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第五百六十七話 血と魂(十五)

「なぜ?」

 ルウファは、ラファエル=クロウが掲げる魔晶灯の凍てついたような光に目を細めた。光源の後ろには、ラファエルやその仲間たちが頭目と仰ぐラインス=アンスリウスの姿がある。ガンディアの貴族の中でも有数の名家であるアンスリウス家の当主は、予期せぬ事態に混乱しているように見えた。それは、彼の周囲の貴族や軍人も同じだ。バルガザール家の次男であるルウファにしてみれば、だれもかれも知った顔ではあった。

 ラインスの一党は、かつては太后派としてガンディアを二分した勢力である。その本質が反レオンガンド主義であるのはだれもが知るところであり、太后派に与した貴族や軍人のほとんどは、太后を傘にすることで、公然とレオンガンド批判を行ってきたような連中だった。同情する価値も、そのような余地もない。

 ラインスを含めて十数人が、この場にいた。太后派の最盛期とは比較にならないほどの少なさだが、ラインスの凋落を考えれば、多い方といってもいいのかもしれなかった。ラインス=アンスリウスは、後宮への出入りが禁止されたことで、太后グレイシアの名を掲げることができなくなったのだ。それは求心力の低下に繋がり、太后派は瞬く間に瓦解した。ラインスと直接繋がっていた連中は、そのままラインスの側に残り続けたが、太后の威光に眩み、追従していたものたちは、レオンガンド派に鞍替えするか、中立派に戻っていった。

 それで、すべてが丸く収まればよかったのだ。

 ラインス一党がくだらぬ野心を抱かず、ガンディアの一貴族として振る舞うだけならば、政治家として職務をまっとうするだけならば、なんの問題もなかった。

 彼らがレオンガンドへの叛意さえ抱かなければ、その命を奪わなければならないという結論には至らなかったはずだ。

「答えなくとも、わかるはずですよ」

「わたしを暗殺するつもりか! バルガザールの息子が!? なぜだ!?」

「そこまで答えなければ、わかりませんか」

 あきれたような声は、ルウファの背後からだった。ナーレス=ラグナホルンだ。地下空間に響く靴音は二種類。ナーレスと、オーギュスト=サンシアンが、こちらに近づいてきている。

「ナーレス……貴様か!」

「ええ、わたしですよ、ラインス様」

 激昂するラインスとは対照的に、ナーレスは慇懃な態度を崩さなかった。

「どういうつもりだ……なにを考えている!」

「ラインス一党の排除。ただそれだけのことですよ」

 ナーレスの返答は、死の宣告以外のなにものでもない。

「馬鹿な!?」

 ラインスが取り乱しながら、一歩、前に進む。魔晶灯でこちらを照らすラファエルの手が震えていた。彼も愕然としていたし、ほかの貴族や軍人たちも驚きと恐怖を隠さなかった。ナーレスの声音は、真に迫っている。とても冗談には聞こえなかったし、そのような冗談をいう男ではないということは、彼らもよく知っているのだろう。

「そんなことをして、ただで済むと思っているのか……! ナーレス=ラグナホルン!」

「ラインス=アンスリウスとその一派は、王宮地下に逃げ込んだが、皇魔に追い詰められ、ばらばらにされて死んだ――そう、報告すればいいだけのことです。数日前に用意した皇魔の死体は臭いますが、だれも気づかないでしょう。気づいたところで、真実を解明する気にはなりますまい。あなたがたが死ねば、陛下に仇なすものはいなくなる」

 地下空間に漂う異臭の正体が、ナーレスの言及にあった皇魔の死体だ。死体は、ルウファたちの後方に転がっているのだが、ラインスたちは気づいていないようだった。気づいたとしても、ルウファの存在に注目せざるを得ないというべきか。そして、ナーレスが登場したのだ。皇魔の死体よりも、ナーレスに意識を向けるしかない。

「レオンガンド……そうか、レオンガンドの指図か! わたしを殺し、ガンディアを意のままにしようというのだな!?」

「王が国を意のままにして、なにが悪いというのです」

「その結果、滅んだとしてもか!?」

「滅びを招き入れたのは、ラインス様、あなたでしょう。クルセルクと共謀し、皇魔を王宮に放つなど、正気の沙汰ではない。国のことなど、どうでもよいという表れとしか考えられない」

「はっ! ガンディアを蝕む病巣たるレオンガンドを排除するためだ! 毒を制するために毒を用いただけのことよ! どこに問題があるというのだ!」

「なにもかも、問題だらけでしょうに」

 オーギュストが嘆息とともにつぶやく。

「陛下を病巣と断ずる時点で間違っている、ということですよ。陛下でなければ、ガンディアはここまで急速に大きくなることはなかった。これほどの速度での拡大は、シウスクラウド様にも成し得なかったでしょう」

 先王の信者といっても過言ではないナーレスの言葉だ。真に迫るものがあったし、感慨深いものでもあった。ルウファは、ナーレスがそこまでレオンガンドを評価しているとは思っていなかったのだ。

