第五百七十三話 血と魂(二十一)
爆発が起き、閃光が視界を灼いた。
爆音が鼓膜を叩き、衝撃波が粉塵とともに駆け抜けていったかと思うと、皇魔たちの奇怪な叫び声が王家の森から響いてきた。
セツナは、カオスブリンガーを目の前に掲げたまま、ブリークの雷球がこちらに向かってこないことに気づき、怪訝な顔をした。そして、すぐさま王家の森で起きている事態を認識する。王家の森に逃げ込んだ皇魔たちの背後から急襲したものたちがいるのだ。それもただの急襲ではない。圧倒的な暴圧によって皇魔の群れに混乱を巻き起こすほどの攻勢。そんなことができる人間がこの国にいるのかと思ったものの、考えて見れば、そういうことができそうな組織を知っていた。
「な、なにっ? なにが起きてるの?」
「師匠だよ」
ミリュウの疑問に答えながら、セツナは、笑みをこぼした。同時に駈け出している。ブリークやレスベルの砲撃は、傭兵集団《蒼き風》の突撃が無力化してしまったのだ。なにも恐れることはない。閃光と爆音が轟き、王家の森がでたらめに破壊されていくが、もはやこうなっては仕方があるまい。皇魔の殲滅こそ優先するべきであり、森がどうなろうと知ったことではないのだ。皇魔を一匹でも取り逃せば、後の脅威となりうるのだ。皇魔は巣を作り、増殖するという。その繁殖方法がすべての皇魔に適用されるのかは不明だったが、可能性を考えておく必要はあるだろう。なにより、皇魔が凶悪なのは明らかなのだ。
この圧倒的な勝勢の中にあっても、死傷者が出ている。わずかな油断が死を招くのが、皇魔との戦いだ。黒き矛を手にしていても、それは同じだ。気を抜いてはならない。
「全軍突撃いいいいいっ!」
天地が震えるほどの大音声を発したのは、シーラ・レーウェ=アバードだった。彼女の咆哮を耳にしたとき、セツナの心が震えた。心の奥底から膨大な熱量が沸き上がってきて、全身に力を漲らせた。セツナは、シーラの姿を探した。彼女は、セツナよりも先に、王家の森へと突き進んでいる。その全身から強烈な光が発せられているように見えた。が、それが錯覚だということはすぐにわかる。彼女の白髪が夕日を浴びて輝いていただけかもしれない。
「なにこれ?」
「さあ?」
ミリュウとファリアが顔を見合わせたのが気配で知れる。隣を飛翔するルウファが、セツナに向かって囁くようにいってきた。
「獣姫の雄叫びは、アバードに数々の勝利をもたらしてきたという話です」
「これが……それか」
「おそらく。あの召喚武装の能力でしょうね」
「あ……あれ、召喚武装だったのか」
「ええ。間違いありませんよ」
ルウファが言及したのは、シーラが掲げる斧槍のことに違いない。一見、普通の斧槍に見えなくもないが、柄と刀身の接合部に様々な動物を模した装飾があった。その程度の装飾では通常兵器と召喚武装の違いとはいえないのだが、刀身が淡く発光しているということがわかれば、召喚武装としか言いようがない。
セツナは一度、シーラの窮地を救っているが、それは彼女が皇魔に対して油断したのではなく、召喚武装の影響でそうなったのかもしれなかった。そう考えれば、納得ができる。シーラは、それまでの戦闘でかすり傷程度しか負っていなかったのだ。皇魔の群れを相手に大立ち回りを演じて、だ。それほどまでに強い戦士が命の危機を迎えたのだ。召喚武装の影響と考えるのが、妥当かもしれない。
「まったく、これでは獣姫の独壇場ですわね」
そういってセツナの隣に現れ、並走を始めたのは、ジベルの死神である。
「死神!」
「死神壱号、ですわ」
噛み付くようなミリュウの反応に、死神壱号は苦笑したようだ。顔面は獅子の仮面に覆われていて、表情を窺い知ることはできないが。
「レム・ワウ=マーロウだったな」
「わたくしのようなものの名前を覚えていてくださるとは、光栄ですわ。セツナ様」
