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第五百六十八話 血と魂(十六)

「陛下と妃殿下の登場まで、もうしばらくお待ちください!」

 警備隊の必死の叫び声も、東門前の騒々しさを鎮めるには至らないほどの混乱があった。

 予期せぬ事態に観衆は口々に憶測を並べ立て、都市警備隊や軍の兵士たちまで何事かと疑問符を浮かべる。王宮警護ですら浮足立つ中、《獅子の牙》と《獅子の爪》の隊士たちだけは、平静を装うことに成功していた。中でも獅騎のふたりは、極めて冷静に状況を見ることができていた。もちろん、レオンガンドの側近も冷静さを失ってはいないのだが、ふたりの獅騎よりも精神的余裕がなさそうだった。

 不測の事態が起きている。

 ついさっきまで開放されていた東門が、前触れもなく閉ざされたのだ。門はそのまま微動だにしなくなってしまい、予定されていたレオンガンドとナージュの観衆への挨拶ができなくなってしまったどころか、王宮区画内部との連絡さえ取れなくなったのだ。観衆がざわつくのは当然だったし、警備員たちが首を傾げるのも自然なことだ。

 当初は、ラクサス・ザナフ=バルガザールでさえ驚いたものだ。しかし、門が閉じてしまう前に王宮区画に戻るという選択肢を取ることはできなかった。彼一人ならば戻ることもできたが、ラクサスには部下がいて、彼らを指揮する立場にある以上、己の判断だけでその場を離れることはできない。そして、部下に命令してからでは間に合わない。

 なにより、王宮に戻ったからといって、その状況に対応できるのか、という問題もある。それに王宮区画内の防衛に関しては、《獅子の牙》が干渉するまでもないくらいに完璧だった。

《獅子の尾》がその目を光らせている限り、レオンガンドやナージュの身は安全だ。少なくとも、《獅子の牙》、《獅子の爪》よりも遥かに凶悪な部隊なのだ。王宮区画内の防衛は、彼らだけで事足りる。

 問題があるとすれば、この状況下で王宮区画外で非常事態が起きた場合、《獅子の尾》の援護を期待できないということだ。

「内部でなにが起こっているにせよ、我々はここを死守しなければならない」

「まあ、お偉方が狙われる可能性もありますか」

 リューグのつぶやきにラクサスは小さく頷いた。レオンガンドの四人の腹心のうち、三人が《獅子の牙》と《獅子の爪》に守られるように立っている。ケリウス=マグナート、スレイン=ストール、ゼフィル=マルディーンらは、レオンガンドの四友に数えられる。四友はレオンガンドの子供の頃の遊び友達であったり、レオンガンドが“うつけ”であったころに見つけてきた人物であったり、その始まりはそれぞれだったが、現在のガンディアの中枢を構築する重大な要素であることに違いはなかった。

 最近になってエリウス=ログナーが四友に次ぐ立ち位置に入ってきたようだが、四友の立場が揺らぐことはなさそうだった。レオンガンドは、四人の腹心を自分の分身のように思っているらしいのだ。そこに食い込むことは簡単なことではあるまい。

 四友は政治に関わっているだけでなく、軍事にも口出しすることが許されている。王立親衛隊の人事に関しても、四友の意向を汲んでいるようだった。クロウ家のミシェルが《獅子の爪》隊長に選ばれたのも、太后派に属するラファエル=クロウへの牽制という面があるのではないか。もちろん、ミシェルほど、《獅子の爪》隊長に相応しい実力、人格の持ち主はほかにいないのだが。

 つまるところ、ラクサスたちが護っている三人は、現在のガンディアにとってなくてはならない重要人物なのだ。

 なんとしてでも守りぬかなければならなかった。


「あなたがカイン」

 囁くような甘い声が、耳朶を噛むかのように聞こえた。

「それがなにか?」

 カイン=ヴィーヴルは、遥か前方の戦場に視線を固定したまま、声に問い返した。声の主がなにものなのか、彼は知っている。レオンガンドに影のように付き従う女だ。名はアーリア。カインを支配するウルの実の姉であり、ウルともども外法機関の研究によって異能を身につけているらしい。アーリアの異能について詳しくは知らないが、少なくとも視界から消滅することができるようだ。もっとも、彼女が鉄糸を振り回すときは、その消滅能力を行使することはできないようだが。

