第五百七十五話 祭りの後
「戦功の第一は隊長殿! いや~相変わらずお強い! 男の俺でも惚れ惚れしますよ~」
「そっちは相変わらずの酔っぱらいっぷりだな」
セツナは、ふらつきながら近寄ってきたルウファの赤ら顔に笑い返すしかなかった。
レオンガンドとナージュの結婚式が終わり、王宮大広間は、予定通り披露宴を兼ねた晩餐会が開催されていた。その晩餐会には、朝から夕方にかけての式に出席できなかった《獅子の尾》の面々も参加しており、王宮全体の警備体制は、昼間に比べれば手薄になっている。こういうときにこそ事件が起きそうなものだが、結婚式の警備を指揮した軍師ナーレス=ラグナホルンは、そういった心配は不要だとセツナに囁いた。それがなにを意味するのかはわからなかったが、彼がいうのだ。セツナは安心して晩餐会に臨むことができた。
晩餐会にはいい思い出がないのだ。ログナー戦争後の晩餐会ではアーリアに襲われ、ザルワーン戦争後の晩餐会ではエレニアに刺されている。晩餐会という言葉を聞くだけで身構えてしまうのは、仕方のないことなのかもしれない。
ナーレスは年の離れた妻とともに晩餐会に出席しており、各国の王族とも言葉を交わしたりしている。ガンディアの軍事のみならず政治をも司るのが、ナーレス=ラグナホルンという人物だ。クルセルクのこともある。彼との距離を少しでも縮めようと考えるものがいても、不思議ではない。
ナーレスと談笑する人々の思惑を考えると頭が痛くなるが、セツナも他人事ではなかった。エンジュール領伯としての立場であれ、王立親衛隊《獅子の尾》隊長としての立場であれ、政治的利用価値、政治的影響力のある立場なのは間違いないのだ。すでにアザークの王子やジベルの王子がセツナに握手を求めてきていた。特にジベルの王子はセツナと同い年であることが嬉しいらしく、しばらく手を握って離さなかったものだ。
相手は近隣諸国の王族である。しかも、これからの戦いを考えれば、仲良くなっておくべき方々である。機嫌を損ねるなどもってのほかであり、セツナは、警備とは異なる種類の緊張に包まれ続けた。
しかし、常に緊張を強いられているわけではない。《獅子の尾》の仲間たちと囲むテーブルは終始穏やかだったし、緩い空気に包まれてもいた。ファリアもミリュウもマリアも、いつも以上に酒を口にしていて、三人のほろ酔い美女に囲まれる状況は、天国といってもよかった。
いや、晩餐会の会場そのものが、天国といってもいいような和やかな空気に包まれている。つい数時間前までの緊迫感などどこ吹く風であり、だれもかれもが、この夢のような時間を満喫しようとしている。
(必死なんだな……みんな。必死に、この時間を楽しもうとしている)
この宴が終われば、だれもが現実を直視しなければならなくなる。魔王ユベル率いるクルセルクとの戦いという、絶望的な現実と戦わなければならないのだ。
クルセルクは、明確な悪意を以って、皇魔を送りつけてきている。明白な殺意は、ガンディアのみならず、近隣諸国にもクルセルクとの敵対を迫った。
ガンディアの同盟三国は無論のこと、ベレルも、アザークも、アバード、ジベル、メレド、イシカもクルセルクと対決する意向を示している。もちろん、国王みずからが出向いていない国々に関しては、国に戻ってから議論することになるだろうが、クルセルクに靡くような国は出ないだろう、といわれている。
レオンガンドが演説で語ったように、クルセルクは皇魔を従えている。人類の敵とともにある国を受け入れることなど、そう簡単にできるものではない。それは人間の尊厳を手放すことに似ている。人間であることを諦めることに似ている。
だれも、悪魔に魂を売り渡すことなどできない。
余程追い詰められでもしない限りは。
つまり、諸国はまだそこまで追い詰められていないということであり、希望はなくとも、勝機はあると信じているからこそ、対決姿勢を見せているのだ。
「ええ、もちろん、酔ってますよ~。隊長も酔っていきましょうよ~」
「お、たまにはいいこというじゃない!」
「たまにはってなんなんですか、たまにはって」
「ルウファの言う通り、セツナも酔えばいいのよ」
隣の椅子に腰掛けていたミリュウが、セツナにしなだれかかってくる。彼女はやはり赤が好きなのだろう。豪奢な真紅のドレスを身に纏っており、よく似合っていた。さすがにどんなドレスも着こなす自信があると言い切るだけのことはある。
「酔えばいいって、なあ」
「いいんじゃない? たまには」