「そうかい。で、獣姫の独壇場のなにが気に食わない?」
ミリュウの視線が気になったが、セツナはレムに尋ねた。王家の森は目前。気を抜いているわけではないが、言葉を交わすことくらいで意識が持っていかれることもない。
「アバード如きに主導権を握られたくはありませんもの」
「如き……ねえ」
「ガンディアならば、セツナ様ならば、わかるというものですが」
「なんのことをいっているのよ!」
ミリュウが怒りに任せて太刀を振り抜いた先には、ブラテールの姿があった。斬撃は届かない。しかし、真紅の刀身が砕け、無数の破片となると、話は変わる。無数の刃がブラテールの背中、横腹に突き刺さり、外骨格を破壊し、内臓をも抉った。悲鳴を上げるブラテールの首を、死神の鎌が刈り取る。ミリュウがレムを睨んだ。止めを刺されたのが気に喰わないのだろうが。
「セツナ様、こんな馬鹿を飼うのはおやめになさいな。飼うならば、わたくしのほうがよろしくてよ」
「俺の寝首を掻こうとするようなやつを信用する気はないな。それに、ミリュウは馬鹿じゃない」
「あら? そうですの?」
「そうよそうよ! セツナ、もっといってやって!」
ミリュウは真紅の太刀を元の形状に戻すと、軽く振り回してつぎの皇魔に向かった。ファリアが呆れながらオーロラストームを構え、雷撃を放つ。その後ろでルウファが翼を広げ、羽弾を発射している。
セツナたちは、すでに王家の森に足を踏み入れていたのだ。
「しかしながら、この状況が生み出す未来を想像できないものが馬鹿でなくて、なんというのです?」
「……俺にもわからないな、あんたのいっていることは」
「あらん」
死神は、こちらに視線を向けたまま、背後に迫っていたレスベルの首を薙いだ。赤鬼は、なにをされたのかわからないまま絶命したようだった。巨体が、血を吹き出しながら、地に崩れ落ちる。
「俺にはわかりますよ。この状況というのは、クルセルクの悪意が打ち込まれた現状のこと。そして、クルセルクの悪意はガンディアのみに向けられたものではないということ。ミオン、ルシオン、ベレル、ジベル、アバード、イシカ、メレド、アザーク……陛下の結婚式に参列した国々に対しても宣戦布告を行ったも同じ」
「ガンディアがクルセルクに敵対するのは当然として、各国もクルセルクに敵対せざるを得ない……ということね」
ルウファとファリアの解説のおかげで、セツナは、レムのいわんとしていることがなんとなくわかってきた。朧気ながらも輪郭が見えてきた、というべきか。
「クルセルクは、反魔王連合を名乗った四国連合軍との戦いを終始優勢で運んでいます。クルセルクの勝利は間違いないでしょうし、そうなれば、クルセルクの国土はガンディアの比ではなくなるでしょう。ジベルやアバード一国の力では、対向することなどとてもとても」
死神は自嘲するようにいった。
「そこで取るべき道は二つに一つ。クルセルクの支配下に入るか、クルセルクと敵対する国々と協力し、クルセルクと戦うか。多くの国は後者を選ぶでしょうね。だれも、このような化け物どもを受け入れることはできない。皇魔が跋扈する世界など、あってはならない」
皇魔は人類の天敵だ。この大陸に住むだれもがそう思っている。歴史がそれを証明している。人間と皇魔が分かり合うことなど、ありえない。だが、魔王の存在は、そういった常識を無視しているのだ。皇魔を支配し、皇魔を組織し、皇魔を運用している。
クルセルクが皇魔を兵として運用している事実が明るみになったのは、つい最近のことだ。クルセルクと反魔王連合の戦いが、あまりにも大規模過ぎたのだろう。それまでは厳重に隠蔽されていたクルセルクの内情が、小国家群各地に広まっている。
「なるほど……第二の反魔王連合ができるということか」