「最近、妹があなたの話題ばかりなの。困ったわ」

 アーリアが心底困ったように息をついた。カインは、その言葉の意味が理解できず、きょとんとした。しばらくして、把握する。

「ウルが?」

「そ。ウルってば、わたしよりもあなたに夢中らしくて」

「馬鹿げたことを」

「そうね。本当に馬鹿げているわ」

 カインの背後に立っていたらしいアーリアが地面を蹴りつけた。空中高く飛び上がる脚力は、それだけで人間離れしているのだが、両手から放つ無数の鉄線を自由自在に操る技も超人的だった。空中から降り注ぐ無数の鉄線が、レオンガンドを中心に鋼鉄の結界を構築する。結界は、ナージュやグレイシアも包み込んでいて、カインは蚊帳の外だった。つぎの瞬間、十数本の矢がレオンガンドに殺到したが、鋼鉄の檻の阻まれる。

「つぎはあなたよね?」

「そうだな」

 そんな返事こそしたものの、カインは既に動いていた。ふたつの召喚武装を身につけたことによって異様なほどに強化された感覚が、矢の軌道を辿り、射手の居場所を明らかにしていた。彼は、そこに向かって飛んでいた。ドラゴンスケイルの尾で地面を叩き、破壊し、反動で跳躍力を得たのだ。

 射手たちは、初弾がアーリアに防がれたことを知ってか知らずか、第二射を放ってきた。またしても十数本の矢が、今度はカインに迫る。矢の軌道を辿ったのだ。射線が同じなら、カインに殺到するのは当然だ。彼は、中空、左腕で虚空を薙ぎ払うようにした。視界がたわんだ次の瞬間、眼前に迫っていた矢の尽くがひしゃげ、吹き飛んでいった。つぎに視界に飛び込んでくるのは、無数の木々だ。王家の森への突入とともに着地した彼は、左手を地面に叩きつけた。力を放つ。衝撃が大地を震わせ、木々が激しく揺れた。ドラゴンクロウの能力は単純故に強力だ。

「なっ!?」

「ひぃ!?」

 いくつもの悲鳴とともに、森の木々に登り、身を隠していた射手たちが落下してきた。目の前に三人、左に二人、右に四人、奥に五人。そのほとんどが落下の衝撃で身動きが取れない様子だった。中にはすぐさま立ち上がり、カインに弓を向けてきたものもいるが、カインの異容を目の当たりにした途端、及び腰になっていた。

(ひとりで十分か)

 カインは、まず目の前の男をドラゴンクロウで握り潰すと、その場にいた暗殺者たちを殺戮した。背後関係の調査のためにとひとりだけを生かしたものの、カインの目の前で自害している。

 カインがそのことをレオンガンドに報告すると、彼は、忠誠心の強い連中だったのだろうとしかいわなかった。この状況でレオンガンドを暗殺しようとするのは、この状況を作り上げたものしか考えられない、というのもあるだろう。クルセルクと共謀し、皇魔を王宮にばら撒いた連中。カインの脳裏に浮かぶのは、ラインス一派の顔だけだが、レオンガンドを殺したいものなど、数えきれないほどいるだろう。

 しかし、その中でも、クルセルクを動かせるものは限られている。

(やはり、ラインスかな)

 皇魔が放たれた直後、ラインス一派が脇目もふらず宮殿のほうへ逃げたのは、カインの知るところだ。もちろん、非戦闘員である彼らがこの場に残っても邪魔なだけなのは間違いないし、宮殿へ逃げこむのは正しいのだが。

 そんなことを考えていると、不意にアーリアが近寄ってきた。鉄糸の檻はとっくに解かれている。

「ウルのこと、傷つけちゃ駄目よ」

「わけのわからぬことを」

「……あなたほど面白みのない男もめずらしいわね。からかいがいもないわ」

「悪かったな」

「これなら陛下と遊んでいる方が有意義ね」

 そういって、アーリアはカインの視界から消えた。姿そのものが消滅し、気配も、呼吸音も、体臭さえ、捉えられなくなる。召喚武装をふたつ装備していても捕捉できないのだ。それは異常なことだった。

 アーリアが移動した痕跡さえ、世界に残らない。人間に限らず、ものが動けば、空気に揺らぎが生じるはずだ。その微妙な揺らぎさえ捉えられるのが、いまのカインだ。ドラゴンクロウとドラゴンスケイルによる感覚強化。五感は何倍も引き上げられ、遥か先の戦場の駆け引きも手に取るようにわかる。黒き矛の苛烈な戦い振りも、彼を取り巻くふたりの女の戦いも、獣姫の躍動も、死神たちの死の舞も、カインの五感を刺激してやまなかった。

 それなのに、アーリアだけは捉えられない。

(これがアーリアの異能か)

 ウルにしてもそうだが、外法機関とやらはとんでもない化け物を生み出してしまったらしい。

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