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第五百七十一話 血と魂(十九)

 肩で息をしているのは、全力で走ってきたからだ。

 そしていまも、アルジュは獅子王宮とも呼ばれる宮殿の中を、ただひたすら駆けていた。目指すは、彼に貸し与えられた一室だ。賓客用に誂えられた部屋は、宮殿の二階、東側の一角にある。部屋にはガンディオンで滞在するということで用意した荷物が置きっぱなしになっていて、それを回収しなければ、帰るに帰れないという思いがあった。あまりのことに冷静さを失っているのだ。

 皇魔の出現、である。

 常人であり、小心者であるということを自他ともに認めるアルジュにしてみれば、皇魔など、天災以外のなにものでもなかった。立ち向かうなど言語道断だった。

(馬鹿者めが)

 胸中で息子を罵りながらも、彼のことを心配した。セルジュの実力はよく知っている。少なくともアルジュよりは強い。が、まだ幼い。若いのではなく、幼いのだ。言葉も行動も、なにもかも、その精神的幼稚性から発せられるものであり、だからこそ皇魔の群れを前にして戦おうなどと言い出したに違いない。

 セルジュは、アルジュの息子だ。いくらアルジュより強いといっても、凡人の域を出ない。皇魔を倒すことなどできまい。もちろん、セルジュは皇魔を倒せるから戦おうといったのではない。そんなことはわかっている。彼はジベルの名を汚したくないのだ。ジベルという国を愛し、誇りに思っているからこそ、そのような突拍子もない言動に至る。

(わかってはいる。だがな……)

 アルジュは、歯噛みして己の無力さを悔やんだ。自分に力があれば。なんど思ったことだろう。せめて、凡人程度でも戦う力があれば、このように、息子を放り出して逃げるようなことにはならなかったのではないか。

 とはいえ、セルジュの身は安全だ。近衛兵が身を挺して、彼の命を守るだろう。それに死神たちが付いている。気に食わない連中ではあるが、実力は折り紙つきだ。クレイグ・ゼム=ミドナスによって選定された連中なのだ。その能力を疑うのも馬鹿馬鹿しい。

 やがて、アルジュは部屋の前に辿り着くと、背後を振り返った。近衛兵たちとふたりの死神が、彼に付き従っている。兵も死神も、呼吸ひとつ乱していない。

「おまえたちはここで待っていろ」

「は!」

 異口同音の返事にアルジュは気を良くすると、力強く扉を開き、室内に入った。急がなくてはならない。急いで王宮から脱出する準備をしなくてはならない。

(脱出……そう、脱出だ。だのになぜ、わたしはここに戻ってきたのだ?)

 アルジュは、自分の無意識の行動に疑問を抱いた。王宮区画から脱け出すのならば、王宮区画の中心に位置する宮殿に戻ってくる道理はない。部屋に置いた荷物などたかが知れているし、ガンディアの人間が勝手に処分するはずもない。あとで届けさせるなり、取りにこさせるなりすればよかったのだ。なにも脱出のための荷物を増やす必要はないはずだった。

「なぜだ?」

 自問しながら、彼は室内をさまよい、鉄の小箱を探しだした。小箱には鍵穴があり、しっかりと鍵をかけられているのがわかる。彼は、懐から鍵を取り出しながらも、前方の鏡に映る自分の顔色の悪さが気になって仕方がなかった。青白い顔だ。まるで死神に取り憑かれているかのようだった。不意に、

「陛下……」

 聞き知った声は、すぐ側から聞こえた。

「クレイグか。いまのいままでどこにいた?」

 アルジュは、小箱の鍵穴に鍵を差し込みながら、問いかけた。

 クレイグ・ゼム=ミドナス。始まりの死神であり、死神部隊の隊長を務める男だ。他の死神たちとは異なり、彼は神出鬼没で、主であるはずのアルジュでさえ、彼の居場所を掴むことはできなかった。しかし、必要なときには必ず彼の前に現れるのだから、アルジュのクレイグへの信頼は揺るがない。その点がクレイグと他の死神たちとの違いだった。

 他の死神たちはクレイグの子飼いであり、アルジュのものではないという認識が、彼の中にあった。

「いや、それはいい。そう、いまするべきは、我が身の安全の確保。セルジュのことも気がかりだ」

 セルジュにはふたりの死神が付いている。しかし、皇魔は数えきれないほどいたのだ。万が一ということもありうる。

「わたくしにお任せを」

「……わかった。あとは貴様に任せる。しかし……どこに……いたのだ……?」

「いつでも、御身の側に」

 彼は、鉄の小箱を開けると、中に収められていた仮面を手に取ると、なんのためらいもなく身につけた。顔を上げる。鏡には、死神零号の仮面を被った男が映っている。身につけているのは、アルジュ・レイ=ジベルが結婚式のためにと新調した礼服であり、彼は礼服を脱ぎ捨てると、影の中から死神装束を呼び出し、身に纏った。

 クレイグ・ゼム=ミドナスは、アルジュ・レイ=ジベルの人格が眠りについたのを認めて、安堵の息をついた。そして、死神零号となった自分の姿を再確認して、部屋を出る。すると、死神弐号と死神肆号、それに近衛兵たちが彼の出現に心底驚いたようだった。