ファリアが、グラスに注がれた果実酒を口に運びながらいった。セツナが飲酒しようがしよまいが、彼女にとってはどうでもいいことなのかもしれない。ファリアは、ミリュウとは対照的な青のドレスを身につけている。胸元の大きく開いたドレスは、ミリュウが彼女のために用意したものだといい、ファリアの抗議は受け入れられなかった。結果、ファリアの胸元に鼻の下を伸ばしたルウファがエミルの機嫌取りに奔走しなければならない、という事態に陥ったが、セツナにしてみれば知ったことではない。眼福である。
「ファリアまで……マリア先生?」
「ん……? ああ、隊長殿も酔いますか?」
マリアは、果実酒の入った瓶を掲げてきた。給仕に命じて確保したのだろう。《獅子の尾》の専属医師に頼まれれば、だれも嫌とはいえまい。彼女の場合、ほろ酔いというより、泥酔に近いのではないかと思ったが、意識ははっきりしているらしく、セツナにウインクを飛ばしてきたりもした。白衣を想起させる白のドレスもまた、ミリュウが用意したものだという。こちらは胸の谷間だけを見せつけるような意匠で、チャイナドレスに似ていた。
「だめだこれ」
セツナは、三者三様の酔いっぷりをまざまざと見せつけられた気がして、頭を抱えたくなった。同時に、酔うのも悪くはないのかもしれない、とも思ったが。
「無視っすか……まあいいや。エミルー」
「ルウファさん、だいじょうぶですか?」
「うん、だいじょうぶ。君がいるから」
「まあ」
ルウファとエミルがいつものように見つめ合い、瞳をきらめかせ合う様を一瞥して、すぐに視線をそらす。いつものことなのだ。毎回毎回律儀に見届けて上げる必要はあるまい。
「……見せつけてくれちゃってさ」
「……なんていうか、緊張から解放されたんだろうな、あいつも」
「いつも緊張感の欠片もなさそうなのにね」
「他人にはそういうところを見せないんだよ、ルウファはさ」
「それをいったら、みんなそうだけどね」
「うん」
戦功の第一、とルウファはいった。
魔王印の贈り物たる皇魔の群れとの戦いにおける功のことだ。
その戦闘による死傷者は九十五名。うち、命を落としたのは三十五名である。どれだけ圧勝の空気が漂っていたとしても、それだけの人間が命を落としているのだ。皇魔はやはり人智を超えた力を持った化け物であり、たやすく組み伏せられる相手ではないのだ。
しかし、そんな化け物達に敢然と立ち向かったのが、セツナたち武装召喚師だけではなかったのは、必ずしも驚きに値することではない。だれもが皇魔に恐怖する一方で、立ち向かおうとする意志を持つのだ。もちろん、立ち向かおうとする意志だけではどうにもならない。
力があって、初めて、その意志は意味を持つ。
セツナは、黒き矛カオスブリンガーとともにもっとも多くの皇魔を殺した。何百という皇魔を一方的に殺戮した。そうすることができたのは、セツナがカオスブリンガーの力の使い方がわかってきたからだ。
ザルワーンの守護龍を倒した時、力の本質に触れた気がする。
本質に触れたことで、矛の力をある程度思い通りに操れるようになった気がするのだ。気のせいかもしれないが、気のせいだとしても、カオスブリンガーの使い方がましなったのは間違いない。結果に現れている。
五百体に及ぶ皇魔のうち、二百二十三体をセツナが倒した。ファリアやミリュウも大いに戦い、それぞれ五十体以上の皇魔を撃破しているが、セツナには遠く及ばなかった。もちろん、そんなことを悔しがる彼女たちではない。ミリュウは、むしろセツナが一番皇魔を撃破したことが自分のことのように嬉しいらしく、死神たちの前でわざとらしく胸を張ったりもした。
死神壱号ことレム・ワウ=マーロウも、武装召喚師たちに負けず劣らずの戦果を上げていたし、それは獣姫シーラ・レーウェ=アバードも同様だ。獣姫は武装召喚師ではないにせよ、召喚武装を用いているという時点で、他と一線を画すのは間違いないが。
イシカの弓聖サラン=キルクレイドも、メレドの美少年ヴィゼン=ノールンも、常人とは思えない戦果を上げており、超人が一堂に介した戦場だったのではないか、というものもいた。
セツナは、そんな超人たちの中で一番の戦果を上げることができたのだが、嬉しいという気分にはなれなかった。レオンガンドとナージュが無事で良かったと安堵する気持ちのほうが強い。そして、仲間たちと、招待客、ガンディアの貴族、重臣が負傷さえしなかった事実には、心の底からほっとしたものだ。
だから、なのかもしれない。
(こういうのもいいか)
セツナは、いつの間にか目の前のグラスに注がれていた果実酒を飲み干して、呆気に取られるミリュウやファリアを尻目にテーブルに並んだ料理に食らいついた。