオンガンドは、顔を上げた。ナーレスが恭しく頭を垂れている。軍師ナーレス=ラグナホルンほど恐ろしく、そして頼もしいものもいまい。

 レオンガンドは、胸中のわだかまりを黙殺して、彼に感謝した。ラインス達を切り捨てなければならなかったのは、疑いようのない事実だ。これまで彼らを放置しておけたのは、無害とはいわずとも、国益を損じなかったからだ。国に害を成さなかったからだ。ガンディアの敵とならなかったからだ。ただ、レオンガンドの政敵として、存在したからだ。

 しかし、ラインスたちが前回と今回仕出かしたことは、ガンディアの国益を損なうことであり、ガンディアへの敵対行為、反逆行為以外のなにものでもなかった。セツナの暗殺未遂もそうだし、クルセルクと内通し、王宮に皇魔を放つなど、利敵行為としか言い様がない。

 裁かれて当然だった。

 それでも、こみ上げてくる想いがある。ラインスは、あれほど憎んでいても、肉親には違いなかったのだ。母の兄であり、幼少の頃は、それこそ、家族として仲良くしていたのだ。懐かしくも輝かしい日々の記憶が、ラインスを憎みきれないものにしてしまっている。シウスクラウドが病に倒れなければ、ラインスとの関係はあのまま変わらなかったはずだ。そんなことまで考えてしまうのは、母グレイシアのことがあるからだ。

 ラインスの亡骸を目の前にして泣き崩れる母の姿が脳裏に浮かび、消えた。その姿を見た瞬間、レオンガンドは自分がなぜ、ラインスに手を下せなかったのか理解した。母を悲しませたくなかったというのが一番大きいのだろう。

「陛下……恨むならば、わたくしを恨んでください。わたしは憎まれるだけのことをしました。陛下に切り捨てられる覚悟もあります」

「恨む……?」

 レオンガンドは、ナーレスの言葉を反芻して、口の端を歪めた。馬鹿げている。そんなことをいわせてしまった自分の馬鹿馬鹿しさに、彼は怒りさえ覚えた。。

「なにを馬鹿げたことを。あなたを恨んでなんになる。すべての始まりは、わたしの甘さだ。わたしが、ラインスの存在を放置していたがために斯様な事態を招いた。父を殺し、甘さを断ち切ったはずなのにだ! だのに、わたしはまだ、家族に幻想を抱いていた。家に、血に、夢想を抱いていた。愚かなことだ。切り捨てられるべきは、あなたではなくわたしのほうなのだ」

「陛下なくしては、小国家群統一など、不可能です」

「ナーレス=ラグナホルンの才知あれば、わたしなどいなくとも、事を成せように」

「才知に頼った挙句、牢に囚われたのがナーレス=ラグナホルンですよ」

「だが、才知故に、ナーレスは生き延びた。生きて、牢を出た。再び光を得たいま、なにを想う?」

「陛下による小国家群の統一こそ、我が夢なれば」

「ならば、わたしを導け、ナーレス。そこまでいうのだ、そなたには見えているのであろう? 小国家群統一の筋道が」

 玉座を立ったとき、レオンガンドの頭の中からはラインスのことは消え失せていた。

 大陸小国家群の統一という夢のためには、その程度のことで立ち止まってはいられないのだ。



「ラインス一党の壊滅……めでたきかな、めでたきかな」

 だれとはなしに嘯いて、ジゼルコート・ラーズ=ケルンノールは、表情を歪めた。

 彼はいま、ガンディア王都ガンディオン獅子王宮に滞在している。レオンガンド・レイ=ガンディアとナージュ・ジール=レマニフラの婚儀があったのだ。さすがに出不精のケルンノール領伯も、主君の結婚式には参加せざるを得ない。なにより、同じ王家の血を引いた甥の結婚式でもあるのだ。参加しなければ、ジゼルコートの面目そのものも失われかねない。

 そんなことで政治生命を断たれては、これまで築いてきたものすべての意味がなくなるのだ。それはあまりに馬鹿馬鹿しい。だから彼は、これまで禁じてきた王宮での滞在も是とした。婚儀が終わったからといって、すぐさまケルンノールに帰るわけにもいくまい。レオンガンドの叔父として、ケルンノールの領伯として、務めを果たさなければならない。

「これでレオンガンド政権は間違いなく安定するだろう。足を引っ張る愚か者が消え去ったのだ」

 ラインス=アンスリウスを始めとする、反レオンガンド派の主要人物が纏めて死んだ。皇魔によって殺されたという話だが、ほとんどの人間がそれを信じてはいない。だれもが心の奥底では、レオンガンド派の仕業だと思っている。思っていても口には出せない。口に出せば、つぎは自分が殺されるかもしれないからだ。

 恐怖による統治が始まったのだ。ラインスたちの死がきっかけとなった。これで、だれもがレオンガンドに敵対的な意見を述べることができなくなった。

 つまり、国内の敵は潰えたのだ。

 つぎは、国外の敵を滅ぼさなければならない。国外にあって、ガンディアと繋がりながら、ガンディアにとっての利敵行為を働くものたち。果たして、レオンガンドが彼らに鉄槌を下すことができるのだろうか。

「それは諸刃の刃……」

 彼は、壁にかけられた古めかしい地図を見やった。まだザルワーンが権勢を誇り、属国としてのログナーが健在だった時代の地図だ。ガンディアの東隣に位置する国に目を向ける。

 ミオン。

 ガンディアの同盟国であり、現国王イシウス・レイ=ミオンは、重度のレオンガンド信奉者といっても過言ではない。婚儀に際してガンディオンを訪れた彼は、周囲の目も気にせず、レオンガンドに飛びつき、ナージュから嫉妬されるほどだったという。

 また、突撃将軍の異名を持つギルバート=ハーディ将軍は、ガンディアとの関わりが深く、レオンガンドとナージュの婚儀にも、王の付き添いとして参加していた。彼ほどガンディアに溶け込んでいるミオン人もいないだろう。

 そんなガンディア贔屓のミオンだが、良からぬ話が持ち上がっている。

 魔王の贈り物は、ガンディオンに辿り着くまでにミオンの領土を通過しているというのだ。

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