「クレイグ隊長?」

「なんでここに?」

「話は後だ。我々は陛下の御命令に従い、セルジュ様の御身を護るために動く」

「はい? 逃げるんじゃなかったんすか?」

「二度も言わせるな」

「へーい」

 死神肆号の言葉の軽さは相変わらずだが、クレイグがそれを不快に思ったことはなかった。むしろ、死神肆号の軽妙さこそ、死神部隊には必要不可欠なのではないかと思うことがある。だれもかれも暗く沈みがちなのだ。暗躍部隊である以上、仕方のない側面はあるのだろうが、だとしても暗すぎては彼らの人生がつまらないものになってしまうのではないか。

「陛下は?」

「ここに隠れておられるということだ。つまり、皇魔を一匹でも王宮にいれてはならん」

「皇魔を殲滅するってことかー。結局、血なまぐさいことになるんだなあ」

「死を運ぶのが我らの役目。皇魔にも等しく死をくれてやれ。死神の使用も許可する」

「わかりました」

「ほーい」

 弐号と肆号がそれぞれに返事を浮かべ、クレイグの視界から消えた。取り残されたのは近衛兵たちだ。近衛兵は、当然、死神部隊の管轄下にはない。ないが、近衛兵のひとりがクレイグに問いかけてきた。

「わ、我々はどうすれば?」

「この部屋を護っていろ、ということだ」

「そういうことならお任せをっ!」

 死神に対しても敬礼を忘れない近衛兵たちの清々しさに、彼は仮面の奥で目を細めた。アルジュは、彼らには慕われているのかもしれない。ふと、そんなことを考えるのは、アルジュ・レイ=ジベルの評判の悪さを知っているからだ。

 小心者の妄想家、というのがアルジュ・レイ=ジベルの基本的な評価であり、それを間違っているとはクレイグにもいえなかった。

 アルジュが極度の小心者で、被害妄想が激しいからこそ、クレイグのようなものが生まれたのだ。

 アルジュ・レイ=ジベルが自分の心を護るために生み出した人格。

 それがクレイグ・ゼム=ミドナスだった。



 戦いは、激化の一途を辿っている。

 当初、東門付近で繰り広げられていた戦闘は、その戦場を南へと拡大し、王家の森の一部を巻き込むようにしてさらに、さらにと広がっていった。戦場が拡大した最大の原因は、皇魔が一網打尽にされるのを嫌って散開し始めたからだ。しかも、王家の森の中であれば、木々などの遮蔽物、障害物を利用した戦い方が可能であり、自然の中に生きる皇魔たちにとっては絶好の戦場だったのだ。

 オーロラストームのような射撃武器は、森の木々を盾にされると、途端にその精度を落とした。森の木々を破壊し尽くすような戦い方は自重しなければならない、という意識が、セツナたちの攻撃の手を緩めるのだが、皇魔はこちらの意向など構いはしない。ブリークが雷球を放てば、グレスベルはブラテールに跨って突撃し、レスベルが光波を放出するとともにリョットが暴れ回り、王家の森はでたらめに崩壊していく。

 セツナたちは、王家の森の中に踏み込むのを躊躇っていた。いや、セツナたちだけではない。他国の戦力も、足並みを揃えるようにして、王家の森の北側に布陣している。ガンディア、ジベルメレド、イシカ、アバード、各国の主戦力が共同戦線を張るという稀有な状況は、奇妙な高揚感を戦場にいるひとびとにもたらしていた。

「あとどれくらい?」

 ミリュウのさりげない質問に対して、セツナは即座に返答した。

「二百」

「……まだ二百もいるの?」

 そういって目を丸くしたのはファリアだ。雷撃を打ちまくった彼女は、疲労が著しい。なによりセツナたち《獅子の尾》は、今朝からずっと召喚武装を召喚し続けている。精神的疲労も蓄積するというものだ。

「あと少しだ。頑張れ」

「どこが少しなのよ!」

 ファリアがいってきたが、セツナには返す言葉もない。しかし、皇魔を半数以上減らすことができたのは事実であり、あと少し、というのも嘘ではない。

 そんなときだ。

「俺が来たからにはもう少しですぜ」

 頭上から、血まみれの天使が舞い降りてきた。

「ルウファ!」

「あんたどこにいってたのよ!」

 ミリュウが怒鳴ると、彼は困ったように笑った。

「いやあ、地下に皇魔が紛れ込んだっていう報告がありまして」

「それでその返り血?」

「そういうこってす」

「命令無視じゃあなかったんだな」

「やだなあ、俺が隊長の命令を無視するわけないっしょー」

 ルウファの言葉は、いつも通り軽く、屈託のないものだ。

「そりゃあそうだ」

 セツナは、心の底から安堵した。わずかでも不安を覚えた自分を罵りたくもなる。彼が任務を放棄することなどあり得ない。彼はガンディア王家に忠誠を尽くしている。その想いの深さは、セツナのそれを大きく凌駕する。

「じゃあ、仕上げと行くか」

 セツナは、王家の森に渦巻く爆煙を睨みながら、黒き矛を握りなおした。

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