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第五百七十八話 彼と死神(一)

「なんでここにいるんだよ」

 セツナは、部屋に入る際、脱ぎかけた上着をもう一度着こみながら、目的を問うた。どこから侵入してきたのかなど聞く必要もなかった。冷気が入り込んできていたし、魔晶灯の光が、揺れるカーテンを浮かび上がらせている。どういう方法かは知らないが、鍵のかかった窓を開けて、入ってきたのだろう。

 とても、正面玄関から入ってきたとは思えない。姿からして不審人物である。《獅子の尾》の隊舎は、この間から都市警備隊の警備対象に認定され、常に警備隊員の目が光っているのだ。黒衣に仮面の女が尋ねてきたのならば、セツナたちが隊舎に戻ってきたときに報告してきただろうが、それはなかった。

「こうでもしないと、ふたりきりになれないじゃないですか」

「そういうことをいってるんじゃない」

「……興味があるのですよ。セツナ様に」

 彼女は、白々しくもそのような言葉を吐きながら、獅子の仮面に手をかけた。ゆっくりと外し、素顔を晒す。もっとも、晩餐会には素顔で参加しており、彼女が仮面を身につける理由は、セツナにはわからなかった。もしかすると、死神壱号とレム・ワウ=マーロウが同一人物だということは知られてはいけないことなのかもしれない。だとすれば、セツナの前に素顔を晒した彼女は迂闊にも程があるといえるのだが。

 酔いは、冷め切っている。

 宮殿から隊舎まで歩いて帰ってきたことが功を奏していた。凍てつくような夜気が、セツナの意識を緊張させ、覚醒を促してくれたようだった。おかげで、レムの素顔にも冷静に対応することができていた。黒髪の美女が、艶然と微笑んでいるのだ。並の男ならその微笑だけで圧倒できそうなほどの容貌は、ファリアやミリュウにも引けをとらない。

「それにしても、以外と質素な暮らしをなさっているのですね。もっと豪華な屋敷でも構えておられるものと、期待しておりましたのに」

「ここは《獅子の尾》の隊舎だ。俺の屋敷じゃねえのさ」

「あら、そうでしたの。では、セツナ様のお屋敷はどちらに?」

「ねえよ」

 セツナは、仏頂面のまま、窓に向かって進んだ。レムの目の前を横切るが、彼女はなにもしてこなかった。少しばかり拍子抜けしながら窓を閉めて、一息つく。それから、レムの視線に気づいて、反射的に説明した。

「寒いからだぞ」

「言い訳など、不要ですのに」

「言い訳じゃねえよ」

 憮然と、彼女を振り返る。

 レムは、部屋の隅に置いてあった寝台に腰を下ろすと、挑むような目でこちらを見つめてきた。

「こういうとき、殿方はどうなされるのが正解なのでしょうね?」

「はっ……正解もクソもねえよ」

 吐き捨てるように答え、さらに言葉を続ける。

「あんたはいったいなんなんだ?」

「わたくしはレム・ワウ=マーロウ。セツナ様の中に死神を見出したものですわ」

「目的はなんだ? どうして俺に付き纏う」

 セツナは、彼女の言葉を無視するように問を重ねた。レムは一瞬表情を曇らせたが、しばらくすると、諦めたように肩を竦めた。

「……そうね。自分でもよくわからないわ」

 立ち上がり、ゆっくりと伸びをした。それから、何気ない足取りで近づいてくる。部屋は広い。しかし、広いとはいっても、個人の部屋の広さには限度がある。距離は、瞬く間に縮まっていく。

「ただ、あなたを見ていると、なんだかからかいたくなっちゃうのよね」

「は?」

「だってあなた、子供じゃない」

「悪かったな、子供で」

 むっとしたが、反発するということは、自分のことを子供だと認めている証拠でもあるのかもしれない、とも彼は思った。否定しようのない事実でもあるのだが。

 レムは、ことさらどうでも良さげに笑った。

「別に悪いだなんていってないでしょ。案外、いいことかもよ」

「なにが」

「それだけ大量に人を殺しておいて、皇魔を殺戮しておいて、子供のように無垢でいられるなんて、無邪気でいられるだなんて、普通じゃないもの」

「……!」

 レムが何の気なしに発した言葉は、さながら氷の刃のようにセツナの耳朶を切り裂いた。鼓膜から意識へと浸透し、心を硬化させていく。

(子供のように……だって?)