「その拡大主義が、ガンディアに破滅をもたらすとなぜ気づかない!」

「座して死を待つよりも、前に進むことを選択した。ただそれだけのことですよ。そして、陛下の慈悲を無下にしたあなたを裁くのは、当然のことだ」

「慈悲だと!?」

「そうでしょう。陛下は、セツナ伯暗殺事件の黒幕がラインス様だということを知っておられた。力ずくであなたを断罪することもできたのに、それをなさらなかった。慈悲としかいいようがありますまい」

「くだらぬことを……。ただの甘さではないか! 己の身内に手をかけられぬという甘さが、このような事態を招いたのだと、なぜ気づかぬ?」

「気づいていたから、手を下すのでしょう。あなたを早急に滅ぼさなければ、取り返しの付かないことになりかねない」

「……もう遅い。あれだけの皇魔が相手では、さしもの《獅子の尾》も、その力を活かしきるまえに決着がつこう。レオンガンドは死ぬのだ」

「黙れ」

 いってから、ルウファは自分が口を開いたのだということに気づいた。

「っ!?」

「あなたにはわからないんだ。俺たち、《獅子の尾》がどれだけの死線をくぐり抜けてきたのか。どれほどの強敵と戦い、どれほどの数の敵を倒してきたのか、王宮でふんぞり返っているだけのあなたには、わからないんだ」

「それがどうした! わたしはラインス=アンスリウスだぞ! アンスリウス家の当主であり、ガンディア貴族の頂点に君臨するわたしが、なぜ、貴様らと同列に並べられなければならないのだ! 貴様らは前線で敵と戦う! 我々は後方で政を行う! それが国家のあるべき姿ではないのか!」

「ならばこそ、俺はあなたの在りようを問う」

「なに!?」

「俺も皆も隊長も、この国のために戦っている。血を流し、魂を燃やしている。大将軍から一兵卒に至るまでの誰もが、だ。その中でも、隊長は、セツナは、彼は、だれよりも過酷な戦いを強いられ、それでも文句ひとついわず、戦い抜いてきた。ときには血反吐を吐きながら、苦しみながら、それでも打ち勝ってきたんだ。ガンディアがこうして勝ち抜いてこられたのは、セツナのそうした戦いがあったからだ。なのに、あなたはセツナの想いを踏みにじった」

 晩餐会の夜のことが、つい昨日の出来事のように脳裏に浮かぶ。オーギュストの警告から王宮内でセツナを発見するまで、ルウファは気が気ではなかった。

「セツナを手に掛けようとした。殺そうとした」

 そして、女に殺されそうになっていたセツナを発見したとき、ルウファは、いままで感じたことのない怒りを覚えた。その女に対しても、セツナを殺そうとした意志に対しても、無力な自分に対しても。

 そのときを境に、耳鳴りが強くなった。

「俺はあなたを許さない」

 ルウファは、ラインスを見据えた。アンスリウス家の当主にして、ガンディア貴族の重鎮中の重鎮である男は、この状況にあってもなお、尊大な態度を崩さなかった。取り乱したのは一瞬だけで、既に冷静さを取り戻している。さすが、といったところだろう。

「……貴様に許しを請ういわれはないな。わたしは暗殺になど関わってはいないのだ。ここにいるもの全員、セツナ伯の暗殺未遂事件とは無関係なのだよ。それに、血を流し、魂を燃やしているだと? 我々とて、国のために魂を燃やしている! 血を流す覚悟だってあるのだ」

 ラインスは、ルウファを相手にして余裕を取り戻したのか、毅然とした態度で言い放ってきた。しかし、ラインスの戯言がルウファの心に響くはずもない。オーギュストの証言がある。ラインスがセツナ暗殺計画を立案し、実行に移したのは、疑いようがなかった。

「ならば、あなたも血を流すべきだ。策謀に失敗したのならば、なおさら」

 ルウファは、シルフィードフェザーを展開した。白衣が一対の翼に変化し、抜け落ちた羽が視界を彩る。だれかが引き攣ったような声を上げた。

「……ふざけるな」

 ラインスは叫び、こちらに背を向けた。来た道を引き返そうというのだろう。ラファエルがそれに続く。魔晶灯の光が地下室の出入口を照らしだす。出入口の扉は閉じられ、その前をゼイン=マルディーンと彼の私兵が塞いでいた。

「ゼイン、貴様……!?」

「我々を売ったか!」

「……売国奴には相応しき末路でしょう」

 ゼインは、ただそれだけを告げた。冷ややかな目に感情らしいものはなかった。ただ、魔晶灯の光を反射する瞳に、激昂するラインスの顔と絶望的なラファエルの顔が映り込んでいて、その首が胴体から切り離される瞬間を、ルウファは見逃さなかった。

