第五百六十九話 血と魂(十七)
「しょうがない、名前募集中!」
ミリュウが気合とともに太刀を振るった。血のように紅い刀身が一瞬にして砕け散り、無数の破片が前方広範囲に渡って飛散する。飛び散った破片は、充電中だったブリークの群れを打ちのめしたかと思うと、斬撃の軌道を辿りながらミリュウの手元に収束し、刀身を再構成していく。一瞬の出来事といってもよかったが、ファリアの目は一連の光景を捉えている。
一見、ただの太刀に見えるミリュウの召喚武装も、やはり異世界の兵器だということがよくわかった。無数の破片に分かれた刀身は、そのまま飛び散るのではなく、一定の範囲で引かれ合っているように見えた。鞭のような軌道は、雑魚の群れを薙ぎ払うのに適している。
「なによその気の抜ける掛け声」
「渾身のラブフォーセツナが否決されたから、新しい名前、考えなくちゃいけないしー!」
「あのねえ」
ミリュウの反論にもならない反論に気が抜けるが、ファリアは、オーロラストームを連射してミリュウが撃ち漏らした皇魔を駆逐していった。雷撃の雨が、漏電しているブリークの頭蓋を貫き、胴体を撃ち抜く。小さな爆発が起き、肉片が舞う。
「さすがは武装召喚師。やることが派手よね」
「それはどうも」
見知らぬ女の声に適当な相槌を返しつつ、周囲の状況を確かめる。《獅子の尾》に下された命令は、要人の保護だ。近隣諸国からの招待客のうち、非戦闘員のほとんどは兵士に守られながら宮殿に逃げ込んだようだが、戦場と化した東門付近にむしろ突っ込んできた連中も少なからずいる。
人類の天敵たる皇魔の群れに進んで突っ込むような物好きの筆頭といえば、レオンガンドの実妹にしてルシオンの王子妃リノンクレアと、彼女の夫であるルシオンの王子ハルベルクだ。勇猛な女性だけで構成される白聖騎士隊の突撃が皇魔の布陣を突き崩したのは見事としか言いようがなく、ミリュウですら呆気に取られていた。
ルシオンの王子夫婦は、レオンガンドの側に到着すると、ジゼルコート・ラーズ=ケルンノールの兵とイシュゲル・ジゼル=レマニフラの兵とともに強固な防御陣形を構築した。そしてレオンガンドにはアーリアがいて、カイン=ヴィーヴルがいる。レオンガンドとナージュ、グレイシアが危険にさらされる可能性は極端に減った。
ベレル、アザーク、ジベルの王族は、皇魔が出現したことがわかると、兵士たちに守られながら王宮の中へ退避している。判断としてはなにひとつ間違ってはおらず、むしろ、ルシオンの王子夫妻が異常なのだが、どうやらふたりだけがおかしいわけではなかった。
ルシオンに続いて、アバードが参戦した。獣姫シーラ・レーウェ=アバードが武装した侍女たちとともに皇魔の群れに向かって進軍し、果敢に攻撃を始めたのだ。噂以上の暴れっぷりに、ファリアは開いた口が塞がらなかったが、シーラの戦いぶりだけに驚いている場合でもなかった。メレドからは、サリウス王の親衛隊のひとりが戦場に現れ、その可憐な容姿とは裏腹な苛烈極まる戦いを披露していた。そこへジベルの王子と死神たち、イシカの弓聖サラン=キルクレイドが続々と参戦、戦場は瞬く間に混沌と化していった。
「あたしたち、不要なんじゃ……?」
ミリュウの恐ろしい発言に、ファリアは眉を顰めた。実際問題、《獅子の尾》が参戦せずとも、なんとかなっていたのではないかと思わせるほどの有り様が、目の前で繰り広げられている。
最初、五百体以上の皇魔が東門付近に解き放たれた。皇魔は、一体で鍛えられた軍人数人分の力を発揮するといわれている。小型皇魔のブリークですら、単独で小隊くらいなら壊滅させるだけの力を持っている。王宮区画に現れた皇魔はブリークだけではない。ブラテール、グレスベル、レスベル、リョット。多種多様な皇魔が、周囲の人間に向かって見境なく襲いかかっており、多数の死傷者が出ている。
それでも、人間側が優勢なのは、明らかだった。
