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第五百六十五話 血と魂(十三)

「へっ、ちょうど退屈していたところだ。皇魔だろうがなんだろうが、相手になってやるぜ!」

「姫様、なにを考えておられるのですか!?」

「だから、皇魔退治に洒落込もうっていってんだろ!」

 シーラが右手を掲げると、侍女のひとりが彼女の斧槍を差し出してきた。シーラの侍女団に属するものは基本的に武術の心得があり、重量のある武器も軽々と扱うことができる。もちろん、シーラよりも筋力のある侍女もいれば、歴戦の猛者もいた。ウェリスも剣術の使い手ではあったが、実戦経験はほとんどなく、戦力には数えられなかった。

「そんな真似はおやめくださいと何度いったら……!」

「わからねえって。俺は俺だからな。獣姫は戦場で暴れることにしか興味がないのさ」

 斧槍を手に取ると、柄の感触が手に馴染んだ。愛用の武器なのだ。馴染むのも当然だった。軽く振り回して、その重量を再確認するうちに意識が肥大するような錯覚に襲われる。いつものことだ。そして、それは彼女の闘争本能を猛烈に刺激するのだ。

 斧槍には、ハートオブビーストという大仰な名が有った。獣の装飾が施された斧槍に相応しい名ではあったが、その名が示すのは外見などではない。

「もう、諦めなよ」

「そうそう、シーラ様は一度言い出したら聞かないんだから」

「特に戦いに関しては、ね」

「よくわかってるな、おまえら」

 ウェリスを宥めるようでいてどこか突き放すような侍女たちの発言に、シーラは笑みを浮かべた。侍女たちもそれぞれに得物を取り出している。片手剣を手にするもの、弓を持つもの、槍を装備するもの――得意とする武器はひとぞれぞれだ。

「姫様とどれだけの戦場を駆け抜けてきたと思ってるんです?」

「数えきれねえな」

 シーラは、侍女のひとりに笑い返すと、ウェリスに視線を戻した。彼女はいつの間にかその場にへたり込んでいる。

「そういうことだ、ウェリス。小言は国に帰ってから聞くからよ、いまは目ぇ瞑っててくれ」

「……はあ」

 ウェリスの溜息は、自分の使命を全うできないことに対する深い悔恨なのだろうが。

 シーラはウェリスの肩をぽんと叩くと、彼女の脇をすり抜けるようにして前進した。戦場は前方にある。人間と皇魔の戦いは、既に激化の一途を辿っており、獣姫の参戦をいまかいまかと待ち望んでいるようにも思えた。

「行くぜ!」

『おおーっ!』

 シーラの号令に、侍女団が異口同音の掛け声を発した。素晴らしい結婚式で高揚していた気分が、さらに高まっていく。

 皇魔から感じる根源的な恐怖に打ち勝つには十分すぎる高まりの中で、彼女は、吼えた。

 獣姫の名のままに。



「義兄上の結婚式をこのような形で穢すとはな……。クルセルクよ、いまこの時を持ってルシオンの敵となったこと、後悔するがいい」

 ハルベルク・レイ=ルシオンは、王宮区画内に出現した皇魔の群れを見遣りながら、結婚式さえも無事に終わらせることができないレオンガンドの心中を想った。思えば、レオンガンドの人生はそういった妨害の連続だったのではないか。

 目標とするべきシウスクラウドは早々に病に倒れ、悠々たる王子としての生き方も許されず、父の死を悲しむ暇さえ奪われ、ザルワーン戦争の勝利の余韻さえも失われた。それでも立ち上がり、勝利してきたのがレオンガンドなのだが、だからといってこの状況を看過できるようなハルベルクでもない。

 ハルベルクは、長剣を腰に帯びると、愛する妻を振り返った。リノンクレアは、ハルベルク以上に怒りを覚えているはずだった。彼女は兄レオンガンドを愛することこの上ない。ナージュに軽い嫉妬を覚えているような素振りを見せるほどだ。その最愛の兄の晴れ舞台をこのような形で台無しにされるなど、許しがたいことに違いなかった。

「リノンクレア、白聖騎士隊とともに戦場を駆け抜けるぞ。義兄上の下に馳せ参じ、我らルシオンこそガンディア第一の同盟国であることを知らしめるのだ」

「はいっ!」

 リノンクレアが威勢良く頷く。彼女も手に剣を握っている。

(しかし……問題は、クルセルク単独ではこのようなことはできないだろうということだ。なにものかが手引したのは間違いない。ラインス一派の仕業か?)

