第五百七十四話 血と魂(二十二)
「ここに集まったすべての方々にお伝えしなければならない!」
レオンガンド・レイ=ガンディアが声を励まして宣言したのは、皇魔との激闘が終わり、死傷者の回収が終了してからのことである。
空は夜の闇に覆われ、まばらな星月が昼間の快晴さを忘れさせるかのようだった。冬の夜、冷気が降りてきていて、乾いた空気が気温の低下を助長している。そんな状況にもかかわらず、王宮の東門前の人集りは減っていなかった。むしろ、騒ぎを聞きつけた王都中の住民が駆けつけており、パレードのときよりも遥かに多い数の人々が押し寄せていた。
その人波を抑えるのは都市警備隊と王宮警護、軍に王立親衛隊の役目だ。《獅子の牙》と《獅子の爪》が、レオンガンドの前方に防波堤のような強固な陣形を組んでいて、その周囲を軍人や警備隊員が固めている。
レオンガンドは、観衆を見下ろす台座の上に立っていた。ただひとり、だ。ナージュは王宮区画内に下がっていた。パレードの挨拶ならば、彼女もレオンガンドの隣に立つ必要があっただろうが、いま、レオンガンドが伝えようとしていることはそれではなかった。もっと、重要なことだ。
「先程、我々は皇魔の群れに襲われた!」
観衆にどよめきが走らなかったのは、王宮区画内で皇魔との戦闘が繰り広げられているという情報が出回っていたからだ。そのため、パレード後の挨拶目当てに集まった観衆の殆どは逃散したといい、レオンガンドの演説に際し、これほどの人数に膨れ上がるとはだれにも予想できなかったらしい。
「五百を数える皇魔の集団は、クルセルク王ユベル・レイ=クルセルクからこのレオンガンドの結婚祝いとして贈られた荷の中より出現した! これが意味するところはなにか! 魔王ユベルの、我々への挑戦である!」
観衆に動揺が広がる中、クルセルクなにするものぞ、と声を上げるものもいたり、皇魔を従える魔王の噂に恐怖するものもいた。観衆が押し合い、警備の軍人たちが声を張り上げる。軍人が反応すると、親衛隊に緊張が走る。が、観衆が問題を起こすことはない。
そういった観衆ひとりひとりの反応を、セツナは東門の門楼から見下ろしている。もちろん、黒き矛を召喚し、その補助によって視界を広げているからこそ、見渡すことができるのだが。軽い目眩を覚えて、彼は頭を振った。あまりに長時間召喚し続けている。戦闘そのものは数時間で済んだものの、早朝からこっち、ほとんど休みなく召喚し続けているのだ。演説が終わる頃には、セツナの精神は消耗し尽くすに違いなかった。
それに比べて、周囲の部下たちの表情からは疲労を感じ取ることはできそうにない。ファリアも、ルウファも、ミリュウも、セツナよりも余程優れた武装召喚師なのだ。
(俺が常識はずれなんだよな)
三人は、それぞれ過酷な修練の果てに武装召喚師になっている。通常時の身体能力もセツナを遥かに凌駕しているし、精神力も比べ物にならないのだろう。それでも、ミリュウにはカオスブリンガーを扱うことができないのだから、不思議なものだ。
(相性ってやつかな)
相性がいいから、黒き矛の力が逆流するようなことがない、のだろうか。
逆流。
ミリュウは、黒き矛が引き起こしたその現象によって、セツナの記憶を見た、という。セツナが生まれて、ミリュウとの戦いに至るまでのすべてを見たらしい。すべてを見て、それで嫌いにならないのか、とセツナは不思議がったが、ミリュウはただただ笑っていた。
「ガンディアだけではない! このレオンガンドとナージュの結婚式に参加した各国に対しても、同時に宣戦布告を行ったも同じである!」
レオンガンドを暗殺しようとしただけならば、ガンディアやルシオン、ミオン、レマニフラの同盟三国と属国のベレルを敵に回すだけで済んだだろう。しかし、クルセルクが行ったことは、もっと大それたものだった。王宮区画に皇魔を解き放ったのだ。人間ならば見境なく殺す凶暴な悪魔を解き放つということは、その場にいるすべての人間に殺意を向けたということにほかならない。
その場には、この王宮区画には、ガンディアの周辺諸国の王族が集まっていたのだ。つまり、ガンディアとその周辺諸国に殺意を向けた、ということになる。たとえクルセルクの魔王にその気がなかったとしても、ガンディアや各国首脳陣はそう判断する。現に、皇魔との戦いが終わった直後、クルセルクへの対応を協議することで各国の思いは一致していた。
戦闘そのものに参加しなかったアザークですら、クルセルクのこの暴挙には怒り心頭といった様子だった。いや、強大な戦力を有していないアザークだからこそ、その怒りも深刻なのかもしれない。一歩間違えれば、王子が皇魔に殺されていた可能性がある。
