第五百七十九話 彼と死神(二)
「ああ、気に入らないな」
セツナは、死神零号を見上げながら、いった。
「では、どうされます。外交問題にでもされますか?」
「そんなことをしてなんの意味がある?」
「さて……」
「いま、この国が置かれている状況くらい、子供の俺だってわかってるよ。ジベルにだって協力を仰がなきゃいけない。死神の無作法くらい、目を瞑るさ」
「ほう……」
「ジベルだって、ガンディアとの間に協力関係を結びたいはずだろ? クルセルクは、ジベルの隣国でもあるんだからな」
クルセルクに隣接した三つの国、ジベル、アバード、ガンディアが魔王のつぎの標的になる可能性がある。そして、クルセルクがガンディアと、その周辺諸国に対して宣戦布告に近い行いをしたことは明らかだ。そうである以上、三国のいずれかか、あるいは三国同時に攻撃を開始する可能性さえもあった。
そんな情勢下で、ガンディアとジベルの外交関係がこじれるようなことなど、あってはならないのだ。
「なんだ、案外わかってるじゃない」
レムがきょとんとしたような顔をしてきたので、セツナは苦い顔をした。
「案外は余計だ」
「見直した」
「嬉しくもない」
「じゃあ、惚れ直した」
「取ってつけたようにいうんじゃないよ」
とはいえ、レムの表情は満更でもなさそうで、それがセツナには理解不能だった。どういうつもりなのか、まったくわからない。その点、ミリュウはわかりやすいのだが、すべての他人にミリュウのようなわかりやすさを求めるのは、間違っているに違いない。
「壱号、君は黙れ」
「はい」
零号の言葉に、レムは素直に従った。表情までも硬直させたのは、零号への忠誠の証明なのだろう。
「それでは、セツナ様はこのことは不問にしてくださる、ということですね?」
「ああ。死神に問い詰めたところで、皇魔を尋問するのも同じだろうしな」
「よくわかっていらっしゃる。とはいえ……我らに非があるのは明らか。セツナ様にはなんの落ち度もない。悪いのはこの壱号と、壱号の行動を管理できていなかったわたくし、死神零号」
「隊長はなにも――」
「黙れといったな?」
「……」
「そこで、わたくしなりに始末の付け方を考えたのですが」
「ん?」
「セツナ様は、来るべきクルセルクとの戦いにおいて、こちら側の要となる人物。黒き矛のセツナがいるのといないのとでは、わけが違う」
買いかぶりだ、などと茶々を入れようとは思わなかった。過大評価をし過ぎではないかと思わないこともないが、一部は事実だろう。今日の皇魔との戦いでもっとも戦果を挙げたのが、要人の防衛に回ったセツナだったという事実がある以上、だれにも否定はできない。
「それは、こちら側だけでなく、クルセルクも認識していることでしょう。セツナ様さえ落とすことができれば、魔王軍の勝利は疑いようがない、とでも思っているかもしれません」
「で? それがどうかしたっていうのか?」
「魔王が、開戦のときまで手を拱いて待っているとも思えません。なにか、策を弄し、セツナ様を亡き者にしようとするかもしれない。そこで、壱号をセツナ様の護衛につけようと思うのですが、いかがでしょう?」
零号の提案は、セツナには予想し得なかったことだった。レムともども素っ頓狂な声を上げる。
「は?」
「隊長!?」
「黙れといった」
零号は威厳を込めて告げたが、レムは食い下がる。
「ですけど!」
「うん、わかるがな、君のいいたいことも。しかし、アルジュ様から了解を得ていることなのだ。もちろん、レオンガンド陛下からもですよ」
「陛下からも……?」
「以前、壱号が、外交問題に発展しかねないようなことを仕出かしたのは覚えておられますか?」
「……ミョルンでのことか」
レムが暗殺を試みた夜のことは、当然、覚えている。あれから一月も経過していないのだ。忘れるはずもない。レムに寝込みを襲われたことはともかく、唇を奪われた結果、ミリュウとファリアにこってりしぼられたことを忘れ去ることなど、できるわけがなかった。そのこともあって、セツナはレムに対して良い感情を抱いていない。
「はい。その件もあるのです。ジベルとしては、ガンディアに負い目を持ったことになります。その負い目を解消するためにどうすればいいのか」
「それで、襲撃した相手を護衛することにしたのか」
「そういうことです。壱号が嫌ならば、弐号でも構いませんが」
「決定事項……なんだな」
「はい」
零号が肯定した以上、セツナに拒否権はなさそうだった。レオンガンドが認めているのだ。セツナにはどうすることもできないだろう。
「壱号でいいさ。弐号がどんな人物なのか知らないしな」
「その言い方だと、まるでわたくしのことならなんでも知っているみたいじゃないですか」