 白聖騎士隊に属する女騎士たちとともに前進しながら、ハルベルクは思考を巡らせる。ルシオンはガンディアの同盟国であり、彼の妻は元々ガンディアの王女だったのだ。彼がガンディアの内情に精通しているのは当たり前のことだった。もっとも、ガンディアがレオンガンド派と太后派で派閥争いをしているというのは、彼がリノンクレアを妃として迎え入れる前から知っていたことではあったが。

 太后派の音頭を取っているのがラインス=アンスリウスだということも知っている。ガンディアの有力貴族であるアンスリウス家の当主がレオンガンドの政敵として派閥を率いているという状況は、リノンクレアにとっても苦々しいものではあったようだ。ラインスは一時期、レオンガンドを廃嫡し、リノンクレアを女王に据えようと運動していたことも、彼女には許せないことだったのだろう。

 リノンクレアは、レオンガンドに崇拝に近い感情を抱いている。どのような理由があれ、レオンガンドを否定するものは許せないのが、彼女なのだ。

 隣を進む妻の横顔は凛々しく、研ぎ澄まされた刃のようだ。戦場にあれば一振りの剣となり、王宮にあれば一輪の花となる。ハルベルクはそういう彼女を心の底から愛していたし、だからこそ、彼女の感情も理解しようとしている。

 そして、彼女のラインス一派への怒りは理解できていた。

 そもそも、ハルベルクもレオンガンド信者といってもいいのだ。レオンガンドの足を引っ張ることしか考えていない連中など、どれだけ有能で、どれだけ権勢を誇っていたとしても、認められるはずがなかった。

 ラインスが実妹である太后グレイシアの威光を利用しだしたことも、気に入らなかった。太后グレイシアは、リノンクレアの実の母親であるが、ハルベルクも、本当の母親のように接してくれる彼女を女神のように仰いでいた。故に、ラインスら太后派の跳梁を許すレオンガンドの政治姿勢に納得できなかったものだが、太后派が太后派ではなくなったいまとなってはどうでもいい話だ。

 が、凋落の一途をたどるラインスにとっては、どうでもいい話などではあるまい。彼は、太后を奪われたことを恨んでいるかもしれないし、その感情の矛先をレオンガンドに向けるのは、火を見るより明らかだ。それでも彼の政治力、手腕を買い、手元に置いておくのがレオンガンドのやり方だったようだが、その結果、魔王の手先を王宮に解き放つことになったのだとしたら、決して褒められたものではあるまい。

(だとしても……どうやってここまで運んできた? ほかに協力者がいるのか……?)

 ハルベルクは、皇魔が潜んでいた箱のことをいっている。あれほど巨大な構造物を、だれにも見つからず、クルセルクからガンディオンまで運搬することなど不可能といっていい。クルセルクからガンディアに至るには、いくつもの国境を越えなければならない。クルセルクからザルワーン方面に抜けるのならば、国境はひとつで済むが、ザルワーン方面軍が怪しまないはずがなかった。クルセルク王ユベルからの結婚祝いだからといって、内容物のわからないものをこの王都まで運ばせるはずがないのだ。

 送り主は魔王なのだ。なにが入っているのかわかったものではない。

 では、別の経路でこの王都まで移送したと考えるのが筋だが、クルセルクからガンディオンに至るまでに通過しなければならない国のうち、ガンディアに隣接した国々はほとんどが結婚式に参加しており、自国からの参加者に被害が及ぶかもしれないような策謀に手を貸すとは考えにくかった。

(では……だれが……?)

「殿下!」

 鋭い呼び声に我に返ると、眼前に皇魔ブラテールが飛び込んできたところだった。気合とともに長剣を振り抜き、ブラテールの頭部外骨格に叩き付ける。骸装の魔狼は、奇怪な悲鳴を上げながら飛び退くと、ハルベルクを標的と定めたのか低く唸った。皇魔の声を聞いて全身が泡立つのは、自分が人間である証明なのだと、歯噛みする。

「敵は皇魔。だが、怯んではならぬ。ここにルシオンの武名を示すのだ!」

 リノンクレアが軍神のように叫ぶと、白聖騎士隊が追随するように吼えた。


「皇魔だと!?」

 人類の天敵が発する不協和音よりも余程神経を逆撫でにする不快な音は、彼女の主君から発せられた。アルジュ・レイ=ジベルが、小柄な体を細かく震わせているため、余計に小さく見えた。少なくともレムよりは上背があるはずなのだが。