「さすがはセツナ様。飲み込みが早くていらっしゃる」
「嫌味にしか聞こえねえっての」
セツナは、周囲の状況に目を光らせながら、森の奥に向かった。セツナたちは最左翼にいる。シーラ率いるアバードの侍女団が中央にいて、右翼にはメレドの少年と、イシカの弓聖、ジベルの王子と死神たちがいた。死神たち、だ。レム以外の死神が王子の元に馳せ参じた、ということに違いない。だからこそ、レムは単独行動を取っているともいえる。でなければいくらレムといえど、王子の側を離れることなどはしないはずだ。
(いや……どうかな)
交渉成立の夜に寝首を掻こうとするという、レム・ワウ=マーロウの常識破りの行動を思い出せば、彼女の行動原理など、考えるだけ無駄だということがわかる。
「……つまりあんたはここで目立って、そうなった場合の主導権、発言力を得たいというわけね?」
「そういうこと」
「だったらせいぜい頑張ることね。ジベルだろうがアバードだろうが、あたしのセツナには敵わないんだから」
「そんな当たり前のことで誇られても困るんだけど」
「地が出たわね」
ミリュウが勝ち誇る表情が脳裏に浮かんで、セツナは苦笑した。苦笑しながら、黒き矛を振り回して、目の前の敵を切り捨てる。レスベルの巨体も、ドラゴンに比べれば小さなものだ。ドラゴンに比較すれば、どんな生き物も矮小化せざるを得ない。そして、ドラゴンに匹敵するような強敵など、今後現れようがないという確信もある。
「セツナ様に聞かれていなければ、問題ないわよ」
「知らないの? セツナ、地獄耳よ」
「え!?」
「ねえ?」
ミリュウに同意を求められて、セツナはそちらに視線を向けた。周囲の皇魔は粗方片付いているからこそ、会話に加わる余裕も生まれるのだが。
ミリュウとレムのふたりも、皇魔と戦闘しながら言葉をぶつけあっていたようだ。ふたりの足元にはグレスベルやブラテールの死体が転がっている。
「あんたがミリュウと交わした口論だって聞いているさ」
「うそ」
「うちのミリュウを傷つけたら、いくらジベルの死神だって許さないぜ」
唖然とする死神に対して、セツナは、追い打ちをかけるように告げた。レムがなにをどう想い、どう考えてミリュウを挑発したのかはわからないが、彼女の心を傷つけるようなことを許すつもりはなかった。ミリュウは、大事な部下であり、仲間なのだ。そして、大切な身内といっていいひとりだ。彼女が嘆き、悲しめば、セツナ自身も辛いのだ。
「セツナ……!」
「み、ミリュウ、おい……!」
セツナは、突然ミリュウに抱きすくめられて、息を止めた。王家の森の中、闇が濃く、セツナとミリュウの行動を見ているものは少ない。が、皇魔を殲滅したわけではないのだ。抱きしめられていていいわけがなかった。かといって、喜ぶミリュウを突き放すこともできない。と、目の前の巨木が一刀の元に切り倒され、血飛沫とともに青い剣閃と銀髪が視界に飛び込んでくる。
「こんなところでいちゃついてんじゃないぜ、弟子よ」
「師匠こそ、こんなところで目立とうとしないでくださいよ」
セツナは、おそらく皇魔もろとも木を切ったルクス=ヴェインの荒々しい戦いに、半眼を注がざるを得なかった。“剣鬼”らしくない戦いぶりだと思ったからだ。
「ああん? 俺が目立ってなにが悪いんだ?」
しかし、ルクスの声は、野太い雄叫びに掻き消される。
「だらっしゃああああ!」
「団長曰く、さっさと片付けて飯にしよう、だそうです」
シグルド=フォリアーとジン=クレールの登場で、戦場はますます激化する。
獣姫が咆哮し、死神が乱舞する。その中をメレドの美少年が舞い踊り、イシカの弓聖が矢の雨を降らせる。《蒼き風》が吹き荒れ、《獅子の尾》が蹂躙する。
皇魔と人間の戦いとは思えないほど一方的な戦いは、夜を迎える前に終わった。