「飛躍しすぎだろ」
セツナは口を尖らせたが、レムはどこ吹く風といった表情だ。むしろ彼女のほうが怒っているような気配があった。
「壱号のことを気に入ってくださったのなら重畳。では、わたくしはこれで失礼致します」
「ん……壱号は連れて帰らないのか?」
「壱号がセツナ様を護衛するのは、たったいまからクルセルクとの戦いが終息するそのときまでです。連れて帰るなど、とんでもない」
「……え?」
セツナはレムと顔を見合わせた。レムは、驚きのあまり、間の抜けた顔になっていて、せっかくの容貌が台無しになっていた。
「隊長、それ、長すぎじゃないですか……」
「それくらいのことを仕出かしたという自覚を持つんだな」
「う……」
零号の言葉はまさに正論であり、レムもぐうの音も出ないといった有り様だった。実際、外交問題に発展してもおかしくはなかったのだ。ガンディア側が取り上げなかったから問題にならなかっただけである。ガンディアとしても、これ以上ジベルとの関係をこじらせたくなかったというのが大きい。
「セツナ様、どうぞ壱号のことをこき使ってやってください」
「隊長、容赦無いですね……」
「君が無法を働くからだ。アルジュ様の怒りを解くには、ほかに方法がなかった。ガンディアへの負い目を解消するために君が一肌脱ぐということで、アルジュ様も怒りをお納めになられたのだ。我々死神部隊は、アルジュ様の慈悲によって生かされているということを忘れるな」
「……すべては陛下の御心のままに」
そういったレムの表情は、いままでセツナに見せていたものとはまったく異なるものだった。セツナに対しては極めて挑戦的で、常に強気の態度を崩さない彼女も、主君である王の名を出されると途端にしおらしくなるものなのだろう。
「よろしい。セツナ様に尽くすのだぞ」
「はい」
「それでは、セツナ様、またの機会に」
挨拶もそこそこに、死神零号は窓の外へと消えた。あの夜のレムと同じだ。死神は窓から現れ、窓から消えなければならないという掟でもあるのだろうか。ふと、そんな馬鹿げたことを考えてしまったのは、部屋に取り残された女のことを考えるのが億劫だったからに他ならない。
しばらく、沈黙があった。
開け放たれたままの窓から入り込む冷気が、セツナの全身を包み込み、体の芯まで冷やしていく。冬の夜なのだ。
セツナは、窓を閉めると、鍵をかけた。こうなった以上、レムが窓から退散してくれるとも思えない。
「と、いうわけで、わたくしはたったいま、セツナ様専属の死神となりました」
レム・ワウ=マーロウは、なにもかもすべてを受け入れたのか、自暴自棄にでもなったかのように告げてきた。引き攣った笑みが、彼女の本心を語っている。
「専属の死神って嫌な響きだなあ」
「炊事洗濯掃除に夜伽まで、わたくしにお任せあれ」
「夜伽って……あのなあ」
「もう、初なんですから」
レムが人差し指でセツナの額を小突いてきたが、セツナは彼女が自分でいったことに本気で照れていることを見逃さなかった。彼女も初なのではないか、という疑念が湧いたが、だからどうということもなく、セツナは嘆息した。
「でも、そういうところがお姉さま方にとって魅力的なのかしらね」
「お姉さま方……ね」
ファリアとミリュウの顔が浮かんだのは、ふたりが自分への好意を隠さないからに他ならない。
「しかし、これからはご安心ください。セツナ様の貞操は、わたくしがお守りいたしますわ!」
「なにいってんだよ……ったく」
(ファリアはまだ起きてるかな)
隊舎に帰ってきたばかりなのだ。まだ起きている可能性は限りなく高い。起きているのならば、いまのうちに説明しておきたかった。明日になってからでは遅すぎるのではないかという強迫観念が、セツナを突き動かしている。
また、あのミョルンの朝のような惨事になりかねない。
セツナは、部屋の外へ出るために窓際から離れた。すると、レムが呼び止めてくる。
「どちらへ?」
「起きている連中に説明しておこうと思ってね。あんたも来るんだよ」
「んー……」
レムが、なにか不服そうな表情を浮かべる。
「なんだよ」
「そこは、名前で呼んでくれないと雰囲気が出ないじゃないですか」
レムの予期せぬ答えに、セツナはその場でこけかけた。
「雰囲気とかどうでもいいから」
「よくないですよお」
「……なんなんだよ、あんたは」
セツナは、人格まで変わってしまったかのようなレムの態度に、頭を抱えたくなった。
「わたくし、あんたなんて名前じゃないんです」
「わかった。わかったから。レム、ついてこい」
「はい、ご主人様!」
レムは、胸の前で手を組み、上目遣いにセツナを見ていた。