「クルセルクも馬鹿なことをしたものよね。ガンディアだけに喧嘩を売るならまだしも、アバードやジベルまで巻き込むなんてさ」
「勝算があるんでしょう、クルセルクには」
「机上の空論ってやつ?」
「どうかしら? クルセルクは四国連合との戦争にも終始優勢だそうじゃない」
クルセルクが反魔王連合を名乗る四国連合軍との戦争を始めたのは、先月のことだ。宣戦布告は十月だったが、本格的な戦闘が始まったのは十一月になる。ノックス、ハスカ、リジウル、ニウェールの四国連合軍の戦力は、クルセルクに匹敵するものだったはずだ。しかし、蓋を開けてみれば、クルセルクの圧勝に次ぐ圧勝であり、反魔王連合は瞬く間に瓦解を始めたという。
クルセルクはただ皇魔を用いるだけではなく、各地の皇魔を糾合しているといい、その戦力は増えることはあっても減ることはないという噂があった。その噂が事実ならば、厄介極まりない話だった。皇魔は、大陸全土に生息しているのだ。人知れず巣を作り、繁殖している。それらを戦力に組み込めるということは、際限なく戦えるといっても過言ではないのではないか。
「なあに? ファリア、いやに魔王の肩を持つわね?」
「肩を持っているわけじゃないわ。ただ、冷静に計算しているだけよ」
「ふうん……こっちにはセツナがいるのに」
「セツナはひとりよ」
ファリアの冷ややかな声は、冬の冷気よりは温かいものだ。ふと、セツナはそんな風に感じた。
「ひとりでは、できることに限界があるわ」
「ファリアのいう通りだよ。俺にできることならなんでもしたいけど、いまだって、もう……やばいんだ」
セツナは、ふたりを振り返って、自嘲気味に笑った。ファリアが怪訝な顔をする。
「やばい?」
「うん」
「なにが!?」
「意識が飛びそう」
「ああ……そういうこと」
「あとはあたしたちに任せていいのよ?」
「そうしたいのもやまやまなんだけど、一応、俺、隊長だしな」
「隊長でも、たまには部下に甘えていいのよ。ほら、あたしの胸の中で眠って――」
「自分でいって自分で恥ずかしがってんじゃないわよ」
顔を赤らめていやいやするミリュウにファリアが容赦なく突っ込む様を見届けてから、セツナは眼下に視線を戻した。観衆の反応が熱を帯び始めている。
レオンガンドの演説は、佳境を迎えていた。
「我々は、クルセルクの挑戦に受けて立つと決めた! 人類の天敵たる皇魔を従える魔王の存在は許しがたい! 皇魔と人類の共存など、ありはしないのだ! 皇魔は大陸に巣食う病であり、病は根絶するべきである!」
レオンガンドは拳を振り上げながら、熱演した。獅子王レオンガンド・レイ=ガンディアを演じていくうちに、自分が本当にそのような人間なのだと錯覚し、錯覚は確信へ至る。
獅子王。獅子の王国ガンディアの王に与えられる称号、というわけではない。しかし、シウスクラウドが獅子王と呼ばれて以来、ガンディア王は獅子王と呼ばれるに相応しい人物でなければならない、という風潮が生まれていた。
自分は獅子王に相応しい人間にはなれない。
そんなことはわかりきっている。
それでも、ガンディアの王として小国家群に覇を唱えるのならば、獅子王にならなければならない。獅子王を演じなければならない。でなければ、だれもついてはこないのではないか。でなければ、小国家群を統一することなどできないのではないか。
だが、ひとつ、問題がある。
獅子王とは、いったい、なんなのか。
「皇魔を使役し、皇魔を組織し、皇魔を運用するクルセルクは、病巣以外のなにものでもない!」
突き上げた拳を開き、そのまま右に振り抜く。汗が飛び散り、魔晶灯の光を反射した。
衆目が自身に集まっているのを実感として覚えながら、彼は語気を強めた。
「この大陸から、大陸小国家群から病巣を取り除く事は、絶対的な正義である!」
歓声が上がる。だれもが同調している。疑問符を掲げるものなどいない。当然だろう。皇魔という存在に嫌悪感を抱かないものはいない。恐怖を感じないものはいない。皇魔とは、この大陸の人間にとって恐怖以外のなにものでもないのだ。
根源的恐怖。
克服するには、皇魔をこの世から抹消する以外にはない。
「どうか、わたしに力を! 絶対正義を実行するための力を貸して欲しい! そして、この世からクルセルクを抹消し、皇魔の存在しない大陸を目指そうではないか!」
レオンガンドは、自分がなにものなのかも忘れて、吼えるようにいった。
群臣街と王宮を、歓声が揺らした。