ルシオンの白聖騎士隊こそ積極的に参加してはいないものの、アバードの獣姫、ジベルの死神、イシカの弓聖、メレドの美少年だけで多大な戦果を上げていた。獣姫の斧槍が唸りを上げてレスベルを両断し、獅子面の死神の大鎌が小型皇魔を撫で斬りにし、狼面の死神の長棍がリョットを打ち据える。イシカの弓聖が斉射でグレスベルの群れの足を地面に縫い付けると、メレドの美少年が両手の剣でつぎつぎに切り刻んでいく。
各国の最高戦力が揃っているのだ。さもありなん、といったところだろう。
「だれもかれも人間を辞めているのかしら」
「あなたたちの隊長ほどじゃあなくてよ」
再び、茶々を入れてきた女の声に、ファリアは、なんらかの意図を感じ取った。そちらを見やる。獅子の仮面と黒衣を身につけた人物が、大鎌を振り回しながらこちらを見下ろしていた。小柄な人物だ。見下ろす形になっているのは、相手がリョットの死体を踏みつけているからにほかならない。
「ジベルの死神……」
「死神壱号よ、あたしはね。で、あそこでレスベルと力比べをしているのが、死神参号」
ファリアが獅子の仮面が鎌で指し示した方向に視線を向けた瞬間、彼女の視界を紅い影が過った。熱気を帯びた声が響く。
「ご丁寧にどうも!」
「ミリュウ!」
ファリアが叫んだのは、ミリュウが名称未定の召喚武装を死神壱号に叩きつけていたからだ。死神壱号は、召喚武装の一撃を恐れたのか、後方に飛んでいる。ミリュウの斬撃はリョットの亡骸を無残に打ち砕いただけだ。死神があきれたようにいった。
「この状況で襲いかかる? 普通。外交問題に発展するわよ」
「あたしのセツナに夜襲しかけておいてよくいえたものね」
ミリュウは一撃だけで気が済んだのか、リョットから刀身を引き抜くと、死神に襲いかかる気配は見せなかった。ファリアはほっとしたが、あとで叱らなければならないと思ったりもした。死神壱号の言う通り、国際問題にも発展しかねない。
「あなたのものじゃあないでしょ? 少なくとも、セツナ様には奥方も恋人もいらっしゃらないらしいじゃない」
「これからそうなるのよ!」
「あなたの勝手な思い込みよね、それ」
「うっさい!」
「あはは、モテるのも考えものね。あなたみたいのが湧く可能性もあるし。かわいそうなセツナ様」
「……」
ミリュウは、死神壱号の挑発的な言葉に殺気を発したものの、なにも言い返さなかった。ファリアの視線に気づいたのかもしれないし、それ以外のなにかが、彼女の行動を抑えたのかもしれない。ミリュウは子供っぽいところが多いが、必ずしもそれだけではなかった。歳相応に成熟した部分もあり、そこが彼女の不思議な魅力になっている。
ファリアは、そんな彼女が無言のままこちらに向かって歩いてくるのを見て、どう声をかけていいものかと思った。彼女の目は敵を捉え、手はオーロラストームの射線を動かし、意識は雷撃の発射を命じている。紫電が走り、美少年に襲いかかったブラテールの背骨を破壊した。
「ミリュウ?」
「死神女の相手は後よ。いまは皇魔の殲滅が先」
「わかってるじゃない」
「うん。わかってる。わかってるわ」
ミリュウは、真紅の太刀を握り直しながら、低く、囁くようにいった。
「あたしなんて、セツナにとっては不要な存在だってことくらい。それでも、あたしにはセツナしかないのよ。セツナしか、いないのよ」
深刻な表情だった。思いつめているのがわかる。死神壱号の発言が彼女の思考に暗い影を落としたのは間違いないが、当の死神壱号は、ミリュウの反応が気に食わなかったのか、ファリアの視界から消え失せていた。皇魔退治に向かったのだろう。
ファリアは、周囲に皇魔がいなくなったことを把握してから、ミリュウに向き直った。
「わたしもいるわよ」
「……うーん、こういうときに期待するのはさ、セツナの抱擁なんだけど」
「あなたねえ……」
ファリアは脱力しながらも、彼女が深く落ち込んでいるわけではないことにほっとしたのだった。