 ルウファが、ラインスたちを瞬く間に斬殺したのだ。

 シルフィードフェザーがラインスの一党をばらばらに切り刻み、大量の血が雨のように降り注ぎ、霧のように地下空間を満たした。

 むせ返るような血の臭いの中で、ルウファは、自分の手が穢れていくのを感じた。暗殺に手を染めたのだ。目の前に横たわるのは闇の道であり、もはや正道に戻ることは不可能なのかもしれない、とも思った。しかし、これでいい、とも考える。

 自分がやらなければ、セツナがやることになっていた可能性が高いのだ。ナーレスは、そのような素振りを見せていた。ルウファを引き込むための方便かもしれないが、手段を選ばないナーレスのことだ。本当にセツナを使っていたかもしれない。

(俺で良かった)

 汚れ役までセツナに押し付けるなど、ふざけている。

「時間があればよかった。時間があれば、あなたを生かしていく方法も考えたでしょう。あなたの存在を国のために利用する方策を考え出したでしょう。しかし、わたしには時間がない。この国……いや、小国家群に残された時間も不透明だ」

 三大勢力が動き出すまでに、大陸小国家群の統一を果たさなければならない。それはルウファにだって理解できることだ。三大勢力が動き出せば、なにもかも終わりだ。ご破算になる。セツナが流してきた血の意味もなくなる。

「……なにもかも片付きましたな」

 そういったのは、ゼインである。

「ええ。おかげさまで」

「なに、当然のことをしたまで」

 ゼイン=マルディーンが、表情を歪めた。

 ゼイン=マルディーンは、ラインスの一党に属していた。ラインスの右腕と目されるほど、ラインスと関わりが深く、ラインスに信頼されてもいた。政治家としての手腕も確かなものであり、ラインスやラファエルともども、反レオンガンド派なのが惜しい、といわれる人物のひとりだった。その彼がレオンガンド派に通じたのは、太后がレオンガンドの手に落ちてからのようだ。

 もっとも、彼が本格的にラインスを見限ったのは、クルセルクと共謀し、王宮に皇魔を放つという計画を考えだしてからのようだが。

 売国奴とは、そのことをいっていたに違いない。

「ところで、わたしの席はどうなりますかな? ゼフィルと同列……などとはいいますまいが、それなりの見返りはいただけるのでしょう?」

「もちろん、この働きに見合った席を用意していますよ」

 ナーレスは軽々しくいったが、彼のルウファを見る目は、ただただ冷たい。

「ほう。それは楽しみだ」

「ええ……存分に楽しんでください。地獄で」

「は?」

 ゼインが疑問を口にしたときには、彼の首は胴体を離れていた。血を吹き出しながら宙を舞う頭部は、なにが起こったのか理解できないとでも言いたげな表情を浮かべていた。

 死んだのは、ゼインだけではない。彼の私兵たちも、急所を羽弾で貫かれ、絶命している。

 ゼインの暗殺も、当初の予定通りだった。ラインスの一党を殲滅するのが、この結婚式の混乱を利用したナーレスの策謀のすべてだ。

 ナーレスは最初から、王宮全体を巻き込むような混乱を起こすつもりだった。結婚式を中断しなければならないほどの騒ぎの中でなければ、ラインスの一党を事故に見せかけて殺すことは難しい。そのために主君の結婚式が血塗られたものになっても、仕方のないことだ、と彼は判断した。どうせ、血塗られた道を往くのだ。結婚式が血に塗れ、呪われようとも、レオンガンドの歩みを止めるものを滅ぼすほうが重大事であろう。

 ルウファは、ナーレスの考えに賛同し、ラインス一派の暗殺計画に没頭した。セツナを暗殺しようとした連中を暗殺するのだ。皮肉だが、自分にしかできないことだと、彼は思った。

「マルディーン家の当主には、ゼフィル殿になっていただくのでね」

「ゼイン殿を殺したのは、それが理由ですか?」

「ほかに理由が必要かな」

「いえ」

 オーギュストが言葉を引っ込めると、ナーレスはこちらに視線を向けた。軍師の目は、ときに幾多の死線を潜り抜けてきた猛者よりも鋭い。

「ルウファ殿、見事でした」

「これほど褒められても嬉しくないのも、めずらしいですよ」

「まあ、そうでしょう。しかし、早く戻らないと、隊長に怒られるのでは?」

「隊長はともかく、隊長補佐と隊士に怒られますね」

 ルウファは、少しだけ笑った。嬉しくもなんともないが、悲しいわけでもない。だれかがやらなければならないことをやっただけだ。この国から病巣を取り除くには、だれかが手を汚さなければならなかったのだ。ナーレス、オーギュスト、そしてルウファ。たった三人でラインス派を根絶できたのだ。それで十分ではないか。

(これでいい……これでよかったんだ)

 言い聞かせるようにつぶやいたとき、彼は、耳鳴りが聞こえなくなっていることに気づいた。

(ああ……そういうことか……)

 ルウファは、シルフィードフェザーの意思を実感した。

 それは確かに生きている。

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