 反論しようにも、言葉が思い浮かばない。確かに彼女の言うとおりだ。これまで、数えきれないほどのひとを殺してきている。人間だけではない。殺した皇魔も、数えだしたらきりがないくらいだ。それなのに、セツナはセツナで在り続けている。嫌になるほど殺戮しているのに、飽きるほどにひとを殺し、皮膚下に染みこむほどに返り血を浴びているというのに、自分を見失ってはいない。罪悪感を覚えていないというのだろうか。そんなことはない、と、胸中で頭を振るのだが、まるで説得力がなかった。

「そっか……やっとわかった。だから気に入らないんだ……」

 彼女は、ぶつぶつと独り言を紡ぎながら、おもむろに距離を詰めてきたかと思うと、セツナを壁に押し付けるようにしてきた。背中から壁にぶつかった衝撃で窓が揺れ、ガラスがわずかに音を立てる。しかし、別室のだれかが気づくような物音でもあるまい。気づいても、気にするような音ではないというべきか。

 反応できなかったわけではない。避けようと思えば、いくらでも避けられた。しかし、セツナは彼女のさっきの言葉が引っかかって、それどころではなかったのだ。

「どうして、あなたは絶望していないのよ」

 レムの黒い瞳に吸い込まれるような気がしたのは、その奥底に闇が広がっていたからだろう。光ひとつ見当たらない暗黒の闇。希望が絶たれたものの瞳。絶望したものの、目。

「あんたは、絶望している……?」

「あたしたち死神は絶望そのものよ」

 そういって、彼女は右手でセツナの頬に触れた。冷えきった指先が頬を撫で、手のひらで包み込まれていく。彼女がなにをしたいのか、セツナにはわからない。口づけなどでないことくらいはわかるのだが。

「だから、俺に救いを求めているのか?」

「……なるほど、そういうことか。そういう……」

 不意に窓が開いた。見やる。黒衣の人物が、窓の縁に足を乗せていた。漆黒の仮面は、死神部隊の死神の中でも異彩を放つ。その目線がセツナとレムに注がれていることは、なんとなくわかる。仮面に隠れているが、顔の正面がこちらに向いていた。

「隊長……」

「探したぞ、死神壱号。こんなところでなにをしている?」

 仮面のせいで籠もって聞こえるというわけでもなく、その男の低く重い声は、はっきりとセツナの耳に届いていた。絶望的な声だと、セツナは思った。

「それは……」

 レムがセツナの後頭部に回していた手を離したのを見計らって、死神部隊の隊長と思しき人物に向き直る。漆黒の仮面に表情などあるはずもなく、相手がなにを考えているのかなどわからなかったが。

「死神ってのは、無作法極まりないんだな」

「他人の命を容赦なく奪う死神に作法を説くのは、皇魔に礼儀を説くのも同義」

 死神はにべもなくいってきたが、それで済まされるわけがないということくらいは理解しているのだろう。すぐに自己紹介してきた。

「わたくしは死神零号。死神部隊の隊長を務めております。部下の愚行の後始末も、隊長の仕事……《獅子の尾》の隊長を務めておられるセツナ様には、よくおわかりのことと存じ上げますが」

「後始末のために愚行を重ねてどうするんだ」

「それも一興……」

「はっ……なにが一興なんだか」

 セツナは、相手にしているのも馬鹿馬鹿しくなった。零号は慇懃な態度だが、それこそ慇懃無礼といったほうが正しいような振る舞いだ。その点ではレムも同じだが、ジベルの死神部隊に所属する人間は、みな、そういうものなのだろうか。

「お気に召しませんか?」

 死神零号は、深い闇のように静かな声で問いかけてきた。

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