 恐慌状態に陥りかけているアルジュに対して、彼の息子であるセルジュ王子は冷静な態度を崩さなかった。

「クルセルクからの贈り物の中から出現したようですね」

「クルセルク……魔王の仕業か!?」

「それ以外には考えられません。しかし、中身を確認しなかったガンディアの落ち度も中々のもの」

「単純に開かなかったんじゃないの? あたしなんて、ただの置物かと思ってたもの」

 レムはカナギの耳元で囁くようにいった。カナギもレムも、死神部隊の証といってもいい仮面を被り、漆黒の装束を身につけている。緊急事態だ。呑気に通常人を演じている場合ではなかった。

「そうね」

「くっ……ガンディアには後で抗議するとしてだ、我々はこの場からの脱出を再優先にしなければなるまい!」

 アルジュは、目を血走らせながらいった。突如出現した皇魔の群れに対する恐怖からか、冷静さを欠いているように見受けられた。とはいえ、死神部隊は王命で動くものであり、アルジュが王宮区画からの離脱を優先するのならば、そのように動かなければならない。

「ジベルの武名、響かせるのはいましかありませんよ」

「なにをいっている!? 血迷ったか……!?」

「父上、周りをご覧ください。ルシオンも、ミオンも、メレドも、アバードも……自国の力で皇魔の群れとの戦いを始めています」

 セルジュ王子のいうことに間違いはなかった。奇妙な箱から出現した皇魔の群れに対して、各国が持ち込んでいた戦力が立ち向かっているのだ。ガンディアは王立親衛隊《獅子の尾》がその猛威を振るい、ルシオンは白聖騎士隊、ミオンは突撃将軍とその供回りが槍を振り回している。アバードの獣姫が吼え猛れば、メレドの少年兵が超人的な動きで皇魔を翻弄する。

 血が、たぎる。

 もっとも、アルジュは、セルジュの発言が理解できなかったようだが。

「それがどうした!? 彼らには彼らの生き方があるのだ。我々まで、その愚かな生き方に追従する必要はない!」

「父上!」

 セルジュは、アルジュの言動こそ理解できないとでも言いたげに、腰に帯びていた剣を抜いた。アルジュがぎょっとしたのは、彼の小心がなせるものだ。いかな状況といえば、セルジュがアルジュを害するなどあり得ないのだが。

「わたくしは、ジベルの王子として、ここで戦いますよ!」

「……勝手にしろ!」

 アルジュは、付き合いきれないとでもいいたげに叫ぶと、セルジュを残して宮殿に向かった。近衛兵が彼に続く。王宮区画から離脱するにしても、宮殿の控室に荷物を取りに戻らなければならない。

「やーな感じ」

「父上は臆病者だからね。仕方がないさ」

 セルジュは、父であるアルジュへの軽侮を隠さなかった。

「その点、殿下は蛮勇であらせられる」

 そういったのはゴーシュ・フォーン=メーベルこと死神肆号だ。おどろおどろしい鷹の仮面を被っていても、口の軽さは変わらないのだから、死神の威厳もなにもあったものではない。

「……褒めているのかい?」

「さて……。しかし、陛下の身辺警護にも人数が必要でしょうな。俺が行きますか」

「それなら、わたしも行くわ。陛下が心配」

「ありがとう。父上のこと、よろしく頼む」

「感謝されるいわれはないんですがね。我々はジベルなくしては生きてはいけぬ身。国王を護るのは、当然のこと」

「そういうこと……」

 死神弐号ことカナギは、ゴーシュとともに宮殿に向かって走っていった。靴音ひとつ立てずに走り去っていくのは、さすがは死神といったところだろうか。

「はは、さすがは死神部隊。君たちこそ、ジベルの希望だ」

(希望?)

 レムは、心の底で、王子の甘さを嘲笑った。

(あたしたちには絶望しかないってのに)

 だが一方で、この場で戦うことを選択した彼には、感謝するしかなかった。この血みどろの戦場には、本物の死神が舞い踊っているのだ。

 黒き矛のセツナ。

 幾多の死を見てきた彼がなぜ絶望していないのか。

 レムの興味はそこにあった。そこ以外にはないといってもいい。

「行くわよ、参号」

 レムはシウルに告げると、戦場に視線を向けた。無数の皇魔が蠢く阿鼻叫喚の地獄が、口を開いて待っている。死神の到来を待ち侘びている。

(隊長の許可が下りていない以上、死神は使えない……けどまあ)

 戦場への途中、レムはその場に屈みこむと、自分の影の中に手を突っ込んだ。影の深淵から取り出したのは、死神の大鎌だ。

 柄だけで彼女の身長を優に凌駕する鎌は、刃から黒い液体を滴らせていた。


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